令和4年度東京大学学部入学式 総長式辞

令和4年度東京大学学部入学式 総長式辞

新入生のみなさん、ご入学おめでとうございます。本学の教職員を代表して、心よりお祝いを申し上げます。

みなさんは、COVID-19のパンデミックをはじめ、さまざまな苦難に社会が直面する時代において本学の入試を突破し、この場に集っておられます。その努力に対し、心から敬意を表します。同時に、みなさんを支えてこられたご家族の方々、関係するみなさまにもお祝いをお伝えしたいと思います。

みなさんがこれから学びはじめる大学という場所は、一人ひとりのさまざまな可能性が多様につながり、育っていく場でもあります。現代では人びとをつなげ、ともに学ぶことを助けるテクノロジーも充実してきています。私たちは、世界中をつなぐ通信手段をもち、インターネットが「対話」の場を生みだし、自発的な学びが生まれていくという現代を生きています。本学においても、このパンデミックのなか、特に最初の一年間は、ほぼすべての授業がオンラインで開講され、世界中から学生が受講することになりました。地理的な制約を受けずに学べる可能性が、パンデミックによって、はからずも実証された側面があります。他方、オンライン授業が充実した反面、私たちはリアルなキャンパスの価値をあらためて実感することとなりました。 キャンパスは、出会いと対話、創発の場です。十分な感染対策を講じる必要はありますが、オフラインでも「大学」という場を活かし、さまざまな活動を展開することは可能です。多様な能力と可能性が存分につながれ、伸ばされる場となるよう、みなさんとともに考え、工夫していきたいと思います。

大学という場においてみなさんの多様な能力と可能性を尊重し、育んでいくことの大切さは、本学が取り組んでいる起業家教育の理念とも深くつながっています。本学が目指すべき方向について定めたUTokyo Compassのなかでも、東大関連ベンチャーの支援に向けた取組みを積極的に進め、2030年までにその数を700社にするという目標を掲げています。なぜ、私たちはいま、起業にスポットライトを当てているのでしょうか。

起業への注目は、本学が社会における大学の意義を問い、課題に粘り強く取り組む力、新たな解決への可能性を発想する力、そして他者と協力してそれを実現する力を育もうとしていることと深く関係しています。社会において求められる人材の多様化に合わせて、卒業後の進路も急速に多様化し、新たな事業を生みだす人の割合も増えています。東京大学は、社会が直面している課題の解決に貢献する新たな業(ぎょう)を起こすことを支援しています。さらには現状ではまだまだ少ない、本学発の女性の起業家を数多く生みだしていくことにも、力を注いでいきます。

世界でも、既存の枠に縛られないスタートアップ企業のスピード感と実現力には、大きな期待が寄せられています。たとえば1990年代、ヒトゲノムの全塩基配列の解読に向けて、アメリカでは、NIH(National Institutes of Health)が主体となって公的な資金によるプロジェクトを進めていました。これと並行して、クレイグ・ヴェンター博士を中心とする研究者たちは民間に移り、新たにセレラ・ジェノミクスというベンチャーを立ち上げました。そこでの研究成果の公開原則と競争によるヒトゲノム解読の加速は、民間のスタートアップ企業が有する機動性や実現力を強く印象付けることになりました。しかし、その解読技術の中核部分は、もともと日本の研究者たちが開発したものでした。それゆえ、日本の科学技術政策の観点からは「ゲノム敗北」とも呼ばれています。アメリカのスタートアップ企業が担った役割を、日本の研究機関がなぜ果たせなかったのかについては、あらためて検討すべき課題ともいえます。まさにいま、大学や研究機関において開発された先進的な技術を実用化して、企業の利益のみならず、社会における大きな問題の解決に結び付ける、ディープテック型と呼ばれるベンチャーの支援が、強く求められています。

起業というと、会社を興して利益をあげることとイメージされがちですが、そうした理解は十分なものではありません。「会社」や「法人」についても、もうすこしその役割の基本から考え直す必要があります。明治時代に福澤諭吉が「会社」の必要性を論じたとき、そのポイントは営利や株式にではなく、異なる個人が力をあわせて事にあたるための対話や意思決定の仕組みづくりにありました。ここでは日本の近代が始まった明治維新前後に遡り、2024年からの新1万円紙幣にも描かれることになる渋沢栄一の「実業」について、取り上げたいと思います。

