東京大学教職員・学生の手記「震災が可視化したライフラインの冗長性の差」

東日本大震災 - 東京大学教職員・学生の手記

平成23年3月11日に発生した東日本大震災発生時の様子やその後の行動、対応、感想等を本学関係者に手記として執筆してもらいました。

震災が可視化したライフラインの冗長性の差

先端科学技術研究センター 特任講師 熊谷 晋一郎

 震災のあったあの日、私は6階建てビルの5階にある研究室にいた。はじめはよくある小さな揺れだろうと高をくくっていたが、そろそろおさまるだろうと思う頃になっても不気味に安定して揺れ続ける。そればかりか、揺れは徐々に大きくなり、やがて未体験領域に入った。本棚は今にも倒れそうにがしゃがしゃと音を立てている。後ろの方で何かがすごいもの音を立てて飛んだ。次にどうすべきかという、張りつめた臨戦態勢と、これはだめかもしれないという、痺れのような感覚が、交互に押し寄せてきた。

 避難誘導のアナウンスが流れて、「そうか、逃げなくては」と我に返る。ちょうどその時、研究室の同僚が駆けつけてくれ、エレベーターが止まっているということを教えてくれた。私が乗っている電動車いすは重量が二〇〇kg近くあるので、とてもではないが人力では運べないし、それを運んでいたのでは逃げ遅れてしまいかねない。私たちは、電動車いすを置き去りにして、私の体だけを運ぶことにした(図1)。

図1 電動車いすを置き去りにして避難する様子

 私の日常にとって、電動車いすは単なる道具を超えた重要性を持っている。それは、体の一部といっても大げさではない。電動車いすから引きはがされるとき、私に、びりびりとした痛みが走った。電動車いすに乗っているときの自分についてのイメージと、そこから降りたときのそれとは、まるで違うものだ。移動を可能にする電動車いすの支えを喪失することは、身体図式を大きく変え、意欲や感情に多大な影響を与える。電動車いすを失って、私は、自分が、小さくて弱いもの、周囲からはぐれているものへとみるみる変わっていくのを感じた(図2)。

図2 身体の一部のような電動車いすの支えを失って弱々しくなった私

 もちろん、移動という行為の支えを失ったのは私だけではない。地震直後、都内の鉄道はほとんどすべて止まった。とはいえ、エレベーターが止まったなら階段を使う、いざとなればハシゴでも降りられる、という冗長な健常者の状況と比べて、私のライフラインの脆弱さを再認識した。この冗長性の差を図示したものが、図3である。

 健常者の場合

障害者の場合

図3 健常者と障害者の、依存先の多さの違い

 避難に限らずおよそあらゆる行為について、健常者の場合、依存先の数が相対的に多いおかげで、「あれがだめなら、これがある」という頑強さを享受している。しかし障害者の場合、依存先が限られているせいで、「あれがだめなら、もうおしまい」という脆弱な状況に置かれやすいと言えるだろう。ゆえに、限られた依存先への「依存度の深さ」は増してゆく(図3では、依存度の深さを矢印の太さで表している)。

 多くの人が「自立」と呼んでいる状況というのは、何ものにも依存していない状況ではなく、「依存先を増やすことで、一つ一つの依存度が極小となり、あたかも何ものにも依存していないかのような幻想をもてている状況」なのだろう。



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