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海と希望の学校 in 三陸第5回

岩手県大槌町にある大気海洋研究所国際沿岸海洋研究センターを舞台に、大気海洋研究所と社会科学研究所がタッグを組む地域連携プロジェクトがスタートしました。海をベースに三陸各地の地域アイデンティティを再構築し、地域に希望を育む人材を育成するという文理融合型の試みです。本学の皆様が羨むような取り組みの様子をお伝えします。

僕たちは『海と希望』という名の列車に乗るはずだった

北川貴士大気海洋研究所附属国際沿岸海洋研究センター
准教授
(図1)台風19号の大雨により路盤が流失し、レールが宙づりとなった三陸鉄道の線路(山田町船越10月16日撮影)

「海と希望の学校 in 三陸」の今年度の目玉イベントのひとつが、来年2月16日に開催する予定であった「海と希望の学校 on 三鉄」(以下三鉄イベント)でした。これは、三陸鉄道(三鉄)の列車に乗って、車窓から景色を眺め、旬の海の幸を味わいながら、三陸の海を勉強するという企画で、ラグビーワールドカップ2019™日本大会の会場となった釜石市・鵜住居を発着、震災で大きな津波被害を受けた宮古市・田老を折り返しとする行程でした。

ご存知の通り10月の台風19号は、各地に大きな被害をもたらしました。三陸沿岸もその一つで、釜石市ではワールドカップのカナダ対ナミビア戦が中止となりました。沿岸を走る三鉄はとくに大きな被害を受けました(図1)。今年3月に開通したばかりの三鉄リアス線(釜石~宮古)への被害は、線路77カ所(線路の路盤流出、土砂流入、のり面崩壊等)、電力信号通信設備16カ所(ケーブル管路流出、信号器具箱浸水等)に及び、復旧の目途が立たない状況となってしまいました(10月16日時点。以下で現状を確認できます。https://www.sanrikutetsudou.com/?p=13530)。そのため、この三鉄イベントも主にリアス線で行うため、やむを得ず延期せざるをえなくなりました。

(図2)釜石市情報交流センターで行われた危機対応学トーク・イベント(11月16日)。登壇者は左から玄田有史(社研教授)・中村一郎(三鉄社長)・筆者・中村尚史(社研教授)

釜石市内では定期的に危機対応研究センター主催の「危機対応学トーク・イベント」が開催されています。11月16日は、「線路は続くよ:三陸鉄道の危機対応とこれから」というテーマだったのですが、三鉄が台風の被害を受けたということで「三鉄応援イベント」としても行われました(図2)。はじめに、メインゲストの三陸鉄道(株)・中村一郎社長にはリアス線の現状について報告をしていただきました。次に筆者が「海と希望の学校 in 三陸」で行っている活動内容や延期となった三鉄イベントの説明を行いました(図3)。その後のトークでは、参加者から三鉄は単線の気動車でのろのろ運転、時間はかかるけど「待つ」ことで得られる何かがある、といった意見がだされるなど、大いに盛り上がりました。

(図3)イベント「海と希望の学校 on 三鉄」で使用予定のヘッドマーク

幸いなことにリアス線は11月28日より一部区間(津軽石―宮古間(9.2km))で運行が再開されました。また、新年度には全線で再開できる見込みのようで、三鉄イベントも開催できそうです。三鉄から「待つ」ことで得られる新しい鉄道のあり方のようなものをぜひ発信していただけたらと思いますし、我々も三鉄イベントを通してそのお手伝いができるよう、開催にむけて準備したいと思っております。

Yahooネット募金「令和元年台風19号による三陸鉄道被災への支援募金」(https://donation.yahoo.co.jp/detail/5242001/)など、義援金窓口が設けられています。

東日本大震災による津波の記憶継承と将来の危機対応を研究するために社会科学研究所と釜石市が開設した協働拠点。

「海と希望の学校 in 三陸」動画を続々公開 → YouTube サイトで 海と希望 と検索!

