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若手研究者の紹介

次世代型生命・医療倫理の教育研究拠点創成

研究ハイライト

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生命科学の進歩にたいする感情的な反発は正当化できるか

有馬  斉 医学系研究科健康科学・看護学専攻特任助教  担当:赤林 朗 教授

 倫理的な問題を議論するとき、我々はときに感情に訴えることがある。とくに新しい医療技術や生命技術の利用に反対する人が、感情に訴えることは少なくない。たとえば脳死体からの臓器移植、代理母出産、ヒト胚研究などといった行為について、それが許されないと信じる理由を言葉にして説明するのは容易なことではない。そこでただ「そんなゾッとするようなことはしない方がよい」、あるいは「生理的な嫌悪感がする」などといった表現で行為が非難されるのである。


 人の行為や性格が我々に嫌悪感や怒りや悲しみといった感情を催させることは、当の行為や性格を我々が道徳的に非難することを正当化するだろうか。この問題を考察するため、これまで私は、政治哲学における共同体主義やメタ倫理学における道徳実在論など、倫理学上の様々な立場の研究者によって感情に訴えた議論が展開されてきた例を整理・分類するとともに、それぞれの議論を批判的に検討してきた。その際とくに、これら哲学的な議論の前提にある事実理解を、心理学や生理学における実証研究の知見と突き合わせることにより、前者の誤りを指摘してきた。たとえば米国の生命倫理学者Leon Kassは、人クローン技術の臨床利用を非難したさい、自らの立場を正当化する根拠として「この技術がすべての人に嫌悪感を催させること」を挙げた。こうした議論は、嫌悪感という感情の汎文化性や進化論的な見地からみたその機能などについて、素朴すぎる概念把握やときには不正確な事実理解に依拠しているように思われる。


 感情については近年、実験心理学や生理学の分野で実証的なデータが積み重ねられてきている。とくに倫理学者が言及することのおおい嫌悪感や共感や怒りといった種類の感情についても、その汎文化性の程度、主体の意識的な判断と感情との相互作用のメカニズム、感受性に教育が与える影響、他の類似の感情との明確な区別の可能性など、多様な側面において、素朴心理学的(folk psychological)な概念把握が批判されてきた。今後、哲学的な概念分析の手法だけによるのではなく、こうした実証研究の知見もさらに幅広く取り入れることにより、嫌悪感以外のさまざまな感情についても、道徳とのかかわりを正確に解明していくことができると期待される。

 

Arima, H. Disgust and Moral Censure.Journal of Philosophy and Ethics in Health Careand Medicine, 2009; 4: 88-108.

  
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臨床研究と日常診療をいかに区別するか

田代 志門 医学系研究科健康科学・看護学専攻特任助教  担当:赤林 朗 教授

 研究倫理の領域において、その対象となる「研究」をどう定義し、日常診療とどう区別するかという問題は、もっとも根本的な問いの一つである。両者の区別に関わる議論は、1970 年代から議論され始め、現在では、医学研究者、生命倫理学者、社会科学者のあいだで、様々な観点から論じられている。しかしながら、未だに国際的に合意された理論枠組みは存在しない。


 そこで、われわれはアメリカの医師・生命倫理学者であるRobert J. Levineの議論を再構成することで、一貫性のある理論モデルの構築を試みた。結論として提示したのは、「意図モデル(intent-based model)」と「承認モデル(approval-based model)」という2つの基準の組み合わせからなる理論モデルである。「意図モデル」とは、基本的には、行為者の「目的」に着目し、それが目の前の患者の治療を「意図」したものか否かによって、研究と診療を区別するものである。これに対し、「承認モデル」とは、行為者の「手段」に着目し、その安全性・有効性が専門職共同体や規制当局によって一種の「承認」を与えられているか否かによって、研究と診療を区別するものである。


 従来、この2つのモデルは相容れないと考えられていたが、Levineの議論においては、通常は2つのモデルは矛盾せず、両者が併用できることが強調されている。ただし、この立場にたった場合、両者が矛盾する「革新的治療(innovative therapy)」の扱いが問題となる。Levineは結論として、「革新的治療」は直ちに「研究」であるとはいえないが、可能な限り「研究のように」遂行されるべきだと主張している。これは、基本的には広い範囲に研究規制の網の目をかけることで、被験者保護を強固なものとするとともに、そうした「革新」の積み重ねが医学的知識の発展につながるよう配慮したものであった。


 以上の理論モデルは、「意図」と「承認」という2つの基準から研究と診療を区別したうえで、その境界領域にある「革新的治療」の扱いを明確化したものである。このモデルは、これまで区別が困難だとされてきた事例の多くに応用することができる。


Shimon T. Research, medical practice, and innovative therapy: on the theoretical models of Robert J. Levine. Asian Bioethics Review 2010; 2(3): 229-239.

