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物質の中の階層性 創発物性科学が切り開く新しい未来

掲載日:2015年9月17日

神経細胞を一つだけ取り出してきて、そこに記憶や感情、意識がある、と言うことはできません。しかし、神経細胞が複数集まると、私たちの脳が行っているような、高度な情報処理が立ち現れてきます。そこには異なるロジックでしか理解し得ないような断絶、階層があります。はたしてこのような階層性は、神経細胞よりもずっと単純だと思われるような、「ただの物質」にも見られるものなのでしょうか?

創発物性

工学系研究科の十倉好紀教授(理化学研究所創発物性科学研究センター併任)は、大学学部生に向けた固体物理学(物質の性質を調べる分野)の授業を、「金属が鏡の光沢を示すのも、葉っぱが緑に見えるのも、そして、そもそもモノに色がつくということ自体が、すべて電子の動きのせいなのです。」という言葉から始めることにした、と言います。どういうことでしょうか?

「電子の動きのせい」と言っても、ひとつひとつの電子が金属光沢を示したり、モノに彩りを与えたりするわけではありません。そうではなく、電子の相互作用こそが重要である、ということが、この言葉が本当に意味することです。

物質をバラバラにしていった先のミクロの状態(原子の配列や原子同士の結合の様子、原子まわりの電子の振る舞い)を理解することで、物性(力学的性質、電気的性質、磁気的性質、光学的性質など)というマクロの状態が理解できると考えたくなるかもしれません。しかし、個々の要素を集めた結果、全体として要素の総和以上の特性が現れる「創発」という現象が現れるとき、ミクロの状態に分解して理解していく還元主義的なアプローチはあまり有効ではなくなります。

先の言葉にある通り、物性は、電子の創発現象です。流行りの言葉を創るのが得意なんです、とはにかみながら語る十倉教授は、自身の研究分野を「創発物性科学」(=「創発」+「物性科学」)と呼んでいます。物性を調べるのに、還元主義的なアプローチのみに囚われることなく、階層ごとに異なるロジックで理解していく必要があることを的確に表す名称です。

絶縁体のすぐ側の高温超伝導体

創発物性の代表例であり、物性というマクロな階層についての新たなロジックを示すことになったのが、銅酸化物高温超伝導体です(図1)。一般に、電気が物質中を流れるとエネルギーの一部が熱として失われてしまいます。しかし、超伝導体ではこのようなエネルギーの損失がゼロ(電気抵抗ゼロ)になります。

図1: 超伝導転移温度に起きた革命<br>銅酸化物で、全く新しいメカニズムの超伝導が見つかり、臨界温度(超伝導を示す一番低い温度)が一気に高くなった。<br>© 2015 東京大学

図1: 超伝導転移温度に起きた革命
銅酸化物で、全く新しいメカニズムの超伝導が見つかり、臨界温度(超伝導を示す一番低い温度)が一気に高くなった。
© 2015 東京大学

十倉教授が高温超伝導体の研究に取りかかったのは、1年間IBMの研究所に留学した1980年代後半のことでした。往時の通説では、金属が電気を流す性質を極限まで高めていった先に超伝導があると考えられていました。しかし、十倉教授の研究対象だった銅酸化物超伝導体では、電気をまったく通さない絶縁体のすぐ側で起こる創発現象として電気抵抗ゼロ(超伝導)が実現されるらしいことがわかってきたのです。

少し詳しく見てみましょう。銅酸化物では、物質中の電子同士が強く相互作用した結果、電子が格子状の原子の上で固まった状態にあります。物質がこのような状態にあることを指して、強相関電子系と呼びます。このとき、電子は身動きがとれず、物質中を移動することがたいへん困難であり、超伝導とは真逆の絶縁体の状態にあります。ところが、この状態の銅酸化物から電子を引き抜くと、規則正しく格子状に並んでいた電子が一気に溶け出し、ほぼ絶縁体だった銅酸化物が超伝導体になったのです。

絶縁体から電子を少しだけ引き抜くことで物性がガラッと変わる。これは、少数の電子の状態に還元しても理解できない、まさに創発現象です。

超巨大磁気抵抗とマルチフェロイクス

その後十倉教授は、様々な物質から電子を引き抜いたり、逆に少しだけ加えたりという実験を、チタンから銅まで周期表の順番に試していき、さらにおもしろい現象である巨大磁気抵抗を見つけ出すことになります。実際、1990年代になって十倉教授は「ペロブスカイト」と呼ばれる特殊な構造の酸化物において、磁場をかけることで物質の電気の通しやすさが1000倍以上も変化すること、すなわち巨大磁気抵抗効果を発見しました。

