このページのトップです。
東京大学ホーム > 大学案内 > 総長室から > 総長談論 > メッセージ集 > 式辞・告辞集 > 平成23年度東京大学入学式 祝辞
space
space
space

総長室から

平成23年度東京大学入学式 祝辞

 私は皆さんにお喜びとお祝いの言葉を、ただそれだけ述べたいと思ってまいりました。
今日、東大生として第一日を迎えた皆さん、本当にお目出度う。こうして希望に満ちた皆さんのお顔を前にして、お祝いの言葉を述べる事が出来るのは、私にとってはこの上ない喜びであり、また大層名誉なことであります。皆さんにとって最初の東大の日であるように、実は私にとっても、今日は生まれて初めて出席する、記念すべき東大入学式であり、こうして"初めて同士"が出会う場で、祝辞を述べ、皆さんの前に広がる洋々たる新しい世界を思い描きながら、喜びを共にできるからであります。

 私は、1949年、皆さんと丁度同じ十八歳の頃、日本の高校を中退してアメリカにひとり渡りました。そして、アメリカの高校生と一緒に統一試験を受験してハーヴァド大学に入り、四年間古代ギリシャ語・ラテン語とサンスクリットを勉強して卒業しました。ある寒い冬の朝早く、背を丸くして構内を歩いていると、頭の上から、"ハーヴァドの学生は背筋をまっすぐに! "と言う声が響いてまいりました。驚いて振り向き、仰ぎ見ると、後ろには名総長として誉れ高いコナント先生が立って睨みつけておられた、そのことなどを懐かしく覚えています。その後オックスフォドとハイデルベルグで同じような勉強をして、六年後に日本に帰国しましたが、その時はまるで浦島太郎の心地でありました。その後東大の大学院に入り、呉茂一先生、高津春繁先生、村川堅太郎先生はじめ諸先生からご指導を頂き、勉強を続けようと努力しました。しかし、その頃は未だ東大文学部には、古代ギリシャ・ラテンの文献を学ぶための専門学科も、研究室もなく、研究資料の集積も、皆無に近い状態が1969年まで続いておりました。

