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「歴史を記述する」ということ 史学会125年の歩みと発展

掲載日:2014年10月27日

日本最古にして、全国におよそ2500人の会員を持つ史学会が2014年11月、創立125周年をむかえます。東京大学で生まれた史学会が歩んできた歴史は、日本におけるアカデミックな歴史学そのものの歩みでもあります。ここでは、その長い歴史をふり返るとともに、2012 年4 月に旧財団法人から公益財団法人として生まれ変わった史学会の発展を探ります。

御雇外国人ルートヴィヒ・リース

ルートヴィヒ・リース(1861~1928)は、ベルリン大学でハンス・デルブリュックに師事し、ランケが確立した近代歴史学を学びました。来日したのは1887年で、1902年まで世界史、史学研究法を講じました。

図1:ルートヴィヒ・リース(1861~1928)は、ベルリン大学でハンス・デルブリュックに師事し、ランケが確立した近代歴史学を学びました。来日したのは1887年で、1902年まで世界史、史学研究法を講じました。
東京大学文書館所蔵資料

史学会の創立を語る上でどうしても欠かすことができないのは、帝国大学の招聘を受けて来日したドイツ人歴史家、ルートヴィヒ・リースの存在です。明治維新後、欧米の先進文化を取り入れるため、政治、法律、軍事、経済などあらゆる分野の御雇(おやとい)外国人が日本にやってきましたが、リースもそのうちの一人でした(図1)。彼が日本にもたらしたものは、レオポルト・フォン・ランケらによって樹立された近代歴史学、すなわち史料(歴史資料)を収集し、それを批判的に分析し、事実を再構成するという実証的な歴史研究の手法です。

ベルリン国立図書館所蔵のリース書簡および帝国大学での講義録や著作などを研究した東京大学大学院法学政治学研究科長の西川洋一教授は、当時のリースの授業について次のように説明します。

「ドイツの大学では歴史研究の方法を学生に学ばせるため、演習(ユープンク)という授業形式を重視していましたが、リースは日本でもそれを採用しました。たとえば1888(明治21)年の演習で取り扱われた島原の乱の研究では、日本側の史料だけでなく、オランダ商館やキリスト教会関係などヨーロッパ側の史料を集め、それらを比較検討しながら蜂起の経過から鎮圧の過程に至るまでを再構成し、成果は論文として発表されました。学生たちは単にリースの講義を聴講するだけでなく、日本語の古文書を英訳するなどして史料分析に積極的に関わることで、近代的歴史学の手法に習熟したのです」(図2)。

リースが島原の乱を扱った演習の成果は、当時学生だった磯田良氏によって論文にまとめられ、『史学雑誌』第1編13号に掲載されました。リース自身も1890年に『ドイツ東アジア協会紀要』に同テーマの論文を発表しました。磯田氏は帝国大学の講師になった後、ドイツ、オーストリアに留学。帰国後、東京高師教授をつとめました。

図2:リースが島原の乱を扱った演習の成果は、当時学生だった磯田良氏によって論文にまとめられ、『史学雑誌』第1編13号に掲載されました。リース自身も1890年に『ドイツ東アジア協会紀要』に同テーマの論文を発表しました。磯田氏は帝国大学の講師になった後、ドイツ、オーストリアに留学。帰国後、東京高師教授をつとめました。
東京大学総合図書館所蔵資料

正岡子規は随筆『墨汁一滴』で、自分が帝国大学を落第したのはリースの授業を落としたからで、その後もしばしば試験に苦しめられる悪夢を見ること告白していますが(6月16日の稿)、そのような学生は子規だけに留まらなかったようです。

「講義録を読むと、リースはドイツの大学で行われていたものと遜色のない、高いレベルの授業を行っていたことがよくわかります。リースを知る在日ドイツ人の書簡には、彼が学生に対して厳しすぎるので大学と揉めている、といった記述を見つけることができます」。

日本に早く根づいた近代歴史学

リースはまた、帝国大学に国史科が開設したことを機に同僚の重野安繹教授らに学会の設立と雑誌の刊行を勧め、その結果1889(明治22)年11月1日には、史学会発表会を兼ねた第1回学会が文科大学第10番教室で行われ、同年12月15日には『史学会雑誌』(後の『史学雑誌』)の第1号が発行されました(図3)。研究者のネットワークとしての史学会、および研究成果公表のためのフォーラムとしての『史学雑誌』を設けることによって、東京大学に日本の近代歴史学は誕生したのです。今から125年前のことでした。

1889 (明治22)年に創刊した『史学雑誌』は、日本で最も古い歴史学の学術雑誌です。論文はすべて厳しい査読を経て掲載されるため水準が高く、日本史、東洋史、西洋史に限らず、総合的に歴史を扱っています。

図3:1889 (明治22)年に創刊した『史学雑誌』は、日本で最も古い歴史学の学術雑誌です。論文はすべて厳しい査読を経て掲載されるため水準が高く、日本史、東洋史、西洋史に限らず、総合的に歴史を扱っています。
東京大学総合図書館所蔵資料

ところで、現在まで続く主要な歴史学雑誌としては最古のものであるドイツの『Historische Zeitschrift』の創刊は1859年、イギリスにおける歴史学雑誌『English Historical Review』の創刊は1886年、アメリカ歴史学会の『American Historical Review』の創刊は1895年であることを考えると、ヨーロッパで生まれた近代歴史学の基礎は、驚くほど早い時期に日本に根づいたことがわかります。『史学雑誌』は2014年現在で123編におよび、毎年1 回開催されている史学会大会も関東大震災や第二次世界大戦、東大紛争による中止をのぞき、現在まで続けられています。

新しい公益財団法人へ

史学会は、創立当初から「日本史、東洋史、西洋史の別を問わず、歴史研究者や歴史学に関心を寄せるすべての人々に開かれた学会」であることを旨として活動してきました。

1929(昭和4) 年に財団法人として認可されてからは、主務官庁である文部省(現・文部科学省)の監督下で運営してきましたが、2012 年4 月からは新公益法人法の改正にともない、主務官庁を離れて内閣府の統一的な法的規制に準拠する新しい公益財団法人として生まれ変わることになりました。 史学会にとってこれは、どのような変化なのでしょう?