GCOEで得たこと

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東京大学生命・医療倫理教育研究センター(UT-CBEL)に学んで

長井 裕之 医学系研究科健康科学・看護学専攻博士課程修了
現在、ライフサイエンス研究倫理支援室特任助教

  

GCOE 拠点の一つである東京大学生命・医療倫理教育研究センター(UT-CBEL)は、研究倫理・臨床倫理コンサルテーション・公共政策・国際ネットワークの4 部門を擁する国内随一の教育研究拠点である。筆者は、本学大学院博士課程在籍中にUT-CBEL 公共政策部門及び(独)日本学術振興会のご支援をいただき、研究課題「日米比較視座における生命倫理政策の歴史的考察」に従事した。近年、生命に関する学術研究の進展と共に生命・医療倫理の諸問題が生じているが、これらの問題は「社会が新たな生命科学技術をいかに規制するべきか」という議論と深く結びついていることから、生命科学技術の社会的規制を実施する、いわゆる「生命倫理政策」のあり方が今後重要になると考えたためである。UT-CBELのご指導により、成果の一部が論文「日本における組換えDNA実験規制の歴史的考察」にまとまり、2009年7月に博士(保健学)の授与を受けた。たいへん恵まれた研究生活を送ることができ、心から感謝している。

 

 本論文により、日本における組換えDNA 実験規制の導入過程は、組換えDNA 技術の自主規制をめざす指導的な研究者グループが、日本学術会議・文部省学術審議会・科学技術会議の審議に関与して展開したことが示された。特に、(1)大学等の研究機関における組換えDNA 実験の安全性審査が、文部省学術審議会の「組換えDNA部会」で始まったこと、(2)学術審議会「科学と社会特別委員会」の審議が学術研究への国民の支持を得る方策として生命倫理を理解する関係者を生んだことから、1970 年代の研究者による生命科学技術の自主規制が日本の生命倫理に関する社会的規制の先駆けである可能性を示唆することができた。

 

 現在は、本学本部が2009 年2月に設置した「ライフサイエンス研究倫理支援室」の特任助教として、UT-CBEL 研究倫理部門が作成した「研究倫理ガイド」等を参照しつつ、本学の研究者が計画する学術研究の科学的・倫理的妥当性及び安全性を審査する業務に従事している。博士課程在籍中に得た知見を実地に応用する仕事でもあり、UT-CBELから学んだことの重みを思い返さない日はない。

  
  
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どうすれば生命倫理学者になるのか
(How to be a bioethicist?)

伊吹 友秀 医学系研究科健康科学・看護学専攻単位取得退学
現在、医学系研究科 特任研究員

 わが国において、生命倫理学や医療倫理学はまだまだ一つの学問領域として広く認知はされていないかもしれません。大学や大学院でこの学問が教えられるようになってから日が浅いのも一因なのでしょう。ですが、私がGCOEのプログラムの一環として在外研究に行かせていただいた豪州モナッシュ大学の生命倫理センターは、すでに30 年近い歴史を誇り、その間に何人もの生命倫理学者を世に送り出してきた研究センターでした。

 

 当地での研究や教育がとても刺激的であったことは言うに及びませんが、スタッフや大学院生の人たちといろいろな会話をできたということも自分にとって一つの大きな財産になったと考えています。その中でも特に思い出深いのが、帰国の数日前にスタッフの一人とさせていただい最後の会話だったと思います。私はこれまでのお礼を述べるとともに、授業や彼の研究に関する質問をしたり、自分の研究に関するアドバイスをいただいたりしたのですが、最後にどうしても聞きたかったことを一つだけ尋ねました。それは、“How to be a bioethicist?―どうすれば生命倫理学者になれるのでしょうか?”という、日本では中々専門の生命倫理学者というのが成り立ちづらいという歯がゆさから発せられた問いでした。その抽象的な問いに対して彼は少し考えてから、以下の三つの能力を磨くことが生命倫理学者となるのに必要ではないか、と教えてくれました。1)哲学・倫理学的な論文を理解できる能力、2)科学的なデータの意味を解釈できる能力、3)批判的に物事を考察できる能力、の三つです。

 

  これら一つ一つについては、GCOEでの教育や研究の中でも無意識的にですが学んできていたと思います。ですが、今後は生命倫理学者として自覚的に、この三つの能力を伸ばすことを意識しながら、研究を進めていきたいと考えています。