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大学院入学式式辞の総長メッセージ~橋本進吉の例から何を学ぶか~

掲載日:2016年4月12日

実施日: 2016年04月12日

 平成28年度大学院入学式が4月12日(火)午後に、日本武道館において挙行されました。

 

 式には約2,800名の新入生と、そのご家族など約3,300名、合わせて約6,100名が出席しました。

 午後の大学院入学式においては、13時25分から運動会応援部による演舞、音楽部管弦楽団によるワーグナー作曲の「ニュルンベルクのマイスタージンガー前奏曲」の演奏後、五神真総長はじめ理事・副学長、理事、研究科長、研究所長並びに来賓の芳賀徹名誉教授が登壇し、14時20分開式となりました。

 式では、音楽部管弦楽団、音楽部合唱団コールアカデミー、音楽部女声合唱団コーロ・レティツィアによる、東京大学の歌「大空と」の奏楽、合唱の後、総長が式辞を述べました。

 

 式辞の中で総長は、東京大学が創りあげてきた広くて深い学問の一例として、国語学の橋本進吉先生の研究を紹介しました。現在は5つある日本語の母音が、実は奈良時代には8つあったことを見いだした先生の研究は、埋もれていた江戸時代の先駆的な先行研究を発掘し発展させる形で実現したものでした。この例から、論理的重要性の大切さと学問研究の時間スケールに関わるメッセージを読み取った総長は、苦労して書物を後世に伝えた先人への敬意を表すとともに、いまの私たちがこの伝統を引き継いでいく決意を語り、具体策の一つとして本郷キャンパスで進めている新図書館計画にも言及しました(式辞全文は下記参照)。

 

 続いて、岩村正彦法学政治学研究科長が式辞を述べました。式辞の後、芳賀徹名誉教授から祝辞をいただきました。その後、入学生総代森迪也さん(数理科学研究科)による宣誓が行われました。最後に運動会応援部のリードにより新入生をまじえ全員で東京大学の歌「ただ一つ」の奏楽、合唱をもって、15時30分に式を終えました。

 

平成28年度東京大学大学院入学式 総長式辞

 

 本日ここに東京大学大学院に入学された皆さん、東京大学の教職員を代表して、心よりお祝いを申し上げます。また、ご家族の皆様にも、心からお慶び申し上げます。

 本年4月に東京大学大学院へ入学したのは、修士課程が2,860名、博士課程が1,243名、専門職学位課程が345名、合計4,448名です。皆さんは、これから始まる、研究と学びへの期待に胸を膨らませていることと思います。東京大学大学院は、規模、学問分野の幅、研究水準の三点において、世界有数の大学院です。この恵まれた環境を存分に活用して、学問に懸ける夢を育み、それを叶えて下さい。私たち教職員は、皆さんの夢の実現を全力でサポートしたいと思っています。

 

 さて、東日本大震災から丸5年が経ちました。皆さんの中にも、被災地出身の方あるいは知人や親戚が罹災された方がおられるでしょう。震災を経験し、復旧と復興の中で、困難を乗り越えて勉学に励まれたことに敬意を表します。これまで東京大学の多くの教職員や学生諸君も、さまざまな復興支援の活動に参加してまいりました。私は昨年4月に総長に就任致しましたが、8月末に、被災した岩手県大槌町にある大気海洋研究所の国際沿岸海洋研究センターを視察し、大槌町の市街地域、陸前高田市、後方支援の拠点となった遠野市を訪問致しました。大規模な土盛り工事が進められてはいるものの、街が以前の活気を取り戻すにはまだまだ多くの知恵と忍耐が必要だと感じました。私たちはこの事を心にしっかり留めて置かねばなりません。東京大学は復興支援の活動をこれからも続けていきます。皆さんも学業の傍ら、この復興支援の輪にぜひ加わって下さい。

 

 私は、本日午前中に行われた学部入学式で、新入生の皆さんに対して、新しい知を創造し、知をもって人類社会に貢献し、行動する人材、すなわち、「知のプロフェッショナル」となるよう努力と挑戦を続けてほしいと伝えました。そのために、特に次の3つの力を鍛えてほしいと強調しました。「自ら新しい発想を生み出す力」、あきらめず「忍耐強く考え続ける力」、そして「自ら原理に立ち戻って考える力」です。

 この基礎力をもとに、知を創造し、そこから価値を生み出すには、他者に心を砕き、知恵を出し合って一緒に行動することが必要です。そのためには「多様性を尊重する精神」と自分の立ち位置を見据える「自らを相対化できる広い視野」を持つことが必要であると述べました。