渋沢栄一は、近代日本の社会や経済の礎を築いた実業家で、設立にたずさわった金融・運輸・商工業等の会社組織、また教育・福祉・国際親善の諸機関などの社会公共事業の数は600を超えるともいわれています。渋沢における実業もまた、単に会社を起こして自己利益を追求する活動ではなく、それぞれの力を集めて公共性を担うものとして捉えられていました。そのことは、一般の資本主義とは異なる合本主義という理念の下で、社会全体のために公益を追求すべく人材や資本を集めて事業を推進する、そのことを説く『論語と算盤』などからも、窺い知ることができます。明治維新の後、それまでの封建社会にはなかったさまざまな新しい職業が生みだされていくなかで、新たな社会や経済の仕組みをどのように構築していくべきかが問われていました。まさにそうした時代の転換期において、渋沢は一つの思想的な道筋を示そうとしていたことがわかります。起業という営み自体は、20世紀以降における全く新たな潮流というよりは、むしろ日本の資本主義が形作られた原点に立ち返ることにも通じるものである、といってよいと思います。

もちろん、起業家には、リスクを取ってでも前進しようとする勇敢さやチャレンジ精神も重要です。経済学者のケインズは、それをアニマル・スピリッツと呼びました。経済活動を支える主観的で野心的な意欲は、不確実な状況下でも前に進む駆動力となります。その反面、危険を顧みない投機に走らせたり、他者を出し抜いたりという行動を引き起こす要因にもなります。ノーベル経済学賞を受けたアカロフとシラーは、投資家や起業家のアニマル・スピリッツの前提として、取引の安定性への期待や貨幣価値が不変であるという錯覚などと並んで、何らかのストーリーに従って思考しようとする「ナラティブ」の関与を挙げています。

原因と結果とを結びつける物語的な理解の形式であるナラティブとは、もともと文学研究の領域で発展した理論でしたが、いまでは広く臨床心理や教育・ビジネスの分野で使われています。それは人びとの認識の基盤となる「物語」であり、理解・思考・表現・対話等々の形式をつくりだしています。すなわちナラティブは、それぞれの個人の認識のなかで、世界のありかたそのものを規定し、社会のなかでどう行動することが望ましいのかという価値そのものを決めているわけです。人びとがつくりあげ、人びとの理解をしばる物語であるからこそ、また自分たちで変え、自分たちが考えるなかで別なナラティブを生みだしていくこともできます。臨床心理学の領域では、症状に苦しむ患者の理解を支配している物語のことを「ドミナント」なナラティブととらえ、その思いこみを解除する「オルタナティブ」な物語を、対話のなかで探ろうとします。「ナラティブ」とは、まさにそうした実践そのものだといってよいでしょう。

ITベンチャーをはじめとした起業が盛んな国々と比べますと、日本ではスタートアップ企業の少なさが際立ち、その背景事情の一つに「日本社会は、挫折や再起に対して冷淡である」というナラティブがあるとされます。しかし、起業のような新たな取り組みにおいては挫折や失敗はつきものであり、そもそもそのような挫折の経験を物語として語ること自体にも大切な意味があります。本学では起業家教育に関する実際の取り組みとして、起業を目指す学生の相互交流や関連企業とのマッチングなどを目的とした各種のインキュベーション施設を運営するなどしています。みなさんも、少しでも関心があればぜひ勇気を出して、本学での起業をめぐるポジティブな語りと対話の輪のなかに、一歩足を踏み出してみて下さい。そこにはきっと、教室での学びとはまた違った新しい世界が広がっているはずです。

ベンチャーや会社設立を中心にすえた起業のナラティブのなかで、あまり強調されず、それほど光が当てられていない「ケア」との重要なつながりについて、最後にお話ししておきたいと思います。

起業とは、じつは社会に潜在的に存在するさまざまなニーズやウォンツを目ざとく見いだし、それに応えることができる製品やサービスを創り出すことにほかなりません。他者が何を望んでいるかを気づく、知る、それに応じて行動するという起業やビジネスの本質は、実は「ケア」という、もうひとつのことばが指し示す領域と深くつながっています。
 「ケア」に関して、政治学者のジョアン・トロントは、Who cares?という秀逸なタイトルの本を著しています。Who cares?は、直訳すれば「ケアするのは誰か」という問いかけですが、英語圏の日常会話では多くの場合「知ったことか」という切り捨ての意味で用いられます。この「そんなことは知らない、ケアなどするものか」という姿勢が、尊大なマジョリティやエリートのなかに蔓延しがちであること、「自分たちが社会から自立して存在しているのだ」と考えるような危険なものであることを、トロントは批判的に指摘しています。その意味で「ケアレス」とは、単なる不注意によるミスなのではなく、関わりあわないと決めてしまっているがゆえの鈍感さや傲慢さなのではないか、常に自省が必要です。
 トロントらのケア論を受けて学際的な研究者グループであるThe Care Collective(ケア・コレクティブ)が2020年に発表した「The Care Manifesto(ケア宣言)」は、ミクロレベルの人間関係から、地域・企業・コミュニティのメゾレベル、そして経済、政治、国家というマクロレベルにまでわたる、具体的なシステム変革の構想を掲げています。その冒頭では、パンデミック、気候変動、大量移民、紛争などを挙げ、現代の世界がいかに「ケアの危機」のなかにあるかを切々と語るとともに、「ケア」は私たち人間が地球上に生きるすべての生命とともに生き続け、繁栄することを可能にするものであるとも述べています。

