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「怠け者細菌」ファイトプラズマの謎を解く フィールド研究と最先端の基礎研究を併行して進める、世界最古の植物病理学研究室

掲載日:2016年1月15日

常識にとらわれないこと。「邪道だとみなが思っている方法が、何十年か経って王道になっていることがあるんです」と微笑みながら話すのは農学生命科学研究科植物病理学研究室の難波成任教授。1906年に世界で最初にできた植物病理学研究室に受け継がれてきた研究スピリットは、1000種類以上の植物に病気を起こし、世界中で農業被害を引き起こしている微小な病原微生物「ファイトプラズマ」の研究に今も息づいています。

MLOことファイトプラズマの発見

図1:ファイトプラズマの感染環。ファイトプラズマに感染した植物の葉脈にヨコバイが口針を差し込んで篩管から汁を吸うと、ファイトプラズマはヨコバイの体内に移動し、増殖。次にヨコバイが健康な植物から汁を吸うときに、ファイトプラズマを注入して感染をもたらします。 © 2016 東京大学

図1:ファイトプラズマの感染環
ファイトプラズマに感染した植物の葉脈にヨコバイが口針を差し込んで篩管から汁を吸うと、ファイトプラズマはヨコバイの体内に移動し、増殖。次にヨコバイが健康な植物から汁を吸うときに、ファイトプラズマを注入して感染をもたらします。
© 2016 東京大学

ひとたび発生すると、畑全体に壊滅被害をもたらす……。東南アジアで主食のキャッサバから、イタリアでワインの原料になるブドウ、中国では蚕の餌となる桑まで世界中の農作物に破壊的な被害をもたらすのが微小な微生物、ファイトプラズマです。「しかし、未だ確立された対策はありません」と難波教授は言います。

ファイトプラズマは細菌ですが、わずか0.1マイクロメートルというウイルスほどの大きさで、通常の細菌と異なり細胞壁を持たないのです。体長2~3ミリのセミの仲間であるヨコバイが媒介して、植物の葉、茎、根にある篩部に寄生し、植物に黄化や枯死などの被害をもたらします(図1)。栄養やエネルギーをすべて寄生した植物から得ているため、「究極の怠け者細菌」とも呼ばれます。1967年、当時植物病理学研究室の研究生であった土居養二名誉教授が電子顕微鏡を使って初めて発見したときには、同じく細胞壁を欠く動物やヒトの病原細菌であるマイコプラズマに似ていることから、マイコプラズマ様微生物(MLO)と命名しました。

分子のメスを入れ、MLOからファイトプラズマへ

当時、同研究室に入室した難波教授は、「MLOの発見などで最も活気があったので、その研究室を選びました」と振り返ります。その後、米国コーネル大学へ留学し、ライフサイエンス分野で急速に発展していた遺伝子解析など最先端の知識と技術を見につけて帰国。分子生物学的な手法をMLOの研究に持ち込み、研究を新たな段階に進めました。

図2:ファイトプラズマの分類。ファイトプラズマ属には、分子系統学的に38種が分類されています。このうち、日本では9種が見つかっています。  © 2016 東京大学 大学院農学生命科学研究科 植物病理学研究室

図2:ファイトプラズマの分類
ファイトプラズマ属には、分子系統学的に38種が分類されています。このうち、日本では9種が見つかっています。
© 2016 東京大学 大学院農学生命科学研究科 植物病理学研究室

それまで、MLO研究は、発病組織の肉眼による観察や電子顕微鏡による観察に頼っていたため、一つの病害には他の病害とは異なる一つのMLOが関わっていると推測するほかなく、分類体系は事実上ありませんでした。農林水産省の招聘研究員として、MLOの研究を始めた当初、MLOに感染したイネの篩管液を吸うヨコバイの口針をレーザー光で切断して、あふれ出してくる篩管液中のMLOを、蛍光プローブを使って特異的に光らせ検出する手法を開発。「これはいけるぞ」と確信し、その液を精製してMLO遺伝子を得る方法を考え、分子のメスを入れることに成功しました。

