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東アジアの研究者だからこそ正せた 「イスラーム写本絵画」への先入観

掲載日:2015年8月26日

図1:動物の効用。『動物の効用』は、様々な動物の薬としての効用を記した科学書。現存する最古のイル・ハーン朝の写本絵画です。対象を真横から眺める西アジア伝統の「立面図画面」と、対象を上方から眺める外来様式の「俯瞰図画面」が混在しているのが特徴(この図版では、樹木と岩の下部が前者、岩の上部とヒツジが後者)。桝屋教授は、挿絵を描いた3人の画家のうちの1人は西アジアの従来様式で、あとの2人は外来様式で描いていることを、丁寧な検証によって明らかにしました。「野生ヒツジ」、イブン・バフティーシュー著『動物の効用』ペルシア語写本、マラーゲ(イラン)、697/1297-98年、モーガン図書館(ニューヨーク)、M.500、第37葉表頁

図1:動物の効用
『動物の効用』は、様々な動物の薬としての効用を記した科学書。現存する最古のイル・ハーン朝の写本絵画です。対象を真横から眺める西アジア伝統の「立面図画面」と、対象を上方から眺める外来様式の「俯瞰図画面」が混在しているのが特徴(この図版では、樹木と岩の下部が前者、岩の上部とヒツジが後者)。桝屋教授は、挿絵を描いた3人の画家のうちの1人は西アジアの従来様式で、あとの2人は外来様式で描いていることを、丁寧な検証によって明らかにしました。
「野生ヒツジ」、イブン・バフティーシュー著『動物の効用』ペルシア語写本、マラーゲ(イラン)、697/1297-98年、モーガン図書館(ニューヨーク)、M.500、第37葉表頁

異国を訪れた際、言葉などわからずとも、目で見た現地のものを通してその国に対する興味がグッとかき立てられることがあります。人々の顔立ちや服装、建物や街並み、見慣れぬ食べ物……。現地で昔から息づいてきた美術作品もその一つでしょう。

東洋文化研究所の桝屋友子教授が研究しているのは、イスラーム美術、つまり、イスラームが主要な宗教であるエリアで育まれた美術の歴史。時代的にも地域的にも非常に広い分野ですが、桝屋教授が特に力を入れてきたジャンルの一つは、写本絵画です。

写本とは手書きで内容を写した本のことで、写本絵画とはその写本を飾る彩飾や挿絵のこと。イスラーム社会で最も重要なクルアーン(コーラン)の写本に始まり、科学書、文学書、歴史書などへと広がる写本絵画の文化は、アラビア半島から西へ地中海沿岸にまたがるアラビア語圏と、イランを中心とするペルシア語圏とで、それぞれ発展を見せました。

目で見える情報を研究者として検証

図2:歴史集成「戦国」。中央下段の広い空白部分は、直前の行に記された春秋時代の君主の肖像用に写字生(字を写す担当者)が空けておいたものですが、画家はそれを理解せずに空白のまま残しています。もし文字を読めたら、戦国時代と同様に13人分の肖像画を描いていたはずですが……。「戦国」、ラシード・アッ=ディーン著『歴史集成』アラビア語写本、タブリーズ(イラン)、714/1314-15年、ナーセル・D・ハリーリー・コレクション(ロンドン)、MSS727、第10葉裏頁

図2:歴史集成「戦国」
中央下段の広い空白部分は、直前の行に記された春秋時代の君主の肖像用に写字生(字を写す担当者)が空けておいたものですが、画家はそれを理解せずに空白のまま残しています。もし文字を読めたら、戦国時代と同様に13人分の肖像画を描いていたはずですが……。
「戦国」、ラシード・アッ=ディーン著『歴史集成』アラビア語写本、タブリーズ(イラン)、714/1314-15年、ナーセル・D・ハリーリー・コレクション(ロンドン)、MSS727、第10葉裏頁

従来、ヨーロッパのイスラーム美術研究者の間では、この写本絵画の歴史において重要な転換点があったことが指摘されてきました。13世紀に大モンゴル帝国が西アジアまで領土を広げたのを機に、イル・ハーン朝(1258-1353)以降の写本絵画、特にペルシア語圏の写本絵画に直接、中国の影響が認められるようになった、というのです。

確かに、写本絵画を見ると渦巻き入りの雲や龍といったいかにも中国らしいアイテムが確認でき、その指摘はもっともなように思えます。(図1)しかし、東アジア出身の美術史家にとっては直接のものだとは感じられませんでした。

