ザシキワラシの日常

ザシキワラシの日常

救援・復興支援室の遠野分室から、被災地の復興の様子や分室の活動を報告していきます。「ザシキワラシの日常」は2013年8月より東京大学学内広報にて2013年8月に連載をスタートし、2018年3月に終了いたしました。ご愛読ありがとうございました。

救援・復興支援室 遠野分室
 

第44話(最終話)

 東日本大震災発生からまる7年が経過し、当分室もこの3月で閉室となります。本学が震災の年の5月に岩手県遠野市へ拠点を置いてから6年10カ月余り。以前も本コラムに記しましたが、これだけの期間直接的な支援を続けてきているところは地元の組織以外ではごく少なく、改めて本学の底力を感じています。
 もっとも個人的には、被災地の沿岸部出身ではないながらも、少しでも出身地である岩手県の復興の力になりたいという思いからこちらへ来たものの、復興に貢献できたという実感は最後まで持つことができませんでした。基本的な業務が、復興支援活動を行う本学構成員の“サポート”であることから仕方ないという見方もできますが、まれに直接的に復興の力になれそうな案件があっても、組織として動く上での制約や自身の力不足もあり思うようにはならず、無力感を感じ続けた遠野での4年9カ月でした。
 そのような私でも、曲がりなりにも最後まで業務を遂行できたのは、遠野市をはじめとする関係自治体・組織の皆様の御厚情と、本学の救援・復興支援室関係者の皆様のサポートのおかげでして、それぞれの皆様には衷心より御礼申し上げます。
 救援・復興支援室は来年度から「東日本大震災復興支援室」として、支援の全学体制を維持しつつ、被災地域に拠点を置いた後方支援から、学術成果を被災地の復興に還元する自主的な活動を全学で支援・促進する体制へと移行します。新体制に対しても引き続き皆様の御支援・御協力をお願いいたします。
 そして、現時点でも復興が道半ばであることは間違いありませんが、この1年で復興が進んだことを実感できる状態となった岩手県の沿岸被災地にも是非足をお運びください。
 今までお読みいただき「オアリガトガンス!」。
 

(左)解体工事が進む遠野東大センター(2018.3.8現在)。 (右)大気海洋研究所附属国際沿岸海洋研究センター新棟(大槌町)。
(左)解体工事が進む遠野東大センター(2018.3.8現在)。
(右)大気海洋研究所附属国際沿岸海洋研究センター新棟(大槌町)。

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第43話

 岩手県内の本学関係施設は、東日本大震災直後に設置された当分室以外に、1973年に設置された大気海洋研究所附属国際沿岸海洋研究センター(設置当時の名称は海洋研究所附属大槌臨海研究センター。以下「沿岸センター」と記します。)があることは御存知の方も多いと思います。当分室設置に際しては、当時沿岸センター職員だった方に御尽力いただいたこともあり、その後も両者は、職員の交代がありつつも密接な関係を続けています。
 両者は定期的に情報交換の機会を設け、当分室から沿岸センターへは本学復興支援活動等の情報を、沿岸センターから当分室へは大槌町及び沿岸センターの復興状況等の情報を、それぞれ提供し合っています。岩手県沿岸部での用務に合わせ、当分室から沿岸センターへ行って実施することが多いのですが、去る12月8日は沿岸センターから職員2名にお越しいただいて実施しました。きちんと議題を決めて、という形にすると堅苦しくなりフランクに話ができないこともあると考え、いつも事前に議題は決めないようにしているのですが、今回は本年度中に竣工予定の沿岸センター新棟建設の進捗状況や、本年度末の当分室閉室を受けての当分室から沿岸センターへの物品や車両の譲渡等が話題となり、充実した情報交換となりました。
 当分室は閉室へ向けてこれから更に慌ただしくなることが予想され、この情報交換もあと1、2回できるかどうかといったところですが、この定例の会だけでなく最後まで緊密に連絡を取り合って、沿岸センターの新棟完成と当分室閉室それぞれが滞りなく完了するよう努めたいと思っています。
 今回もお読みいただき「オアリガトガンス!」。
 

(左)情報交換会の様子(遠野分室内にて)。 (右)左から沿岸センター佐藤係長、私、同センター菊地専門職員。
(左)情報交換会の様子(遠野分室内にて)。
(右)左から沿岸センター佐藤係長、私、同センター菊地専門職員。

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第42話

 本学が岩手県陸前高田市にて震災の年の12月から学生の派遣を行っている、中学・高校生を対象とした学習支援活動。その活動の様子についてはこのコラムでも幾度か紹介しましたが、この学習支援活動「学びの部屋」は、同市教育委員会と一般社団法人子どものエンパワメントいわて(愛称:E-patch(イーパッチ))が共同で主催しており、特に後者が企画・運営に大きく関わっています。
 先月、E-patchでここ3年ほど本学の窓口となり、学生の受入や、年に2、3回ある本学総長や理事の視察の御対応をいただいていた、総務企画課長の木村様が同法人を御退職されるとの連絡があり、「学びの部屋」の今後についての情報収集も兼ねて、盛岡市にある同法人の事務所へ挨拶に行ってきました。
 木村様は本学学生が行う学習支援活動のうち、長期休業中の平日夜3日間のミーティングへ毎回お越しになっていました。同法人の名称の一部となっている「エンパワメント(empowerment)」には、「本来持っている能力を引き出し、社会的な権限を与えること」という意味があるそうで、本学の学生を含む「学びの部屋」に関わる大人たちには、震災で将来の夢を見ることが難しくなった子どもたちに、単なる押し付けではなく、子どもたち自身が自分の力に気づき、信頼し、発揮しながら自己や社会を変革していけるようなサポートを行うことが求められます。木村様が毎回この点について力説してくださったのは、本学学生と生徒達がよい関係を築く上でとても大きかったような気がします。お礼とともに、木村様の今後の御活躍をお祈りいたします。
 今回もお読みいただき「オアリガトガンス!」。
 

(左)E-patch事務所(3階建一軒家1階部分の1部屋)。 (右)10月末で退職された木村総務企画課長。
(左)E-patch事務所(3階建一軒家1階部分の1部屋)。
(右)10月末で退職された木村総務企画課長。