制作:大気海洋研究所広報室(内線:66430)

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総長室だより~思いを伝える生声コラム~第25回

東京大学第30代総長五神 真 五神真

新しい渋谷から未来への問いかけを

いま、渋谷が大きく変わろうとしています。11月にオープンした渋谷スクランブルスクエアはその象徴です。その15階に産学交流の新しいプラットフォームとして、SHIBUYA QWSキューズが誕生しました。名称はQuestion with sensibilityの頭文字を繋げたもので、物事の本質を探究し、常に問い続けることが、新しい価値につながる原点になるという思いがこめられています。渋谷のほど近くに駒場キャンパスを擁する東大も参加して、都内5大学と企業16社の提携によって生まれました。11月8日には、オープニング企画の一つとして、隈研吾先生と私が、「地域の未来を拓く知の創発とは?」をテーマに現地で対談を行いました。隈先生はスクランブルスクエアの設計者の一人です。

私は東大入学当初、進学先の選択肢として建築を考えたこともあり、とても楽しく対談できました。建築は人たちが集い、出会うプラットフォームである、大きな施設作りのような巨大プロジェクトに人を惹きつけ巻き込むには、“実験性”が大事……といった、インパクトのある作品を次々世に問うてきた隈先生ならではの話に大いに刺激を受けました。大勢の人々を巻き込むのが重要というのは大学運営にも通じる話です。

とりわけ印象的だったのは、東京オリンピック・パラリンピックのメイン会場となる新国立競技場に47都道府県の木材を使ったという話です。同じ杉材でも産地によって木目も色味も手ざわりも全然違うというのです。多様な材料というと、木とプラスチックと鉄が違うことは誰でもわかります。しかし、杉材の微妙な違いを感じるには、日頃から木材をより丁寧に深く見つめていなければわかりません。違いを感じ取るセンシビリティを鍛えておくことが重要なのです。それがあれば、違いを味わい楽しむことができる。これは多様性を尊重することの出発点なのではないかと思いました。そこから新しい価値が生じてくるはずです。

大量生産大量消費の時代には、差異を捨てることがむしろ価値につながっていた面がありました。しかし、今は違います。革新が進むデジタル技術も、社会の様々な差異を丁寧に扱い、尊重するツールとして役立てるべきです。差異を尊重する中で、新しい価値が生まれます。そのためには、物事を漠然と見ているのではなく、違いに対するセンシビリティを意識して磨くことが大切です。それを鍛える場として大学の多様性をいっそう高めることが重要だと感じています。

私も駒場に通っていたころ渋谷に良く足を伸ばしました。次代を担う若者が集う渋谷から、未来社会への協創の問いかけを発信していきましょう。

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UTokyo バリアフリー最前線!第17回

熊谷晋一郎熊谷晋一郎室長が
取材原稿で伝える
障害研究の現場④
ことだまくん

支援室の羅針盤――理念、専門知、実践知

バリアフリー支援室 垣内千尋 准教授 中津真美 特任助教

東京大学にバリアフリー支援室が発足し15年になる。以前の障害者支援は各部局が行っており、支援ノウハウが散逸してしまうという問題があったため、学内全体でノウハウの蓄積と提供を行うべく、支援室が設置された。そして、こうしたノウハウの蓄積や更新を担うのが、支援室の専任教員である垣内氏と中津氏である。

中津氏は、設立時から長く支援室を支えてきた。専門は聴覚障害支援学で、支援室では、文字通訳等の情報保障を中心に、身体障害領域をカバーする。CODA(聴覚障害者の子どもを意味するChildren of DeafAdultsの略語)としての自身の生い立ちを振り返り、ごく普通の家族だと思っていたのに、周囲から注がれた「がんばってるね」という特別な視線への違和感が、障害者への理解を広めたいという思いにつながったと述べる。「知らないことは分断を生む」という信念のもと、支援実践に加え中津氏はCODAの心理・社会的研究にも取り組んでおり、少しずつだが社会の変化に手ごたえを感じてきているという。

垣内氏は、基礎と臨床の両方に造詣の深い精神科医として、本学でもニーズが増し続けている精神疾患や発達障害の支援を主に担う。支援室は「障害は本人と環境のミスマッチである」という社会モデルの視点に立ち、主に環境側の改変による障害の軽減を目指すが、精神疾患の場合は病状改善の可能性の評価が容易でなく、医学的介入と環境改変のバランスの取り方は時に難しい。さらに、人生のある時期で精神疾患を経験した本人は、新しい自己像、進路や価値観を再構築する課題にも直面する。本人の意思を実現するという基本を踏まえつつ、複数の意思や欲動の葛藤状況そのものに寄り添う支援の重要性を垣内氏は強調する。

両氏は、機会の平等という理念を強調する。その一方で現実には経済面・人材面などの制約があり、要望のすべてが実現するとは限らない。そのような中、実践面で重視するのが配慮決定プロセスの明確化だ。何ができ何ができないのか、できないのはなぜなのか、代替案はあるのかなど、丁寧な対話を重ねる。日々突きつけられる難題を前に支援室が航路を見失わないために、理念、専門知、実践知を担う2人の専任教員の存在は大きい。

バリアフリー支援室 ds.adm.u-tokyo.ac.jp

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ワタシのオシゴト RELAY COLUMN第163回

理学系研究科生物科学専攻
上席係長
畠山良一

毎日がタイトルマッチ!?

