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海と希望の学校 in 三陸第24回

岩手県大槌町にある大気海洋研究所附属国際・地域連携研究センターを舞台に、社会科学研究所とタッグを組んで行う地域連携プロジェクト―海をベースに三陸各地の地域アイデンティティを再構築し、地域の希望となる人材の育成を目指す文理融合型の取組み―です。5年目を迎え、活動はさらに展開していきます。

赤浜の青い鳥

大気海洋研究所附属国際・地域連携研究センター
地域連携研究部門(大槌研究拠点)准教授
北川貴士
北川貴士
岩の上に乗っているイソヒヨドリ
写真1:イソヒヨドリ

岩手の沿岸部で生活していると、夏の朝、イソヒヨドリという鳥が、美しくさえずっていることに気づきます。オスは頭から胸、背、腰までが青藍色、腹は赤褐色をした綺麗な鳥です(写真1)。

これまで、この事業では地域の小ネタ、いうなれば青い鳥を探してその魅力を地域の方々と共有し地域に誇りを持ってもらう活動を展開してきました。数年前、小ネタをたくさん集めて地図にしました。けれど、できたと思ったら抜けていた小ネタが湧いてきて、すぐに更新する必要が出てきました。もっと賑やかな地図をと考えていた時、地域のレクリエーションを通じて小国夢夏さん(大槌町観光交流協会)と知り合う機会を得ました。

「海と希望の三陸マップ」。三陸鉄道の列車、ふれあいパーク山田の磯ラーメン、新種の蟹「オオヨツハモガニ」
写真2:三陸小ネタ地図

小国さんは幼いころよりセンターのある赤浜地区にお住まいでしたので、これ幸いと地域の小ネタを探るべくいろいろ尋ねてみました。その中で小学生の頃、友達とどんな遊びをしていのたかという質問をしたところ、「赤浜小学校からの帰り道、センターの前を通るときに『東京大学大気海洋研究所国際沿岸海洋研究センター』をだれが素早く言えるかゲームをやっていた」と答えてくれました。学部・学科等の名称が自由化されて以降、全国の大学のいたるところで組織名が寿限無化しました。その波はこの赤浜にも及んだわけですが、噛みそうになるその名称は、Eテレ番組を先取りしたかのような地域の小ネタにもなっていました。これまで地域の誇りになる“大きな”小ネタばかりを追いかけて沿岸を駆けずり回っていました。しかし、何てことはない、実に身近なところに青い鳥はいたのと同時に、今年創立50周年を迎える当センターが、半世紀を経てようやく赤浜の方々に小ネタにしてもらえるぐらいに認識してもらえるようになったことを感じ取りました。

これから暖かくなってくると、また、センターのバルコニーでイソヒヨドリがさえずるようになります。今年度でこの文理融合型事業「海と希望の学校 in 三陸」は終了しますが、沿岸での青い鳥探しはまだまだ続いていきます。

白い縁取りのある青い円の背景に白で「International Coastal Research Center」と書かれたロゴ
写真3:センター玄関にあるロゴマーク

2019年4月より2か月に1度お届けしてまいりました「海と希望の学校 in 三陸」の連載は、本稿をもって終了となります。おつきあいいただき、ありがとうございました。来年度からは「(仮)海と希望の学校~被災地から全国へ」というタイトルで皆様にさまざまな地域の小ネタをさらにお届けしていく予定です。楽しみにしていてくださいね。

「海と希望の学校 in 三陸」公式 TwitterのQRコード「海と希望の学校 in 三陸」公式Twitter(@umitokibo)

制作:大気海洋研究所広報室(内線:66430)メーユ

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デジタル万華鏡 東大の多様な「学術資産」を再確認しよう第33回

総合研究博物館
特任助教
白石 愛

気象を映像に捉えた「雲の伯爵」

「CLOUD PHOTOGRAPH」のキャプションが付いた富士山にかかる雲の写真
観測所竣工直後の観察記録(IMTM_AB0000010_G-210)

富士山にかかる雲に魅了され、静岡県御殿場市に私立観測所を設立して、気象観測を続けた一人の伯爵がいました。後に「雲の伯爵」と称された気象学者の阿部正直(1891–1966)です。阿部は備後国福山藩最後の藩主正桓の長男で、幼少期に日本で初めて上映された「活動写真」(キネマトグラフ)を観て以来、活動写真に興味を持ち、10代でカメラを自作するほどでした。