 しかし、そのような殆ど未開拓の分野においてさえも、その頃の東大には、ハーヴァドやオックスフォドやハイデルベルグなどの教室では、絶対に出会うことのなかった宝物がありました。それは東大文学部の学生たちでした。その頃本郷通りに『ルオー』という喫茶店がありましたが、そこで、偶然に、コロスとかスタシモンとかいうギリシャ語を交えながら議論している学生たちに出会ったのです。彼らは、それまで日本では誰も、見た事も聞いた事もない古代ギリシャ悲劇というものを、自分たちの知恵と体で創り出し、舞台で上演してみようという途方もない考えに燃え立つ、十名ばかりのグループの仲間でありました。その中心には、文学部美学の竹内敏雄先生の『アリストテレスの芸術論』に出ている学生たちがいました。先生の講義の主題は、古代ギリシャ悲劇の構造分析でした。
 丁度その頃、新関良三先生の大著「ギリシャ・ローマ演劇史』に対して日本学士院から恩賜賞(1958)が贈られ、古代の西洋演劇が以前よりも、身近に感じられるようになりました。やがて竹内敏雄先生の「アリストテレスの芸術論』にも、学士院賞(1960)が授与されます。しかしそれは雲の上の学界の話であって、まだその頃日本では、誰も、劇場に座って、古代のギリシャ悲劇が上演される有様を、自分の眼で見た事のある人はいなかったのです。"自分達の眼も、耳も、捉えた事の無い古代ギリシャの演劇作品を、如何して芸術論の対象として論ずることができょうか、たとえアリストテレスが何と言おうと!" この問いに突き動かされた文学部の学生たちは、駒場と本郷の有志を総動員して、『東京大学ギリシャ悲劇研究会』というグループ(略称東大ギリ研)を結成しました。そして自分達の知恵と体を酷使して、その研究成果をギリシャ悲劇の名作『オイディプス王』の原型の復元と上演という形にまとめて、1958年の東大五月祭の企画として提案し、採択されました。この劇作は、国難打開のために善かれと全力を尽くす王が、国の災の原因は、あろうことか自分自身の出生にまつわる呪いにあったことを、自分の手で暴き出し、自らを罰し追放する、という皮肉な筋立てに成っています。この無謀ともいうべき東大生たちの企てを聞いて、盲蛇にも怖じずとはこのこと、と思った人も少なくなかったでしょう。
 しかしこの無謀な学生たちとの偶然の出会いは、私にとっては、一生一度の出会いでありました。彼らの蛮勇に満ちた企てこそが、当時欧米いずこの大学に於いても見付けることが出来なかった、宝物でありました。また、東大の教授陣も学生部もいち早くこの宝物の可能性を信じて、惜しみない援助を与えてくれました。最初、この悲劇作品は五月祭の日に、本郷の図書館前の広場で上演される計画でしたが、学生部はこれを日比谷の野外劇場で上演されるように配慮してくださいました。その御陰でその後の五年間、超割安な使用料のもとに毎年六月初旬、日比谷で東大ギリシャ悲劇研究会の上演が実施されたのです。
 年間通じて毎週水曜日の研究会や上演企画会議が開かれましたが、その場所には、当時駒場の裏にあった、吉岡力先生の歴史教育研究所が無料で提供され、公演日間じかになると、本郷の湯島幼稚園が立ち稽古の場所を提供してくれました。それのみか、毎年ただ一回のギリシャ悲劇研究会の公演のために、東大内外から惜しみなく寄せられた絶大なご協力を忘れることはできません。高名な作曲家たち、振り付けの専門家たち、衣装制作のために考証を尽くされた衣装家たち、本邦最初のギリシャ悲劇の仮面を創り出した彫刻家たち、音響・照明効果の専門家たちの皆さんにもみな、ただ同然で手伝って頂きました。また『朝日新聞』が毎年、記事として取り上げてくれたことも、『アサヒグラフ』が大きい紙面を割いて舞台写真を紹介してくれたことも、上演切符の売り上げの助けとなりました。一枚百円の切符売りのために奔走してくれた東大はじめ都内諸大学の学生さんたちの姿も忘れられません。演目は『オイディプス』の後、『アンティゴネー』(1959)、『プロメテウス』(1960)、『アガメムノン』(1961)、『フィロクテテス』(1962)と続きました。そして、毎年六月初旬の夕べ、日比谷の劇場を埋め尽くし、日比谷の森を動かせた、2000人余りの熱心な老若の観衆から頂いた激励にも、あらためてお礼を言いたい気持ちで一杯になります。
 それら全ての人々の有難いご親切の御陰で日の目を見ることとなった、一年一回の東大ギリシャ悲劇研究会の公演活動は、1968年公刊された岩波の『近代日本総合年表』1961年6月3日の欄にも記録されています。ちなみに同書の索引によれば、これは古代ギリシャ文学に関する唯一の記載項目であります。その後五十年経て今も、日比谷の余韻はなお消えず、昨年十二月、ベルリン大学において『日本におけるギリシャ悲劇の復活』と題するセミナーが開催された折りに、東大ギリシャ悲劇研究会の活動が詳しく取り上げられたという、嬉しい知らせにも最近接しております。
 東大ギリシャ悲劇研究会の記憶は、五十年昔、私自身が東大と東大生の皆さんに同化していった記憶でもあります。それはまた、ギリシャ悲劇研究会の諸君と一緒に過ごした五年間のあいだに、私たちが創り出した若々しい東大の、情熱と実行力の漲る姿として、今も変わらずに生き続けています。そのような宝物にめぐり会えた大いなる幸運の御陰で、私は今日此処で、新しい東大生の諸君に心からのお祝いを申し述べることが出来たのだと思っています。1969年東大紛争の際に安田講堂が放水によって水浸しになった時、学生部に保管されていたギリシャ悲劇研究会の悲劇仮面・衣装・大道具・小道具の類いは、水浸しになり、泥まみれになって、みな消えてなくなりました。しかし、放水によって消えることのないものがあります。眼にみえぬもの、耳に聞こえぬものに向かって鋭く思いを定め、追いつめてそれを捉え、それに新しい形を与えて表現していく学問の炎は、水浸しになっても簡単になくなってしまうものではありません。敢えて言うならば、この炎、燃えさかる火こそは、東大があり、東大生が東大生であるかぎり、文理の分野の別を問わず、いたる処で勢いよく燃え続けて行く炎であると私は信じて疑いません。事実、私が長い間お世話になっておりました文学部の西洋古典学研究室はこの炎と水の真っ只中から誕生し、今日に至っています。しかしながら、その炎によって、これからの、新しい自分達の大学を創り出すことが出来るのは、今日から東大生となる君たち自身の心意気と実行力以外の何者でもありません。
 大学は与えられるものではなくて、自分たちが創っていくものであります。君たちの出発を祝し、今日からの四年間が、君たちにも新しい宝物の発見を齎し、君たちに新しい大学創出にいたる道を開くこととなるように、心からの祈りをこめて、私からの祝辞とさせて頂きます。

平成23年(2011)4月12日
日本学士院長 久保正彰


space