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自ら細胞の中に入り込む細胞用のミクロ温度計を開発 酵母細胞の細胞内温度の計測に世界で初めて成功研究成果

自ら細胞の中に入り込む細胞用のミクロ温度計を開発
酵母細胞の細胞内温度の計測に世界で初めて成功

平成25年10月11日

東京大学大学院薬学系研究科
キリン株式会社

1.発表者:
  内山 聖一(東京大学大学院薬学系研究科薬科学専攻 助教)
  キリン株式会社 R&D本部 基盤技術研究所

2.発表のポイント: 
◆細胞懸濁液中に混ぜるだけで細胞の中に導入される細胞内温度計測用の蛍光プローブ(注1)を開発し、それを用いて酵母細胞やほ乳類細胞の正確な細胞内の温度計測ができる方法を確立しました。

◆細胞壁を持つため、蛍光プローブの導入が最も難しい細胞の1つと言われている酵母細胞の細胞内に本蛍光プローブを導入し、その温度計測に世界で初めて成功しました。

◆細胞の機能と温度の関係性に注目が集まる中、汎用的・実用的な細胞内温度計測方法を開発できたことは、生物学、医学そして産業の発展を大きく促すと期待されます。

3.発表概要: 
温度は、細胞にとって最も重要な物理量であり、細胞が示す多様な機能と密接な関係があります。例えば、お酒の製造では、安定的に香味豊かな製品を作り出すために細かな温度調整を行い、微生物の働きを制御しています。細胞内の温度を正確に測ることができれば、より高度な発酵制御や病態細胞の新しい診断法の確立が可能になると考えられています。東京大学大学院薬学系研究科の内山聖一助教らは以前に世界で初めて蛍光プローブを用いて細胞内の温度分布計測を実現しました。しかし、その蛍光プローブは特別な装置・技術を要する点や微生物などの小さい細胞には利用しにくい点がありました。
今回、内山助教とキリン株式会社R&D本部基盤技術研究所のグループは、細胞内温度計測用の蛍光プローブを細胞への導入が簡単に行えるものへと改良し、世界で初めて酵母細胞内の温度計測を実現しました。研究グループは構造内にプラスの電荷を付与したユニットを蛍光プローブに組み込むことで、蛍光プローブを細胞懸濁中に混ぜるだけで出芽酵母細胞に導入できるようになりました。細胞内に導入された蛍光プローブは細胞の温度変化に応答し、最高で0.09℃の微小な温度差を捉えることができました。さらに本蛍光プローブはほ乳類細胞にも適用できることを確認し、高い汎用性を実証しました。
研究グループは開発した蛍光プローブを用いて、発酵における酵母の詳細な細胞温度変化を調査し、発酵過程の更なる理解を進める予定です。将来、これらの研究で得られた知見がお酒などの発酵品の生産に活かされることが期待されます。また、本技術により細胞の機能と温度との密接な関係が次々と明らかにされ、今後の生物学や医学の発展を促すことも期待されます。

4.発表内容: 
【研究背景】
細胞の複雑な機能は、古くより細胞温度と密接な関係にあると考えられています。例えば体温で表される生物個体の温度と同様、その構成単位である細胞の温度は、細胞生物学における最も基本的な物理量であり、細胞内で起こる様々な化学反応をはじめとする生命現象全般に影響を及ぼします。実際にお酒などの発酵品の製造工程において、安定的に香味豊かな製品を作り出すためには、細かな温度調整を行いながら微生物の働きを制御しており、細胞の温度制御の重要性は経験的に理解されています。また、医学分野においても、がん細胞などの病態細胞は、正常細胞と比較して高温であることが指摘されており、細胞の温度計測が注目されています。