 大学院生となった皆さんには、こうした力に一層磨きをかけ、実際に行動することで、「知のプロフェッショナル」として大きく成長してほしいのです。まさにこれからが本番です。自信と勇気をもって前に進んで下さい。

 

 東京大学は本日、創立139周年を迎えました。創立以来、アジアの地にあって、東西両洋の学術を基礎としながら、独自の学問を培ってきました。私は総長に就任して以来、学内の幅広い分野の先生方とお会いする機会が多くなりました。運営にたずさわる傍らで、東京大学が創りあげてきた広くて深い学問に触れることが楽しみになっています。

 なかでも、歴史、文学や言語の研究は比類のない蓄積があり、東京大学が独自に長年育んできた文化の中で、とりわけ重要な役割を担っていると私は感じています。グローバル化が進む中で、知の多様性は、人類社会の安定性を保つための鍵となるのです。

 ここで、私が感動した東京大学での深い学問の例を紹介したいと思います。それは私達がいま話し、聞き分けている日本語という言葉に関する研究です。

 現在、日本語はアイウエオという5つの母音を持っています。それが、奈良時代には、母音が8つ存在していたという説があることを皆さんはご存じでしょうか。奈良時代には、もちろんレコーダーなど音声を記録する機器は全くなかったので、昔の人々がどんな発音をしていたのかを直接に知ることはできません。では、どうやってそのような結論を導くことが出来たのでしょうか。


橋本進吉先生
(大正15年3月撮影)

 私たちの東京大学で国語学を研究していた橋本進吉先生がこの説を立てたのです。橋本先生は、皆さんが中学や高校の国語の授業で習う「文節」という概念を提唱し、日本語の文法を体系づけた研究者として有名です。いまから百年ほど前に、文学部の国語研究室の助手として万葉仮名の研究を進めていました。そして『万葉集』や『古事記』などの奈良時代の文献に仮名として使用される漢字の中で、五十音図のイ段・エ段・オ段の音のいくつかに、明確な使い分けがあることに気付きました。同じ音を表すものであっても、単語によって表記される漢字に使い分けがあるという事実を見い出したのです。たとえば太陽の光である「ひ」と燃える「ひ」は、現代では発音が同じです。音が同じなので、語源は共通なのではないかとする説もありました。しかし、橋本先生の研究によって、かつては発音が異なっていた可能性が明らかになり、もとは別々の言葉であったと推定できるようになったのです。

 注目すべきは、大正から昭和初期にかけてのこの橋本先生の独自の調査研究の過程で、実は埋もれていた江戸時代の先駆的な研究が発掘され、新たに評価されたということです。本居宣長は『古事記』の万葉仮名について調べ、文字使用上の区別があることを早くに述べていました。その宣長の研究を受け継いだ弟子の石塚龍麿は『日本書紀』『古事記』『万葉集』の調査を行い、橋本先生が見い出したことと近い事実に気付いていたのです。石塚はその調査結果を『仮字遣奥山路』(かなづかいおくのやまみち)という書物に残しました。しかし、これは、出版されなかったために、人々に広く知られることはありませんでした。また、石塚自身も、発見したことの意味をよく見抜けず、事実の整理も不十分であったと言われています。ところが、本学文学部の国語研究室にこの石塚の著書の写本が所蔵されており、百年以上を経て、橋本先生によって読まれ、先行研究として検証され、ようやくその指摘の重要さが理解されたのです。橋本先生は、ご自身の研究について、二重の意味における発見をしたのだと述べられています。ひとつは特殊な仮名遣いを再発見したこと、そしてもうひとつは石塚龍麿の隠れた仮名遣い研究の発見です。

 言葉は人間の知的な探究の作業をささえると共に、その結果を時代を超えて伝える媒体です。言葉の変化を分析し、その歴史を把握することは、過去の社会の様子や人々の思想を正確に知るための手がかりとなるのです。そして文書資料に正しいタイムスタンプを与えるという重要な意義もあるのです。歴史の順序や地域の交流の変遷を知る基盤となるものなのです。

 

 さて、いま一例としてあげた橋本先生の研究は、大学で学ぶべき学問について2つの重要なメッセージを含んでいると思います。

 第一は、論理的思考の重要性です。研究には2つのステップがあります。最初は、調査や実験によって得られたデータを集積して分析し、ある現象が起こっていることを発見することです。次は、見つけた現象について論理的に考察を重ね、背景にあるこれまで誰も知らなかった原理をあぶり出し、体系を説き明かす学説にまとめるという段階です。これらのステップを経て、新たな知恵として人類が共有できるようになるのです。

