平成27年度東京大学学部入学式 祝辞

式辞・告辞集 平成27年度東京大学学部入学式 祝辞

皆さん、入学おめでとう。入学試験というハードルを越え、東京大学での教育を受ける権利を得たこと、それは誰にでも得られるものではない、とても恵まれた権利です。それを今後皆さんがどのように生かしていくか。それは皆さん自身の決意と行動にかかっています。

私事になりますが、ちょうど40年前、私も皆さんの側におりました。この大きな会場のどこかの席で、今の皆さんと同じように、少し緊張した面持ちで、入学式に参加しました。

その頃は、海外留学も限られた一握りの人のものでした。英語の苦手だった私にとっては、その後、自分がアメリカの大学で社会学の博士号を取得し、論文を英語で発表するようになるなど、想像もできませんでした。ましてや、その後、東大の教員となり、さらには50代でオックスフォード大学で教えるようになろうとは、40年前の私には、夢として思い描くことさえできないほどの大きな変化でした。

それらを可能としたのは、自分自身の努力も多少はあったでしょうが、おそらくそれ以上に、この40年間に急速に進んだグローバル化が後押ししてくれたのだと思っています。そして、おそらく皆さんは、それ以上に想像を超えた大きな変化を今後体験していくことでしょう。具体的な予測は難しいでしょうが、地球的な規模で生じる、人類にとって困難で複雑な課題に直面し、その解決を目指して、知的な格闘を続けていかなければならない、それだけはたしかです。そのための準備の時間と場を皆さんは与えられた。東京大学で学ぶ権利を得たということは、そういうことだと思います。

 

今の皆さんは、日本で最難関の入試に合格し、東大生になれたことを喜んでいることでしょう。たしかにそれは祝福に値することです。しかし、皆さんがそこで慢心してしまったら、それは私たちにとって多大な知的損失以外のなにものでもありません。東大で18年間教え、2008年からはオックスフォードで教えている私の経験からみると、世界のトップレベルの大学の学生たちは、学ぶ量も学び方も、今の東大生に比べ何倍も厳しい学生生活を送っているからです。

オックスフォードを例に挙げれば、チュートリアルと呼ばれる仕組みが学生たちの学習に磨きをかけます。標準的なチュートリアルは、週1時間、先生一人に学生2,3人のきわめて少人数で行われます。毎回大量の文献の講読が課され、それらを読みこなした上で、自分で考え、それを毎週レポートとしてまとめて提出する(A4で10枚くらい)ことが求められます。そして、それらをもとに少人数で議論する。そこで繰り広げられる学習の量と質、いずれをとっても、東大で皆さんが課される学習の数倍に及びます。

オックスフォードでは、週5日毎日8時間の学習をすることを「フルタイムの学生」と呼びます。実際には、それでも足りないほどの学習が課されます。文字通り、アルバイトなどをする余裕はありません。

 

チュートリアルとは形式は異なるものの、ハーバードやプリンストンといった大学でも、相当量の学習を課すことが当たり前に行われています。それというのも、これらワールドクラスの大学では、知的に優秀な人たちにさらに磨きをかけて、私たち人類が直面している困難な課題を解決するための能力をいっそう高めたいと考えているからです。解決すべき問題が困難であると認識していればいるほど、学生たちに遊ばせている余裕などないのです。

しかも、英語という国際語でこれらをこなすのです。つまり、そこでの学習の成果は、そのままグローバルに通用する知識や能力に転換できます。そういう大学に、世界中から優秀な学生と教員とお金が集まり、世界の問題、人類が抱える問題の解決に貢献できる、知の伝達と創造を繰り広げているのです。ワールドクラスであるとは、自分たちこそが世界が直面する問題の解決に知的に関われるという、自信と自負をもっているということです。

それに比べると、残念ながら東大生の知的な鍛錬は不十分だといわざるを得ません。日本の中でトップであることに甘んじているからでしょう。世界が抱える問題に果敢に挑んでいく。そのために、知的な能力にいっそう磨きをかける。そういう学生に課された学習という面で、他のワールドクラスの大学とは大きな差がつけられているのです。

 

このように見ると、日本の大学が大変不利な状態に置かれていることがわかります。とくに人文社会系の学問では、世界とのギャップは大きいといわざるを得ません。ところが、このギャップは見方を変えれば、日本の大学の強みとなり得ます。

西欧の言語を母国語とする人びとにとって日本語は、もっとも習得困難な言語の一つです。アルファベットとは異なる、漢字、ひらがな、カタカナ、ローマ字という4つの文字体系をもち、しかも文法上も全く異なる特徴を持っています。

外から見れば、こうした習得の難しい言語を使って、日本人はこれまでに膨大な知識を創造し、蓄積してきました。たとえば、東京大学の総合図書館の書庫に入ってみてください。そこに収蔵された、日本人が作り上げてきた膨大な知識の多くは、日本語で書かれています。

非西欧圏で最初に近代化に成功した日本は、西欧諸国とは異なる独自の経験をたどって現代に至りました。豊かで平和な今日の日本社会ができるまで、無理な近代化がもたらす悲惨な出来事もたくさん経験しました。戦争を始め、原爆も原発事故もその他の環境破壊も、戦時下での人権の抑圧も、植民地支配も。こうした経験を、それぞれの時代の優れた頭脳が日本語で書き残し、日本ならではの知識の創造と蓄積を行ってきたのです。体験自体が世界史的にユニークであるばかりか、この膨大な知に母国語でアクセスできる私たちは、人類の知の創造にとって一つのアドバンテージを得ているといってよいでしょう。

このように振り返ると、私たちが私たちなりに世界に貢献できる道が見えてきます。グローバルな視野をもち、私たちが作り上げてきた知識を上手に使いこなしながら、さらなる知の創造に参加する。さらには、外国語を使って、日本語のできない人びととの知の共有化を進めていく。広い視野をもって知識の創造と共有化に皆さんが参加していくことは、欧米の大学とは別の形での、人類への貢献となるでしょう。そういう日本の大学にしかできない貢献を少しでも多くするために、皆さんには入学後の学習や研究に磨きをかけてほしいのです。

 

おちおちはしていられません。好むと好まざるとにかかわらず、私たちは、これまで以上に、急速に、大規模に進むグローバル化の影響にさらされていくでしょう。温暖化の問題、紛争やテロ、貧困や格差、差別や人権の抑圧、あるいは感染症の拡大など、人類が直面している課題と困難は大きく、しかも地球的な規模で、複雑に関係し合っています。まだ見ぬ問題も出てくることでしょう。それに対し、これまでに蓄積された知識も、これから作り出す知識も総動員して、私たちは問題の解決を図っていく。それしかないのです。日本の経験と日本語で作られた知識も十分その一端を担うはずです。

皆さんにとって、この大学で学ぶ権利を得たことと、それに伴う義務との関係がおわかりいただけたことでしょう。

入学おめでとうございます。皆さんが知の創造と蓄積とその活用に関わる、大学という学問共同体の一員となられたことを、心より祝福いたします。

 

平成27年(2015年)4月13日
オックスフォード大学教授  苅谷 剛彦

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