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真核生物の転写過程ではポリメレースがジャンプしている!―領域横断チームで新たな転写モデルを提案―研究成果

真核生物の転写過程ではポリメレースがジャンプしている!
―領域横断チームで新たな転写モデルを提案―

平成24年8月20日

東京大学先端科学技術研究センター

1.発表者:  東京大学先端科学技術研究センター  特任教授 井原茂男

2.発表のポイント
◆どのような成果を出したのか
真核生物の転写過程の新たな数理モデル(注1)を構築した。モデルは今までは不可能だった分子生物学的な実験結果の説明を可能にした。
◆新規性(何が新しいのか)
DNA (クロマチン)の形状変化とポリメレースの三次元的な移動が起こるという真核生物特有の複雑な転写の仕組みを数理モデルに取り入れた。
◆社会的意義/将来の展望
数理モデル構築によって、コンピュータシミュレーションでより正確に遺伝子の働きを調べることができるようになるため、将来的には新薬および新しい治療方法の開発期間、臨床実験のコストを大幅に減らせることが期待される。

3.発表概要:
東京大学先端技術研究センター井原茂男特任教授・大田佳宏特任助教および東京大学大学院数理科学研究科の時弘哲治教授は、情報、数理科学、分子生物学の専門家による学際的なチームをつくり、真核生物における遺伝子の転写過程の数理モデルを構築することに成功しました。

遺伝子情報の転写過程は「ポリメレース蛋白質がDNA上を走行し、DNA配列情報を次々と読み取って蛋白質をつくるもとになるRNAを産生する」と長年考えられていましたが、真核生物では正しくないことが最近分かっています。真核生物の転写過程では、関連する分子が協調しあって複雑な振る舞いをするために、その数理モデルを構築することは生物分野で最も難しい問題のひとつでした。

本研究では、転写が始まって時間が経ち、ポリメレース蛋白質がDNA上で混みあうと、ループ構造を形成して空間的に近接し、遺伝子と遺伝子の間、あるいはエクソン(注2)とエクソンの間を三次元的にジャンプして移動する数理モデルを構築し、予測結果が実験と矛盾しないことも確認しました。つまり、真核生物の転写過程で時間が経つと、まるでポリメレースが渋滞を避け、空を飛んで近道をするかのように移動します。遺伝子、その中でも特に蛋白質生成に必要なエクソンを効率よく転写して、蛋白質生成に関係のないイントロンの部分では転写がスキップできることを意味しています。 これは、ヒトを含む真核生物の「転写ファクトリー」の形成過程の最新の実験結果を世界で初めて説明することができるモデルであり、今後の生物医学分野の基礎となる重要な成果です。真核生物の遺伝子発現に基づいた生物学、医学創薬研究に役立つだけでなく、数理モデルとして、相転移現象の解明や、物性物理学、情報科学、交通工学、社会学など幅広い分野へ広く応用が可能です。


4.発表内容: 
背景:
ゲノムプロジェクトによって、遺伝子情報であるDNAの配列についてはかなりの精度で分かってきました。遺伝子情報を取得するための計測技術は各段に進歩し、実験により多くのデータが得られています。しかし、遺伝子の転写過程を表す数学モデルが整備されていないため、定量的にデータを解釈して生物学的な意味付けをすることが困難でした。

私たちが生きるためには、細胞がDNAの情報を読み取って蛋白質を生成する活動が不可欠です。その工程は、細胞の中の蛋白質が担っています。特に、「ポリメレースといわれる蛋白質がDNA上を走行し、DNA配列の情報次々と読み取って蛋白質をつくるもとになるRNAを産生する」と長年考えられてきました。この過程はアメーバーのような単細胞生物では正しいのですが、複雑な機能をもったヒトを含む真核生物の転写過程では正しくないことが最近の十年間で分かってきました。

最新の研究では、真核生物の細胞の核の中では、ポリメレース蛋白質が集合していくつかかたまりを作り、そこにDNAが入り込んで転写がおきる、という実験結果が得られています。このかたまりはあたかもRNAをつくる工場のようにみえるため、「転写ファクトリー」と呼ばれています。真核生物の転写過程は複雑で、現実にみあう数理モデルを構築することは生物の分野で最も難しい問題のひとつでした。

結果:
今回、東京大学先端技術研究センターの井原茂男特任教授(バイオインフォーマティクス)、大田佳宏特任助教および東京大学大学院数理科学研究科の時弘哲治教授を中心に、物理、情報、数学、分子生物学の専門家が学際的なチームでこの難問にチャレンジし、数理モデルを構築しました。
  チームは以下のメンバー:
  ・東京大学先端技術研究センター(バイオインフォーマティクス)
      井原茂男特任教授、大田佳宏特任助教
  ・東京大学大学院数理科学研究科(可積分系の数理)
      時弘哲治教授、大学院生(当時)の西山了允氏
   東京大学大学院数理科学研究科(力学系)
      坪井俊教授
  ・東京大学先端技術研究センター(分子生物学)
      児玉龍彦教授、和田洋一郎准教授
   シンガポールゲノムセンター(分子生物学)
      Yijun Ruan(ルアン)教授