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第41話

 No.1484(昨年7月発行)の本コラムにおいて、東日本大震災時に全壊した遠野市役所(中央館)を、JR遠野駅近くのショッピングセンターそばに再建する工事が行われていることを紹介しましたが、本年7月末に建設工事が完了し、同9月4日から市役所本庁舎として業務が開始されました。業務開始に先立ち、同8月19日及び20日に市民向け内覧会が開催され、私も足を運んできました。
 設計コンセプトは、1.中心市街地活性化の核となる庁舎、2.市民の利便性の向上を目指した庁舎、3.市民に親しまれ、開かれた庁舎、4.環境にやさしく防災機能を備えた庁舎、の4つで、外観は正面玄関を囲うように設置された、瓦屋根&伝統木組の建築物が目を引きます。1階は市役所に用事が無くても利用できる市民の交流スペースとして多目的市民ホールが配置され、2階は震災の影響等により市内数箇所に分散していた部署が集約されており、ショッピングセンター(一部の部署が震災後の早い時期に同所へ移転している)と渡り廊下で接続されています。3階は市議会議場や多目的大会議室などが配置され、後者には市の防災センターと連動した災害映像表示システムが整備されているそうです。また、利用者の安全に配慮したものとして敷地内の歩道の雪を溶かすロードヒーティングや、環境に配慮したものとして屋上に太陽光パネル、地下には市内の森林資源を活用する木質バイオマスボイラーが導入されています。
 遠野産材を建材にもエネルギーにもふんだんに利用し、災害映像表示システムの整備等遠野らしさが存分に盛り込まれた新庁舎。この場所に再建した一番の目的と思われる「中心市街地活性化の核」として、いやがうえにも期待の高まる施設でした。
 今回もお読みいただき「オアリガトガンス!」。
 

(左)新庁舎(左側正面入口を囲むように瓦屋根&伝統木組の建築)。 (右)1階多目的市民ホール(遠野産材をふんだんに使用)。
(左)新庁舎(左側正面入口を囲むように瓦屋根&伝統木組の建築)。
(右)1階多目的市民ホール(遠野産材をふんだんに使用)。

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第40話

 岩手県では現在、東日本大震災の災害公営住宅の建設が進んでおり、平成29年5月31日現在(岩手県発表)で、建設予定戸数5,964戸に対して工事完成が4,711戸と、79%の進捗率になっています。
 ここ遠野市にも、本学の提案により建設された「コミュニティケア型」仮設住宅(以前このコラムでも紹介した、同市で唯一の仮設住宅。戸数は当初40戸ありましたが、現在約半数に縮小)の隣接地と他の場所1箇所の計2箇所に災害公営住宅が建設される予定です。建設戸数は当初、前者8戸、後者6 戸となっていましたが、仮設住宅の隣接地については中心市街地により近く、仮設住宅の世帯の半数以上が入居を希望している上、みなし仮設で暮らす避難者の入居希望も多いことから、市は同地へ追加で8 戸の建設を決め、本年5月下旬に発表しました。
 遠野市は仮設住宅を建設する際、「十分な土地がある内陸部に仮設住宅を建てて集落丸ごと移転してもらい、沿岸被災地の住宅等の整備が完了次第同じように集落丸ごと戻ってもらうのが、住民にとっても復興を進める上でも望ましい」という考えから、岩手県へ積極的に土地の提供を提案していました。結果的に仮設住宅は主に沿岸被災地へ建設することとなり、同市内には1箇所、40戸分しか認められませんでしたが、今回の災害公営住宅の戸数増の判断を見ても、同市がこれまでいかに沿岸被災地や被災者のことを考えてきているかが窺い知れます。
 遠野市の災害公営住宅の完成は来年度(一部は本年度)の予定です。時間はかかりましたが、人も環境も素晴らしい遠野の地で、被災された方々はようやく本当に安心して暮らせるのではないでしょうか。
 今回もお読みいただき「オアリガトガンス!」。
 

(左)遠野市内災害公営住宅建設予定地1(奥に木造の仮設住宅)。 (右)遠野市内災害公営住宅建設予定地2(1とは別の場所)。
(左)遠野市内災害公営住宅建設予定地1(奥に木造の仮設住宅)。
(右)遠野市内災害公営住宅建設予定地2(1とは別の場所)。

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第39話

 本学教職員の方ですと、既にポータルサイトで御覧になった方がいらっしゃるかもしれませんが、震災発生の年(2011(平成23)年)の5月13日に岩手県遠野市の市役所西館内に設置され、現在私ともう1名の職員で業務を行っております「救援・復興支援室遠野分室」は、来年(2018(平成30)年)3月末をもって閉室することとなりました。遠野分室が行ってまいりました、岩手県等の三陸沿岸被災地で本学構成員が復興支援活動を行う際の拠点となる「遠野東大センター」(プレハブ施設)の提供は本年12月28日、「救援・復興支援室大槌連絡所」(大槌町中央公民館内の一室)の提供は来年2月28日をもって終了する予定です。また、車両の貸出しについても、本年12月28日をもって終了する予定です。
 しかし、三陸沿岸被災地の復興は、本コラムでも時折状況をお伝えしておりますとおり南部を中心にまだまだ道半ばと言わざるを得ない状況にあり(比較的復興が進んでいる北部でも、昨年8月末の台風被害により改めて復旧・復興に取り組んでいる所もあります)、現地での支援は終了するものの、本学は今後も「東日本大震災復興支援室」(平成30年4月に「救援・復興支援室」から名称変更予定)傘下のプロジェクトへの支援や、学習支援ボランティア活動の継続実施等の形で、東日本大震災の復興支援活動に取り組む予定です。
これまで岩手県内の復興状況、本学を中心とした復興支援活動について紹介してきたこのコラムもあと5回。残りわずかではありますが、「被災地の今」を最後までしっかりお伝えしていきたいと思います。
 今回もお読みいただき「オアリガトガンス!」
 

(左)遠野東大センター内(2階大部屋の一部分)。 (右)大槌連絡所内(大槌町中央公民館内一室を借用)。
(左)遠野東大センター内(2階大部屋の一部分)。
(右)大槌連絡所内(大槌町中央公民館内一室を借用)。

