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海と希望の学校 in 三陸第4回

岩手県大槌町にある大気海洋研究所国際沿岸海洋研究センターを舞台に、大気海洋研究所と社会科学研究所がタッグを組む地域連携プロジェクトがスタートしました。海をベースに三陸各地の地域アイデンティティを再構築し、地域に希望を育む人材を育成するという文理融合型の試みです。本学の皆様が羨むような取り組みの様子をお伝えします。

僕たちは『海と希望』という名の缶詰を作ってみた

北川貴士大気海洋研究所附属国際沿岸海洋研究センター
准教授
センター一般公開(ひょうたん島祭り2019と同時開催)でプレゼントした缶詰の中身(サケのプラバン、サメの歯の化石。風船。間伐材で作ったフォトスタンド(魚とセンター名を焼き印にしました。協力:NPO法人・吉里吉里国))。中身には今後新たなアイテムを加えていきます

昨年暮れの忘年会のこと。

年明けに「海と希望の学校 in 三陸」の担当教員に着任予定であったことから、「海と希望~」の紹介をせよとのことで、宴が盛り上がったところで趣旨や来年度の予定などの話をしました。そのとき周りからの反応が上々だったものですから、つい調子に乗って、「実は缶詰を作ってみたくて、予算に余裕があったら巻締機という機械を購入したいのですが、いかがですかねぇ」と切り出してみました。和やかな雰囲気ではあったのですが、あまりに唐突な提案だったものですから、当然のことながら、「いったい何を詰めるんだよ」と返されてしまいました。たしかに詰める中身についてはまだ何も考えていなかったので一瞬口ごもったのですが、勢いに任せて思わず、「希望です!」と答えてしまいました。

左/缶詰のラベルに海草の藻場に生息する生き物をスケッチしてもらいました。子供も大人も一生懸命に描画してくださいました(協力:東北区水産研究所宮古庁舎)
右/巻締機(中條製缶製)で缶詰の蓋を閉め、来場者にお渡ししました(右=著者)

「海と希望~」で皆様にお配りできる変わり種はないか。

開ける楽しみがあるし、自分自身が水産学科の出でなじみもあったので、缶詰はどうだろうかとこれまでなんとなく思っておりました。そんな折、あることがきっかけで最近の鯖缶ブームの先駆けとなった「サヴァ缶」の販売元、岩手県産株式会社さんと知り合う機会を得ました。会社の方から商品の開発戦略など発売までの経緯をうかがうなどして缶詰というものを知るうちに、長期保存を可能にするさまざまな食品学的な技術(生食では果たせない災害時の食料としての重要な役割)、缶詰ラベルのもつ芸術性・メッセージ性など、普段何気なく手にとり食している缶詰に詰まっている奥深さを皆さんにも知ってもらいたいと思うようになりました。そこでまずは自分で作ってみようと、缶詰に蓋をして密封する巻締機を探していたところ、昨年の暮れに熊本県のリサイクル・ショップのホーム・ページに中古品が売りに出されているのを見つけました。

完成した「海と希望の缶詰」

今年の7月14日に、センターのある赤浜地区の「ひょうたん島祭2019」で「海の日イベント」を開催いたしました。来場者には、グッズ入り缶詰を巻締機で蓋を締めてお渡しすることにしました。ただ、手渡しするだけではつまらない。そこで、第4回当日、アマモという海草の藻場を再現しそこに生息する生き物を泳がせた水槽を展示しておりましたので、来場者には水槽の生き物を缶詰ラベルにスケッチをしてもらうことにしました。描画が済んだら、ラベルを缶に巻き付け、グッズを入れ、巻締機で蓋を締めてお渡しするということにしました。来場者の反応は大変よく、子供たちは自作の絵が描かれたオリジナル缶詰に満足げでしたし、保護者や一般の方々は「缶詰ってこうやってできるんだ」といって、缶詰が出来上がる様子を興味深く見て下さっておりました。

来場者には学校関係者もおられました。以前より「海と希望~」の取り組みに興味をもって下さっていたようで、今後、その学校の生徒さんに対話型授業を行うことになりそうです。缶詰には知らず知らずのうちに縁も詰めこまれるようです。

「海と希望の学校 in 三陸」動画を続々公開 → YouTube サイトで 海と希望 と検索!

