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海と希望の学校 in 三陸第7回

三陸を舞台に、岩手県大槌町にある大気海洋研究所国際沿岸海洋研究センターと、社会科学研究所とがタッグを組んで行う地域連携プロジェクト――海をベースに三陸各地の地域アイデンティティを再構築し、地域に希望を育む人材を育成するという文理融合型の取り組み――です。3年目を迎えたわれわれの活動や地域の取り組みなどを紹介します。

吉里吉里の塩蔵ワカメ

北川貴士大気海洋研究所附属国際沿岸海洋研究センター
准教授
(図1)
ワカメ刈り取り作業と塩もみ作業。収穫したワカメの加工は、大きな洗濯機のような機械「しおまる」(石村工業(株))を用いて行う。塩ゆでの様子はFacebook「海と希望の学校 in 三陸」で

「お前はどこのワカメじゃ」
と尋ねられたら、「三陸産」と答えると7割の確率で当たります。鳴門も有名ですが、実は岩手県が収穫量日本一(平成28年)で、2位の宮城県とあわせて70%のシェアを誇ります。岩手の沿岸部ではほぼ全域でワカメ養殖が行われています。

日本人には大変なじみのあるワカメ。インスタント味噌汁にはたいてい入っていますし、灰干し、カットワカメ、ワカメスープ、ふりかけ、茎ワカメ、めかぶなど加工品はさまざま。調理法も多岐にわたります。しかし、収穫されたワカメがどのようにして加工品に仕上がるかについてはご存知の方はあまり多くないのではないでしょうか。今回は塩蔵ワカメができるまでと地元中学校の取り組みについて紹介したいと思います。

大槌町・吉里吉里きりきりは岩手県でも特にワカメ養殖が盛んな地区です。小中一貫教育校・吉里吉里学園では、生徒・児童は毎年、総合的な学習の一環としてふるさとの産業や文化について学んでいます。中学部(金野節校長)では、地元の新おおつち漁業協同組合の協力のもとワカメに関する授業と体験学習に取り組んでおり、修学旅行を利用して東京で販売も行っています。

(図2)
芯抜きと脱水(20トンの圧力を断続的にかけます)。ドリンク缶1本分の脱水量の違いが価格に影響するそうです

毎年2~3月にワカメの刈り取りから袋詰めの作業を行っています(今年はコロナウイルスの感染拡大の影響を受けて、教職員・父兄による作業となりました)。刈り取られたワカメは港ですぐに塩ゆでにします。褐色の葉や茎が鮮やかな緑色に変化します。冷却後、メッシュ袋に詰め、大型洗濯機のような機械に入れて食塩水中で塩もみします(図1)。次に葉から茎などをはずします。私も体験させていただきましたが、これが大変。1本1本手作業で、根気よく丁寧に芯を抜かなければいけません。芯抜きが終わると、機械で圧力をかけて脱水します(図2)。脱水後、固まったワカメをほぐして小分けにして袋に詰め、シーリングして出来上がりです(図3)。

いかがですか。普段なにげなく食しているワカメですが、製品になるまでかなりの手間のかかることがおわかりいただけるかと思います。この一連の作業を生徒自らが体験することで、漁業者の苦労や創意工夫、食べ物に対する有難さといった気づきが生まれ、自分たちが生まれ育った吉里吉里への愛着、誇りに繋がっていくのだと思います。父兄・教職員・漁協が一体となってバックアップして行うこの活動が、地方創生の一つの解にもなることを期待しています。

(図3)
袋詰めされた塩蔵ワカメ

学園中学部・蛸島茂雄副校長をはじめ教職員、ご父兄、倉本修一様をはじめ新おおつち漁業協同組合の方々にお世話になりました。今回作った塩蔵ワカメは今年9月30日に恵比寿ガーデンプレイスで販売される予定です。ぜひ足を運んでみて下さい。最後に、本コラムでは今年度も「海と希望の学校 in 三陸」の取り組みを紹介していきます。よろしくお願いいたします。

「海と希望の学校 in 三陸」動画を続々公開 → YouTube サイトで 海と希望 と検索!