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第38話

 東日本大震災発生から今月で6年が経過しました。私が遠野に来てからも4年近く経ちます。地域差もあることから一概には言えないものの、私個人の感想として昨年3月からのこの1年は、ハード面の復興のペースがこれまでより一段上がった感じがしています。
 左の写真は陸前高田市中心部で、盛り土に使用する土砂を効率的に運搬するために設置していたベルトコンベアーが昨年撤去されました。また、市街地は造成途上で建物の建設もまだこれからですが、高さ12.5m、全長約2kmの岩手県内最大規模の防潮堤がほぼ完成しています。右の写真は昨年のこの時期にも紹介した大槌町の中心部で、昨年は盛り土がされただけのような状態でしたが、現在は区画整理がなされ建物が建ち始めているのがよく分かると思います。
 しかし、未だいずれの自治体も2000人以上、岩手県全体では13000人を超え方々が仮設住宅(みなし仮設含む)での生活を余儀なくされており(本年2月末現在)、被災自治体の街の活力を生み出す中心市街地も復興の長期化に伴い、そこに戻ることを希望している人が予想よりかなり少なくなる見込み(大槌町で半分程度)と言われています。さらに昨年8月には、以前このコラムでも紹介した東日本大震災の被災地を追い打ちするような北海道、東北の豪雨被害もあり、まだまだ復興の目処が立ったとは言えない状況です。
 遠野分室の便宜供与を受けている本学救援・復興支援室登録プロジェクトや、陸前高田市での本学学生による学習支援ボランティアは来年度も活動を継続する予定です。他の本学構成員による活動も含め、本学の東日本大震災復興支援の取り組みはまだまだ続きます。
 今回もお読みいただき「オアリガトガンス!」
 

(左)陸前高田市内(盛り土の奥に横へ白く延びているのが防潮堤)。 (右)大槌町内(区画が整備され、建物も建ち始めた)。
(左)陸前高田市内(盛り土の奥に横へ白く延びているのが防潮堤)。
(右)大槌町内(区画が整備され、建物も建ち始めた)。

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第37話

 岩手県釜石市において、震災前は「希望学」に関する調査を行い、震災後は本学の同市復興支援活動の中心として、人材育成のための講演や講習会等を行ってきた社会科学研究所。同研究所では、昨年度中に新たな全所的プロジェクト研究として「危機対応の社会科学的研究」を立ち上げることが決まっていたところ、釜石市から「復興の過程で被災地が直面してきた様々な問題点を整理し、これに対する対策を学際的に検討する『総合的な調査研究』を実施して欲しい」旨の要請がありました。これを受けて同研究所では、危機対応調査などの研究拠点として「危機対応研究センター」開設の検討・準備を進め、昨年11月14日に釜石市との間でセンター開設に関する覚書を締結しました。そして、同日夜には「危機対応学」シンポジウムが開催され、私はこちらを視察してきました。
 玄田同研究所教授(危機対応研究センター長)から、「希望学」との関係を含めた「危機対応学」についての説明等があった後、釜石市内で漁業復興や農業振興、地域コミュニティーづくりなどに取り組む団体や行政の関係者6名から、「『日頃』の『活動』を象徴するもの」、「活動の中の『危機』や『ピンチ』」、「これからの『希望』を表現するもの」の写真各1枚ずつを示しながらの活動紹介と、それに対しての意見交換が行われました。「地域ぐるみの『何とかしよう』という力が危機対応に役立つ」、「危機対応の上でも『縁』が大切」等の活発な意見交換がなされ、私を含む約90名の参加者の多くの方が、釜石の将来と危機対応学の成果に大きな期待を持ったのではないかと思っています。
 今回もお読みいただき「オアリガトガンス!」
 

(左)進行役の玄田危機対応研究センター長。 (右)活動発表の一コマ(昨年8月末の豪雨被害関係)。
(左)進行役の玄田危機対応研究センター長。
(右)活動発表の一コマ(昨年8月末の豪雨被害関係)。

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第36話

 今年8月末に観測史上初めて東北地方太平洋側から上陸した台風10号により、岩手県では東日本大震災の被災地でもある宮古市、久慈市、岩泉町を中心に大きな被害が出ましたが、10月23日にその中でも被害が甚大であった岩泉町へ災害ボランティア活動に行ってきました。
 岩泉町は東京23区に横浜市を加えた広さに匹敵する本州で一番面積の広い町で、大部分が山間部であり、町内を流れる3本の河川に沿って集落が形成されています。今回の活動場所は、町の中心部から車で5分ほどのところにある、国道455号線とその横を流れる小本(おもと)川に挟まれた土地に建つ個人宅で、活動内容は床下及び倉庫の泥出しでした。災害発生から2カ月近く経っていましたが、床板を剥がして通気が良くなっている場所でも表面以外はまだ柔らかくて重く、流入した土砂の多さ(その厚さにより湿気が抜けない)を身をもって感じました。
 県内の東日本大震災の被災地は岩泉町同様海岸付近まで山間部が続き、仮設住宅も数少ない平地のある河川沿いに多く設置されており、今回の台風では上記3市町以外の被災地でも仮設住宅の浸水被害が発生して、「大雨の際の仮設住宅の防災」という課題が浮き彫りになっています。しかし平地が少ないという物理的な制約はいかんともし難く、主に防災体制の見直し等により人的被害を極力少なくするというソフト面からの対策を講ずるものと思われますが、今回のボランティア活動で自然の脅威への人間の無力さを改めて感じ、とにかくこれ以上震災被災者の方へ追い討ちをかけるような災害が発生しないことを願うばかりです。
 今回もお読みいただき「オアリガトガンス!」
 

