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海と希望の学校 in 三陸第14回

岩手県大槌町にある大気海洋研究所・国際沿岸海洋研究センターを舞台に、社会科学研究所とタッグを組んで行う地域連携プロジェクト――海をベースに三陸各地の地域アイデンティティを再構築し、地域の希望となる人材の育成を目指す文理融合型の取組み――です。4年目を迎えたわれわれの活動や地域の取組みなどを紹介します。

地元の魅力を探し始めるきっかけに:
「おおつち海の勉強室」オープン

大土直哉
大土直哉
大気海洋研究所附属国際沿岸海洋研究センター
助教
オープニングイベントでは華々しくテープカットが行なわれた

2018年度から始まった「海と希望の学校 in 三陸」で、私たちが様々な教育普及活動に取り組んで来たことはこれまで本コラムでもたびたびお伝えして参りました。最近では三鉄をジャックし(no.1541 / 2020.12.21)、ウインターキャンプを行ない(no. 1543 / 2021.2.19)、岩手日報の連載記事を改訂編集した『さんりく海の勉強室』(no. 1545 / 2021.4.22)は町内の書店で4月の売れ筋書籍となりました。そしてこの春にはもう一つ大きなイベントがありました。センターの海側敷地に「おおつち海の勉強室」が遂に開室したのです。

この「勉強室」はかつて沿岸センターにあった展示室を発展的に復活させたもので、研究者が活動や研究成果を紹介するだけではなく、地域の方との交流(今何かと話題の対話!)を通じて、お互いに海や沿岸域の文化についての知識を深める場所として構想されたものです。ですから我々は、訪れた人に「あなたの地元の海の魅力はこれですよ」とお伝えするというよりは、身近な自然の面白さや日常生活に埋没している地域の魅力を探し始める「きっかけ」を提供したい、と考えています。このような目標・ねらいの達成のために室内には市民参加型の展示や図書閲覧コーナーも作ってみました。このような事情があって博物館でも展示室でもなく「勉強室」と命名されているのです。

4月18日に行なわれたオープニングイベントには、大槌町長、釜石市長、大槌町議会議長のほか、「海と希望の学校 in 三陸」の提携校である宮古市立重茂中学校(no. 1537 / 2020.8.25)や「はま研究会」の活動が活発化してきた県立大槌高校(no. 1539 / 2020.10.26)の生徒なども含めて50名以上をご招待し、展示室の活動趣旨や展示内容についてご案内しました。東大基金を通じてご寄付をいただいた皆様には、Zoomを使ってイベントの模様を生配信しました。小さな町の小さな海岸にマスコミ10社が駆けつけ、このイベントの様子は後日、テレビや新聞で様々に報道されました――。このように書くといかにも盛大にイベントを行なったように思えるのですが、実際には3密を避けるために、事前に10名前後の4グループを作り、時間差をつけて1グループずつご招待し、30分程度の展示解説ツアーを順番に行なう、という、華々しくも実にこぢんまりとしたイベントでした。

このオープニングイベント以降、勉強室は週1、2日の開室予定日をホームページとSNSで周知し、電話で予約を受け付け、当日は解説員が同伴する形で開室しています。執筆時点までに大槌・釜石を中心に、いわき市から盛岡まで40名以上の利用がありました。そのすべてがほぼ貸し切り。コロナ禍の影響で図らずも当初の想定以上の「対話」の機会が生まれています。解説員を担当したスタッフは利用者との「対話」からいろいろな刺激を受けているようですが、それはまた別の機会に。

勉強室の見学予約は0193-42-5611から。なお展示室内の様子は、YouTubeの「東京大学・海と希望の学校 in 三陸」公式チャンネルより視聴可能です。

「赤浜の船着場の青い建物」で通じる特徴のある外観。壁面のイラストは、沿岸センターの研究員であり、プロのイラストレーターでもあるきのしたちひろさんによるもの
メイン展示室は標本展示のほかにも図書閲覧コーナー(奥)やタッチパネル式の生き物図鑑(左)などを備えた、生物好きには夢のような空間
昨夏には中学生数名を準備中の勉強室に案内した。彼らとの「対話」を通して展示棚の高さを納入時より2段階下げることにした

「海と希望の学校 in 三陸」動画を公開中 → YouTube サイトで 海と希望 と検索!

