シミックホールディングス株式会社 代表取締役会長兼社長 中村 和男 様

第5回ゲスト

nakamurasama



シミックホールディングス株式会社 代表取締役会長兼社長

中村 和男 様

日時: 2012年6月18日(月) 19:00~21:00
場所: 伊藤国際学術研究センター3階 特別会議室(本郷キャンパス)
http://www.u-tokyo.ac.jp/ext01/iirc/access.html
ゲストスピーチテーマ: 「医薬品産業の変革を目指して」
 

紹介

1946年生まれ、山梨県甲府市出身。1969年京大薬学部を卒業。三共株式会社(現:第一三共株式会社)に入社。高脂血症治療剤「メバロチン」を担当。1992年に独立を決意して三共を退社、シミック株式会社の社長に就任。日本初のCROを創業。2008年金沢大学にて博士後期課程修了。近年では、臨床試験、創薬、科学技術振興などに関わる多数の国家プロジェクトに委員として参画しているほか、京都大学に於いて産官学連携フェローを務める。

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【関係リンク】
http://www.cmic-holdings.co.jp/

報告

┃ロックスター

幼少時から科学が好きで、父親に実験室を作ってもらい、アルコールランプなどを買ってきては実験をしていた。高校時代は化学部で実験をしたり、粉末のジュースを作って仲間に飲ませたり、今思うと危なっかしいこともしていた。その仲間には、三菱ケミカルHDの小林喜光氏もいた。
大学時代は、勉学以外の誘惑も多く、勉強せずにバンドに明け暮れていた。時代は学生運動の盛んな頃で、誰でも夜中に議論をしていた。授業もそこそこに社会に出たのは1969年だった。

社会に出た70年代から80年代は、日本が世界に打って出る時代で、元気になってきた頃だった。日本の製薬会社も、アメリカに面白い新薬を持ち込み、興味を持たれていた。自分も「俺達、結構すごいな、学ぶものはないな」等と肩で風を切って歩いていた。
だが、日本の研究所は窮屈なことが多かった。塀に囲まれた工場の一角にあり、管理上の決まりは多く、業務では会社や部門の方針に従え、というのが当たり前だった。反対に、アメリカのジェネンテック社(カリフォルニア州にある、バイオベンチャーのパイオニア)は、塀がなく土日も自由に出入りできる。研究者が部屋でゾウガメを飼っていたり、パーティーをしたり…。「こいつらと闘っているのか」と思った。
ジェネンテックの研究所のそばには、トレーラーハウスのようなものがいくつもり、フリーの研究者が寝泊りをしていた。ジェネンテックの設備を利用しながら研究を進め、結果を出したら出て行く、研究者の流れ者とでも呼んだら良いのか。「日本とアメリカは全然違う。こいつら、本当にサイエンティストなのか?アーティストだ、ロックスターだ。」と思った。

新薬開発の打ち合わせをすると、日本側は開発を分担している10人が並んでディスカッションするが、アメリカ側は1人で対応し、発言もしっかりしていた。彼らには、外部コンサルタントのCRO(Contract Research Organization)がいた。CROは70年代・80年代に出てきた業態で、製薬会社の研究所や開発にいた人たちが会社をつくり、コンサル業を含め開発業務の受託を行っていた。アメリカの製薬会社は、必要な情報をCRO等から逐次集めて、提案書や内容をしっかり理解してから議論をしていた。こちらは自分達のリソースだけで臨んでいた。彼らはプロデューサーで、こちらは皆がそれぞれの分野の監督だった。

当時、製薬会社にとって一番良い経営モデルは垂直型経営であり、研究から、開発、製造、営業まで自社で行うこととされていた。しかし、80年代・90年代に出てきたバイオベンチャーは、CRO等を自由に使いこなして画期的なものをつくりだし、ライセンスアウトについてまで自分達で調整していた。まさに、ロックスターのように「なんでもあり」だった。その中でCROは力をつけて開発パートナーになっていった。日本の製薬会社も、当時はアメリカに現地拠点がなかったのでCROを使いながら、アメリカで展開していた。
80年代は、「バイオ・医薬」といった分野が時代の花形であり、Newsweek誌の表紙を飾ったのは、ジェネンテックの創始者だった。

┃現代のイノベーション

80年代・90年代に華々しく活躍したバイオベンチャーやCROも、現代になると保守的になっている。既存の組織は疲弊する。イノベーターが来て、違った組み合わせで活性化していかなければならない。
そして新しいイノベーターが登場しつつある。それがARO (Academic Research Organization)である。現在、アメリカの新薬のうち3割は大学から生まれる。大学の仕組みが日本とアメリカは違うので、そのまま持ってくることはできないが、AROは世の中を変えるだろう。アメリカでは大学がビジネス化していて、産業として成果を上げている。世界の大企業が200~500億円の予算を投じてもなかなか出てこない新薬が、10億円程度の予算で出てくる場合もある。「ものをつくる」ということがいかにクリエイティブでなければならないのか。経済性ではなく、面白さや遊びが大切である。ほとんどは失敗だが、一部は必ず出てくる。彼らは思い切ってやろうと思っている。