 江戸時代の石塚龍麿は第一の段階にとどまっていたということになります。橋本先生は使い分けのある漢字を甲類・乙類として整理し分析することで、その背景にある音韻の違いを論証されたのです。この学説がさらに日本語の起源や系統についての研究へと大きく発展していったことを考えると、事実の発見にとどまらず、論理的思考によって新たな体系を示すことの大切さが示唆されているといえるでしょう。

 第二のメッセージは、学問研究の時間スケールです。学問を通した、人類社会への問いかけは、私たちが生きているその時々の社会にとどまるものではありません。橋本先生の調査と分析は、千年以上をさかのぼる記紀万葉の時代を対象としつつ、過去から未来への言葉の連続や断絶を探るものでした。さらにその過程で江戸時代の研究に出会い、埋もれていた膨大な研究を発掘し、その価値を再発見し、先人の研究に新たな生命を吹き込んだのです。

 このエピソードは、過去から未来に流れる永い時間スケールの中で、時を超越した真理の深淵を探究することにこそ学問の真の魅力があるということを伝えているのです。過去を調べるということは、たんに昔を振り返るということではなく、未来の姿を予言し見通すということにつながるのです。これこそが学問の普遍的な使命だと私は考えます。

 永い時間スケールの営みを維持することにも、われわれのたゆまぬ努力が必要です。残念なことに、国語研究室に所蔵されていた『仮字遣奥山路』(かなづかいおくのやまみち)の貴重な写本は大正12年の関東大震災で焼失してしまいました。現在では橋本先生が震災以前に筆写された本が残されています。また第二次世界大戦末期には、大学が所蔵する貴重な書物や文化財をトラックや馬車、大八車などに載せて山梨県や長野県まで疎開させ、空襲からなんとか守ったという話も伝わっています。書物を後世に伝えるために先人たちが大変苦労されたからこそ、いまの私たちがそのデジタル化を行なうことができるのです。東京大学の伝統とは、こうして先達の献身によって守り受け継がれたものであることを覚えておかねばなりません。現在、本郷キャンパスでは、濱田純一前総長の決断により、地下40メートルの大規模書庫建設が進められています。これもこの伝統を引き継ぐための事業であると私は考えています。

 

 さて、もう一人、「知のプロフェッショナル」について紹介したいと思います。午前中の学部の入学式で祝辞を頂いた東京大学宇宙線研究所長の梶田隆章先生です。ご存じのように梶田先生は、昨年秋、ノーベル物理学賞を受賞されました。梶田先生の受賞は、岐阜県の神岡鉱山に建設したスーパーカミオカンデを使って、ニュートリノが質量を持つことを証明した成果が評価されたものです。これは、20世紀後半に完成したと思われていた素粒子物理学の「標準理論」というものの限界を明らかにする画期的な成果です。

 

 梶田先生は大学院修士課程に入学して小柴昌俊先生の研究室に入ります。そして、ちょうどその頃開始された、スーパーカミオカンデの前身のカミオカンデでの実験に参加しました。カミオカンデという名前はKamioka Nucleon Decay Experimentすなわち核子崩壊実験、という意味です。当時の素粒子理論の最先端の研究により、物質は永久不滅ではなく寿命は有限だと考えられるようになりました。そこで、小柴先生達は、物質の基本要素である、陽子などの核子が崩壊する様子を実験で捉えるプロジェクトを開始したのです。何しろ、物質は不滅と思われていたのですから、陽子はごくごくまれにしか崩壊しません。その信号を捉えるのは大変難しいのです。ニュートリノの信号はその計測のじゃまをするので、丁寧に取り除く必要がありました。当時、大学院生の梶田先生はその地道な作業を続ける中で、大気で発生するニュートリノの信号の性質を丹念に調べていました。その中で、おやっと感じる異常に気がついたと言うのです。それが発端となり、ニュートリノ研究が梶田先生のライフワークとなったのです。このように、大学院時代の研究がノーベル賞につながったという例は沢山あります。一昨年ノーベル賞を受賞された名古屋大学の天野浩先生も青色発光ダイオードの開発は大学院生時代からのテーマでした。本日、大学院の門をくぐったばかりの皆さんもぜひ大きな夢をもって研究に取り組んで下さい。