1926(大正15)年、御殿場市二ノ岡で後に自身が「翼雲」と名付けた吊し雲を観測したことを契機に、笠雲や吊し雲といった特殊な雲のかかる孤高の山、富士山を本格的に研究対象とするに至りました。観測は通常の写真撮影に加え、齣落とし撮影による動画や2地点から同時撮影する立体写真を取り入れたことが、阿部の研究を独創的なものとしました。また、自宅に風洞実験施設を作り、富士山の模型と気流実験装置によって雲の発生の再現実験を行いました。それらの研究成果により、1941(昭和16)年に主論文「山雲の形と気流」で東京帝国大学より理学博士の学位を取得しています。

阿部正直が遺した膨大なコレクションは2013(平成25)年に総合研究博物館へ寄贈されました。同コレクションには、多様なサイズの紙焼き写真の他、ガラス乾板写真、フィルム、撮影機器や実験器具などの物品類、膨大な研究資料、図書、原稿類、学術雑誌、私物が含まれています。大正末期から昭和初期にかけての気象学コレクションとして重要であるとともに、映像技術の資料体としても極めて貴重な資料群といえます。

阿部正直コレクションの一部は平成29年度東京大学デジタルアーカイブズ構築事業の成果の一環としてデータベース化され、総合研究博物館データベースで公開されています。現在は「気象観察記録」と「フィルム」のみですが、順次追加掲載していく予定です。多様な雲の形をご堪能ください。

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蔵出し!文書館 The University of Tokyo Archives第42回

収蔵する貴重な学内資料から
140年を超える東大の歴史の一部をご紹介

あなたの学部は何色ですか?

1963(昭和38)年11月13日、第90回薬学部教授総会では、1枚の資料を眺めながら「学部のカラー表示」について議論していました。前月に学内で開催された運動会で、当日は「一応濃紺を使用」した薬学部に、学生部からカラーを「決定してほしい」と依頼がきたのです。その時の資料が写真の文書です(S0259/SS01/0010「教授会・教授総会議事録 昭和38年)。

「学部を表わす色」として各学部に色が書かれた文書

法学部は緑色、医学部は赤色……と列記され、最下段に薬学部があり、議論の結果、「エンヂ色」が記入されました。そして現在も「臙脂色」は引き継がれ、学部公式パンフレットに決定経緯が議事録の記述をもとに紹介されています。

東京大学のスクールカラー「淡青」は、1920(大正9)年の東京帝大・京都帝大による第1回対抗競漕(レガッタ競技)に由来すると有名ですが、各学部「カラー」の経緯は詳細不明なものも多いようです。この資料の色も、同窓会の名称等に反映され納得の部局もある一方、意外な印象のものもあると思います。

これら学部カラーの淵源を探ると、やはり分科大学(現在の学部に相当)対抗漕艇にヒントがありそうです。この競技の歴史は古く、明治中期には盛んに競漕会が行われ、ときには皇太子の臨席もあり、多数の教員・学生、見物人でにぎわいました。法科・医科・工科などは、コース色の固定化とともにユニフォームも色を統一し、各応援団も同色を掲げ、観客も各々贔屓の色の小旗をふり「緑よ」「赤よ」と声援を送って、チームカラーが浸透していた様子が当時の新聞にもうかがえます。

「白色を合印」とする工科は、1890(明治23)年の大会に際し「白薔薇花の簪」を製作、販売もしました(『東京帝国大学漕艇部五十年史』より)。1963年も工学部は「白色」となっていますが、現在のロゴは異なるカラーを使用しています(『淡青』第36号)。この経緯も興味深いところです。

文書館では、こうした学部カラーの由来と変遷について調査を進めており、次年度の『東京大学文書館ニュース』で成果をご紹介する予定です。乞うご期待!

