東京大学教職員・学生の手記「備えあれど憂いあり」

東日本大震災 - 東京大学教職員・学生の手記

平成23年3月11日に発生した東日本大震災発生時の様子やその後の行動、対応、感想等を本学関係者に手記として執筆してもらいました。

備えあれど憂いあり

大阪教育大学理事・事務局長 若井祐次
(当時:本部総合企画部長)

 3.11大震災直後の状況については多くの方々が触れておられると思うので、当時の実務総括責任者(必ずしもその肩書き通りには働きがなかったことは事実)として、想定通り動けなかったことを中心に自戒を込めて今後のために記したい。


・本部棟ではそれまでの2年間直下型地震を念頭に置いた防災訓練を行っており、当初は余裕をもって行動できた。しかし余裕があったのは本部棟から脱出した直後までで、その後の余震で建物の窓ガラスが激しく震える様をみて、各人浮き足だったのがはっきりわかった。阪神淡路大震災の128倍のエネルギーという情報(当初)を受け、本音で言えば、直下型でなくて助かったと思った。被災当事者であったならばどれだけのことができたか疑問。

・山上会館の対策本部の設営はスムーズだったが、想定で用意した対策本部も結局長期戦になると本部棟からの距離がありすぎることが判明。最終的(3月11日午後5時)に第2本部棟の1階に設置しなおす。この対応は臨機応変でよかった。

・学生の安否確認が思ったより早かったのは、教養の駒場アラートの存在も大きい。そのうえで常時連絡が取れない学生が少なからずおり、部局によってはそのことに無頓着である現状が浮き彫りになったのはある意味収穫。

・大槌の教職員が全員無事だったのは、直前に行われた防災訓練のたまもの。たかが訓練、されど訓練。

・被災状況の確認、支援対策、放射線対策、いずれも対策室の設営や物品購入等が絡むため財務担当理事が采配ふるう体制で臨めたことは大変よかった。

・放射線量の数値については、頻度高く情報提供できたことが、一定の安心・信頼につながったと思う。

・本郷の敷地が広域避難所とされているため、常に一時避難民の受け入れや、帰宅難民の受け入れがあり得る現実に、なかなか有効な手だてができない構造的な問題(余裕敷地の不足、実験薬品等に伴う危険建物が多い、非常トイレ設置用マンホールの不足等)が浮き彫りとなった。

・卒業式、入学式の開催には苦慮。結果として規模縮小してでも行えたのは総長の英断。被災地だけでなく、大学に学ぶ多くの学生への目配りの大切さとともに、大学が動じない姿を世の中に見せてゆくことも、復興へ向けた精神的支援になることを学んだ。

・生協・コンビニや自販機の設備・食料が震災時有効であることを知った。

・後日談ではあるが、大震災時役立ったホワイトボード記入方式が、防災訓練ではあまり機能しないことが判明。時間の切迫度の関係かと思われるが、防災訓練のやり方に一考が必要。



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