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東日本大震災 <東京大学の対応について>

ひょうたん島通信 第4回

 岩手県大槌町の大気海洋研究所附属国際沿岸海洋研究センターのすぐ目の前に、蓬莱(ほうらい)島という小さな島があります。井上ひさしの人形劇「ひょっこりひょうたん島」のモデルともされるこの島は、「ひょうたん島」の愛称で大槌町の人々に親しまれてきました。ひょうたん島から毎月、沿岸センターと大槌町の復興の様子をお届けします。

「ひょうたん島通信 第4回」は、東京大学学内広報NO.1424 (2012.4.23)に掲載されたものです。

震災から1年

福田 秀樹(大気海洋研究所附属国際沿岸海洋研究センター助教)

 2011年3月11日の大津波の襲来以来、およそ1年の月日が流れました。筆者は2007年3月に同町赤浜の国際沿岸海洋研究センターに赴任して以来、同町新港町にあった賃貸住宅に入居していましたが、12 mを越える大津波により新港地区のほぼすべての住宅が流され、筆者の住んでいた住宅も床板を残すだけとなりました。3点の写真は筆者が震災まで住んでいた住居の前の風景を、震災をはさんだほぼ1年おきに撮ったものです。

 
2010年3月11日、震災の1年前の自宅前のようす。
正面の建物はお隣さん。筆者が住んでいた建物も同タイプであった。

写真【1】
写真【1】2011年3月24日の時点での自宅跡。
写真中央付近の板が自宅1階床。

写真【2】
写真【2】2012年3月23日の時点での自宅跡地。
基礎を残し、木材や砂が撤去され、新たな電柱が立っている。

 震災前には住宅が立ち並び、近所の子どもたちが笑い声を上げながら駆け回る、どこにでもありそうな風景が見られる一方で、数百メートル先に並ぶ防潮堤を越えれば、リアス式海岸特有の入り組んだ海岸線と青い海が織りなす美しい三陸の風景が広がる穏やかな場所でした。穏やかな風景だけでなく、町内の人々の間にも温かい空気があり、町外からやってきた筆者たちも心地よく過ごすことができました。鉄道が好きな子どもと線路わきで鉄道が通るのを待っていると、寒かろうと声をかけてくださっただけでなく、見ず知らずの筆者たちを自宅に上げてくれ、線路がよく見える部屋に招き入れてくださるようなこともありました。大津波が来たあの日も、状況がわからずとまどっていた筆者の妻にご近所さんが避難するよう声をかけてくださり、家族は無事に高台へと避難することができました(写真【1】写真【2】の中央部奥の山上に見える墓地に避難しました)。

 あれから1年がたちましたが、震災直後には泥と瓦礫が一面に広がっていた新港町も行政と町に来られた多くのボランティアの皆様の活動のおかげで、見違えるように片付きました。その他にも町を訪れるたびに道路、街灯、商業施設などが確実に復旧しているのを感じますが、港のそばにうず高く積まれた瓦礫の山と、基礎だけが残った住宅街を見ていると、復興への道のりがまだまだ長く続くのだと改めて感じさせられます。

 この大槌町の新たな町づくりですが、2012年3月16日付で大槌町役場のHPに土地利用計画の案が掲載されました。この案によると筆者が住んでいた新港町地区はすべて移転促進区域となり、今後は住宅地ではなく産業用地として活用される計画となっています。また掲載されている写真を撮影した際の立ち位置にあたる場所のすぐ背後には、高さ14.5 mの防潮堤が新たに建設されるとのことであり、この一帯の風景は以前とは大きく変わることになると思います。子どもたちが遊んでいたあの風景が失われることに寂しさを感じますが、亡くなられたご近所さんのことを思うと、新しい町はより安全なものになって欲しいと願わずにはいられません。

 大槌の海辺に立つと目の前には震災前と変わらぬ美しく穏やかな青い海を見ることができます。しかしながら破壊されたセンターのビルの屋上に立ち、大津波の時のことを思うと、筆者はときにこの穏やかさが何かしらの嘘のように感じられることがあります。今回の震災によりいろいろなものが失われましたが、大槌町にあった温かいつながりはいつまでも失われないでいてほしいと思います。

 

 

【かわべコラム】

素顔のままで Just The Way You Are
  ―被災地の温度差 思い続けるということ―

(かわべコラム)国際沿岸海洋研究センター専門職員・川辺幸一です。2月から大槌町勤務に戻りました。 釜石市から提供を受けた仮設住宅に住み、そこから大槌町中央公民館内にある復興準備室に通勤しています。

 

 被災地の仮設住宅と自宅を往復する生活を続けています。埼玉県の自宅に戻り新聞を読んだりテレビのニュースを見たりしていると、以前にも増して震災関連のニュースが少なくなっているように感じます。

 

 被災地では当たり前ながら、いまも新聞の一面に震災関連の記事が掲載され、お昼や夕方のテレビではトップニュースとして震災後の悲惨な出来事や復興の様子が流れます。

  沿岸センターの室内補修を依頼している地元業者の社長さんとお話した時のこと。その社長さんはいまでもひとりきりになると自然と涙がこぼれてくると寂しげに語っていました。

  震災から1年が過ぎました。いまだに大槌町の街中にはガレキの山があり、仮設住まいで不自由な生活を続けている人が数多くいます。復興までの道のりが長期に渡ることは想像に難くなく、今まで以上の被災地支援が必要になってくると思います。ボランティアや募金などが大事だということは変わりませんが、常に被災地のことを "思う"気持ちが重要になるのではないでしょうか。

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「ひょうたん島通信」第4回
制作: 大気海洋研究所広報室
掲載: 東京大学学内広報 NO.1424 (2012.4.23)

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