内山助教らは、科学技術振興機構(JST)研究成果展開事業【先端計測分析技術・機器開発プログラム】の一環として細胞内温度計測用の蛍光プローブ開発を進めており、これまでにも2012年に細胞内の温度分布を高精度で測定可能な温度計測技術を開発しました(Nature Commun. 2012)。これは、温度変化によって構造が変わるひも状の高分子の内部に蛍光色素を結合させたものです。この蛍光プローブが発する蛍光の強さと蛍光寿命(注2)は温度に依存するため、プローブの蛍光強度および蛍光寿命の変化から細胞内の部位の温度が分かります。内山助教らは、実際にこの蛍光プローブを用いて、細胞内部の小器官から局所的に熱が発生していることを世界で初めて可視化し、実測しました。2013年5月にはフナコシ株式会社より世界に向けてこの蛍光プローブの販売が開始されています。しかし、この蛍光プローブは細胞内への導入に極細のガラス針を用いるマイクロインジェクション法(注3)を必要とし、特別な装置・技術を要する点や微生物などの小さい細胞には利用しにくい点などの課題を抱えていました。特に、パンやお酒の製造に用いられる出芽酵母は、硬い細胞壁に覆われ、マイクロインジェクション法による蛍光プローブの導入が最も難しい細胞の1つとされていました。

【研究内容】
今回、研究グループは酵母細胞に導入できるプローブの開発を目指して、カチオン(正電荷)性ユニットを組み込んだ新たなプローブを合成しました(図1)。本蛍光プローブは、温度変化を感知する感温性ユニット(NNPAMあるいはNIPAMユニット)、細胞への自発的な導入に必要なカチオン性ユニット(APTMAユニット)、蛍光シグナルを発する蛍光性ユニット(DBD-AAユニット)で構成されます。このカチオン性ユニットを組み込んだプローブは細胞懸濁液に混ぜるだけで酵母細胞内に10分以内に導入されました(図2)。特に合成したいくつかのプローブのうち、NN-AP2.5とNN/NI-AP2.5と名づけたプローブは、それらの蛍光寿命が細胞内の温度変化に対して敏感に応答し、最大で0.09℃ものわずかな温度差を検出できました(図3)。

さらに、このNN-AP2.5とNN/NI-AP2.5をほ乳類浮遊細胞であるMOLT-4細胞(ヒト急性リンパ芽球性白血病T細胞)と混合したところ、酵母細胞と同様に10分でプローブが導入され(図4)、細胞内温度の上昇に従って蛍光強度や蛍光寿命が変化することが確認できました(図5)。接着細胞であるHEK293T細胞(ヒト胎児腎由来)を使用した場合でもプローブの自発的な導入と、細胞内での温度応答が観測されました。以上より、本研究により開発された蛍光プローブは酵母細胞を始め、ほ乳類細胞にも利用できる極めて汎用性の高い温度計測のツールであり、細胞懸濁液に混ぜるだけで導入可能な簡便さも持ち合わせた実用性の高い技術であると言えます。

【社会的意義と今後の展開】
温度は細胞にとって最も重要な物理量であるにも関わらず、正確な温度計測法が確立されていなかったため、長らく忘れられていた細胞内パラメータの一つでした。ところが、本研究グループの先行研究を含め、微細な温度差を測定できる蛍光プローブの開発がこの数年間のうちにいくつも報告され、中には細胞内の温度測定を可能にする蛍光プローブも出現し始めました。このような状況から、今ではほとんどの生物学者や医学者が細胞内温度計測の重要性を認識するまでに至っています。細胞内の温度計測を可能にする蛍光プローブには、ほんの少しの温度差も感知できる「感度」と、どんなユーザーにも手軽に使える「使い易さ」の両面が求められます。本開発グループがこれまでに開発してきた蛍光プローブは類例のない「感度」を備えるものの、「使い易さ」の点で改良の余地を残していました。

今回、「感度」良く、「使い易さ」も備えた蛍光プローブを開発したことにより、温度と細胞機能の本質的な関係に迫る生物学的な研究、細胞温度の観点から細胞の病態化のメカニズムに迫る医学的な研究、細胞温度により細胞に対する機能性分子(薬など)の効果を評価し、スクリーニングを行う薬理学的な研究、そのいずれもが盛んになっていくと予想されます。本研究グループもこれらの研究の一端を担い、開発した蛍光プローブを用いて、発酵における酵母の詳細な細胞温度変化を調査し、発酵過程の更なる理解を進める予定です。将来、これらの研究で得られた知見がお酒などの発酵品の生産に活かされることが期待されます。
 