「絵を見て、中国っぽくないと感じたんです。山水画を見ればわかりますが、中国の画家は何世代にもわたって高度な絵画伝統を作り上げてきました。しかし、これらはそれと全く次元の異なる表現だと思いました」

東アジア美術に基づいた印象を機に、美術史家としての検証がそこから始まりました。取り組んだのは、『歴史集成』という写本絵画。ラシード・アッ=ディーンという14世紀初頭の政治家がまとめた歴史書です。桝屋教授がこの本の中国古代史を扱った部分をつぶさに調べていくと、新しい発見が次々に出てきました(図2)。

女帝の肖像画にヒゲ

図3:歴史集成「唐」。この頁では唐の時代の皇帝9人が紹介されています。中段右端には「則天皇后武」と記されており、これが中国史上唯一の女帝・則天武后の肖像であることがわかります。しかし、顔には堂々と口ひげと顎ひげが!「唐」、ラシード・アッ=ディーン著『歴史集成』アラビア語写本、タブリーズ(イラン)、714/1314-15年、ナーセル・D・ハリーリー・コレクション(ロンドン)、MSS727、第16葉裏頁

図3:歴史集成「唐」
この頁では唐の時代の皇帝9人が紹介されています。中段右端には「則天皇后武」と記されており、これが中国史上唯一の女帝・則天武后の肖像であることがわかります。しかし、顔には堂々と口ひげと顎ひげが!
「唐」、ラシード・アッ=ディーン著『歴史集成』アラビア語写本、タブリーズ(イラン)、714/1314-15年、ナーセル・D・ハリーリー・コレクション(ロンドン)、MSS727、第16葉裏頁

「たとえば、表情や衣紋の描き方が同時代の中国の絵とは明らかに違い、人物の白目部分に中国の絵画では用いない銀が使われていました。皇帝が下位の者用の帽子をかぶっていたり、夭折したはずの王が大人として描かれていたり……。則天武后のはずの肖像にヒゲが生えていたのには驚きましたね」

桝屋教授は、一連の分析をもとに、これらの写本絵画は、中国のことをよく知らない中国人以外の、しかもアラビア文字の読めない画家が描いたものだと結論づけ、2014年2月に著書『イスラームの写本絵画』(名古屋大学出版会)で発表。東アジア以外の研究者だと見逃してもおかしくない部分に気づけたことが、大きな成果を生みました。日本人であり、中国の歴史、そして美術そのものに通じていたからこそ導けた新説だと言えるでしょう。(図3)

次なる未踏の地の開拓

図4:陶器破片。倉敷の大原美術館に所蔵されているイスラーム陶器破片約390点のうちの一つ。英国の大英博物館所蔵のイスラーム陶器と同じ陶工の署名が記されていることを桝屋教授が明らかにしました。大原美術館所蔵

図4:陶器破片
倉敷の大原美術館に所蔵されているイスラーム陶器破片約390点のうちの一つ。英国の大英博物館所蔵のイスラーム陶器と同じ陶工の署名が記されていることを桝屋教授が明らかにしました。
大原美術館所蔵

ただ、この新説への反応はまだ小さい、と桝屋教授は言います。

「いつもと違い、今回は日本語で発表したので、英語ではまだ研究成果を発表できていません。世界中でもこの分野の研究者はそう多くありませんが、国内だと本当に数が限られていて……」

研究者が少ないことは、未踏の地が多いことを意味します。イスラーム美術では不明な部分がまだまだ多く、新発見のチャンスが残されています。それだけやりがいがある分野なのです。

10年ぶりにやっと2番目の弟子が育ちつつある、と頬を緩める桝屋教授。いま彼女と共に取り組んでいるのは、エジプトの古都フスタートから出土した陶片約390点の体系化です(図4)。明治・大正期の洋画家児島虎次郎が集めた、奇跡のコレクションとも呼ばれる大原美術館(岡山県倉敷市)所蔵の逸物。「言語に頼らず、目から一瞬で直接文化を伝える力が美術にはある」と確信する教授と後継者たちが、日本からイスラーム美術の美を発信し、東西の文化を架橋する日は、そう遠くない未来に訪れそうです。

取材・文:高井次郎

取材協力

桝屋友子教授

桝屋友子教授
東洋文化研究所

リンク

東洋文化研究所

参考文献

桝屋友子著『イスラームの写本絵画』(名古屋大学出版会、2014年)

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