(左)国道455号線沿いに何本も折れ曲がる鉄柱。 (右)フェンスが倒れ土砂で埋まっている野球場。

(左)国道455号線沿いに何本も折れ曲がる鉄柱。
(右)フェンスが倒れ土砂で埋まっている野球場。

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第35話

  東日本大震災に関する被災地域の救援・復興に資する取り組みを行っている“救援・復興支援室登録プロジェクト”のうち、貸出車両の使用等で現在も遠野分室と直接関わりがあるものは5つほどとなっています。そのうちの1つで、陸前高田市で活動する「高齢者向け復興住宅建設支援研究事業」プロジェクトの、9月3日及び4日の活動に同行してきました。
  被災高齢者が仮設住宅を出た後の住まいとして、現状では災害公営住宅か自力再建しか選択肢はありませんが、前者は高層建築が多く高齢者には住み慣れないものであり、後者は年金生活の高齢者にはハードルが高いものとなっています。本プロジェクトは大学院工学系研究科建築学専攻建築計画系研究室のメンバーにより構成され、地元の社会福祉法人からの協力依頼を受けて、低層建築、福祉サービス付きで、かつ託児所や地域交流施設なども併設し地域コミュニティの中核施設となりえる住宅の設計・建設支援を行っています。
  今回は完成後の敷地内の植生デザインを考えるに際し、建設予定地内の植生調査を行いました。植生を見ながら住宅完成後も残す予定の植物に印を付け、写真撮影及びGPSで位置・高度の情報を測定・記録していくのですが、2ha強の広大な土地に草木が生い茂り、傾斜地でもあることから調査はかなりハードなものでした。復興支援への地元からの強い期待を受け、専門外のことも含めて対応しなければならない苦労を強く感じました。
  住宅は来年度中の完成予定だそうでして、本プロジェクトのこのような地道な活動が、被災高齢者の生活の充実や地域コミュニティの発展に是非ともつながって欲しいものです。
  今回もお読みいただき「オアリガトガンス!」
 

(左)高齢者向け復興住宅建設予定場所(傾斜地)。 (右)完成後残す予定の植物に印を付ける。

(左)高齢者向け復興住宅建設予定場所(傾斜地)。
(右)完成後残す予定の植物に印を付ける。

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第34話

 私が普段仕事をしている遠野分室は遠野市役所「西館」の3階にあり、遠野市の御厚意によりフロアの一部を間借りさせていただいています。西館の対面には東館もあり、更に両館の間には「中央館」という市役所のメインとなる建物があったのですが、中央館は東日本大震災時の震度5強の揺れで3階建ての1階部分の柱が座屈し、倒壊の危険性が大きいことから、震災の発生した年のうちに取り壊されました。
 市の主要な行政機能は、JR釜石線遠野駅近くにありバス等も含めた公共交通機関の便がよい商業施設の2階に移り現在に至っていますが、他にも震災の影響等により市内10数箇所に部署や施設が分散していることから、商業施設の2階を活かしつつその向かいの土地に新たな庁舎を建設して集約化を図ることとなり、本年4月下旬から工事が始まりました。
 現在多くの地方都市で問題となっている中心市街地の空洞化が遠野市でも課題となっており、この庁舎建設は中心市街地活性化の取組の一つにもなっていて、第2期遠野市中心市街地活性化基本計画(計画期間:平成28~32年度)によると、震災仮設住宅の公営住宅化やまちづくり会社設立などとともに、「人々が行き交う中心市街地」をつくるための事業として位置付けられています。
 震災で主要行政拠点を失ってもただでは起きず、単に庁舎を再建するだけでなく中心市街地の活性化にも活かそうとするようなたくましさ、発想があってこそ、震災時にあのような素晴らしい後方支援活動ができたのでしょう。
 今回もお読みいただき「オアリガトガンス!」。
 

(左)建設工事現場(新庁舎は奥の商業施設と渡り廊下でつながる)。 (右)建設工事現場に貼られた新庁舎イメージ図。

(左)建設工事現場(新庁舎は奥の商業施設と渡り廊下でつながる)。
(右)建設工事現場に貼られた新庁舎イメージ図。

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第33話

  4月14日及び16日に最大震度7の揺れを観測した平成28年熊本地震において、犠牲になられた方々の御冥福をお祈り申し上げるとともに、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。ここ遠野市は、熊本県菊池市(今回の地震の震央からの距離が30km前後)と友好都市になっていることから、菊池市に対し4月16日に他の友好都市を通じて、4月17日に岩手県や企業と連携し遠野市内から、それぞれ支援物資を発送したそうで(その後4月18日及び20日にも友好都市、連携企業を通じて発送)、東日本大震災で効果を発揮した支援対応の速さは今回も健在でした。東京大学の対応としては、九州大学が中心となって設置した「熊本大学支援連絡会」と、その下に設けられた支援窓口となる「熊本大学支援WG」からの依頼を受け保存水と保存食を発送したほか、4月21日に大学構成員(学生、教職員)へ向けて担当理事からボランティア活動を行う際の留意点などについて示した通知を出していますが、5月6日現在で被災各市町村はまだ災害ボランティアの受入体制が十分に整っておらず、熊本市など一部を除いては対象者を熊本県内や九州地区内在住等の方に限っているようです(災害ボランティアの受入状況の詳細については、熊本県社会福祉協議会のウェブサイトhttp://www.fukushi-kumamoto.or.jp/ 等を御参照ください)。
 地震発生後2週間での震度1以上の余震発生回数が1,000回以上、多くの避難者が車に避難している等、これまでの震災とは異なる状況もあるものの、東日本大震災等で得られた教訓ができる限り多く活かされ、一日も早く復旧・復興が進むことを願うばかりです。
 今回もお読みいただき「オアリガトガンス!」!」
 

(左)菊池市の被害の様子(遠野市防災危機管理課提供)。 (右)南阿蘇村の被害の様子(遠野市防災危機管理課提供)。

(左)菊池市の被害の様子(遠野市防災危機管理課提供)。
(右)南阿蘇村の被害の様子(遠野市防災危機管理課提供)。

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第32話

  東日本大震災発生から今月11日で節目の5年を迎えました。岩手県では一時期より少なくなったとはいえ、現在も地元の新聞において毎日何かしらの震災復興関連記事が取り上げられています。また、東北地方のNHKでは毎週木曜日のお昼の時間帯に、被災地の現状について毎回場所を変えて地元の方から話を聞く「被災地からの声」という番組が、震災発生後間もない時期から現在まで継続して放送されています。しかし、東北地方以外では毎年の3.11前後を除いて、メディアで取り上げられることも少なくなっているように聞いています。
  「取り上げられなくなったということは、復興はかなり進んでいるのだろう」、「5年も経てばもう支援は必要ないだろう」とお考えの方も少なからずいらっしゃると思われます。実際のところどうなのか!?今回は本学大気海洋研究所の附属施設がある大槌町について、一昨年の本コラムに掲載した町の中心部を高台から見た震災3年後の写真と、同じ場所から撮影した現在の写真を比較のために掲載します。右側の現在の写真については、実際には写っている範囲の周りに建物がちらほら出来始めてはいるものの、大半の場所が5年経った今でも写真のとおり、嵩上げの土を盛り多少整地がなされた程度という状態です…。
 可能であれば現地に来て何らかの支援(観光も含め)を、難しければ震災を教訓に在住・在勤地域の防災に取り組む活動をするということでもよいと思います。この節目を機に、是非復興支援、防災活動等を行動に移すことも検討されてみてはいかがでしょうか。
 今回もお読みいただき「オアリガトガンス!」
 