このポーズにピンときた方はプロレスファン?

本郷キャンパスの東南の片隅に、ひっそりと建つ生物科学の殿堂理学部2号館。

そのレトロで威厳ある建物のなかで、日々繰り広げられる業務は、学科・専攻の運営に直接間接関わるとあって、さながら毎日がタイトルマッチであります。

総務、人事を中心に、時に施設管理に至るまで、東奔西走、走ります。

今、会議の議事録を作りだしたと思ったら、次の瞬間、水漏れ発生の第一報。いきなりCHAOSの様相であります。

人事の作業を行いつつも、給与関係の問い合わせに四苦八苦。

システム操作を間違えて、制御不能になったなら、自分と機械に「トランキーロ! 焦んなよ!」。

とは言え、持って生まれた不器用さ故に、時に息切れすることも。そのような時は、先生方や職員、スタッフの方々の助けをお借りして、ツープラトンの攻撃で乗り切ります。

そんな日々のご協力に感謝しつつ、さあ、今日もタイトルマッチのゴングが鳴ったああ!

拙者、私生活では居合を少々
得意ワザ:
柳生新陰流・巻き切り!
自分の性格:
「のほほん」にして「粗忽」
次回執筆者のご指名:
高野稔さん
次回執筆者との関係:
学生部時代のプロレス愛好家仲間
次回執筆者の紹介:
温厚な中にキラリ切れ味!
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デジタル万華鏡 東大の多様な「学術資産」を再確認しよう

第7回 情報学環特任助教高嶋朋子

所蔵新聞原紙のデジタル化に着手

情報学環附属社会情報研究資料センターのデジタルアーカイブ・システム「Digital Cultural Heritage」(以下、DCH)は、研究者資料、さまざまな時代のメディアと多岐に渡るデータを扱っております。

2018年にDCHがリニューアルする以前から公開していた、小野秀雄関係資料、外務省関係資料、坪井家関係資料、森恭三コレクションという4資料群の目録データと一部画像は、そのまま継承しております。なかでも、小野秀雄関係資料の小野秀雄コレクションに含まれる災害に関するかわら版は、書籍やテレビ番組などに多く利用されています。他にも、外務省関係資料の第一次世界大戦プロパガンダポスターコレクションには、東京大学学術資産等アーカイブズポータルの電子展示で取り上げられたポスターが含まれていますし、既にどこかで目にされた資料がDCHでも見られる、ということがあるかもしれません。

日本毛織物新報409号附録大正十四乙丑年略暦

さらに、所蔵している新聞原紙をデジタル化し、DCHで公開する事業も進行中です。当センターの所蔵原紙は、新聞研究所から引き継いだものを中心に、近代に発行された地方紙や政党紙、業界紙と幅広いものです。例えば、現在公開中の『日本毛織物新報』(所蔵分は1917-1925年)は、紙名の通り毛織物を扱う洋服業界の業界紙です。発行元である日本毛織物新聞社は、国内初の洋服大会といわれる諸大家洋服技術大会(1915年)を主催しており、この時期の業界を牽引する組織であったと推測されます。同紙において興味深いのは、洋服製図の掲載、「洋服技術講話」欄の設置、洋服製作に関する外国語書籍および記事の翻訳など、毎号に最先端の洋服製作技術が紹介されていることです。時には、掲載された製図に対しての批判・意見などが次号で活発に展開される様子も見られ、同紙は、技術習得のための研究資料であり、また意見交換の場でもある画期的なメディアだったといえるでしょう。

今後も公開データの整備、充実を図って参りますので、ご興味のある資料群にぜひアクセスしてみてください。

Digital Cultural Heritage
dch.iii.u-tokyo.ac.jp/s/dch/

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インタープリターズ・バイブル第149回

情報学環教授
科学技術インタープリター養成部門
廣野喜幸

『なぜだろう、なぜかしら』中学生は中学生編

中学1年生の息子の運動会に行ったとき、中学3年生がやけに大きく見えた。息子が中学3年生になったとき、中学1年生がやけに小さく見えた。10代の成長は著しい。きっと内面も大きく成長しているのだろう。