 技術に関することだけでなく、ビジネスモデルのイノベーションもある。
今、お薬は有料であり対価を得て提供される。当たり前だと思っているだろうが、無料で配って損をしていない仕組みがある。一つは、ビルゲイツの財団で、途上国に必要なお薬の支援を行っている。もう一つは、治験。お薬の提供の対価として被験者のデータをいただくということで成立している。お薬を売って儲けるのではなく、例えば、どこかの国の国民一人当たり500$の費用で、国民をある一定の健康状態にまでにしてほしいと一任し、その範囲内で薬を無料で配るというビジネスモデルができるのかもしれない。時代の代わりの目の中ではそうしたこともあり得るのではないか。日本は技術でのイノベーションは強いが、ビジネスモデルのイノベーションが弱い。

┃薬は何のためにあるのか

高血圧の患者がいるとする。処方された薬は80%の有効率だと効かない人もいて、運動をすることの方が効果的なのかもしれないが、薬屋は薬を売る。しかし、効く人と効かない人がいることに、自分達は関係ないなんて言えるのだろうか。患者一人一人にとって一番良い治療を考えると、製薬会社から見えるものと全く違う景色が見えてくるだろう。

病気を治しても克服しても、永遠の命ではないという本質を見極めなければならない。いつかは死ぬと考えたときに、そのときにまつわるソリューションはなんだろう。生きることとはどういうことなのかを考え、その状況の中で一番納得ができることに、対応していかなければならない。サプライヤーは製薬会社だけではない。
そのためには、既存の組織や従来の枠組みを崩さなければならない。そして、各人にお薬を含めて一番良い治療やサポートは何か?という個別治療のビジネスモデルを確立した人こそ、次にNewsweek誌の表紙を飾る人だと信じている。そのときは、違った意味での薬学、サイエンスが出てくるのではないか。
そのイノベーターは、きっと大学生とか全く違ったところから出てくると思う。君達に期待する。

┃シミックとは

1992年で、3人で会社をスタートした。ジェネンテックのようなバイオの会社つくってみたかったが、薬の開発を受託するCROの会社をつくった。1997年の薬事法改正以降、安定的な成長軌道に乗ることができた。
事業領域は、CRO事業、CMO事業(製造支援)、CSO事業(営業支援)、ヘルスケア事業(医療機関・一般消費者を対象とした支援)、IPD事業(知財に関する事業)である。自社工場も研究施設もあるが、僕らは製薬、医療業界の支援ビジネスを行っている。潜在需要を顕在化し、時代の先取りをしようと心がけてきた。ダイナミックな人材戦略が必要で、つまりは自分より優秀な人をどれだけ巻き込めるかということだ。
日本と韓国では、初のCRO企業であり、他には、カナダ、イギリス、中国にも会社をつくった。大企業で働くことも面白いが、アーティストのようにチャンスを待って、ブレークスルーすることも良いのかもしれない。

 当社では、オーファンドラッグ(対象患者が5万人未満の稀な疾病に用いられる医薬品)やバイオマーカー(生体由来の物質で、生体内の生物学的変化を定量的に把握するための指標となるもの)を自社開発し、社会に貢献している。
 オーファンドラッグに関しては、患者数が少ないので既存のやり方は通用しない。それならば、従来にはない方法を考え、実現してしまおうという会社である。色々なことを考え、挑戦していくことが新しいことにつながる。今後も当社にしかできないことを追求し、具現化していきたいと思っている。

 『命』を支える医療・医薬事業に貢献する会社として、一番大事なことは、「倫理性と科学性」である。例えば、日本の臓器移植は、寄付を集めてアメリカで移植を受けて帰ってくる。しかし、このままで良いわけはなく、日本でもっと移植ができるようにしなければならないと思う。このままで良いのかという議論がもっとできるようになるようにならなければならない。文化の問題もあるが、倫理の問題も含まれている。世界の理論がこちらにとって正しいわけではなく、逆もまた然り。日本の倫理と世界の倫理の調和を考えなければならない。

製薬会社はこれからのためにイノベーションをかけてくるだろう。オープンイノベーションの中で、ビジネスのスピートを上げていくだろう。新薬の3割はアカデミアから出てくるのであれば、大学も立派な製薬会社とも言える。治療法がない疾患の研究を追求して行っているのは大学の研究者達である。AROとも違う全く違った動きが出てくるかもしれない。大学をサポートすることによって、もっと先を行くモデルが出来ないのかと考えている。

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