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Feature Stories

個人の遺伝情報を活かした医療の実現を目指して

健康で長生きできる社会

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医科学研究所
新領域創成科学研究科
2016/10/21

個人の体質に合わせた“オーダーメイド医療”の実現に向け、科学者としての研究に加え、その“インフラ”を整える体制づくりや、社会の理解を求める活動にも力を入れてきました。膨大な数の患者からDNAサンプルを集めて保管し、研究機関に提供する「バイオバンク・ジャパン」。バイオバンク・ジャパンの中心的な役割を担う東京大学医科学研究所が目指す新しい医療は、未来社会を大きく変える力を持っています。

個別化医療との出会い

患者個々人の遺伝子の情報から、体質によって異なる最適な治療や医薬、予防を判断して提供する個別化医療。たとえるなら、身体を採寸して服を仕立てるオーダーメイドの医療版です。その実現に必要なのが、参照すべき遺伝子を見極めるゲノム研究。たくさんの人の遺伝情報を、仮説を立てず、むしろ予断を持たずにシステマティックに解析し、遺伝子のどの部分がどの病気や医薬と関連するのかを統計的に解明するのです。

新領域創成科学研究科の松田浩一教授がそんなゲノム研究に出会ったのは、2007年。東京大学医学部を卒業後、医師を5年間勤め、がんの研究に没頭していた頃のことでした。

図1:さまざまな患者のDNAサンプル、血清、カルテの情報を、大規模に集約して保管するバイオバンク・ジャパン DNAサンプルが入った試験管は、4℃に冷やされたDNA倉庫で約70万本を保管しています。血清サンプルが入った試験管は、液体窒素を使いマイナス150℃でのべ200万本を保管しています。血清サンプルを間違いなく取り出すためにロボットアームも使います。収集した約23万人のカルテ情報などは大規模なデータベースに大切に保管・管理しています。設立当初から国に求められている「個別化医療への研究を進める”インフラ”」という役割を果たしています。© 2016 東京大学

図1:さまざまな患者のDNAサンプル、血清、カルテの情報を、大規模に集約して保管するバイオバンク・ジャパン
DNAサンプルが入った試験管は、4℃に冷やされたDNA倉庫で約70万本を保管しています。血清サンプルが入った試験管は、液体窒素を使いマイナス150℃でのべ200万本を保管しています。血清サンプルを間違いなく取り出すためにロボットアームも使います。収集した約23万人のカルテ情報などは大規模なデータベースに大切に保管・管理しています。設立当初から国に求められている「個別化医療への研究を進める”インフラ”」という役割を果たしています。
© 2016 東京大学

生命科学分野の研究は従来、仮説を立てて検証するプロセスが一般的だっただけに、「今までと全く違うアプローチが、とにかく新鮮でした」。松田教授はすぐに研究にのめり込み、「ゲノムに基づく医学研究が、近いうちには当たり前になる」との確信を抱きました。

個別化医療につながる遺伝子の知見を蓄積するために、さまざまな患者のDNAサンプルを集約して研究機関に提供する“DNAサンプルの銀行”のような機能が求められていました。松田教授はバイオバンク・ジャパンの運営にも、自然と力を入れるようになります。「サンプルを使わせていただいたので、次は集める側の体制づくりでも貢献したいと思いました。自分の研究のためにも必要でしたから」。使命感と探究心が、1人の科学者としての研究に加え、2003年に設立された“インフラ”を整備する原動力となりました。

全国12の医療機関で、51種類の疾患を対象に採血によってサンプルを集める体制を整えました。DNAサンプルは今、23万人分を超えています。貴重な血清と抽出したDNAは先端技術を使い、カルテや生活習慣の情報とともに保管。厳正な審査を通過した国内の研究者に提供しています(図1)。

遺伝子から分かる病気のこと

「なんで、病気になるのか。科学者として、知りたい」。松田教授はサンプルを活用する1人の研究者としても、十二指腸潰瘍や食道がんに関連する遺伝子を発見するなど大きな成果をあげています。