制作:大気海洋研究所広報室(内線:66430)

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部局長だより ~UTokyo 3.0 を導くリーダーたちの横顔~第7回

情報理工学系研究科・情報学環編

「情報の底力」を広く示す20周年に

情報理工学系研究科長 須田礼仁 趣味: クラシック

社会における情報の重要性は一段と増しています。ただ、情報を専門とする人が日本では非常に少ないのが現状です。情報を中心に据えた教育部局の長として、優秀な人材を輩出し情報社会をリードする使命の重さを痛感しています。

サイバー空間に飛び交う膨大な情報を適切に捌くことで、人と人、コンピュータと人を結ぶのが、情報科学です。情報はどう整理すれば伝わりやすいのか。情報の活用には適切な整理が肝であることを多くの人に知ってもらうことが重要です。情報はどの分野にも遍在しますから、情報を軸にすればあらゆる分野との連携が可能です。研究科内にこもらず、学内外の皆さんとの協働を強化していきます。その一例が産学連携体制の再編です。専任のコーディネーターが教育と研究の両面から企業とのマッチングを行う窓口「UMP-JUST」を新設しました。UMPはUnified Multiple Projectsの略。JUSTは技術系専門企業、金融などのユーザー系企業、スタートアップ企業、技術系総合企業を指しています。全学の産学連携部と連携しながらこの4月から活動を本格化させます。

具体的な検討はこれからですが、2021年で20周年を迎えるのを機に、研究科が生んできたものを広く周知する企画も実施します。多くの人に「情報の底力」を示したいですね。

学環版FSIとして“FII”を進めています

情報学環長 越塚登 趣味: テニス

学環では2018年度にFII(Future Information Initiative)を始めました。UTokyo FSIの情報版ともいうべき枠組みを設け、Society 5.0に資する活動を組織的に行うものです。学環らしく様々なものを緩やかにつなげる形で、多様な活動を行っています。昨年10月発足のEdTech連携研究機構では、教育にICT(情報通信技術)やAIを活用する取組みを推進。学環教員が代表の「ローカル5Gオープンラボ」では、東京都・NTT東日本との連携で自前の5Gネットワーク実験環境を構築し提供しています。また、昨年6月に高知県、10月には広島県、2月には宇部市と協定を締結し、一次産業のスマート化等に着手。地域の課題をICTで解決する試みを続けています。教育面では、医学系研究科と連携して2018年度に生物統計情報学コースを新設しました。エビデンス・ベースの医療に必須なのに日本では少ない医療統計の専門家を錬成する当コースでは、2019年度末に初の修了生を送り出したところ。今後の展開が楽しみです。人間と遊びの関係を地域とともに考える「中山未来ファクトリー」プロジェクト、20回の歴史を持つ学生のメディアアート制作展など、情報と同様に重要な感性を鍛える取組みも継続しています。Society 5.0といえば情報学環、とお見知りおきください。

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UTokyo バリアフリー最前線!第19回

熊谷晋一郎熊谷晋一郎室長が
取材原稿で伝える
障害研究の現場⑥
ことだまくん

気後れしないインクルーシブな共創空間の条件

医学系研究科 宮本有紀 准教授の巻

子ども時代は運動が苦手で泣き虫。快活な同級生たちに気後れしがちな自分は、生き馬の目を抜くような大人社会で生きていけるのだろうかと、子ども心に不安だった。理科2類に入学後、人の心や脳に関心があり医学部保健学科(現・健康総合科学科)に進学。看護経験をもつ学士編入生に魅力を感じ、看護コースを選択した。

看護実習では落ちこぼれ学生で、辛くて病棟実習に行けなくなることもあった。しかし4年の冬、看護管理実習で東大精神科病棟に行き、ロールモデルとなる師長と出会う。規範からの逸脱を厳しく評価するのではなく、何でもどんと来いという佇まいのその人は、悩みを抱え込まず、同僚にも自分の気持ちをオープンに話していた。「こういう場所なら、自分も働けるかもしれない」と思えた。

卒業後、修士課程で認知症の記憶に関する研究をし、語りを聞くことの面白さに気づく。精神科病棟での臨床を経て、精神看護学の博士課程に進学。調査先の東京武蔵野病院に魅力を感じ、博士課程終了後に看護師として就職、急性期病棟に配属された。最前線の医療者から多くを学ぶと同時に、望ましくない身体拘束や隔離さえ、いつの間にか当たり前の習慣になっている自分に戸惑いを覚えた。

その後、教員として東大に戻り、精神障害者自らが、仲間や支援者とともに、自分が望む生き方が何なのか、どうすれば実現できるのかについて取り組むセルフマネジメントを研究し始める。世界の先進的な取り組みに学び、当事者と専門家が知識や技術を一緒に作る「共同創造」の重要性に気づく。