制作:大気海洋研究所広報室(内線:66430)メーユ

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シリーズ 連携研究機構第35回「災害・復興知連携研究機構」の巻

目黒公郎
話/機構長
目黒公郎先生

防災対策をコストからバリューへ

――長年の活動を元に生まれた機構だそうですね。

東大内での防災研究者の連携は、以前はあまりありませんでした。災害情報研究の第一人者だった情報学環の廣井脩先生は連携の重要性を訴えておられましたが、惜しくも2006年に逝去されました。その遺志を継ぐ形で、学環、地震研、生研が連携して2008年に設立したのが総合防災情報研究センター(CIDIR)で、その際センターのミッションをまとめたのが私でした

――CIDIRの読み方は「シーディアール」ですか?

いえ、3部局の連携→三本の矢→三ツ矢「サイダー」です。本機構は、10年以上のCIDIRの活動を軸に、災害や防災の知、復興の知の集積と連携研究の実施を目的に、今年2月に発足しました。学理の探究と実学の構築の両面から、防災に関する連携研究と教育プログラム構築をオール東大で進めます。対象災害は首都直下地震、南海トラフ巨大地震、大規模噴火、大規模水害、福島復興などです。学環、地震研、生研に、医学部附属病院、工学系研究科、農学生命科学研究科、アイソトープセンターが加わり、現在約30人の教員が参画しています。この人数と分野数を有する防災研究組織は世界的にも貴重です

――災害に強い建物の研究を進めるのでしょうか。

ハード対策は当然重要ですが、実際に災害に強い環境を実現するには、社会システム、法律、教育といったソフトも不可欠です。例えば、建物の耐震補強では、まず耐震性の評価が必要で、これはソフト対策です。耐震工事を促す制度も重要で、これを実現するには経済学や法学などの知見も必要です。効果的な防災対策の実現には多様なディシプリンが必要で、だからこそ多分野の連携が必要なのです

――日本の防災は国際的に見るとどうですか。

研究も実際の対策も非常に高いレベルです。しかし、日本が対峙するハザードは他国と比べて強大なので、無被害やゼロリスクは無理です。それでもハザードの規模の割には被害を大幅に抑え込んできましたが、国際的な認知度は低い。主な理由は文系の防災研究者や行政による英語での成果発表が少ないからです

防災をサステイナブルなものにするには、論文執筆のみならず、防災の産業化と国内外の防災ビジネスの魅力的な市場形成が肝要です。そのためには、コストではなくバリュー(価値)と考える防災対策、平時の生活の質の向上を主目的とし、災害時にもそのまま有効活用できるフェーズフリーな防災対策への意識改革が必要です。これらの意識を大切にしながら、機構の活動を展開したいと思います

被害を引き起こす自然の脅威

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UTokyo バリアフリー最前線!第26回

バリアフリー支援室准教授
切原賢治
ことだまくん

発達障害・精神障害のある方の支援

大学などの高等教育機関における障害学生数は年々増加していますが、なかでも近年顕著に増加しているのが発達障害と精神障害です。東京大学も例外ではなく、バリアフリー支援室で支援している学生には発達障害や精神障害のある方が多くいます。もっとも、精神疾患の患者数は400万人を超えており、30人に1人は精神疾患を有していること、発達障害は生来的な特性でもあること、他の精神疾患も若くして発症することが多いことから、支援が届いていない発達障害や精神障害のある学生もまだ多くいるのではないかと思います。

発達障害や精神障害のある方にとって、支援を求めることは簡単なことではありません。疾患にもよるのですが、自身の病状に気づくことに困難があったり、気づいてもコミュニケーションが苦手でうまく支援を求められなかったりすることが多いです。また、精神症状の多くは主観的な体験であり、周囲の人にとっては理解しづらく、誤解や偏見を生みやすいです。そのため周囲に精神疾患を知られることに不安があったり、自分自身で精神疾患を受け入れることに困難を感じたりすることも多いです。こうした方々に支援を届けるには困難に気づく周囲の目が必要になります。昨今はコロナ禍でオンライン授業が一般的になりました。発達障害や精神障害のある学生にとってオンライン授業は負担が少なく参加しやすいという方もいる一方で、オンライン授業では参加に困難を感じる学生もいます。後者の中には困っているのに支援を求められない方もいると思われますが、周囲の目が届きにくい状況であるため心配な点です。