 

 ニュートリノの実験は、前例のない大がかりな装置による壮大なプロジェクトです。小柴先生、戸塚洋二先生、そして梶田先生へと受け継がれ、国内外の研究者や大学院生の協働はすでに40年近くに及んでいます。この成功の背景には、この間に日本が豊かになり、かつ平和を維持できたことがあるのです。梶田先生の発見は、すぐに何かに役立つというものではありません。梶田先生の言葉をお借りすれば、「人類の知の地平線を拡大する」研究です。このような、真理の深淵を長期間にわたり探究し続ける自由が与えられたこと、すなわち自由な学問活動に対して、国民からの付託が途切れなかったということの価値を私たちはしっかり心に留めておく必要があります。

 

 以上、二人の先輩の研究を紹介しました。どちらも、既存の概念に囚われずに発想を転換し、忍耐強く課題に取り組み続けた結果です。そうして生み出される研究成果が人々を感動させ、世の中の見方を変え、パラダイムシフトへと導くことが可能になるのです。

 3月に行われた大学院の学位記授与式で、修了生の代表による答辞に、「大学院の日々は、私にとってはかけがえのない、贅沢で貴重な時間でした」との言葉がありました。そうです、大学院生の特権は、自分の意思で使える時間がふんだんにあるということです。後に振り返るとその貴重さがわかります。皆さんには、ぜひその時間を大切にして、学問を創る喜びを満喫し、研究する人生のもつ素晴らしい魅力を感じて頂きたいのです。

 

 さて、ここでその学問に求められている課題についても少し触れておきたいと思います。20世紀は科学の世紀と呼ばれ、自然科学は飛躍的に進歩し革新的な技術が次々に生まれました。その結果、人類の活動規模は飛躍的に拡大しました。人々は国境を越えて活動し、世界中の出来事を瞬時に知ることもできるようになりました。しかし一方で、人間の行為が地球そのものに回復困難な変化をもたらし、人類の存続をも脅かすものになっています。宗教的な対立や国際紛争の複雑化は加速するばかりです。人類が英知を絞り、長い年月をかけて生み出した、資本主義や民主主義という社会を動かす基本的な仕組においても、その制御が追い付かず、格差の拡大など不安定性は拡大しています。安定で平穏な世界を構築するためには、人類の英知が駆動する新たな社会や経済の仕組みを考え出すことが必要なのです。東京大学は東京大学憲章にあるように世界の公共性への奉仕を誓っています。この新しい仕組みを提案し、率先して行動し、社会を変革する駆動力を生み出すことが、東京大学の責務であると、私は考えています。

 

 私は大学院を改革し強化することが喫緊の課題だと捉えています。皆さんの学びを支援するプログラムもいろいろ用意しています。ぜひ積極的に活用して下さい。また、社会を大きく変えていくためには、教員、学生、社会人の多様な人々が、大きなビジョンを共有し、世代や組織を超えて深く混ざり合って協力して働くことが必要です。そのために「知の協創の拠点」を創っていきます。さらに、皆さんが「研究する人生」に魅力を感じることができるように、研究者の雇用環境の改善にも努めていきます。

 

 大学で学び、研究する私たちが果たすべき役割は、先人たちのたゆまぬ努力の中で蓄積されてきた成果を継承しつつ、さらに学問を深めて新たな価値を創造し、変革し続ける社会をうまく駆動させる知恵を生み出すことにあります。東京大学ではさまざまな分野で世界最先端の研究が進められています。そして、伝統によって築かれた豊富な蓄積もあります。私は21世紀を担う皆さんと共にその現場に立てることを、幸運だと思っています。共に夢を抱きながら課題の解決に挑戦し続け、新たな価値や伝統を一緒に創り出していきましょう。

 

 最後になりますが、皆さんが、他者に心を砕き、知恵を出し合って行動し、人類社会に貢献する「知のプロフェッショナル」となるためには、皆さん自身の心身の健康が第一です。大学院生の生活は不規則になりがちです。毎日の朝ご飯をしっかり食べ、規則正しい生活を心がけて下さい。そして、研究のあいまに時間を見つけ、自分に適した形で、運動をする習慣を身につけてください。

 皆さんが元気に活躍されることを期待しています。

 
平成28年(2016年)4月12日
東京大学総長  五神 真

大学院入学式 総長式辞
大学院入学式 来賓祝辞
大学院入学式 大学院法学政治学研究科長式辞





芳賀 徹 東京大学名誉教授
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