「ひとことで言えば、公益目的事業としての学術研究という側面を考慮し、これまで以上に専門的歴史研究の成果を広く社会に還元する団体になるということです」と説明するのは、公益財団法人移行時に史学会の理事長をつとめていた人文社会系研究科の深沢克己教授です。

ところが、その移行にはいくつもの困難があって、当初は理事会や評議会の内部で「不可能ではないか」という反応が支配的だったと深沢教授はいいます。というのも、新しい公益財団法人として認可を受けるには、厳しい認定条件を満たす必要があったのです。

「最も大きな困難は、理事と評議員の兼任を禁止し、特定の親族や団体の構成員が理事会または評議員会の3分の1以上を占めてはならないとする条件でした。理事の大多数が東京大学教員から選出されていた史学会にとっては、組織のあり方を大きく変えなければなりませんでした」。

「開かれた学会」は史学会の理念

図4:箕作元八の写真。箕作元八(1862~1919)は1886(明治19)年にドイツに留学して専門を動物学から史学に転じた後、再びドイツ、そしてフランスに留学して帰国後は、リースと入れ替わる形で東京大学の西洋史教授をつとめました。著書『仏蘭西大革命史』全2巻は、日本最初の学問的革命史として評価されました。

図4:箕作元八の写真
箕作元八(1862~1919)は1886(明治19)年にドイツに留学して専門を動物学から史学に転じた後、再びドイツ、そしてフランスに留学して帰国後は、リースと入れ替わる形で東京大学の西洋史教授をつとめました。著書『仏蘭西大革命史』全2巻は、日本最初の学問的革命史として評価されました。
東京大学総合図書館所蔵資料

公益財団法人への移行を断念し、法的規制がやや緩和される一般財団法人として申請するという選択肢もありましたが、それは消極的な選択に過ぎませんでした。

「結果的に、評議員の人数を大幅に削減するとともに、理事会の構成に3分の1ルールを適用することを実現できたのは、この変革がむしろ、史学会の新しい発展と飛躍につながるのではないかと結論したからです。そもそも史学会は、大学内で完結するような閉鎖的な学会ではなく、門戸を外に開いた全国学会であることを目指してきました。1913(大正2)年に行われた第15回大会で箕作元八(みつくりげんぱち)教授が行った『史学会の過去及び現在』という講演でも、すでにその方針がはっきり語られていますし、世界大恐慌が始まった1929(昭和4) 年に財団法人として認可されたのも、全国学会としての自覚にもとづき、学術的な成果を広く発信するために行われたのです。その理念を再確認することで、組織変革を決断することができました」(図4)。

125年の蓄積から見えてくるもの

新しい公益財団法人となった史学会は、創立125周年をむかえる2014年9月から12月にかけて、4つの公開シンポジウムを開催します(図5)。

史学会の新理事の一人で、このシンポジウム開催に深く関わっている東京大学大学院人文社会系研究科の姫岡とし子教授はその内容をこう語ります。

「4つのシンポジウムは、大阪大学歴史教育研究会、東北史学会と福島大学史学会、九州史学会との連携によって生まれたもので、これが初めての試みです。史学会の会員には東京大学の卒業生はもちろん、他大学からも多くの史学科の卒業生がいます。そのような全国に広がったネットワークがあったからこそ、実現できた大規模な大会といえるでしょう。会場ごとに異なるテーマを掲げていますが、単なる発表の場で終わるのではなく、活発な議論が行われる対話の場となることでしょう」。

11月8日に東京大学本郷キャンパスで行われる3回目のシンポジウムのテーマは、「近代における戦争と災害・環境」。開戦からちょうど100年間がたった第一次世界大戦を災害としてとらえ、環境面への影響など現代的な視点から分析する新たな試みです。

姫岡先生は続けます。「125周年という分岐点は、これまでをふり返る一つの契機ですが、実証を通じて歴史を学術的に記述していくという史学会の基本精神は今後も変わらず続いていきます。E.H.カーは、『歴史とは現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話』だと述べていますが、史学会の125年間の学術的な成果とその蓄積は、私たちの生きる指針として存在し続けていくでしょう」。

史学会大会公開シンポジウム 「近代における戦争と災害・環境」 2014年11月8日(土)11時~17時 東京大学本郷キャンパス

史学会大会公開シンポジウム
「近代における戦争と災害・環境」
2014年11月8日(土)11時~17時 
東京大学本郷キャンパス

史学会125周年事業リレーシンポジウム

史学会125周年事業
リレーシンポジウム2014

取材・文:内藤孝宏 (ライター)

取材協力(アルファベット順)

深沢克己教授

姫岡とし子教授

西川洋一教授

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