(左)大槌町中心部震災3年後(嵩上げ開始した頃)。 (右)大槌町中心部現在(未だ建物はごく少ない)。

(左)大槌町中心部震災3年後(嵩上げ開始した頃)。
(右)大槌町中心部現在(未だ建物はごく少ない)。

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第31話

 本学が岩手県釜石市で行っている「東京大学釜石カレッジ」。事業の範囲は幅広く、以前本欄にて紹介した市民向け公開講座や地域の学校に対する学習等への指導・助言以外に専門的研修への協力なども行っています。釜石市からは、日頃アンケート調査などを行う機会の多い市職員や高校教員向けに「統計学講座」の実施について要望があり、同カレッジ開設初年度(平成24年度)から毎年1回同講座を開催してきましたが、毎回20名以上の参加があり好評なことから本年度は2回開催することとなりました。今回私は本年度2回目となる2月2日の講座を視察してきました。
 講師は昨年度と本年度第1回目に続き3回目となる石田賢示社会科学研究所助教で、参加者は今回も20名ほどでした。前回は統計調査の調査仕様書を固めるために必要な、標本設計、調査内容、調査方法等についての内容だったそうですが、今回は得られたデータの質を高めることと、データを分析することに関する内容でした。細かい内容については私には理解が難しい部分がありましたが、分かったこととしては、調査に際しては正確性や費用抑制の観点から「設計」が大切であるということでした。
 参加者も理解に多少苦労しているようにも見受けられましたが、やはり仕事上の必要性もあってか意識が高く、今後の独学を見据えて石田助教から参考図書を教えてもらったりしていました。今後講義の内容を活かして市政に有用な調査の実施や分析を行い、釜石市の発展に貢献されることでしょう。
 今回もお読みいただき「オアリガトガンス!」
 

(左)講義を行う石田賢示社会科学研究所助教。 (右)質疑応答の様子(独学参考図書についての質問中)。

(左)講義を行う石田賢示社会科学研究所助教。
(右)質疑応答の様子(独学参考図書についての質問中)。

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第30話

 岩手県では、東日本大震災の復興支援道路として自動車専用道路の整備が進んでいます。主に津波の被災地である沿岸部で、今後津波が発生しても避難や物資の輸送に支障を来さないよう高台(山沿い)に整備されていますが、内陸部から沿岸部へ向かう道路でも災害時の緊急車両や支援物資輸送車両等の速達性の観点から復興支援道路として整備されているものがあります。その1つが“東北横断自動車道釜石秋田線”の釜石~花巻間(80km)で、震災前から供用されていた分も含めて昨年11月までに54km程が完成・供用されており、残りは遠野市内と釜石市内の一部という状況で、全線開通は平成30年度の予定です。
 この道路で花巻から釜石方面に向かう際、これまでは遠野市西部にある宮守ICというところが終点となっていましたが、この終点が昨年12月5日、釜石方面へ9km程先の遠野市中心市街地にほど近い遠野ICまで延伸しました。内陸部と沿岸部のいずれにも距離的に近い遠野市の中心近くまで高速インフラが整備されることは、震災時に同市が後方支援活動で成果を上げたことからも分かるように広域連携の促進に大きく寄与するものであり、全線開通ではないにもかかわらず開通(延伸)式典に安倍首相が参列されたということからも、今回の延伸の重要性が伺えます。
 救援・復興支援室では当室に登録して復興支援活動を行う本学教職員等に対して車両の貸し出しを行っていますが、車両を使う教職員等の多くがこの開通の恩恵を受けることになります。そのことによって少しでも被災地の復興が加速することを願ってやみません。
 今回もお読みいただき「オアリガトガンス!」
 

(左)今回開通区間(赤部分。国土地理院サイト出典・加工)。 (右)供用開始となった遠野IC付近。

(左)今回開通区間(赤部分。国土地理院サイト出典・加工)。
(右)供用開始となった遠野IC付近。

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第29話

 以前本欄で紹介した岩手県大槌町の高台にある「大槌町中央公民館」内には、本学の同町復興支援の取組の一つとして総合研究博物館が中心となって計画・設置された「大槌文化ハウス」があります。総合研究博物館は同施設設置以降、町民、役場職員向けのレクチャやワークショップ等のプログラムである「東大教室@大槌」を、2カ月に1回程度のペースで継続的に開催しており、11月27日に同博物館の寺田鮎美特任助教を講師に、「収集の教室-ミュージアム・コレクションへのまなざし」という題目で開催された同プログラムの講義を初めて聴講してきました。
 講義の前半は「ミュージアム」の定義に始まり、コレクションと他の何らかの品物の堆積との違いやミュージアムが形成されるタイプの紹介がありました。後半にはミュージアムが何でも収集することは発展につながるのか、きちんと整理し切れない状況で収集を続けることのジレンマ、震災以降ミュージアム関係者の大きな関心事となっているエネルギー資源の有効活用と持続可能な社会のあり方、新たな文化的創造の場としてのミュージアムの可能性などの問題提起があり、講義は締めくくられました。その後は質疑応答・意見発表の時間となり、参加者は町の歴史等を残していくことの重要性を踏まえ、町の復興と絡めて設置場所や展示の仕方、見たいコレクションがある場所の情報提供方法などについて次々に発言をしていました。発言者と講師の間のやりとりだけでなく、他の参加者同士でも至る所で熱い意見交換が行われていて、町の文化の復興への思い入れの深さを強く感じた次第です。
 今回もお読みいただき「オアリガトガンス!」