小学生向け科学読本は学年別に、『なぜだろう、なぜかしら』『理科なぜどうして』『なぜなに理科』等々、10以上のシリーズが刊行されており、柳田理科雄のジュニア空想科学読本シリーズなどもある。版元は対象年齢層を広く「申告」する傾向があり、小中学生から大人までなどと銘打っているが、ちくまプリマー新書や岩波ジュニア新書(中の理系本)は、高校生から大学初年級が読むと裨益するところが多いシリーズだろう。では、中学生向け科学本は、どのような状況にあるのだろうか。

中学生を対象とした書籍自体はけっこう出版されている。『13歳からの論理ノート』『13歳からの法学部入門』『13歳からの日本外交』『13歳からの経済のしくみ・ことば図鑑』『お父さんが教える 13歳からの金融入門』『13歳からのジャーナリスト』『13歳から知っておきたいLGBT+』『13歳からの世界征服』『新 13歳のハローワーク』『14歳の君へ―どう考えどう生きるか』『14歳からの政治入門』『図解でわかる 14歳からの地政学』『14歳からのお金の話』『14歳からの資本主義』。

元気なのは社会科学系のそれである。自然科学系は、宇宙科学者佐治晴夫さんが一連の著作(『14歳のための物理学』『14歳のための宇宙授業』『14歳からの数学』『14歳のための時間論』)を発表されているものの、それを除けばごくわずかしか見当たらない。中学生が読む気になったときには、小学生向けか高校生向けのどちらかを読んでね、あるいは、中高生と一括され、本来高校生に適した書物をあてがっておけばいいだろうといった気配が感じられる。こうした傾向は、高校進学率が高まった1960年前後からはじまったようだ。

成長著しい時期に、同じ本で済ませてしまってよいものだろうか。理科離れが進む中学時代に、それを押しとどめるような、科学に誘う書物が欠落しているのではないか。科学コミュニケーションは異文化コミュニケーションに似ている。認知科学によれば、自然科学の専門家と素人はそもそも発想法が異なる。大きさがないのに質量のある質点など、不自然に感じる方が普通だろう。自然科学に本格的に接し始める中学生時代にこそ、こうした発想ギャップを乗り越えさせてくれるような、『13歳からの自然科学』が求められるように思われてならない。

科学技術インタープリター養成プログラム

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蔵出し!文書館 The University of Tokyo Archives第23回

収蔵する貴重な学内資料から
140年を超える東大の歴史の一部をご紹介

弁慶、忠次、お俊も関所で止められる

当館では、明治30年代からの大学の記念アルバムや卒業アルバムを所蔵しています。将来的には画像検索ができるよう、キャプションの情報入力をおこなっていますが、最近入力したアルバムで、こんな写真を見つけました。

弁慶、忠次、お俊などの格好をした学生

この写真が載っているのは昭和2(1927)年3月発行の『十二年会記念写真帖』(F0025/S01/0029)で、大正12(1923)年に医学部に入学した学生の卒業アルバムです。キャプションは「判官を圍んで 辨慶 忠次 お俊……等、等、々」とあり、続く別の写真のキャプションには「新入生歡迎宴遊會」とあります。

めずらしい被写体のこの1枚。その拵えから、左端の男女は、商家の若主人と遊女の心中を劇化した「近頃河原の達引」の伝兵衛とお俊。後列左から富樫左衛門と武蔵坊弁慶、前列右2人目から3人は金剛杖(山伏など修験者が持つ白木の杖)を持っているので義経の家来と思われ、これは有名な「勧進帳」。前列右端で提灯を持っているのは「仮名手本忠臣蔵」五段目の与市兵衛。弁慶の隣は、国定忠次と悪党の山形屋藤造でしょうか。右端には黒子がいます。そうなるとひとつ問題が。キャプションに「判官を圍んで」とありますが、判官義経は何処に……? 謎は残りますがご愛嬌といたしましょう。

この日のことは大正13年5月23日付の『帝国大学新聞』の記事にあり、5月16日におこなわれた鉄門倶楽部の新入生歓迎会における、2年生の出し物「安宅の新関」と判明しました。どうやら「勧進帳」に当て込んだパロディで、「一藝の心得なき者は此の關通るべからず」と、弁慶、義経家来のみならず、「勧進帳」に全く関係のないお俊や伝兵衛、国定忠次までもが、一挙に安宅の関の関守富樫に通行を止められる、という展開が待っていたようです。記事によれば、「当日の餘興の白眉」で、「富樫と云ひ辨慶と云ひ、舞臺で見得を切るあたり、本職そつちのけ」の出来栄えだった由。中でも富樫役の姿の良さは、当時一世を風靡した十五代目市村羽左衛門さながらと言えましょう。

(学術支援職員・星野厚子)

東京大学文書館