専門家を前に当事者は、「知識も技術もない劣った自分はこの場にいてはいけない」と委縮しがちだ。それは、宮本氏自身が幼いころから味わってきた感情とも重なる。共同創造が単なるお題目にならないためには、専門家も自分の限界を開示し、参加者皆が「この場に居ていい」と感じられる空間を作るべく努力が必要だ。

所在ない講義や実習、発言しにくいと感じる会議は、大学の中にありふれている。多様な構成員が、誰ひとり置き去りにされず、自由闊達に意見を交わすことで新しい知識と技術を生み出すキャンパスを実現するためのヒントが、宮本氏の研究にはある。

バリアフリー支援室 ds.adm.u-tokyo.ac.jp

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ワタシのオシゴト RELAY COLUMN第167回

人文社会系研究科・文学部
大学院係主任
泉真沙子

とある教務系職員の昼下がり

バイブル(?)である大学院便覧と一緒に

来年度の開講授業の入力作業中、ふと、作業の手を止め、声に振り返ると、久しぶりに窓口に姿を現したのは長期留学中の学生A。留学前、窓口で見せた慌ただしい様子と打って変わって余裕のある明るい表情をみるに、留学は順調なようだ。留学奨学金の事務手続きを済ませ、颯爽と去っていく姿を見送りデスクに戻ると、非常勤の先生から教務システムについての問い合わせメールが来ている。手をつけていたエクセルの作業はしばらく終わりそうにない。B先生の英国土産の紅茶を片手に、先にメールの返信を書くことにしよう……。

息子たちとの(もふもふに癒やされる)休日

――今年はいつになく落ち着かない4月を迎えている。一教務系職員として、一刻も早く、学生が安心して授業を受けられるようになるのが、海外で充実した留学生活を送れるようになるのが、そして、私にもこんな日常が戻ってくるのが待ち遠しいのである。

得意ワザ:
魚さばきます
自分の性格:
内弁慶の末っ子気質
次回執筆者のご指名:
高橋みなみさん
次回執筆者との関係:
研究推進部時代の前任後任
次回執筆者の紹介:
癒し系の姉御肌
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デジタル万華鏡 東大の多様な「学術資産」を再確認しよう

第11回 附属図書館情報サービス課
資料整備係長
中村美里

ピラネージは終わらない

ピラネージの肖像
『想像による牢獄』扉

総合図書館には、亀井茲明これあき(1861-1896, 旧津和野藩主)が5年間のドイツ留学中に精力的に収集した、主に19世紀に刊行された美術工芸関連の資料群「亀井文庫」があります。この中の一つに、ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ(1720-1778)と彼の息子による銅版画集『ピラネージ版画集』(1835-1839刊行)があります。

この『ピラネージ版画集』は特別推進研究「象形文化の継承と創成に関する研究」(1999-2003年度)により全画像がインターネット上で公開されましたが、システム運用上の問題により数年前から公開を停止していました。その間、問合せや原本閲覧の申込みが総合図書館に寄せられていたことから、デジタルアーカイブズ構築事業の一環としてデータベースを復活させることにしました。

といっても事は簡単ではありません。約15年前のデータベースの関係者を探す→担当者とコンタクトが取れ、データの所在確認→当時のハードディスクを入手→ソフトウェアのバージョンが古すぎ? データが欠損? なぜか巧く動作しない……→改めて別のデータ群を入手→画像とメタデータはレスキューできた!と試行錯誤をしながらサイトの再構築を進めました。また、旧データベースは地図からの画像選択など豊富なメニューを提供していましたが、機能の完全再現ではなく、画像とメタデータを早急に簡潔に公開することを最優先とする方針を決め、2019年9月にピラネージ版画集のリニューアルサイトを公開しました。現在は全29巻分の画像を見ることができます。

デジタルアーカイブの課題の一つは永続性の確保と言われますが、何らかの理由で休止したとしても画像とメタデータさえあれば復活は可能です(多分!)。その時代と状況にあった公開の仕方があるはずですので、休眠データに関するお困りごとがあればアーカイブ化推進室にご相談ください。ノウハウを共有して、公開への道を一緒に探っていきましょう。

https://iiif.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/repo/s/piranesi/page/home

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インタープリターズ・バイブル第152回

カブリ数物連携宇宙研究機構教授
科学技術インタープリター養成部門
横山広美

非常時と科学コミュニケーション

コメディアンの志村けんさんが新型肺炎で亡くなったとニュースが入った月曜日にこの原稿を書いている。心よりご冥福をお祈りする。週末に外出自粛があったが、現在がどういう状況なのか、これからどうなるのか、どのくらいの期間続くのかなどの説明がなく不満と不安がたまっているところへのニュースであった。社会の動揺がニュースやSNSを通じて伝搬をしている。科学技術社会論や科学コミュニケーションの研究を行っている立場からなんとか少しでも貢献できないかと考え、3月28日に科学コミュニケーションの有志の会を発足させ活動を始めた。