(左)講師の寺田特任助教。 (右)質疑応答・意見発表の様子。

(左)講師の寺田特任助教。
(右)質疑応答・意見発表の様子。

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第28話

 10月22日、釜石市にある岩手県立釜石高等学校にて開催された、スーパーサイエンスハイスクール(SSH)「課題研究中間発表会」を初めて視察しました。SSHは未来を担う科学技術系人材を育てることをねらいとして、理数系教育に関する教育課程等の研究開発を行う高校を文部科学省が指定するもので、釜石高校は平成24年度から岩手県で3校目の指定校となっています(指定期間は5年間)。本学は「東京大学釜石カレッジ」において、以前本欄でも紹介したことのある釜石市民向けの連続公開講座等以外に、生産技術研究所次世代育成オフィスが中心となり同高校SSH事業への協力(中間発表会、最終発表会での助言等)を指定初年度から継続して行っており、今回も本学教員、大学院学生合せて7名が研究への助言のため同高校を訪れました(他大学・機関からも教職員が助言者として来訪)。
 第1部は物理、数学、生物、化学各分野の班の生徒からのプレゼンテーションが行われ、第2部はプレゼンテーションを行った各班の研究内容をまとめたポスターを見ながら各大学・機関の教職員・学生が助言を行いました。スペースの都合で研究の詳細に触れられないのが残念ですが、高校の段階でかなり踏み込んだ研究を行うことに非常に驚かされました。本学教員・大学院学生を含む助言者からは、スライドの構成、写真の活用、フォント・ポイントの統一等のスライド作成の技術的な部分や、自分たちの研究についての知識がない人にも分かるよう作成するといった意識の問題について等のアドバイスがあり、高校生はメモをとりながら熱心に耳を傾けていました。最終発表会の視察が今から楽しみです!
 今回もお読みいただき「オアリガトガンス!」
 

(左)発表会の一コマ(地元特産の柿を使った研究)。 (右)本学教員、大学院学生による助言の様子。

(左)発表会の一コマ(地元特産の柿を使った研究)。
(右)本学教員、大学院学生による助言の様子。

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第27話

 「よ~ぐおでんすたなす!」(ようこそお越しくださいました!)。去る8月26日~27日、五神総長が総長就任後初めて岩手県を訪問されました。岩手県の本学復興支援関係施設や活動を視察するのが目的で、初日は夕方近くに遠野へ到着され、以前この欄でも紹介した「遠野市後方支援資料館」や、遠野市役所内にある遠野分室、仮設プレハブ施設の遠野東大センターを視察されました。その後休む間もなく陸前高田市へお向かいになり、同日夜に実施されていた本学学生の学習支援ボランティア活動を視察され、案内してくださった同市教育長とともに、本学学生や参加していた現地生徒を激励しておられました。
 翌日はまず、前日のうちに陸前高田から戻って宿泊された遠野市にて、遠野市長を表敬訪問されました。今後も当面の間、遠野を拠点として復興支援活動を行いたい旨市長へ要請し快諾を得た後、市の幹部職員の方々とも顔合わせをし、これまでの本学への支援のお礼と、引き続き変わらぬ支援をお願いしておられました。続いて大槌町へ移動し、同町に所在し東日本大震災で被災した本学大気海洋研究所国際沿岸海洋研究センターの視察と、町の市街地を一望できる高台の展望所から復興状況をご覧になられた後帰京されました。
 総長は陸前高田や大槌といった被災地の被害の大きさと復興が思った以上に時間を要するものであることに非常に驚いておられ、ご自身の目で現地の状況を確認できたことをとても有意義に感じていらっしゃったように見えました。私も随行して、まだこちらでやるべきことは多いと意を新たにした次第です。
 今回もお読みいただき「オアリガトガンス!」
 

(左)学習支援ボランティア活動視察の様子。 (右)遠野市幹部職員の方々との顔合わせ(遠野市提供)。

(左)学習支援ボランティア活動視察の様子。

(右)遠野市幹部職員の方々との顔合わせ(遠野市提供)。

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第26話

 以前この欄において、遠野市が市内の廃校を活用し被災地も含めた地域活性化事業を行う「遠野みらい創りカレッジ」の紹介をした際、同所を利用して「東大イノベーション・サマープログラム」(TISP)が実施されていることについて触れたのですが、今年も8月8日~12日に同プログラムの「東北プログラム」が同所で行われました。TISPは本学の「知の構造化センター」が、本学の学生を中心にイノベーションを生み出す力を養うための教育を行っている「i.school」という教育プログラムで2013年から8月上旬に2週間程度実施しているもので、募集・選考を経て選抜された本学学生、海外有力大学の学生各20~30名が、前半の1週間程度は東京においてイノベーションを起こしたり社会問題を解決したりする技術等を学び、後半は東北において地元の高校生と共に「地域イノベーション」を目指してアイディアを考えるという構成になっています。
 今回遠野では、本学学生及び海外の大学生が地元の高校生と共に班を作り、「東京プログラム」で学んだことや東北の日程前半で行った民泊(遠野の一般家庭への宿泊)経験を基に高校生への効果的なアイディア創出方法を考え、それをレクチャーしつつ高校生のアイディア創出をサポートし、最終日には各班でアイディアをまとめた上、遠野市長等へプレゼンテーションを行いました。「遠野物語」の継承と観光客増加を併せて実現するものや、米の収穫後大量に残る「稲わら」を有効活用するもの等非常にユニークな内容のものも出され、プログラムの優秀さ、参加大学生のレベルの高さ、そして高校生の可能性の大きさに驚かされたひと夏でした。
 今回もお読みいただき「オアリガトガンス!」
 

(左)高校生へのアイディア創出方法レクチャーの様子。 (右)最終日のプレゼンテーション(概要の「寸劇」中)。

(左)高校生へのアイディア創出方法レクチャーの様子。
(右)最終日のプレゼンテーション(概要の「寸劇」中)。

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第25話

 東日本大震災発生以降、産業界、官公庁、大学、NPO等様々な担い手が被災地の復興支援活動を行っていますが、官公庁でそれらを先導する復興庁では、「新しい東北」の創造に向けてそれらの取組の情報の共有・交換を進め、被災地内外の関係者による様々な連携の推進につなげていくことを目的に「「新しい東北」官民連携推進協議会」(http://www.newtohoku.org/)を立ち上げ、平成26年1月から本格的な活動を行っています。
 7月26日、同協議会の活動の一つである「交流会」が遠野市で初めて開催され、私も出席してきました。 「コミュニティの形成」をテーマに、阪神・淡路大震災や新潟県中越地震の被災地において支援や研究を行ってきた方々等からお話しがあり、他に先進事例や被災地の現状を知るためのブースやパネル展示もありました。いろいろな話を聞いた中でも、新潟県中越地震の被災地で支援活動をしておられる方の次のお話しが印象的でした。「避難所の時点から元々のコミュニティをできるだけ崩さないよう配慮しつつ、住民が自らの暮らしの楽しみを自覚し口にすることが地域づくりを進める原動力となった」。「高度経済成長時代とは異なる、多様な担い手が農村の資源を分かち合い暮らす新しい村のカタチを考えていった結果、世帯数や人口も大きく減少し将来増加の見込みも薄いものの、疲弊しておらず「すこぶる元気」で、次世代への交代が進む地域も出現している」。同じように一次産業に従事する方も多い東日本大震災の被災地にも参考になることが多いと感じました。
 今回もお読みいただき「オアリガトガンス!」。
 

