平成26年度卒業式総長告辞

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式辞・告辞集 平成26年度卒業式総長告辞

平成26年度卒業式総長告辞

 

 晴れて卒業の日を迎えられた皆さん、おめでとうございます。東京大学の教職員を代表して、心よりお祝いを申し上げます。このたび学部を卒業する学生の数は、3,160名になります。このうち留学生は65名です。本日は、多くのご家族の皆さまにもご来校いただいており、お祝いと感謝を申し上げたいと思います。ここ2年の卒業式の式典は、この安田講堂-正式の名称は「大講堂」ですが-の耐震改修のための工事が大規模に行われていたために、学外で実施されていました。このたびの卒業式からまた安田講堂に戻って挙行されることになりました。

 耐震改修と言いましたが、その工事のきっかけとなったのは、東日本大震災です。今日のこの場には、4年前に東京大学に入学して卒業の日を迎えている皆さんも数多くいると思いますが、それらの皆さんの入学は、まさにこの東日本大震災の発生の直後でした。その年の入学式は中止こそしなかったものの、被災の惨禍への哀悼の思いと余震のリスクへの考慮から、小柴ホールで代表の皆さんだけが出席するごく小規模な式典としました。そのことを思い出すと、ちょうど耐震改修工事が終わり新装なったこの安田講堂から多くの皆さんを送り出せることを、まことに嬉しく思います。

 この安田講堂の改修にあたっては、構造部分や天井などの耐震強化と併せて設備の近代化が行われ、さらに、講堂創建当初のオリジナルな計画案に近い形に戻すことも図られました。のみならず、竣工時には未整備な状態にあった1階、2階部分についても今回計画的な整備が行われたことによって、このたびの工事で安田講堂が本当の意味で初めて完成をみたと言ってよいかもしれません。昨日挙行された大学院の学位記授与式、そして本日のこの卒業式の式典は、いわばそのこけら落としでもあります。

 東日本大震災の発生、そして安田講堂の大規模な改修と、学部における学生生活の始まりと終わりにこうした二つの偶然に出合った皆さんには、その偶然の出来事の持つ重みを感じ取って、これからの人生の糧としてもらいたいと願っています。それは、すでに在学中に東日本大震災に伴う異例の学事日程を経験して本日卒業の日を迎えている皆さんにも期待したいことですが、その一つは時代の重みであり、もう一つは歴史の重みです。すなわち、一つは、東日本大震災の発生をきっかけに社会や学問に投げかけられた課題の重みであり、もう一つは、この安田講堂の歴史に凝縮されてきた学問の重みです。

 大震災の惨禍を経験して、その重みを受け止めるということは、「忘れない」という言葉に象徴されます。その「忘れない」ということの核心は、いまだ途上にある被災地の復興や被災された方々の生活再建を、引き続き見守り支援していこうとすることにあるのは言うまでもありません。この3月11日に、東京大学大気海洋研究所附属の国際沿岸海洋研究センターのある岩手県大槌町での慰霊祭に私も参列してきましたが、大津波で市街地が壊滅した大槌ではやっと土地の嵩上げのための土盛り(どもり)が始まった段階で、街が形をなしていくにはまだまだ長い時間がかかります。そうした息の長い取り組みを支え続けるために、私たちが「忘れない」ということは大切なことです。

 それと同時に、学問にかかわる者、かかわってきた者として、「忘れない」ということにはまた特別の意味があります。それは、大震災、そしてそれに伴って起きた原子力発電所の事故に際して、科学や技術に対して社会から不安や不信の念が向けられたことを「忘れない」ということです。この震災直後の5月に、東京大学の大学院工学系研究科は、『震災後の工学は何をめざすのか』という小冊子をまとめました。この冊子は翌年一冊の本としてまとめられましたが、その序にあたる箇所で、当時の北森武彦工学系研究科長は、次のように記しています。少し長くなりますが、その時期に、私たち大学に生きる者が共有していた緊張感を思い起こしていただくために引用します。