5.発表雑誌: 
雑誌名:「Analytical Chemistry」
論文タイトル:Cationic fluorescent polymeric thermometers with the ability to enter yeast and mammalian cells for practical intracellular temperature measurements
著者:Toshikazu Tsuji*, Satoshi Yoshida, Aruto Yoshida, and Seiichi Uchiyama*
DOI番号:10.1021/ac402128f
アブストラクトURL:http://pubs.acs.org/doi/abs/10.1021/ac402128f

6.問い合わせ先: 
<開発に関する問い合わせ先>
内山 聖一(ウチヤマ セイイチ)
東京大学 大学院薬学系研究科 助教

辻 俊一(ツジ トシカズ)
キリン株式会社 R&D本部 基盤技術研究所

7.用語解説: 
(注1) 蛍光プローブ
蛍光試薬の一種。蛍光色素を含む構造体で、観察者が観測したいものや事象を蛍光で可視化するもの。今回新たに開発した蛍光プローブは、温度によってその構造が変化し、それに伴い異なる蛍光強度や蛍光寿命を示すものである。これを導入した細胞を蛍光顕微鏡下で観察することで、生きている状態での細胞内温度変化を鋭敏にとらえることが可能となる。
(注2)蛍光寿命
蛍光物質に光を照射した後、発せられる蛍光が減衰するまでの時間。蛍光物質に特有の時間を持つため、濃度に依存せず定量できる。
(注3) マイクロインジェクション法
非常に小さなガラス針で細胞に孔を開けて、細胞内に遺伝子やタンパク質などを導入する方法。実施には専用装置が必要である。また一般的なマイクロインジェクション法では接着性のほ乳類細胞などに限られる場合が多く、特に細胞が小さく、硬い細胞壁に覆われている酵母細胞では利用が難しいと言われている。

8.添付資料

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図1 本研究で新たに合成した細胞内温度測定用蛍光プローブ
本蛍光プローブは、温度変化を感知するNNPAMあるいはNIPAMユニット(緑)、細胞への自発的な導入を促すカチオン性のAPTMAユニット(青)、蛍光シグナルを発するDBD-AAユニット(赤)で構成されます。平均分子量はNN-AP2.5が約10,100で、NN/NI-AP2.5が約10,400です。

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図2 出芽酵母細胞内へのプローブの導入
自発的に出芽酵母細胞内(微分干渉像:一番左図)へ取り込まれた蛍光プローブNN-AP2.5の蛍光像(左から2番目)です。青色で示された右から2番目の蛍光像は細胞壁を染色しています。この蛍光像より、細胞内へとプローブが導入され、細胞質全体に広がっていることがわかります。なお重ね合わせ像(一番右図)下の黒線は2μm(マイクロメートル)を表しています。

20131011_03

図3 酵母細胞内のプローブの応答
出芽酵母細胞内へ取り込まれた蛍光プローブNN-AP2.5の外部温度変化に対する蛍光寿命応答を示しています。15℃から35℃の間で0.09から0.78℃の温度分解能を示すことがわかりました。

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図4 哺乳類細胞内へのプローブの導入
自発的にMOLT-4細胞(微分干渉像:一番左図)内へ取り込まれた蛍光プローブNN/NI-AP2.5の蛍光像(左から2番目)です。青色で示された右から2番目の蛍光像は核の位置を示しています。この蛍光像より、蛍光プローブは核以外の細胞質内に導入されていることがわかります。なお重ね合わせ像(一番右図)中の白線は10μm(マイクロメートル)を表しています。

20131011_05

図5 哺乳類細胞内のプローブの応答
MOLT-4細胞内へ取り込まれた蛍光プローブNN/NI-AP2.5の外部温度変化に対する蛍光寿命応答を示しています。右の軸に示すように、ほ乳類細胞を培養する一般的な温度である37℃付近では0.2℃程度の温度分解能を示すことがわかります。

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