制作:大気海洋研究所広報室(内線:66430)

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部局長だより~UTokyo 3.0 を導くリーダーたちの横顔~第3回

理学部・農学部

「臨象理学」教育、始めました

理学系研究科長・理学部長 武田洋幸 趣味: テニス

近年、自然科学では境界領域が続々現れています。これらを新しい学問の芽と捉えて展開することが理学全体の発展につながるでしょう。その一つがAIと物理学の融合です。昨年12月、機械学習の原理を物理学の立場から解明し、「説明可能なAI」の構築を目指す教育研究拠点として、知の物理学研究センター(iπ)を発足させました。理学部が強く推進する新組織の活動にご注目下さい。

教育活動では、昨年から新プロジェクトを始めました。自然現象に直に臨んで行う「臨象理学」教育です。火山学、地質学、気象学、生物学など野外実習が重要な意味を持つ領域で、地球惑星科学専攻と生物科学専攻の連携実習を進めています。伊豆・小笠原諸島の火山などや、植物園、臨海実験所といった附属施設が舞台です。同じ場所でも分野が違えば見方が違い、学生たちは多様な切り口から現象に臨むことができます。理学部入魂の新語「臨象」を社会に普及させたいですね。

今後、私の任期内にさらに進めたいのは、社会連携です。理学は社会との接点が少ないと思われがちですが、化学専攻では産学連携が盛んですし、電化製品に使う技術は物理学が、医薬品は生物学、化学が源。実は役に立つ理学と社会との協創プラットフォームを構築し、研究科全体に展開していきます。

「地球医」を育てる試みを進めます

農学生命科学研究科長・農学部長 堤 伸浩 趣味: 酒とジャズ

研究面では、「森のノーベル賞」といわれるマルクス・ヴァーレンベリ賞を、磯貝明、齋藤継之の両先生がアジアで初めて受賞したのが、ここ数年で一番の快挙でした。研究から生まれたセルロースナノファイバーは応用範囲が広く、ペンのインクや化粧品などすでに様々な製品に使われています。生物を活用して社会に貢献する農学の面目躍如です。

教育面では、機構を設置して「ワンアースガーディアンズ育成プログラム」を始めました。生物が共存共生した100年後の地球を実現する若者を育てたいのです。学生は3年次から大学院まで継続して参加し、企業や官庁やNPOとともに学びながら、課題解決力と周りを巻き込む力を鍛えます。One Earth Guardians(地球医)という新語を考案した高橋伸一郎先生が実質的リーダー。まだ2期目ですが、修了生が社会に出て活躍するのが楽しみです。また、データ駆動型の新しい農業を視野に、15年の歴史を数える「アグリバイオインフォマティクス教育研究プログラム」も強化しています。

農学部の研究・教育活動は、SDGsの17ゴールのほぼ全てと密接に繋がります。目標達成への方法論を探り、深めるのが私たちの任務だと捉えています。伝統を引き継ぐ部分と攻めの姿勢で始める部分の両方を組織全体で進める所存です。

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UTokyo バリアフリー最前線!第16回

熊谷晋一郎熊谷晋一郎室長が
取材原稿で伝える
障害研究の現場③
ことだまくん

インクルーシブなキャンパスを実現する建築学

工学系研究科 松田雄二 准教授の巻

大学という場は、少しずつ多様性を増してきている。それとともにキャンパスの姿も変化してきた。松田氏の専門は、多様な人々が、自分たちが使う公共財のデザイン過程に参画する「ユニバーサルデザイン」という考え方で、いわばデザイン自体の民主化を意味する。インクルーシブなキャンパスを実現するために不可欠な考え方だ。

筆者と同じ95年に東京大学に入学した松田氏は、キャンパスの25年間の変化を感慨深く振り返る。学生当時、音楽サークルに所属していた松田氏は、駒場の学生会館にたむろする車いすに乗った学生――そう、筆者だ――を見かけていたという。その後、建築学専攻修士課程のころ、視覚障害の学生が東大工学部へ進学したことが現在の専門につながった。本郷キャンパスで視覚障害者誘導用ブロック計画を作成し、本人からの評判は上々であった。他方で、駒場キャンパスの改善までは、手がつけられなかったと振り返る。また同じ研究室には、耳の聞こえない学生が在籍していた。当時は聴覚障害のある人への制度化された支援も皆無だったため、ゼミでの発言を黒板に書きだすなど、試行錯誤の支援を手弁当で行っていたという。いくつかの大学を経て、2015年に東大に戻ったときには、支援体制の充実ぶりに驚いたという。

松田氏によれば、建築設計という仕事は、建物が備えるべき様々な機能をひとつの「形」に纏め上げるものだ。2000年以降の様々な障害関連の法制度の整備を背景に、障害のある学生や教職員が徐々に増えるにつれ、大学が備えるべき機能も変化し、そこかしこに自動ドア、車椅子でも使えるトイレ、エレベーターなどが設置されてきている。ただ、多様性は障害領域だけではない。宗教、LGBTなどの多様性を包摂するキャンパスデザインはこれからの課題だという。