うまく支援につながることができたら、授業や試験に際して合理的配慮を調整します。合理的配慮であるためには教育の本質を変更しないことが求められます。しかし、発達障害や精神障害では認知やコミュニケーションなどの能力に制限があることが多く、支援が教育の本質を変更するか否かの判断は難しいことが多いです。こうした判断はバリアフリー支援室だけでは困難であり、教員の先生方のご協力が欠かせません。

以上示してきましたように、発達障害や精神障害のある学生は増加しており、支援の必要性は増しているのですが、具体的な支援についてはまだ発展途上にあります。学生に関わる多くの教職員の方々の協力を得ながら、発達障害や精神障害のある学生にとってもバリアフリーな東京大学の実現に向かっていきたいと考えています。

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ワタシのオシゴト RELAY COLUMN第181回

医学部附属病院
人事労務課人事チーム
泊 武伸

コロナの収束を願って

泊 武伸
ワクチン接種会場で準備中

中学野球部の先輩である同期(←前月参照)から指名され、締め切りが迫ってきてやっと書く気になったそんな今日この頃です。私の所属は病院の人事チームですが、4月からは「新型コロナ対策本部事務局」での仕事が主な業務となっています。医療従事者向けワクチン接種の運営やコロナ患者の転院支援、東京都や厚生労働省への調査報告など連日ニュースで報道されているような医療現場と密に関わる仕事はとても貴重な経験であると感じています。

プライベート面では、コロナ禍前は平日昼休みに御殿下グラウンドで、休日は職場のチームでフットサルをしていました。フットサル中は仕事のことも忘れることができるまさに憩いの時間です。コロナが収束し、また気兼ねなくフットサルができる日がくることを切に願っています(下写真は野球立ち見の図です。野球も好きです笑)。

亀井義行で日本シリーズ観戦
得意ワザ:
スライディングキャッチ(野球)
自分の性格:
面倒くさがりだが、責任感は強い
次回執筆者のご指名:
佐伯 勇さん
次回執筆者との関係:
昼休みフットサル仲間
次回執筆者の紹介:
フレンドリーな方です!
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デジタル万華鏡 東大の多様な「学術資産」を再確認しよう

第24回 数理科学研究科准教授三枝洋一

大数学者の筆跡

行列式についての講義ノート

東京大学大学院数理科学研究科図書室では、高木貞治ていじ先生の自筆ノートを所蔵しています。高木先生の専門は整数論であり、日本最初の世界的な数学者といわれています。特に、高木先生の打ち立てた類体論は、代数的整数論の一つの到達点に位置付けられ、現在の数理科学研究科における研究にも深く影響を与えています。

高木先生が東京帝国大学教授としてご活躍された1904年から1936年の間、整数論の中心はドイツにあり、それゆえ、大部分のノートはドイツ語で書かれています。とはいえ、数式はある意味共通言語ですので、ドイツ語が読めなくても、数式を眺めるだけで様々な想像を巡らせることができます。英語で書かれているものには、行列式(今でいう線型代数)についての講義ノートや、初等整数論と代数方程式論の講義ノートがあります。前者は、現在でも学部1年生で学ぶような内容が書かれており、数学の普遍性を感じさせてくれます。

様々な計算式が並ぶノート「Complex multiplication」

また、後者からは、高木先生の著書『初等整数論講義』『代数学講義』が思い起こされます。この2冊の名著を片手にノートをご覧になると、より楽しめるかもしれません。これらの講義ノートは、いずれも丁寧な筆致で書かれており、几帳面なお人柄がうかがえます。その一方で、計算ノート「Complex multiplication」には、雑然と並んだ計算式が見られ、大数学者の迫力の一端を垣間見ることができます。

高木先生の自筆ノートは画像がデジタル化されており、ウェブ上での閲覧が可能です。この機会にぜひご覧になり、偉大な数学者の在りし日の姿に思いを馳せていただけたらと思います。

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インタープリターズ・バイブル第166回

科学技術インタープリター養成部門
特任准教授
定松 淳

化学愛と化学物質過敏症

3月に今年は8名の受講生がプログラムを修了した。今回はそのなかの1人、F君のことを話したい。

F君は工学部で化学を専攻しており、その化学愛は同期のなかでも際立っていた。当プログラムでは受講開始のセメスターに分野横断的なディスカッションを行う必修のゼミを受講するのだが、そのなかでも化学反応について説明するときの彼の知識の豊富さには何度か驚かされた。あるいは私が担当する授業で水俣病の歴史を紹介し、西村肇先生のメチル水銀生成メカニズムについての研究を紹介したところ、少し違う反応経路がある可能性を提案してくれたこともあった(ハンスディーカー反応を挟んでいるのではとのこと)。

