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緊張と歓喜の擦文遺跡発掘/熊木俊朗の北東アジア考古学@北海道 | 広報誌「淡青」35号より (広報室)

2017年10月04日掲載

実施日: 2017年09月08日

北東アジア考古学 @ 北海道
 
900年前に焼けた家といま向き合う
緊張と歓喜の擦文遺跡発掘

飛鳥~鎌倉時代にかけて北海道で栄えた擦文(さつもん)文化の名は、ヘラで擦って刷毛目をつけた擦文土器に由来します。この時代の遺跡の宝庫である北見市に移り住み、20年にわたって発掘調査を続けてきたのが熊木先生。大昔の遺物といま向き合う考古学の醍醐味を語ります。
 

熊木俊朗/東京出身
Toshiaki Kumaki
人文社会系研究科附属北海文化研究常呂実習施設
准教授


 

 

北見市大島2遺跡で行われた、擦文文化の竪穴住居跡の発掘調査。野外考古学の実習として、文学部・人文社会系研究科考古学研究室の学生・院生・教員が参加して行われる。

擦文文化の竪穴住居跡から出土した炭化材。放射状に拡がる丸材は屋根の垂木とみられる。
  
自宅の近所で拾ったものが、何千年も前に使われていた遺物だった、という経験はありますか?

東京でインドア派の少年時代を過ごした私にとって、それは自分とは無縁の、非現実的な妄想のような話でした。しかし20代の半ばになって考古学の世界に足を踏み入れてからというもの、日本の北辺で遺跡や遺物に囲まれる日々をもう20年も続けています。まさかこのようなことになるとは、10代の頃には全く想像もしていませんでした。

私が研究の拠点としている人文社会系研究科附属北海文化研究常呂実習施設は、北海道の東部、北見市常呂町に設置されています。施設が位置する常呂川の河口地帯は遺跡の宝庫であり、この一帯には今から900年前、もしくはさらに古い時代の竪穴住居の跡が3000基も埋まりきらずに凹みで残っています。毎年、夏の一ヶ月間にわたって考古学専修の学生・大学院生とともにこれらの遺跡の発掘に挑む、というのが私の年間の研究計画において最大のイベントになります。


現在は、北見市大島2遺跡で擦文文化(紀元12世紀頃)の竪穴住居跡の発掘調査を続けています。この遺跡の竪穴住居では、家を引き払う際に意図的に火を放つという行為が行われており、住居の上屋などの木材が炭化した状態で大量に検出されるとともに、家を焼く際に行われた儀礼の痕跡が発見されています。このような資料が出土した場合、発掘現場では、大量の炭化材をどのように記録して回収するか、何を儀礼の痕跡とみなして詳細に記録するか等々、限られた時間と予算の中で次々と判断を迫られます。擦文文化の住居構造や儀礼に関する研究成果を熟知した上でその検証を意識すれば、調査の工程は自ら決まってくるのですが、予見できないものが土の中から現れて驚き迷うこともしばしばです。このような、予測と検証を繰り返す緊張感と臨場感、新発見の喜びこそが発掘調査の面白さであり、それを毎年自ら企画して実行できるという考古学者にとっては得難い環境が、常呂実習施設には整備されているのです。
 

竪穴住居跡に付設されたカマドの脇で検出された儀礼の痕跡。住居の廃絶時にカマドを破壊し、小型の甕と黒曜石を意図的に配置したもの。
常呂実習施設を拠点として、文学部は半世紀以上にわたってこの地で発掘調査を継続してきました。地域からの支援は設立当初から続いており、現在、施設は隣接する北見市の史跡公園「ところ遺跡の森」と一体となって活動しながら、地域の埋蔵文化財の保護と活用にも積極的に関わっています。

私個人の意識では、最近は地域の住民、すなわち「常呂の人間」であることを強く自覚するようになりました。それは、大学と地域の連携を推進する東大教員としての責任に由来する部分も当然あるのでしょうが、もっと様々なもの、例えば、目の前に手付かずで拡がる遺跡の風景、初夏の爽やかさや厳冬期の凍える寒さ、牡蠣やホタテなどの食の豊かさ、情報・流通・医療などの不便さ、異郷と故郷の狭間でかられる郷愁、施設を支えてくださる地域の方々の想い、それらがない交ぜとなった感情なのだと思います。地域を取り巻く環境は今後益々厳しくなると予想されますが、地域住民としての自覚を抱きつつ、この地で研究を継続していきたいと考えています。
 
※本記事は広報誌「淡青」35号の記事から抜粋して掲載しています。PDF版は淡青ページをご覧ください。



常呂実習施設のロゴに採用されたオホーツク文化(1100年前)の偶像。ヒグマです。
 
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