ユニバーサルデザインを実現するためには、テーブルに挙がった多様なニーズを纏め上げるだけでなく、そもそも多様なユーザーが最初からテーブルにアクセスできなくてはならない。事後的な改修では満足度が低いだけでなく、費用も高くつく。「はじめからみんなでつくるキャンパス」を実現する上で、松田氏の研究と実践は方法論的な基盤を示唆している。

バリアフリー支援室 ds.adm.u-tokyo.ac.jp

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ワタシのオシゴト RELAY COLUMN第161回

医科学研究所
病院課病院経営チーム係長
大薗悠平

白金の病院にて

病院経営改善のために少しでもPR

東大には本郷だけではなく、白金キャンパスにも病院があることをご存じでしょうか……という私自身もあまり知らなかったのですが、その「医科学研究所附属病院」の事務を担当して半年ほどになります。病院の経営データをまとめて執行部に報告するほか、診療運営や医療安全など院内委員会の運営、防災対応に関する自治体との調整等、様々な業務を行っています。規模は小さくても一つの独立した病院なので業務の範囲は広く、その分色々な話に関わることができ、また執行部や現場の方々との距離が近いのがいいところだと思っています。

東大に事務職員として戻ってきて以来、入試→駒場で学生の課外活動支援→内閣府に出向→産学で知財法務→研推で学内外の会議体とりまとめ→IRで論文データや大学ランキングの分析……というバラエティに富んだ仕事をしてきました。今回また新しいジャンルである病院経営に携わることになり、日々勉強中です。後は何とか病院の経営状況が持ち直してくれれば良いんですけどね……。

大学ランキングサミットで東大の順位が発表された瞬間
得意ワザ:
Googleマップを眺めて空想旅行する
自分の性格:
好奇心強め
次回執筆者のご指名:
佐藤克憲さん
次回執筆者との関係:
駒場の学生支援課時代の先輩
次回執筆者の紹介:
めっちゃいい人です
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デジタル万華鏡 東大の多様な「学術資産」を再確認しよう

第6回 人文社会系研究科教熊木俊朗

甦る古代オホーツクの海洋民文化

戦後の日本考古学の出発点としては、静岡市登呂遺跡の発掘調査が有名です。でも、同じ頃、北海道でも地元の熱意と複数の大学による協力のもと、同様の調査が実現していたことはご存じでしょうか?

モヨロ貝塚 竪穴住居跡内に集積されたクマの頭骨(骨塚)

網走市史跡モヨロ貝塚の発掘調査は、戦後間もない1947・48・51年の三ヶ年にわたって、東京大学・北海道大学・網走市の関係者が中心となって実施されました。モヨロ貝塚は、北方から南下してきた海洋民である「オホーツク文化」(紀元5~9世紀)を代表する遺跡で、300基以上の墓を有し、多数の本州系・大陸系の金属器が出土するなど、この文化では随一の規模と内容を誇ります。オホーツク文化の全体像を初めて明らかにしたこの調査は、その当時、登呂遺跡と同様に、社会に大きな関心を呼び起こしました。

しかし、遺跡の内容は第一級であるにもかかわらず、この調査の成果は、その後の研究に十分に活かされてはきませんでした。というのも、現在の研究水準からみると、1964年に出版された調査報告書の内容には不十分な点が多く、遺構の詳細や遺物の出土状況など、分析に必要なデータが得にくかったからです。

モヨロ貝塚 竪穴住居跡の発掘

当時の資料は各地に分散して所蔵されており、人文社会系研究科附属常呂実習施設には、調査の様子を撮影した200点のガラス乾板写真が保管されています。報告書に掲載された34点の写真以外はこれまで公開されたことはほぼなかったのですが、2018年に、重複する画像などを除いた142点を高精細なスキャンによってデジタル化し、web上で公開しました。

ガラス乾板に残されていた情報は驚くほど多く、出土した土器の文様が鮮明に読み取れる例などもありました。そのおかげで墓の内容や竪穴住居跡の建て替えなど、新たな事実が明らかになっています。今回のデジタル化は、発掘から約70年を経て、遺跡の再評価に貢献した試みとして評価されるでしょう。

史跡モヨロ貝塚ガラス乾板写真デジタルアーカイブ
www.l.u-tokyo.ac.jp/moyoro/

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インタープリターズ・バイブル第147回

総合文化研究科教授
科学技術インタープリター養成部門
藤垣裕子

インタープリターとしてのフレディ・マーキュリー

英国のロック・バンド『クイーン』のヴォーカル、フレディ・マーキュリーは楽曲における優れたインタープリターであった。曲の良さを聞き手に届けるためにどういう歌い方をすればいいかを知っている。アルバムInnuendoに収録されたheadlongを、作曲者であるブライアン・メイが歌ったもの(YouTube上で公開されている)と聞き比べて、その思いを強くした。