今回構築した数理モデルでは、図1のように、DNAをある間隔で分割し、ポリメレース(玉)は隣接する箱と箱の間をある規則で移動するとします。ポリメレースは同じメッシュ(箱)に2つは入れず、遺伝子の端から次の遺伝子まで距離に無関係に、一次元でみたときにある確率pの割合で長いジャンプができるとします。
このとき1-pの確率で、ポリメレースは普通にメッシュを次々と移動していきますが、DNAがループを作って遺伝子間の距離が近くなったとき、ポリメレースが三次元的なジャンプをします。

このモデルが正しいかどうかを確かめるため、現実の遺伝子に新たに提案した三次元ジャンプモデルを適用して計算してみました。その結果、ポリメレースが一次元モデルで予測した到達時間よりも早く到達するという最近の実験から得られた現象が、提案したモデルから説明できることが分かりました。

このモデルでは、転写がはじまるとループの形成が進み、それにつれて確率pが時間とともに増加するので、ポリメレースは時間とともに、遺伝子に長い時間存在するようになり、遺伝子の間で(あるいは、エクソンとエクソンの間で)ジャンプしていくことになります(図2)。 

イントロンの特別な位置にポリメレースが蓄積しているときは、その位置とエクソン間でもジャンプが起こることも分かりました。これは我々人間が、道が混んでいるときに渋滞や、遠回りを避けるために、別の交通手段を使ったり別のルートを選択したりすることと同じような振る舞いをしていることを意味しています。本モデルは、転写ファクトリーが長い時間経ったときどのように振る舞うか、かつその形成過程のメカニズムを説明できるモデルだと考えられます。

さらに、このモデルで、ポリメレースの数がメッシュの数に比べて変化するときに、ポリメレースの運動がどのように変化するかをシステマティックに計算し、様々な遺伝子の振る舞いを予測することができました。

今回の実験では、ポリメレース個々の分子の三次元ジャンプを直接観測することはできませんでしたが、ポリメレースが多く集まる箇所は、DNAループが形成されており、三次元ジャンプが起こり得る程度にDNAが近接していることを分子生物学的な実験によって示すことができました。

以上の結果、様々な状態の細胞の活動を今回提案した新しい転写過程モデルから、より正確にコンピュータシミュレーションの計算ができ、真核生物特有の転写ファクトリーの形成、機能が予測でできるようになりました。将来的には、新薬の開発や新しい治療方法の開発の期間を短縮し、臨床実験のコストの削減につながることが期待されます。

また、確率pの導入によって構造変化を記述できるという今回のモデルは、生物医学以外にも、相転移現象の解明や、物性物理学、情報科学、交通工学、社会学など様々な分野にも応用が可能です。一般に、ある要素が動くことによって、別の要素からなる構造が大きく変化し、かつもとの要素もより動きやすくなるようなことが、様々な現象にみられますが、その状態を記述するモデルを構築するうえで役立つことも期待されます。


5.発表雑誌: 
雑誌名:Physical Review E
既に印刷されている場合:巻数、(発行年)、掲載ページ数)
論文タイトル: Path-preference cellular-automaton model for traffic flow through transit points and its application to the transcription process in human cells

著者:Yoshihiro Ohta, Akinobu Nishiyama, Yoichiro Wada, Yijun Ruan,
Tatsuhiko Kodama, Takashi Tsuboi, Tetsuji Tokihiro, and Sigeo Ihara

6.問い合わせ先:
東京大学先端科学技術研究センター  特任教授 井原茂男
東京大学先端科学技術研究センター 広報・情報室 北別府由美

7.用語解説: 
(注1)数理モデル:数学によって記述されたモデルのこと。近年はコンピュータの性能の向上により、複雑な数理モデルでもそのふるまいをシミュレーションによってみることができる。
(注2) エクソン:真核生物の遺伝子のうち蛋白質の基になるアミノ酸の情報を含む部分で、転写過程の後に蛋白質に翻訳される。真核生物の遺伝子は大別してイントロンとエクソンからなる。イントロンは通常の遺伝子では大半の部分を占めるが、アミノ酸には翻訳されない。その役割はまだ十分明らかになっていない。

8.添付資料: 
より高精細な画像は以下からダウンロード可能です。
http://www.lsbm.org/ihara-lab/PR201208/

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