その後、難波教授はMLO遺伝子の塩基配列情報を分子系統学的に解析し、マイコプラズマとは異なることを1993年に解明。1995年には細菌の新しい分類群としてファイトプラズマ属を新たに提案し、感染植物種ごとに1,000種類以上に分かれていたファイトプラズマを38種に整理しました(図2)。

メタゲノム解析でファイトプラズマのゲノムを解読

ところが、続く全ゲノムの解読には大きな壁が立ちはだかりました。ファイトプラズマは培養が困難なため、ファイトプラズマだけを分離して大量培養し、ゲノムを解読する一般的な手法は使えなかったのです。

図3:顕微鏡画像(左)とファイトプラズマのゲノム地図(右)。ファイトプラズマの大きさは0.1マイクロメートルと、巨大なウイルスであるパンドラウイルスの10分の1程度しかありません(右の膜に包まれた大小の粒子)。また、ゲノムサイズは約87万塩基対で遺伝子数はパントラウイルスの3~4分の1程度です。 © 2016 東京大学 大学院農学生命科学研究科 植物病理学研究室

図3:顕微鏡画像(左)とファイトプラズマのゲノム地図(右)
ファイトプラズマの大きさは0.1マイクロメートルと、巨大なウイルスであるパンドラウイルスの10分の1程度しかありません(右の膜に包まれた大小の粒子)。また、ゲノムサイズは約87万塩基対で遺伝子数はパントラウイルスの3~4分の1程度です。
© 2016 東京大学 大学院農学生命科学研究科 植物病理学研究室

そこで、難波教授は発想を転換。ファイトプラズマだけを分離するのではなく、ファイトプラズマが感染した植物ごとDNAを抽出して塩基配列を決定し、そこから、健全な植物のゲノムデータを差し引いて、ファイトプラズマのゲノムだけを明らかにすることにしたのです。今では「メタゲノム解析」として、腸内微生物や土壌微生物などのゲノム解析に使われる手法ですが、当時は分離・培養してからゲノム解読をするのが一般的でした。「引き算することにしたのです。常識にとらわれると、不可能に見えることも、直接正面から取り組むと解決することがあります」と難波教授は強調します。熾烈なゲノム解読競争が行われる中、2004年に世界に先駆け難波教授らがファイトプラズマの全ゲノム解読に成功したのです(図3)。

その後、どうして特定の植物や昆虫に住み着くのかという宿主特異性を決める遺伝子とそのメカニズムを解明、植物に黄化や枯死、天狗巣病を引き起こす原因となる遺伝子群とその働き、つまり病原性遺伝子とそのメカニズムの解明と、これまで手のつけられなかった問いに次々と答えを出していきます。

世界の人々の役に立つ、植物の研究

「昔から社会の役に立つような研究をやりたいと思って研究してきました。やりたいことよりも、ニーズが私の研究テーマになります」と難波教授は言います。もともと植物病理学は、社会という巨大なフィールドから生まれる課題を解決するための学問。フィールドにある課題発見と基礎研究による課題解決、その結果フィールドに新たに見出された課題に取り組むという同研究室の伝統は、難波教授によって継承され、新たな歴史を刻みました。

図4:ファイトプラズマ診断キット。難波教授らは、高感度で迅速・簡単にファイトプラズマを検出できる診断キットを開発し、東南アジアで問題になっているキャッサバの天狗巣病の診断などに活用しています。© 2016 東京大学 大学院農学生命科学研究科 植物病理学研究室

図4:ファイトプラズマ診断キット
難波教授らは、高感度で迅速・簡単にファイトプラズマを検出できる診断キットを開発し、東南アジアで問題になっているキャッサバの天狗巣病の診断などに活用しています。
© 2016 東京大学 大学院農学生命科学研究科 植物病理学研究室

