東京大学教員の著作を著者自らが語る広場

グレーの表紙にANDRE BAZINと名前のアルファベットのデザイン

書籍名

アンドレ・バザン 映画を信じた男

著者名

野崎 歓

判型など

230ページ、四六判、上製

言語

日本語

発行年月日

2015年6月16日

ISBN コード

978-4-861-10456-5

出版社

春風社

出版社URL

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アンドレ・バザン 映画を信じた男

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映画についてあれこれと理論的なものを読み始めたころ、最も強い印象を受け、かつまた自分の映画の見方そのものに影響を受けたのはフランスの批評家アンドレ・バザン (1918年 - 1958年) の文章だった。核心となる部分は彼の没後刊行された評論集『映画とは何か』に収められている。同書巻頭を飾る決定的な論考「写真映像の存在論」、あるいはどんなものであれ映像表現に接する際の指針とするに足る「禁じられたモンタージュ」などは、映像文化に取り囲まれた現代の人間にとっては必読としかいいようがなく、それらが文庫本の形ですぐに入手できないことは遺憾きわまりない -- という風に、ざっと25年前から思っていた。そしてバザンの思考がわれわれにとってどのように刺激的なのかを、わかりやすく論じてみたいと考え、ぽつりぽつりと文章に綴っていった。それらの多くは以前勤務していた一橋大学の紀要に発表したもので、数年前にすべてインターネット上で公開されたので、もはや書物としてまとめる機会は訪れないだろうとあきらめていた。ところが志ある若い編集者が不意にぼくの前に表れて、インターネットで読めるものを含め、一冊の本にしないかと提案してくれた。そこで紀要旧稿に加筆修正を施したうえで、台湾および上海の学会で発表した内容にもとづく2章を追加し一巻とした。不思議なめぐりあわせによって、その間にバザン『映画とは何か』を岩波文庫から刊行する企画が進行し、二人の若い友人との共訳で2016年初春、上下2巻で出すことができた。その数ヵ月後に本書も無事、刊行にこぎつけたのである。ぼくにとっては嬉しくありがたい偶然のなりゆきにより、ささやかながら一つの "バザン・ルネサンス" を実現することができた次第だが、ひょっとするとそれは偶然のなりゆきというよりも、むしろこの時代にこそバザンが読まれる必然性があったからこそなのではないかとも思っている。その必然性とは何か -- それを本書から読み取っていただけたらと願うのだが、キーワードは「リアリズム」であり、写真映像にこそ可能であるはずの現実の忠実な再現が、ヴァーチャルリアリティの大波に洗われて揺らぐ中で、なおわれわれが映画、映像を「信じる」とすればそれはどういうメカニズムに支えられてのことかを明らかにしたかった。それを考えさせてくれるのがバザンなのである。彼のリアリズム理論は実はアニメにだって通用することを、宮崎駿作品を例にとって論じた最終章あたりから、覗いてみていただければと思う。

(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 教授 野崎 歓 / 2016)

本の目次

まえがき
1 解放されたスクリーン
2 映画にとって現実とは何か - バザンによるロッセリーニ
3 残酷さの倫理
4 文芸映画の彼方へ
5 「寡黙さ」の話法 - バザンと現代台湾映画
6 バザン主義 VS 宮崎アニメ
あとがき
書籍・論考名索引
映画作品名索引
人名索引

関連情報

書評:
『アンドレ・バザン』 今野哲男 WEBRONZA 2015年8月13日
http://webronza.asahi.com/culture/articles/2015080600003.html
 
覚え書:
「書評: アンドレ・バザン 映画を信じた男 野崎 歓・著」、『東京新聞』2015年9月6日 (日) 付
http://d.hatena.ne.jp/ujikenorio/20150924/p4
 
書評:
野崎歓著『アンドレ・バザン 映画を信じた男』 加藤幹郎 日本映画学会会報 第44号 p20 2015年9月22日
http://jscs.h.kyoto-u.ac.jp/kaihou-44.pd

UTOKYO VOICES 001 (2018年01月09日掲載)
人生の軸となる古典文学の復興を目指す | 大学院人文社会系研究科・文学部 教授 野崎 歓
http://www.u-tokyo.ac.jp/ja/news/topics/topics_z0508_00077.html
 

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