東京大学教員の著作を著者自らが語る広場

エジプトの絵が描かれた赤茶色の表紙

書籍名

エジプトの自画像 ナイルの思想と地域研究

著者名

長沢 栄治

判型など

352ページ、A5判

言語

日本語

発行年月日

2013年3月22日

ISBN コード

978-4-582-48147-1

出版社

平凡社

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エジプトの自画像

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「エジプトはナイルの賜物」とは古代ギリシアの歴史家ヘロドトスが遺した名言です。熱帯アフリカ中央部から発したナイル川は、独り北アフリカの広大な沙漠地帯を貫いて河谷を拓きます。そして豊かな堆積土をもって沃野のデルタを造りました。この沃土と定期的な氾濫による灌漑水をもたらすナイルなくして、古代エジプト文明は成立しなかったでしょう。この世界最長の川の流れが、もし途中で左か右に逸れていたとしたら、現在ある世界、人類の歴史は大きく変わっていたに違いありません。このナイル川という奇跡に近い流れは、エジプトという地域に独特の個性を与えました。そして同時にエジプトは、アジアとアフリカ、そしてヨーロッパを結ぶ文明の十字路にも位置しています。こうしてナイル川の流れる「立地」と世界文明における「位置」がエジプトの類まれな地域がもつ個性を作りだしているといえるでしょう。

このエジプトの特異な地理的個性を、文字どおり縦横無尽に、余すところなく書きつくそうとしたのが、現代エジプトの天才的な地理学者、ガマール・ヒムダーン (1928 - 1993年) でした。その浩瀚な主著『エジプトの個性』(初版1967年、改訂版全四巻1980、81、84年) は、前近代の年代記作家をも思わせるスケールの百科全書的著作であるとともに、近代地理学を民族主義的に解釈し、巨大な理論の枠組みを提示した社会科学の思想書でもあります。

ヒムダーンは、この本の著述を通じて、祖国と民衆をその窮状から救う思想的な戦いを行なったのです。彼が『エジプトの個性』において戦った相手とは、第一に水利社会論に代表される西欧の学者の地理的決定論でした。ウィットフォーゲルの『東洋的専制:全体主義権力の比較研究』はその代表です。それは巨大河川の統御のためには、中央集権的な国家が必須であり、何よりもそれは必然的に東洋的専制を生みだすのだ、という議論でした。これは環境や文化や宗教 (たとえばイスラーム) によって「東洋」社会の遅れや病弊を断罪する決定論 (本質主義ともいいます) 的な主張です。

しかし、ヒムダーンの個人史をたどるとき、彼自身が同時代のナセル体制の専制政治の犠牲者であったという事実に突き当たります。大学の職を抗議して辞して清貧の学究生活を送った孤高の地理学者を支えたのは、熱烈なる民族主義でありました。この政治的抑圧と希望の民族主義という光陰の対照激しいアラブ社会主義の時代を生き抜いた知識人と、その思想的な到達点を紹介するのが本書の主なる目的です。

本書の後半では、筆者が実施した調査の紹介を含めて、近代エジプトの灌漑制度が論じられます。書斎の思想家的地理学者の描くエジプト社会論との比較がそこでの議論の焦点となります。本書は、筆者が20年の間に執筆した論文の集成の形を取りますが、はからずも2011年エジプト革命の激動の時期に刊行されました。そうしたアラブ現代史の文脈においても本書をお読みいただければと思います。

(紹介文執筆者: 東洋文化研究所 教授 長沢 栄治 / 2016)

本の目次

まえがき
序章 近代エジプトの国家と社会

第1部 ガマール・ヒムダーン『エジプトの個性』の世界
第1章 エジプトの中央集権性―ガマール・ヒムダーン『エジプトの個性』研究 (1)
第2章 エジプト知識人と文化的重層性―ガマール・ヒムダーン『エジプトの個性』研究 (2)
第3章 地域の思想と地域研究―ガマール・ヒムダーン『エジプトの個性』から学ぶもの

第2部 エジプトの灌漑制度の歴史と現状
第4章 近代エジプトにおける灌漑制度の展開
第5章 現代エジプトの灌漑制度改革
第6章 ベイスン灌漑に関するノート
第7章 アスワン・ハイダムの建造が環境に与えた影響について
第8章 エジプトの環境問題 -「ナイルの賜物」の行方 -

あとがき
参考文献

関連情報

書評:
『アジア経済』2014年9月 (第55巻第3号) 加藤博 氏
http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Periodicals/Ajia/201409.html
 

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