科学と社会を扱う学問領域で、現在の状況は非常時の「クライシスコミュニケーション」が必要な時期である。政治と科学がきちんと連動し、誰から見ても合理的な判断が出されるのが望ましいが、日本の現状は海外に対応と比較してそうなっていない点がはがゆい。この時期を過ぎるとリスクを扱う社会とのコミュニケーション「リスクコミュニケーション」が必要な時期がくる。たとえば低線量被ばく、ワクチン接種や牛海綿状脳症(BSE)の問題などがあげられる。リスクとベネフィットを個々人が置かれた状況に応じて納得できる落ち着く点を見出していく。

最近の整理では科学コミュニケーションには①知識翻訳機能、②対話・調整機能、③共創のためのコーディネーション機能があるとされている。どれも単独でも大事な機能であり、どれかが欠けるとダメというわけではない。クライシスの時期であっても、①は科学コミュニケーションにできる重要な役割であるし、政策立案に必要な②③も、今回の場合は特にオンラインで貢献できるかもしれない。震災後、特に科学コミュニケーターの方々にとっては、リスクを扱うことに慣れず、専門も原子力や地震とは異なり、声を出すのが困難なほどの心理的圧迫という3 つの壁「スキル・専門性・感情」の壁があった。しかし今回は、この壁を乗り越えながら、活動をしようと志を持ったメンバーが集まり活動を開始した。こうした「痛み」を伴う科学コミュニケーションの発展は、文科省の審議会でも議論が行われ期待をされている。

政策の現場、医療の現場で頑張っている方々を思うと頭が下がる。Kavli IPMUのメンバーも、数学と物理で見通しを立てようと貢献している。そう、いつもの学術の方法で貢献できることはきっとあるはずである。この原稿が公開されるころ、事態がさらに厳しくなっていないことを心から願いながら筆を置く。

科学技術インタープリター養成プログラム

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蔵出し!文書館 The University of Tokyo Archives第25回

収蔵する貴重な学内資料から
140年を超える東大の歴史の一部をご紹介

東京大学で働く女性たちの足跡

東京大学の「女性初」というと、戦後の女子学生入学や、昭和45年に女性で初めて教授となり、後に東洋文化研究所所長を務めた中根千枝さんについて言及されることが多いですが、それ以前から東京大学で働いていた女性たちがいたことはご存知でしょうか?

東京大学創設以来、長らく女性が働く場所はおもに看護の領域でした。当館所蔵の『職員進退』(S0018)には、明治末以降に医科大学や伝染病研究所に勤めた看護婦長たちの人事記録が残されています。明治43年刊行の『医学部卒業記念写真帖』(F0025/S01/0003)では、手術を補助する女性たちの姿をみることができます。

大正時代に入ると社会的に女性の就労機会が広がり、事務職やタイピストの仕事につく女性が増加しました。前述の『職員進退』をみていくと、東京大学では大正12年の関東大震災がひとつの契機となって、看護分野以外での女性の雇用が拡大したようです。

「相良孝子病院嘱託ニ関スル理由」と記された職員進退録の1ページ

大正13年に附属図書館嘱託となった女性のなかに、ハワイオアフ島に生まれ、ハワイ高等女学校および現地の商業学校を卒業した経歴をもつ相良孝子さんがいます。附属図書館は関東大震災で全焼しましたが、すぐに復興運動が開始され、国内外から図書の寄贈も受けて震災後わずか四年で蔵書数を55万冊まで回復させました。彼女の嘱託について「本学図書復興ニ関シ欧米諸大学ヲ初メ其他各方面ニ亘リ文書ノ往復頻繁ヲ極メ候ニ付」と記されていることから、米国での学歴を買われての採用だったと推測されます。

同年に附属図書館の他にも、会計課や史料編纂掛(現史料編纂所)で女性が採用されています。履歴書をみると、女子大学を卒業していたり、東京帝国大学の聴講生であったりするひとが少なくなく、これらの雇用が高等教育を受けた女性の受け皿となっていたようにも思われます。彼女たちの多くは数年で退職していますが、教員以外の立場から大学運営に携わった女性たちの足跡がたしかに残されています。

(特任研究員・逢坂裕紀子)

東京大学文書館 www.u-tokyo.ac.jp/adm/history/