そのひとつが、ファイトプラズマの簡易診断キットの開発です。難波教授らは、世界最高性能の超高感度遺伝子増幅法であるLAMP法によるファイトプラズマの診断キットを開発し、2011年に商品化にこぎつけました(図4)。このキットでは、葉を切り出し、試薬の入ったチューブに入れて煮沸後、お湯につければ、わずか30分でPCR法の100倍の感度でファイトプラズマに感染しているか否かを判定できます。

実験設備の不十分な発展途上国でも使えるため、パプアニューギニアのココヤシのほか、2015年から東南アジアの食用やバイオエタノール向けのキャッサバの診断ツールとして、国際協力機構(JICA)と科学技術振興機構(JST)の支援を受けて現地での活用を始めました。それぞれの地域に技術を定着させるため、人材育成も併行しています。

病原性を逆手にとって、植物を二倍楽しむ

ところで、ファイトプラズマのような病原体は悪役なのでしょうか?「ファイトプラズマは大きな農業被害をもたらす病原微生物ですが、その病原性因子を明らかにすることで、うまくコントロールして、私たちの生活に活用することもできます」と同研究室の姫野未紗子研究員は話します。

図5:普通のアジサイ(左)ファイトプラズマの感染によって葉化したアジサイ(右)。姫野研究員が行った研究では、葉化の際に、植物側でどのような遺伝子発現が起こっているかを調べたところ、植物側では葉を花に変える遺伝子の発現が弱いことがわかり、ファイトプラズマは花を作る遺伝子の働きを阻むことで葉化を起こしていると推測しました。それが後にファイロジェンタンパク質の発見につながりました。© 2016 東京大学 大学院農学生命科学研究科 植物病理学研究室

図5:普通のアジサイ(左)ファイトプラズマの感染によって葉化したアジサイ(右)
姫野研究員が行った研究では、葉化の際に、植物側でどのような遺伝子発現が起こっているかを調べたところ、植物側では葉を花に変える遺伝子の発現が弱いことがわかり、ファイトプラズマは花を作る遺伝子の働きを阻むことで葉化を起こしていると推測しました。それが後にファイロジェンタンパク質の発見につながりました。
© 2016 東京大学 大学院農学生命科学研究科 植物病理学研究室

たとえばアジサイ。花が葉のように緑色に葉化したアジサイをご存知でしょうか。珍しいため愛好家もいて高値で取り引きされる変わりアジサイですが、実はこれはファイトプラズマの感染によるものです(図5)。姫野研究員の研究がきっかけで、この葉化のカギを握る、ファイトプラズマが分泌するタンパク質「ファイロジェン」が2014年に同研究室で見つかりました。ファイロジェンが植物の葉を花へと変化させるタンパク質を分解するため、花が正常にできず、葉に戻るというわけです。

変わりアジサイの愛好家がいると言っても、ファイトプラズマは植物に感染する病原微生物なので、農地や緑地・宅地の植物に拡がる恐れがあります。一方、「ファイロジェンを使って、葉化は引き起こすけれども、病気は起こさないようにできれば、観賞用の緑のユリなどが簡単に育てられるかもしれません」と姫野研究員は言います。

姫野研究員のような若手研究者にも、同研究室の伝統が脈々と引き継がれています。もともと環境問題に関心があり農学部へ進学。植物と微生物の相互作用に興味を持ち、ファイトプラズマの研究に携わることになりました。2人の子供を育てながら研究を続ける姫野研究員ですが、「チームで研究をしているので、お互いに助けあって実験を進めることができています」と言います。たとえば、講義を受けている学生は昼間実験ができないため、姫野研究員らが補います。一方で、子供の保育園のお迎えなどで夜に仕事ができない姫野研究員を、学生らがサポートしています。

世界中で農業被害を引き起こしているファイトプラズマですが、その病原性遺伝子をうまく活用して、環境に配慮した、安全で病気に強い野菜や植物が買えるようになるのもそう遠くないかもしれません。

取材・文:長倉 克枝

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