手法は、ゲノム全体を総合的に解析する「ゲノムワイド関連解析(GWAS)」。個々人の遺伝子の、一カ所ではなく複数カ所の違いが総合的に、病気の発症に関わっているという考え方です。ゲノム上で注目すべきポイントは50万カ所以上あり、膨大な組み合わせの中から、病気の原因を明らかにしていきます。

図2:ゲノム全体を総合的に解析する「ゲノムワイド関連解析(GWAS)」により明らかになった十二指腸潰瘍と胃がんの関係 胃がん疾患者、健常者、十二指腸潰瘍疾患者のDNAサンプルを解析し、ある部分の遺伝子がCC型の場合、CTやTT型に比べ1.84倍十二指腸潰瘍になりやすいが、胃がんのリスクは0.59倍になることがわかりました。© 2016 東京大学

図2:ゲノム全体を総合的に解析する「ゲノムワイド関連解析(GWAS)」により明らかになった十二指腸潰瘍と胃がんの関係
胃がん疾患者、健常者、十二指腸潰瘍疾患者のDNAサンプルを解析し、ある部分の遺伝子がCC型の場合、CTやTT型に比べ1.84倍十二指腸潰瘍になりやすいが、胃がんのリスクは0.59倍になることがわかりました。
© 2016 東京大学

十二指腸潰瘍の解析では、複数箇所の遺伝子が関わるからこその、興味深い結果が得られました。患者と健常者の計3万人のDNAを解析し、十二指腸潰瘍の原因に関わる遺伝子として突き止めたのはそれぞれ、血液型に関わる遺伝子、胃がんの原因に関わる遺伝子と、同じ箇所。「O型の方がA型よりも十二指腸潰瘍になりやすい」ことと、「胃がんになりにくい人の方が、十二指腸潰瘍になりやすい」ことを、統計的に明らかにしたのです。

十二指腸潰瘍と胃がんは、ともに「ヘリコバクター・ピロリ菌」の感染によって起こります。さらなる研究によって、遺伝子の違いによって作られるタンパク質の性質が変わり、腸粘膜の修復や免疫細胞の働きに影響するために2つの疾患の発症率を変える--という仮説に至り、2012年2月に発表しました(図2)。発症メカニズムに迫るとともに、個々人がどの病気にどの程度備えるべきなのかの判断材料にもつながる、大きな発見でした。

社会とともに歩む医療に

「究極の個人情報」とも言えるDNAを扱うだけに、倫理的な問題とも真摯に向き合ってきました。バイオバンク・ジャパンの黎明期はちょうど、日本全体が個人情報について敏感になっていった時期。法律や政策の専門家による「ELSI(Ethical, Legal and Social Issues:倫理的・法的・社会的問題)委員会」の議論は、毎回のように紛糾しました。

図3:バイオバンク・ジャパンへ協力の意思を示すインフォームド・コンセント(同意書)(左)や広報誌「バイオバンク通信」(右) 全国の病院でメディカル・コーディネーターがインフォームド・コンセントを行い、バイオバンク・ジャパンが目指す個別化医療や協力内容について丁寧に説明し、協力者から同意を得ます。年に1回のペースで発行している広報誌「バイオバンク通信」では、協力いただいた方にバイバンク・ジャパンのこれまでの成果や現状を伝えています。 クレジット: オーダーメイド医療の実現プログラム

図3:バイオバンク・ジャパンへ協力の意思を示すインフォームド・コンセント(同意書)(左)や広報誌「バイオバンク通信」(右)
全国の病院でメディカル・コーディネーターがインフォームド・コンセントを行い、バイオバンク・ジャパンが目指す個別化医療や協力内容について丁寧に説明し、協力者から同意を得ます。年に1回のペースで発行している広報誌「バイオバンク通信」では、協力いただいた方にバイバンク・ジャパンのこれまでの成果や現状を伝えています。
クレジット: オーダーメイド医療の実現プログラム