新型コロナウイルス感染症拡大下で、医療をはじめ介護・保育などの、エッセンシャルワーカーの方々が懸命に繰り広げた、命と生活を守るための苦闘は、みなさんも記憶に新しいでしょう。しかし、労働条件という面では彼らが十分に報いられているわけではありません。市場的な利益が優先されてきたこれまでの社会システムにおいて、「ケア」の価値は残念ながら低く見積もられてきました。しかし、そのような従来の価値づけでは、すでに社会がたちゆかなくなっているということです。エッセンシャルなケアの価値を重視する体制への再編が不可欠になっています。

狭い意味でのケアワークの危機だけでなく、他者に関心を向け、配慮し、応答し、支えるという広い意味での「ケア」もまた、過剰な競争や排除がはびこる現代社会において危機に瀕しています。UTokyo Compassが掲げている「対話」も、他者への顧慮(ケア)なくしては成り立ちません。だからこそ、それを、ミクロな日常の実践や、あるいはメゾ・マクロレベルの事業として具現化してゆくことが重要になっているのです。

2月の終わりに突然起こった理不尽な軍事侵攻は、誰もが望んでいなかった破壊や悲劇、あたりまえの日常生活の喪失が広範に、また強引に引き起こされてしまう、世界秩序の脆さをあらわにしました。この状況は、あらためて私たちに、日常的な対立がたかまって戦争にいたるのではなく、武力の行使という戦争状態こそが、互いの対立を強め、頑なものにするとともに、人びとの不幸や憎しみを増大させ、問題の解決をいちじるしく困難なものにするということを思い起こさせました。だからこそ、厳しい対立状況のなかでも対話や交流の実践が果たす役割の大切さをあらためて見つめ直し、大学が学術の実践を通じて、こうした非常時が強いるさまざまな不幸からの脱却に、いかに貢献できるか、という問いに向きあうことがいま求められているのです。
 東京大学は、いま困難のなかにある学生や家族や研究者や関係者のみなさんを支援するため、特別受け入れプログラムを開設しました。同時に「東京大学緊急人道支援基金」を立ち上げ、支援の輪を広げつつあります。こうした取り組みはまさに、一人ひとりの学びや研究の機会を確保するための学術の立場からの「ケア」であり、世界に開かれ、かつ差別から自由な知的探求の空間を構築する、という東京大学の使命を果たすことにもつながります。

他者を顧慮(ケア)するということは、他者のためだけではありません。他者の立場に思いを馳せ、想像力を通じて他者の思考や感情を自らに引き受けるということは、実は自分の生を拡張することにつながっており、みなさん自身をより広く豊かにすることでもあります。異なる状況にある他者をケアすることは、みなさんにとっての「新たな可能性」すなわちオルタナティブを経験するということであり、それを事業にしていくということは、この社会全体にとってのオルタナティブ、すなわち新しいシステムを創り出してゆくことにほかなりません。

起業や実業は、単なる自己利益の追求にとどまるものではなく、経済活動を通じて他者へのケアを実践し、公共性や社会における連帯を担うものとならなければなりません。大学で学ぶことと、社会が必要としていることとの双方向性を理解し、その重みと責任を担える学生、職業人、そしてグローバルシチズン(地球市民)としてみなさんが活躍してくれることを心より期待します。

COVID-19の世界的大流行により、この数年間、社会も大学も、急激な変化を経験してきました。そのような状況で大学生活を始めることについて、みなさんも少なからず不安を抱いておられることでしょう。しかし、このような社会情勢であればこそ、みなさんの才能を社会のなかでより良く生かしていくためのさまざまな選択肢があることを、常に心に留めておいて下さい。大学の中でも外でも、多くの可能性を持つ多様な人びとが存在することを、そしてそれら一つ一つの可能性がすべて尊いものであることを、忘れないでください。東京大学もまた、みなさん一人ひとりの個性とその可能性を最大限に尊重し、これからもみなさんとの対話と共感をさらに深めていきたいと考えています。困難な状況の先に広がる輝かしい未来に向かって、ともに歩んでいきましょう。

ようこそ、東京大学へ。

令和4年4月12日
東京大学総長
藤井 輝夫

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