(助教・秋山淳子)

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ワタシのオシゴト RELAY COLUMN第201回

理学系研究科等学務課
国際チーム主任
杉江祐里

新生 国際チーム

杉江祐里
出勤途中のお気入りスポット。毎朝癒されます

国際チームは、元々は国際化推進室という別の組織でしたが、今年度から学務課の傘下に入り、留学生関連の業務に携わっています。

今年度4月より異動してきて、まず驚いたことが、理学部内のプログラムの多さ! そして、行き交うメールが、ほぼ英語! 初めて携わる国際系のお仕事で、戸惑うことも多いですが、チームや周りの方々に助けていただきながら、試行錯誤の毎日を送っています。

今年(2023年)の夏には、理学部の看板であるサマープログラムUTRIPが、3年ぶりに、対面で開催されます。海外からの学生を無事に受け入れられるように、現在準備の真っ只中です。

お昼休みは、不忍池まで、毎日走っています。四季の変化を感じながら日々ランニングしていると、とてもリフレッシュされます。

プライベートでは、マラソン大会に参加したり、最近ではパン屋さん巡りにはまっています。直近では3月の渋谷・表参道ウィメンズランに出走予定で、完走記念のアクセサリーが今から楽しみです♪笑

緑色のトラックがある芝生のグラウンド
近場の陸上競技場。お天気が良いと富士山が見えます
得意ワザ:
おいしそうなパン屋さんをみつけること!
自分の性格:
おおざっぱだけどおおらかなO型です笑
次回執筆者のご指名:
中野まさきさん
次回執筆者との関係:
テニス仲間で同期
次回執筆者の紹介:
行動力があって頼りになります!
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ぶらり構内ショップの旅第12回

kitadoko@本郷キャンパスの巻

夏目漱石の小説にも登場

本郷キャンパスの法文2号館地下一階で営業する美容院、「kitadoko」。お店のルーツは、夏目漱石の小説「吾輩は猫である」にも登場する理髪店「喜多床」。約150年くらいまえに、現在の本郷郵便局付近で開業したそうですが、その後のれん分けする形で本郷キャンパス内で営業を始めたそうです。

小沢泰子さん
ヘアスタイリストの
小沢泰子さん

この店で10年以上東大生や教職員の髪をカットしてきたヘアスタイリストの小沢泰子さんは、「今ではテスト期間や論文の提出時期など、学生の年間スケジュールをすっかり把握してしまいました」と話します。男子学生からのリクエストで多いのが「勉強や実験などの邪魔にならない髪型」だとか。「個性的な髪型ではなく、いわゆる『普通』のすっきりとした髪型でしょうか」と小沢さん。カウンセリングをしっかりと行い、普段の生活や、ヘアケアなどを聞いた上で、それぞれ髪質や髪の量などにあったスタイルを提案しているそうです。

kitadokoが力を入れているのがヘッドスパ(15分コース1650円、30分コース4400円)。頭皮の状態に合わせて、毛穴のクレンジングや美容液を使ったマッサージなどを行い、頭皮環境を整えていくそうです。「健康な髪を育てるためには、土台となる頭皮ケアをしっかりすることが大切です。そうすることで、髪が健康にきれいに育っていき、薄毛予防なども期待できます」と小沢さんは話します。寝不足やストレスのためか、頭皮が固くなっているお客さんが結構いるそうで、マッサージなどで頭皮だけでなく、心もリラックスしてもらえればと考えているそうです。「 学生さんだと、床屋しか行ったことがなく、美容院だと緊張しそうだと躊躇する人もいるかもしれませんが、気構えずに気軽にいらしてください」

美容室の椅子とドレッサー
営業時間
10時~19時(定休日:火・水)

電話:03-3815-8410
オフホワイトが基調の店内。来店時に次回の予約をすると10%引きに(通常カット料金4950円)
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インタープリターズ・バイブル第186回

総合文化研究科客員教授
科学技術インタープリター養成部門
小松美彦

「三笘の1㍉」から大学を考える

「よく居たオマエ‼」。「来ると思った‼」。昨年開催されたサッカーのワールドカップで、日本が優勝候補の一角スペインを倒し、決勝トーナメント進出を決めた時、三笘選手と田中選手が叫び合った言葉である。

前半を0対1で折り返した日本は、後半3分、堂安の弾丸シュートで追いついた。そしてその興奮もさめやらぬ2分半後にそれは起こった。右サイドでボールを受けた田中が、前線の堂安に縦パス。堂安はゴール前へと低いクロス。そこで前田がシュートを狙い疾走するも、間に合わない。ボールはゴールラインを割るかに思えたが、前田の外側をさらに駆け上がった三笘が、必死に左足を伸ばしてライン際で折り返した。ゴール前には先の田中が詰めており、右腿で押し込んだ。しかし、「ライン際」がビデオ判定となった。