奮闘したのは、保健医療と社会の関わりなどについての研究をすすめてきた医科学研究所の武藤香織教授でした。「全てを網羅的に解析して理想の医学を目指す世界観が、社会にはある種の”脅威”に感じられたのかもしれません」。新しい手法で生命をより深く、詳しく解き明かしていく際に、ゲノム研究に限らず常に直面する問題でもありました。

もともとはELSI委員会のメンバーでしたが、東京大学へ異動後、バイオバンク・ジャパンを内部から支える立場になりました。患者が研究協力の意思を示すインフォームド・コンセント(同意書)の整備や、広報誌を通じたアウトリーチ活動などを主導してきました(図3)。

約86%もの患者が、サンプルや臨床情報の提供に応じています。「自分と同じ病気で苦しむ人が減るように」という思いも、少なからず託されているでしょう。「協力者にとっても幸せで、印象に残るバンクに」と武藤教授。それは、預金者が安心感や利息を得ると同時に経済発展にもつながる、理想の銀行の姿に通ずるものがあります。バイオバンク・ジャパンは、患者の期待や善意と研究者をつなぐ場でもあるのです。

思い描く、壮大な未来

2017年には15年を迎えるバイオバンク事業。これからも生体試料を大規模に集め、事業を長く続けていくことが、個人の体質にあった予防や治療には欠かせないと医科学研究所長を務める村上善則教授は話します(図4)。では、バイオバンク事業が目指す個別化医療の先には、どんな未来が広がるのでしょうか?

「生まれつきの体質が異なっていても、みながある程度の年齢まで健康に長生きできる社会。昔であれば一病息災だったのが、十病息災。10個病気を持っていても病気とうまく付き合えるようになって、単に長生きするだけでなく、質の高い人生を送れるようになる」。村上教授は、そんな未来社会を思い描いています。「何かと個々人の違いばかり強調される昨今ですが、体質の違いや障害の有無に関係なく長生きできれば、違いは当たり前の個性として受け入れられように社会全体の考え方が変わっていくはずです。そんな医療を提供したい」。

図4:バイオバンク事業が目指す個別化医療 個人個人で重視すべき予防や、最適な治療法がそれぞれの遺伝子の情報に基づいて判断できるようになります。そして、生まれつきの体質にかかわらず、健康に長生きできるような社会を目指します。© 2016 東京大学

図4:バイオバンク事業が目指す個別化医療
個人個人で重視すべき予防や、最適な治療法がそれぞれの遺伝子の情報に基づいて判断できるようになります。そして、生まれつきの体質にかかわらず、健康に長生きできるような社会を目指します。
© 2016 東京大学

そこに至るまでには、技術的な部分から社会全体が関わるところまで、課題が多岐に渡ります。

武藤教授の使命は、新しい技術と社会をつなぐこと。「個別化医療が適切に、有効に利活用されるために必要なことを勉強し、考えていきます」。ゲノムや遺伝子についての知見が差別や悪用につながることを防ぎ、社会の幸せに最大限活かされるために、法整備や政策の面から社会に働きかけていく考えです。

そして技術的にも、遺伝子の異なる個人に合った予防や治療、薬の活用法を確立していく必要があります。新薬の開発が求められる場面も出てくるでしょう。時間を掛けて取り組むべきプロセスがいくつもありますが、道が明確に見えているということでもあります。

松田教授は「いかにして、実際の医療に役立てていくのか。『見つけた』ものを『使える』に変えていかなくてはいけない」と、バイオバンク・ジャパン全体の課題意識を代弁した上で、続けました。「必要な“インフラ”を整え、『見つける』ところまでが私の役割。個別化医療は少しずつですが、一般的なものになっていくはずです」。1人の研究者として、バイオバンク・ジャパンの運営との“2足のわらじ”を履き、着実に歩みを進めた先に、新しい未来社会が広がると信じています。

取材・文:谷 明洋

取材協力

松田浩一教授、村上善則教授、武藤香織教授

松田浩一教授、村上善則教授、武藤香織教授

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