さて、音楽バンドは、まず自らの作品をレコードやCD(あるいは動画)の形で記録して公表する。同時に、観客の前で披露するライブ・パフォーマンスを行う。仮に「形(記録)にすること」と「パフォーマンス」と区別してみよう。科学の研究者も同じで、まず自分の得た知見を論文や著作として形にする。同時に、聴衆(同業者あるいは一般公衆)の前でプレゼンテーションを行う。教科書の執筆は形にすることで、授業はパフォーマンスである。

いくらよいものを形にしても、パフォーマンスがよくなければ伝わらないことがある。そういう意味では楽曲の優れたインタープリターであり、パフォーマーであったフレディから学ぶことは多々ある。楽曲の表現は声の高さ、強さ、ビブラート、間の取り方、身体表現によるパフォーマンスが可能である。それに対し、科学研究の発表の場合は、ビジュアルエイドの使い方の他、話をする順番、聴衆の興味をどう引くか、どのような逸話を入れるか、そしてそれによっていかに聴衆に「自分ごと」として考えてもらえるか、などが重要になる。どういう表現をすればある知識群を聴衆に最もよく届けられるのか、工夫のしがいがある。

クイーンの楽曲は聞くと元気がでると言われる。同じように、プレゼンテーションを聞いて面白い、目から鱗が落ちる感じがする、思考の躍動感を感じる、思考が柔軟になる……といった感想をもってもらえるために、何が必要か。フレディが聴衆と行ったコール・アンド・レスポンスを、科学のプレゼンテーションの中に設計するには、どういうことが可能だろうか。フレディはステージ上から最後列の観客にまで声を届けようとした。こういうことは授業でも応用できるのだ。7万5千人の聴衆を相手にしたライブエイドや12万の聴衆を相手にした南米公演をみながら、思いを馳せる。

科学技術インタープリター養成プログラム
science-interpreter.c.u-tokyo.ac.jp

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蔵出し!文書館 The University of Tokyo Archives第22回

収蔵する貴重な学内資料から
140年に及ぶ東大の歴史の一部をご紹介

「UM委員会」からの『JKニュース』

さて質問です。タイトルの英文略称は何を表しているでしょうか。答えは、「UM委員会」が「University Management委員会」、『JKニュース』が『東京大学善委員会報』の略称です。

『JKニュース』(東京大学文書館P031084~P31091)

1962年5月、総長より、大学の事務の改善について工学部長に工学部事務部をモデル・ケースとして検討するよう要望がありました。そこで工学部4教授による工学部委員会が発足しました。これが「UM委員会」です。UM委員会の目的は、肥大化する事務量に対して事務組織の改善、事務機械化等の手段によって能率を高めることでした。1963年4月、UM委員会による総長宛中間報告書に盛り込まれた提案を機縁に、評議会において東京大学事務改善委員会が承認され(1964年10月)、全学委員会として始動したのです。

委員会の設置3年後、1967年11月に『JKニュース』が創刊されました。学内教職員に委員会活動の周知を目的とするこのニュース。毎号の特別寄稿では、工学部教授陣による事務の合理化と機械化に関する記事を多く見かけます。現在のコンピュータによる事務処理の萌芽がここに見えます。一方、ニュースの内容が活動報告に限らないのも特徴的です。教職員の経験談や提案コーナーを設け、投稿を募集する方式をとったのです。たとえば、「わたし達は試みた」というコーナーでは、3等会(事務職員の会)による、昭和20年代から続く勉強会の歩みを紹介しています(第3号)。「業務の紹介」では、「経済学部事務室の机の並べ方について」という記事が目を引きます(第5号)。

残念ながら『JKニュース』は1968年11月発行をもって姿を消します。『事務改善委員会 昭和45-49年度』(東京大学文書館S0032/SS08/0131)によると、同委員会は1968年1月26日に開催後、東大紛争による休会を経て1970年9月25日に会議を再開します。その議事抄録に、『JKニュース』再発行の意見交換についての記載がありました。今後、当館所蔵の他の資料の整理を進め、ニュース刊行が再開されたかどうかを確認したいです。

全学向けに刊行された最初の刊行物は『学内広報』にあらず。このニュースの所蔵は現時点において当館のみのようです。お調べになりたいかたはぜひ文書館にお越しください。(学術支援職員 小根山美鈴)

東京大学文書館