図2: マルチフェロイック物質の概念図<br>磁場をかけると電気分極が発生し(左)、電場をかけると磁化が発生する(右)。<br>© 2015 東京大学

図2: マルチフェロイック物質の概念図
磁場をかけると電気分極が発生し(左)、電場をかけると磁化が発生する(右)。
© 2015 東京大学

さて、電場をかけると電気分極(物質の両端が正電荷と負電荷とに別れて電荷を帯びる現象)が生じ、磁場をかけると磁化(物質の両端がSとNとに別れて磁荷を帯びる現象)が発生するというのが固体物質に生じる普遍的な現象です。

そんななか、世の中には、磁場をかけると電気分極が発生し、電場をかけると磁化が発生する。そのような物質が存在するのではないか、と予言していた科学者がいました。著名なフランスの物理学者にしてマリー・キュリーの夫、ピエール・キュリーです。

磁場をかけなくても自発的に磁化が発生する強磁性体(磁石など)や電場をかけなくても分極する強誘電体の磁化の向きや分極の正負は、それぞれ小さな磁場や電荷で反転させることができます。一つの物質が強磁性体であり、なおかつ強誘電体であり、さらに磁化と電気分極とが結びついているとすれば、ピエール・キュリーの夢見た物質が実現されることになります。

このような、複数の性質(強磁性、強誘電性、強弾性など)を示す物質をマルチフェロイック物質と呼びます(図2)。このように、電場で磁化を変化させるなど、自明ではない入出力関係も、複数の電子が集まって全体として個々の電子の総和以上の特性が現れる、創発現象の例なのです。

多数の電子スピンから生じる粒子、スキルミオン

図3:スキルミオンの直接観察<br>十倉教授の研究グループは特殊な電子顕微鏡を用いて、世界で初めてスキルミオン粒子一つ一つを観測することに成功しました。<br>© 2015 于秀珍、十倉好紀

図3:スキルミオンの直接観察
十倉教授の研究グループは特殊な電子顕微鏡を用いて、世界で初めてスキルミオン粒子一つ一つを観測することに成功しました。
© 2015 于秀珍、十倉好紀

さらに2010年には、電子スピンからの創発現象として、スキルミオンと呼ばれるまったく新しい粒子の観察を行っています(図3)。これは、十倉教授が現在精力的に進めている創発現象研究の一つです。

スキルミオンというのは、数千個もの電子スピンが渦巻状に集まって、あたかも1個の粒子であるかのように振る舞うようになったものです。やはりこれも個々の電子スピンの状態に還元しても理解することのできない創発現象であり、"スキルミオン粒子"は、ほとんど電力を使わずに移動させることができたり、超巨大な磁場として電子の軌道を変えたり、さらには、単極の磁石のように働く可能性すらあるといいます。

「今の時代は、応用を見据えた実験が大事になってきています」と言う十倉教授は、スキルミオンの興味深い物性にただ魅せられているだけではなく、次世代エレクトロニクスへの大きな可能性があると考えています。ごくわずかなエネルギーで動作する非散逸型の量子回路、つまり、究極のエコデバイスの可能性です。今はまだ夢のような話に聞こえますが、これまでに物理学が起こしてきたイノベーションを考えると、数十年から数百年のうちに可能になるだろうと十倉教授は語ります。

創発物性科学研究の未来

高温超伝導体からマルチフェロイクス、そしてスキルミオン。どれも具体的なイメージを描きにくいがゆえに「創発物性科学は難しくて理解できないと言われるのに慣れているんです」と話す十倉教授。一方で、同じ分野の研究者からも様々な研究テーマを渡り歩いているように見えてしまうようです。

しかし、十倉教授本人は「一貫性がないと思われるかもしれませんが、自分の中では筋道が通っているんですよ」と語ります。「1つの原理だけで世界を理解することは難しい」からこそ、単一のロジックに還元することのできない新しい現象を探求し、そのロジックを紡いでいるというのがその真意です。

要素の総和以上の特性が全体として現れる創発現象。個々の要素からは、新しく現れる現象が予測しづらいからこそ、誰も予想しなかったような現象や科学技術分野でのイノベーションが隠れている可能性があります。創発物性科学は、物性物理学における創発現象をひとつひとつ明らかにしていくことで未来を切り開いています。

取材・文:堀部直人

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