 「この度の震災では、自然の猛威と破壊力の凄まじさを目の当たりにし、複数の原子力発電施設の同時事故、火力発電所の停止と、それらにつづく電力供給危機、また、通信網の機能不足やサプライチェーンの断絶による製造業の機能不全など、我が国を支えている科学技術に対して、多くの人々が不安に思い、また、長年築かれてきた研究開発への信頼が損なわれるのではないかと懸念された。私たち工学者にも、営々と築いてきた科学技術と自身の工学者としてのあり方に自問する人々や、また、密接に関係してきたはずの社会や人々との連携にもその複雑さの迷霧に阻喪する人々も少なくない。学生諸君も工学という学問に対する期待感の喪失や自身の将来や進路への迷いが生じているかもしれない。」
という文章です。いまここにいる皆さんの中にも、当時、こうした時代の雰囲気を、具体的にであれ漠然とであれ、感じた人が少なからずいることと思います。

 しかし、そうした迷いの前で立ち止まってしまうのは、学問にかかわる者、学問を修めた者の責任を放棄することです。たしかに学問、科学の認識には限界があります。しかし、その限界を乗り越えようと絶えず必死の努力を続けることで人々の叡智をさらに広げ、さらに深め、人類により豊かな幸せをもたらしてきたのが学問の歴史です。工学系研究科も、そうした覚悟に立って、震災後の工学の目指す方向として、基礎基盤工学と総合工学との連携を強化するとともに技術と社会とのかかわりを一層密にするといった課題を強く意識しながら取り組みをすすめてきました。大震災の直後に入学した、あるいは在学中に大震災を経験したという偶然に出合った皆さんに「忘れない」でもらいたいのは、このように学問、科学への不信や迷い、限界へのもどかしさに直面する経験をしたという記憶です。そして、それと同時に、それでも乗り越えようと課題に全力で向き合っていかなければいけないという責任感と緊張感の記憶です。学問にかかわった者にとって「忘れない」というのは、決して立ち止まることでは無く、前へ進むということです。

 最後にもう一つ、皆さんに「忘れない」でもらいたいのは、この大震災の直後に、私たちの社会の仕組みや価値、私たちの生き方が、さらには、生きるということの意味そのものも問われたという事実です。私たちが当たり前のように過ごしてきた日常が本当にそれでよかったのか、エネルギー問題をはじめとして問い直されたのが、大震災後の時代でした。こうした問いかけには、自然科学系の学問のみならず、人文系、社会系の学問も含めて、私たちが培ってきた学問がそれぞれの立場から向き合うことを迫られました。たとえばサステイナビリティ(持続可能性)という概念をめぐる議論もその一つであり、そこでは、環境科学や技術だけでなく、経済はもちろん文明やこころの問題なども取り上げられています。このわずか4年間のうちにも、さまざまな出来事が日々起こり、社会変化のスピードも速い中で、震災直後のような根本的な問い直しの姿勢を持つゆとりが無くなってしまっているようにも感じます。ただ、大震災直後の緊張の中で学問をするという大きな偶然に出合った皆さんだからこそ、そうした時代が提起したことの重みを受け止め、その重みを感じ続けてもらいたいと思います。そのことが、皆さんをこれからさらに成長させると同時に、人々へのより大きな貢献を生み出していくための駆動力となるはずです。

 これまで東日本大震災の経験を軸に時代の重みということを話してきましたが、歴史の重みということにも触れておきたいと思います。私たちの学問、そして知的な世界は、言うまでもなく人類の長い歴史の上に成立しています。とはいえ、私たちが日頃感じる歴史というのはしばしば抽象的・概念的なものであり、あるいは断片的・部分的なものです。そこから何を読み取り感じ取っていくかは、個々人の知識・経験や想像力によるところが大きいのです。それでも、すでに4年間あるいはそれ以上の期間にわたって学問に慣れ親しむ経験を経た皆さんには、いまこの安田講堂という卓越した知がシンボル化されている場にいることが、東京大学における学問の歴史を肌身で体感し、学問の過去・現在・未来への想像力をふくらませる、またとない機会になると思います。