(左)交流会(セッション)の様子。 (右)前回紹介した本学関係施設・活動の紹介パネルも!。

(左)交流会(セッション)の様子。
(右)前回紹介した本学関係施設・活動の紹介パネルも!。

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第24話

 救援・復興支援室に登録し、現在まで息の長い活動・研究を行っているプロジェクトの一つに「仮設まちづくり支援/研究プロジェクト」があります。去る6月8日、岩手県大槌町にあり同プロジェクトの構成組織の一つ「高齢社会総合研究機構」が施設運営に携わっている多世代交流会館「コミュニティ・サポートセンター」を視察しました。この施設は、元気な高齢者が尊厳を持ち自立した日常生活を営めるよう様々なコンテンツの提供や支援を行う「次世代型コミュニティ・サポートセンター」のシステム開発及び実装実験と、それを通じた災害公営住宅や復興市街地へ導入する運営システムのモデル開発を目的としています。
 主な事業として、(1) 高齢者向けサービスやサークル活動、コミュニティビジネス、一般町民によるケアサポート、子育て支援等のプロモーションを行う「コミュニティ活動サポート事業」、(2) 町内各地域における自発的なコミュニティ活動の立ち上げを支援する「コミュニティ活動立ち上げ支援事業」、(3) 専門家や事業者による意見交換・情報発信を行う「次世代コミュニティ・サポートセンター開発フォーラム」があり、
これまでにコミュニティ活動を支援した団体による活動成果の報告会、認知症に関する講座や筋力・咀嚼力等のチェックを行う「保健室」活動等を実施したそうです。
 震災を契機に少子高齢化が加速している被災地において、そして将来の日本社会全体にとっても、元気な高齢者の活動をどのように支援していくかというのは重要なテーマだと思います。同プロジェクト、同機構の取り組みに、町民のみならず我々も注目です!
 今回もお読みいただき「オアリガトガンス!」。
 

(左)センター外観(入口付近から)。 (右)センター内部(カーペット敷き。左奥は和室)。

(左)センター外観(入口付近から)。
(右)センター内部(カーペット敷き。左奥は和室)。

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第23話

 去る5月28日、大学本部からの出張者の視察に同行して岩手県大槌町の中央公民館内にある「大槌文化ハウス」へ行き、町の担当の方からお話しを伺ってきました。この施設は、本学総合研究博物館が民間企業3社の協力を得て同町中央公民館の一室を改装し2013年9月にオープンさせたもので、管理運営は同町が行っています。室内は壁沿いに博物館からの寄贈図書(堅い内容のものだけでなく、漫画などもあり)がずらりと並ぶほか、プロジェクター、スクリーンやスピーカーなども整備されています。
 設置の目的は、「ハード主体になりがちな復興事業の中で、町の文化の再生創成を行う拠点を設け、大槌町と東京大学の連携により文化復興の諸活動を実践する。」(「大槌文化ハウス」事業目的より)ことで、具体的には大槌町民へレクチャーやワークショップを行う「東大教室@大槌」を2か月に1回の割合で開催しており(講師は総合研究博物館教員)、スカイプを使用してシンガポールと繋いで行った講座もあるそうです。
 町の担当の方によると、本教室の対象は高校生以上となっていて、町としては将来を担う高校生にも是非参加してもらおうと高校に本教室のチラシなどを持っていっているそうですが、勉強や部活に忙しい高校生の参加はなく(参加者は60代が多いとのこと)、対象を中学生まで下げる案も出ているそうです。
 本教室では今年度から、同町に附属施設(国際沿岸海洋研究センター)がある本学大気海洋研究所の教員を講師に招くレクチャー等も隔回で実施するとのことで、より自分の町に身近な本学の教員がレクチャー等を行うことにより、若い世代の参加者が少しでも出てくることを期待したいところです。
 今回もお読みいただき「オアリガトガンス!」
 

(左)大槌文化ハウス入口側(壁がガラス張り)。 (右)大槌文化ハウス内部(ぶら下がる照明が特徴的!)。

(左)大槌文化ハウス入口側(壁がガラス張り)。
(右)大槌文化ハウス内部(ぶら下がる照明が特徴的!)。

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第22話

  遠野分室のある岩手県遠野市は、同県沿岸南部には1時間前後、同県沿岸中央部の宮古市にも2時間以内で到着できるという地理的特性と、これまで同県沿岸部で繰り返されてきた大津波の度に支援を行ってきた歴史、そして現市長の沿岸部災害時後方支援に対する東日本大震災前からの強い思い入れもあり、今回の震災における被災地の後方支援活動を国や県からの指示を待たずに行い、それが全国的に評価されていることは、本コラムでも折に触れて紹介しているので御存知の方も多いかと思います。
 遠野市では今回の震災の後方支援活動について、手書きの模造紙約80枚や関連写真約15,000枚等膨大な量の記録資料を保存していますが、全国からの視察が昨年までの3年間に約240件、人数にして約2,400人以上もあり、その後も視察が続いていることや、同市が本年3月に開催された「国連防災会議」の被災地公式視察のコースの一部になったこと等を踏まえ、これらの資料を公開し、活動から得た教訓を広く発信するため、本年3月14日、消防署等がある総合防災関係施設の「遠野市総合防災センター」の敷地の一角に「3.11東日本大震災 遠野市後方支援資料館」を整備・開館しました。
 建物は約45坪ほどの平屋建てで、 午前9時から午後5時まで年中無休で開館しており、事前申込不要で自由に見学することができます。遠野市内に復興支援拠点を設けて活動した主な団体については団体ごとのコーナーも設けられ、本学についても活動の写真等が展示されています。被災地での復興支援活動や観光の前後にお時間があれば是非一度同所を訪れ、遠野市や本学等が震災発生以降実際にどういう活動を行ってきたかを知っていただきたいと思います。
 今回もお読みいただき「オアリガトガンス!」
 