三笘が折り返した際、ゴール前の状況を見る余裕はなかった。また、他の選手には、三笘がクロスを戻せるとは思えなかったはずである。だが、三笘は誰かが走り込むことを、田中は三笘が折り返すことを、いずれも信じ、奇跡がもたらされた。判定の結果、ボールはわずかにライン上に残っており、「三笘の1㍉」と言われる決勝弾となった。かくて試合終了の笛とともに、二人は抱き合い、冒頭の叫びを交わしたのであった。

テレビに釘づけになっていた私には、ある説話が想起された。『今昔物語集』の「馬盗人」である。

名馬を譲り受けんと源頼義が父・頼信を訪ねた日の夜、馬盗人に名馬が連れ去られた。寝入っていた頼信は騒ぎをかすかに耳にすると、馬にまたがり一人で賊を追った。頼義もまた下人の声を聞くや否や、やはり単騎で追走した。途中、頼信は「我が子は必ず追ってくる」と、頼義は「父は必ず前を進んでいらっしゃる」と信じ、馬を駆った。やがて夜盗は逃げおおせたと安堵し、水場で馬を歩ませていた。頼信は闇中にその音をのがさず、頼義が駆けつけていることを確かめもせぬまま、「射よ、あれぞ」と叫んだ。すると弓の音が響いた。こうして名馬を取り返した父子は、何事もなかったかのように屋敷へと戻り、床に就いたのだった。

コミュニケーションとは何か。「三笘の1㍉」に、「馬盗人」の説話に、その奥義があるだろう。翻って、漫画「気まぐれコンセプト」(『スピリッツ』22.11.14号)は、就職のためのOB・OG訪問の今昔を描いている。「CMを作りたいと思ったキッカケは」の質問を機に、昔は話が弾んだ。だが、昨今は次の応答がなされがちで、殺伐としているという。「そういう人の心の中の一番大切な部分に土足で踏み入る質問って、どうなんですか」。

はたして、現在の大学はいかがであろうか。

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ききんの「き」 寄附でつくる東大の未来第40回

本部渉外課卒業生チーム
特任専門職員
庄司英里

卒業生と母校をつなぐTFT

“TFT”をご存知でしょうか? 本部渉外課卒業生チームで管理している、全学で唯一部局を横断する卒業生データベースです。本人登録による卒業後の個人情報を保持しており、現在約7万人が利用しています。主な対象は卒業生ですが、在学生、教職員も登録することができ、TFTメンバー限定の特典もあります。

渉外課が所属する社会連携部は、公開講座などのリカレント教育プログラム、ホームカミングデイといった卒業生向けイベント、そして教育や研究を支援するための基金の設置など、社会と東大をつなぐ活動を行っています。その中でTFTが果たす役割は、社会で活躍する卒業生に母校とのつながりを感じつづけてもらうこと、同窓生同士のネットワークづくりの場を提供することです。「東大の今」をテーマに、最新の研究成果やイベント情報、そして母校支援のお願いなどをメールマガジンでTFT登録者に毎月お届けしています。

他大学に比べると「東大生には母校愛がない」と言われているようですが、毎年10月に開催するホームカミングデイでは、安田講堂や銀杏並木が学生時代を懐かしむたくさんの卒業生で賑わいます。また、イベント運営への協力や、研究・学生支援などへの寄付のお願いには卒業生の方々から多くの応援が集まります。

「母校とつながったことで、東大のすばらしさを改めて感じている」という感想をいただきます。自分の出身校が好き、と感じてもらうことは素敵なことですし、大学側にとっても卒業生という一番の理解者を得ることは喜ばしいことです。卒業生に向けて母校の魅力を発信し続けていくことが、東大ファンのさらなる獲得につながっていくと考えています。

東大の財産ともいえる卒業生のデータベースTFTを全学で有効に活用していただくため、卒業生チームでは部局イベント情報のメルマガ掲載や、卒業生宛お知らせメールの代理発送なども行っています。

ところで、なぜ卒業生データベースが“TFT”なのか? お知りになりたい方は卒業生チームまでお尋ねください。

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