そんな彼が「副専攻の修了研究」で選択したテーマはchemophobia。言うまでもなく、「化学物質」というだけでネガティブなイメージを持たれることがある現状に対する問題意識があった。当初、ロボット研究における「不気味の谷」のアナロジーを用いたりして議論していたことを覚えている。しかし具体的に研究を進めるために、一般市民がもつイメージとしてのchemophobiaではなく、ハードケースとしていわゆる化学物質過敏症を取り上げてみることになった。そして、いきなり患者さんと接するのは大変だろうということで、この問題に取り組む専門家にインタビューしてはどうかと、北里大学名誉教授の宮田幹夫先生にインタビューすることになった。

最初のインタビューでF君は、症状についての解説や患者さんの心情についてお話を伺ってきたのだが、それ以上に彼がインパクトを受けていたのは、宮田先生の個人史であった。宮田先生ご自身が当初は過敏症の存在を信じていなかったこと、苦労が多いであろうことを予期しながらそれでもこの問題にコミットするようになっていかれたこと、そのことを少し自己諧謔も含めながら話されたこと。化学を必ずしも否定的に捉えておられなかったこと。そういった二項対立的ではない体験談が、F君自身がchemophobiaや過敏症の方々との間に感じていた距離感を溶解させたのだった。

もう一度、今度は宮田先生の個人史に焦点を当ててインタビューを行い、F君はその線で修了研究をまとめてくれた。プログラムのウェブサイトでPDFが公開されているので、ご関心がおありの方は是非ご覧いただきたい。

http://science-interpreter.c.u-tokyo.ac.jp/wp-content/uploads/2021/03/2020_09_FUNAMI.rev_.pdf

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蔵出し!文書館 The University of Tokyo Archives第32回

収蔵する貴重な学内資料から
140年を超える東大の歴史の一部をご紹介

記念日は3月1日だった?

東京大学は、明治10(1877)年4月12日、東京開成学校と東京医学校を合併して創設され、この日を東京大学記念日としていますが、3月1日としていた時期があったことはご存じでしょうか。

明治18(1885)年、大学記念日設定に関する原案が出され、その年の12月に現在と同じ4月12日に決定されました。しかし、年が明けた明治19年3月1日「帝国大学令」が制定(3月2日公布)、東京大学は帝国大学に改組されたことにより、同年4月5日「自今本学記念日ヲ三月一日トス 但旧東京大学記念日ハ消滅シタル儀ト心得ヘシ」(『各分科大学往復 明治十九年分』S0005/16)として改められました。再び現在の日付に戻されるのは昭和11年2月を待つこととなります。

第1回の記念日祝賀式は、明治20(1887)年3月1日「帝国大学令公布紀念日」(大正8年の帝国大学令改正により、大正9年より「東京帝国大学記念日」と改称)として実施されました。祝賀式は時代によって多少内容が異なりますが、式典の後には教職員や学生等の出席者に茶菓が振る舞われました。『帝国大学令公布記念日関係 自明治二十年至明治四十五年』(S0010/0007)の中に明治45(1912)年に行われた際の茶菓等の配置図があります。当時の職員の遊び心でしょうか。机の形に切り取られた図には赤飯やお茶菓子などが1卓100人分、全部で10卓1,000人分の茶菓が用意されました。

机の上にある茶菓等の配置を示した図

さて、机に並べられている「空也餅(空や餅)」。夏目漱石の小説『吾輩は猫である』に出てくるあのお菓子でしょうか?お店の公式ウェブサイトによると「夏目漱石が好んだ「空也餅」はあんこ玉をもち米でくるんだお菓子」とありました。この「空也餅」、配置図と一緒に綴じられていた資料によると4,000個、一人当たり4個の計算で準備されたようです。残念ながら夏目漱石が学生や講師だった頃の資料には何が供されていたかについて確認できませんでしたが、もし夏目漱石がこの祝宴に参加していたら、「空也餅」を頬張りながら会話に興じていたのかもしれません。

(主事員 村上こずえ)

参考:ぎんざ空也 空いろ 公式ウェブサイト:http://sorairo-kuya.jp、『東京大学百年史』通史1,2

東京大学文書館