社会に潜む格差を見つめ続けて60年 肌感覚の確からしさを科学する社会学
社会の格差や貧富の差が広がっている、と耳にすることが増えました。直感的にさまざまな場面で格差を感じる人も多いのではないでしょうか。「社会階層と社会移動の全国調査(SSM調査)」では、データに基づいて、社会に潜む格差とその変化を実証的に明らかにしてきました。1955年以来10年ごとに行ってきたこの調査は、2015年に第7回を終え、全国の百数十名の社会学者が協力して分析を進めています。SSM調査によれば、格差に関する私たちの肌感覚と現実は必ずしも一致しないようです。
格差は広がっても縮まってもいない
いくつもの異なる断層が重なり合って地層ができているように、社会はいくつもの階層(社会的な地位)によって構成されていると考える社会階層論。「親の属する階層に関わらず、子供が、自らの能力に依って、どれだけ自由に階層を移動できるのか。この移動率をもって、社会が平等になっているのか、あるいは格差が広がっているのかを調べます」と、人文社会系研究科の白波瀬佐和子教授は話します。「医者の子は医者になりやすいと言われるでしょう。でも、お父さんが工場の労働者であった場合でも医者であった場合でも、その子が医者になれる確率が変わらないとすれば、世の中は平等だというひとつの根拠になります」。
社会階層論では、親子の社会的地位は、職業、従業上の地位(経営者、雇用者、自営などの違い)、あるいは企業規模などの質問により決めます。特に、SSM調査では全国の20~69歳の男女数千人を対象に、学業を終えてはじめて就いた仕事から調査時点までの職業経歴を細かく聞き取ることで、親と子の世代間移動、そして個人の職業経歴を詳細に分析してきました。
たとえば、時代ごとの職業構造の変化を加味した上で、1955年の時点の親と子の階層の結びつきが強くなったのか、弱くなったのかを2015年までの60年分のデータを分析しました。その結果、親と子の階層の相対的な結びつきにはほとんど変化がなく、どの年代でも階層間の格差は変わっていません。つまり、マクロな戦後の社会変動を考慮すれば、社会の格差は大きく変化していないことがわかりました(図1)。医者の子は医者になりやすいというように、子は親と同じ階層にとどまる確率が高く、子が親の社会的地位を受け継ぐ傾向は戦後ほぼ一貫しています。このような傾向は日本だけではなくて、欧米でも同様に確認されています。
教育は格差を広げることも縮めることもできる?
では、階層間の流動化を進め、格差を是正するにはどのようにしたらいいのでしょうか。そのひとつとして期待されるのが、「教育」です。「親の社会的な地位に関わらず、子供に教育の機会が与えられれば個人の能力によって格差が縮まるという考えがあります」と、SSM調査のメンバーである教育学系研究科の中村高康教授は話します。
一方で、高校の進学先によって、その後の進路や職業は大きな影響を受けるため、高校教育は格差を是正するどころか、かえって格差を助長しているのではないかと、考える専門家もいます。そこで、中村教授は進学した高校によって格差が助長されているという仮説を立てて、調べることにしました。
この研究では日本と韓国のデータを使いました。ここでは、よりはっきりとした傾向が見られた韓国の結果を見てみましょう。韓国では、1970年代に特定の地域で「高校平準化政策」が進められました。日本の公立中学校への進学が学区制であるように、住んでいる地域などによって高校の進学先が決まるという政策です。中村教授は、平準化が行われた高校に通った人たちと、平準化が行われず、進学先の高校を自由に選んだ通人たちそれぞれについて、所属する階層と大学への進学状況の関係を調べました。
仮説が正しければ、平準化が行われなかった高校に通った人たちの大学進学状況は、平準化が行われた高校に通った人たちの大学進学状況よりも階層の影響を強く受けるはずです。しかし、まったく逆の傾向が見つかりました。平準化が行われた高校に通った人たちの大学進学状況の方が、階層の効果をより強く受けていたのです。つまり、直感的に言われるほど、高校教育は、格差の助長を促してはいませんでした(図2)。
関係者みなの地道な努力
私たちが体感している不平等が具体的にどの程度なのか、時代を超えてどの程度変わってきているのか。SSM調査はこの疑問に対して、統計的な手法を用いて応えようとします。
「親と子供の詳細な職業データがあってこそ、それなりの確からしさをもって私たちはものが言えるのです」と、SSM調査で労働市場の研究を担当する社会科学研究所の有田伸教授は強調します。
毎回、調査員さんが回答者を一軒一軒回って、これまでどんな職業に就いてきたのか、親の職業は何だったのかなど、職業に関するデータを手書きで丁寧に聞き取っていきます(図3)。そして、回答者につき時に10個以上に及ぶ職業の回答を数千人分集めます。これらの回答を社会学者が一つ一つ手作業で分類し、入力していきます。「直近の2015年のSSM調査で集めたデータの分類には、約30名の社会学者が朝から晩まで分類に徹して2週間ほどかかりました。分類後には、データのミスを取り除く作業などが続きます」。
「こうした地道にきちんと多くの努力を重ねたデータではじめてわかることがある」と有田教授は言います。
2015年のSSM調査とこれから
SSM調査は10年に一度、毎回その時代時代に合わせたテーマを設定して、そのテーマに即して社会の不平等や格差を生み出すメカニズムを明らかにしています(図4)。今回の主テーマは少子高齢化。白波瀬教授、中村教授、有田教授は、それぞれ家族や世帯、教育、労働市場の切り口でこのテーマに取り組みます。「人口の急激な高齢化に対応して、調査対象者の年齢をこれまでより10歳高い、79歳までに引き上げ、家族や子供、世帯についての質問項目を追加しました」と今回の調査を率いる白波瀬教授は説明します。
データ分析はまだ途中ですが、晩婚化・未婚化のメカニズム、正規・非正規雇用の間に生じる格差、引退した高齢層の資産の保有状況など、2015年調査から特に、少子高齢化を生む仕組みの解明に取り組んでいます。たとえば、学歴の程度によって結婚相手と知り合った場所やきっかけが異なり、非正規の仕事に就いている場合は結婚しない確率は高く、結婚相手との「知り合いの場」も限定的になる傾向が確認されました。また、引退した高齢者は、自身の所属する階層について問われると、収入額に加えて保有する資産によって、回答が影響される傾向も見られました。
今後の課題は、データ分析をさらに進めて、その結果を社会にも還元していくことです。代々受け継いできたデータや分析手法を次の世代に託すこと、だと白波瀬教授は話します。
社会階層論に出会ったのは留学先の米国でした「机上の論理を具体的な数値をもって確かめられる明快さに魅せられた」と、白波瀬教授は目を輝かせながら振り返ります。しかし、明快さの裏には膨大なデータと向き合う地道な作業があります。また、社会が複雑であるがゆえに、皆が期待するほど単純明快な答えは多くの場合期待できません。ただ、社会に潜む格差とそのメカニズムを実証的に明らかにすることで、ひとびとの暮らしを良くするための政策立案にも寄与しうる、白波瀬教授。そんな己の「肌感覚」を信じて、SSM調査のバトンを次の世代につなごうとしています。
*冒頭の写真のクレジット:CC BY-NC-SA 2.0 jasohill