 この大講堂が建設されたのは関東大震災を挟んだ時期でした。建設途上で大地震に見舞われましたが大きな損傷は無く建築が継続され、大正14年(1925年)に竣工しました。今日まで長年にわたる利用の過程でそのオリジナルな姿が損なわれたところもありますが、建物のデザイン面だけから見ても、この大講堂を設けるにあたって込められていた、当時の大学人の学問に対する大きな夢を感じ取ることが出来ます。建物の外観は、本郷キャンパスの多くの建物を特徴付けているいわゆる内田ゴシック様式で、後に総長となった工学部の内田祥三教授が設計したものです。同時に、内部は柔らかなロマネスク風に造作され、また、この舞台近くの天井を見上げるとそれがよく分かりますが、アール・デコの様式も一部に取り入れられています。学問のシンボルに相応しく、時代の多様な感覚がふんだんに盛り込まれた建物です。

 さらに、このたびの改修にあたっては、往時の面影を安全面にも配慮して現代に蘇らせるために、屋根の構造部分では創建当初からの鉄骨に新しい鉄骨を組み合わせて耐震性を強化し、窓枠の部分でも従来のスチールと新しいアルミとの組み合わせがなされ、またガラス繊維で補強された石膏のような新しい素材の活用なども試みられています。その意味で、いま皆さんがいる安田講堂は、過去と現在が融合した建物です。歴史というものの本質はまさにそのようなものであり、そこには、先人の成果を絶えず更新しながら自らを進化させてきた東京大学の学問の姿と相重なるものがあります。

 また、言うまでもなくこの大講堂は、この中での数多くの出来事や学術の催しを通じて、時代のさまざまな空気を刻み込んできました。第二次世界大戦に際して学徒動員で出征する学生たちの壮行会がここで行われたのは1943年11月のことでした。あるいは、大学紛争の際にここで学生と機動隊が対峙したのは、1969年1月のことでした。この場ではこうした卒業式のような式典のほかに、学術の最先端を世に問う講演会やシンポジウムなども数多く開催されてきたのは、多くの皆さんが知っていることと思います。それぞれの時代を特徴づける思想や理論、アイデアや発見が熱っぽく報告され議論される場となってきました。市民への公開講座もこの大講堂で長年にわたって実施され、東京大学の知を多くの人々と共有する場でもありました。こうしたすべての意味で、この大講堂の空間には、長い時の流れの中で、この床を踏みその椅子に座ったであろう無数の人々の知への熱く真摯な思いが凝縮されています。それが、歴史の重みです。

 皆さんの頭上にはシャンデリアが架かっています。その真上にあたる小屋組の中心部には、いまも創建以来の大きな木製の棟札が取り付けられています。棟札というのは、建物の建築の趣旨や建築主などを記したものですが、そこに記されている言葉は、「天長地久」「国土安穏」、そして「学運隆昌」です。そうした先人の強い思いが、この建物に込められています。ぜひ、この安田講堂という空間の空気を胸一杯に吸い込むことによって、東京大学の豊かな学問の歴史と社会の発展に尽くしてきた歴史を感じ取ってください。そして、皆さんがこれから、大学での学びを生かして活躍し、学問の未来や社会の未来に大きな貢献をすることによって、皆さん自身もまた、この安田講堂に象徴される東京大学の歴史の一部になるのだ、という気概を持って、新たな門出に臨んでいただきたいと思います。

 タフに、そしてグローバルに、皆さんのこれからの大いなる健闘をお祈りします。 

平成27年3月25日
東京大学総長
濱田 純一


 
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