東京大学教員の著作を著者自らが語る広場

焦げ茶の表紙に建築家たちの名前と生存した年号が記載

書籍名

ナポリ建築王国 「悪魔の棲む天国」をつくった建築家たち

著者名

河村 英和

判型など

256ページ、A5判、上製

言語

日本語

発行年月日

2015年10月8日

ISBN コード

978-4-306-04628-3

出版社

鹿島出版会

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ちょっと奇抜な本書の副題「悪魔のすむ天国 (paradiso abitato da diavoli)」は、南イタリア最大の都市ナポリを揶揄した別称です。この言い回しは17世紀の書物で「古い諺」として紹介され、20世紀ナポリで活躍した哲学者クローチェの書いた本の題名にもなって有名になりました。雄大なヴェスヴィオ火山を背に、地中海に面したナポリ湾の絶景は「天国」のように美しく、一生に一度は見るべきことから、日本では「ナポリを見て死ね」という言葉がよく知られてます。ナポリ人を暗に指す「悪魔」ですが、ナポリには「ラッザローネ」と呼ばれる怠け者の賤民が町中にいて、コレラが蔓延するほど狭く暗い路地の不衛生さ、治安の悪さ、猥雑さなど、町をそんな様相にしてしまうナポリ人を「悪魔」に喩えたわけです。彼らのすむ「天国」は、地形・自然の恩恵よるものに留まらず、個々の建物の美しさも相まって形成されています。そんなナポリの町の建築史を概観したのが本書です。
 
古代ギリシャ・ローマ時代の都市計画手法に従って建設されたナポリ (ネアポリス) は、やがて城壁外 (extra moenia) へも広がり、ゴシック、ルネッサンス、バロック、新古典主義、折衷・歴史主義、ファシズム・合理主義と、二千年にわたる建築史がこの町では一望できますが、特筆すべきは16世紀後半~18世紀のバロック期です。ナポリの建築界は当初、北イタリアやトスカーナ出身者に牛耳られていました。「多色大理石の象嵌細工 (マルミ・コンメッシ)」の壁・床・祭壇に、果物や天使をモチーフにした華麗な彫刻で、一世を風靡した大御所ファンザーゴはロンバルディア出身ですが、ロココ時代にはサンフェリーチェやヴァッカーロらといったナポリ人建築家たちが第一線で活躍しました。当時のナポリは音楽・オペラの中心地でもあり、人口はロンドンやパリと肩を並べるほど。本来は仮設の「祭事用大規模装飾 (マッキナ・ダ・フェスタ)」を、大理石で作って恒久化させた「塔状飾り (グーリア)」や「噴水 (フォンターナ)」が町や広場を彩り、貴族の屋敷の「門構え (ポルト・コシェール)」は日本の2~3階分ほどの高さで豪華絢爛。そこをくぐった中庭には、ナポリ独自の「開口階段 (スカラ・アペルタ)」が、劇場の舞台かと見紛うような姿で迎えてくれます。主な建材は火山由来の地元の石材、暗い色の火成岩ピペルノと薄黄色の軽快な凝灰岩トゥーフォで、この2色のコントラストが奏でる光と影がナポリ建築の特徴です。
 
題名に「王国」という言葉が付いているのは、1861年のイタリア国家統一前まで、ナポリが両シチリア王国の首都として栄えていた時代にできた建物群が、ナポリの町らしさを形成し、黄金期を築いたということからです。本の題というものは、著者の考えたのは大抵ボツになって出版社が決めますが、本書では副題も含めて私の案がそのまま使われました。
 

(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 特任准教授 河村 英和 / 2016)

本の目次

第1章 ナポリ・バロックの前夜とはじまりと前夜 - 後期ルネサンスと反宗教改革の建築家たち
第2章 ナポリ・バロック黄金期 - 聖と祝祭の建築家ファンザーゴ
第3章 ナポリ流バロックと、ビザール (奇抜) な建築家、サンフェリーチェのロココ
第4章 ヴェスヴィオ火山と古代への情熱 - エルコラーノ遺跡の発見と古典主義的バロックの流行
第5章 カゼルタ王宮造営とルイージ・ヴァンヴィテッリ
第6章 ブルボン王朝の最後の華、王国の終焉 - 新古典主義様式の流行とその後のナポリ建築

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