(左)後方支援資料館全景(国道283号線側から)。 (右)本学関係ブース(写真、新聞記事等が展示)。

(左)後方支援資料館全景(国道283号線側から)。
(右)本学関係ブース(写真、新聞記事等が展示)。

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第21話

 以前本コラムにおいて、昨年度から「学習支援ボランティア」経験者により設立された学生団体UTVCが、同ボランティアへの学生派遣等の運営を大学と共同で行っていることを紹介しました。より学生の目線に立った形で運営が行われているものの、「未経験者がいきなり学習支援ボランティアに参加するのはハードルが高い」、「被災地の復興は進んでいて、もう支援の必要はない」、と思っている学生も少なからずいるようで、運営サイドではボランティア活動とは別の形で、「震災を風化させず、学生が震災を考えるきっかけとする」企画を検討してきました。その結果、遠野市及び陸前高田市をフィールドとした「スタディツアー」を実施することとなり、遠野東大センターを拠点に本年2月27日から3月2日の3泊4日で、UTVCの学生3名を含む12名の学生の参加を得て実施されました。
 私は初日の遠野市総務部防災危機管理課からの被災地後方支援に関する説明と、3日目の日中の活動(漁業体験、葡萄園兼飲料工場及び自動車学校兼農園見学)に同行しました。被災地の現状を目の当たりにし、現地の方の生の声を聞いたことは、UTVCのブログに掲載されている感想を見ても、参加学生が被災地について考え、行動するためのモチベーションになったのではないかと思います。また、実際に毎日拠点に戻ってからの「振り返り」の意見交換は、白熱のあまり時間を忘れて明け方近くまで行われた日もあったようです。
 現時点において次の開催は未定のようですが、被災地でのボランティア活動などに関心がありつつも一歩を踏み出せない学生の方には、次の機会には是非参加してみることをオススメします!
 今回もお読みいただき「オアリガトガンス!」
 

(左)遠野市総務部長(当時)による、後方支援活動の説明。 (右)漁業体験出発前に、港の被災状況の説明を受ける。

(左)遠野市総務部長(当時)による、後方支援活動の説明。
(右)漁業体験出発前に、港の被災状況の説明を受ける。

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第20話

 今年も3月11日を迎えました。改めて犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。昨年のこの時期の本コラムには大槌町の写真を掲載しましたが、今年は隣接する釜石市において被害が大きかった地域の一つである鵜住居(うのすまい)地区と、陸前高田市の写真を掲載します。いずれもまだ嵩上げのための盛り土を行っている段階で、4年経ってもまだ本格復興には至らない状況であることがお分かりいただけるかと思います。
 そのような状況の中、本学は大気海洋研究所の施設がある大槌町をはじめ、「釜石カレッジ」で連携している釜石市、学習支援ボランティアを行っている陸前高田市等、岩手県内の被災地への支援活動を地道に続けてきています。地元の大学以外で、常設拠点(遠野分室等)を置いて現在まで支援活動を継続している大学は極めて少なく、本学が関わることによる影響の大きさもあってか、支援活動を行っている自治体等へ行くと、お世辞抜きに心から感謝されていると感じることが多々あります。復興支援活動は単発ではなく、継続することに意味があるとよく言われますが、本学はただ継続するだけでなく、各々の支援活動を高いレベルで行いつつ、こちらも重要な要素である被災地の人材育成を行っていることも、心から感謝される理由のような気がします。
 私も本学の構成員であることを誇らしく思うとともに、自分自身の業務である復興支援活動のサポート業務についても、時間の経過と共に変わるニーズを的確に把握しつつ、支援活動の円滑な遂行に尽力したいと気持ちを新たにした次第です。
 今回もお読みいただき「オアリガトガンス!」
 

(左)釜石市鵜住居地区の現況(盛り土にシートを被せている)。 (右)陸前高田市の現況(奥に土砂搬出用ベルトコンベア)。

(左)釜石市鵜住居地区の現況(盛り土にシートを被せている)。
(右)陸前高田市の現況(奥に土砂搬出用ベルトコンベア)。

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第19話

 1月28日、「東京大学釜石カレッジ」の本年度第3回公開講座を聴講してきました。本学と釜石市は震災以前から社会科学研究所の所内プロジェクト「希望学」に関する調査で交流があり、その縁で平成24年10月に震災後のまちづくり推進や産業等の復興に資する人材育成の場として「東京大学釜石カレッジ」を開設する覚書を締結し、以降現在まで復興・再生をテーマとした連続講座や、地域の学校に対する学習等への指導・助言などを同市と連携して行っているのです。
 スタートが18時と、仕事をしている方が業務後に来るには若干早めの時間設定ではあったものの、最終的には32名の参加があり、市民の方々の関心の高さが伺えました。『建築がまちにできること』というテーマで、川添善行准教授が講演を行い、日本および世界各地での活動の事例を紹介しながら、地域ごとに異なる建築形式や材料を見失わないことが重要であることをお話になりました。また、参加者との質疑応答では、震災復興において、建物のデザインの善し悪しよりも人々が安心して住めることが大切であるが、街並みと人々の生業を一体として守っていく「文化的景観」を目指すことが、できる限りよいものを後世に残す後押しになると話していらっしゃいました。「東京大学釜石カレッジ」覚書の有効期間は本年3月までですが、司会の末廣昭教授から、更新の上今後も継続したい旨の発言があり、時間のかかる復興人材育成に取り組む本カレッジの本気度がひしひしと感じられました。
 今回もお読みいただき「オアリガトガンス!」。
 

(左)司会の末廣社会科学研究所教授による挨拶。 (右)川添生産技術研究所准教授による講演の様子。

(左)司会の末廣社会科学研究所教授による挨拶。
(右)川添生産技術研究所准教授による講演の様子。

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第18話

 本学が東日本大震災の被災地で協力を行っている学習支援ボランティアの学生募集・派遣等について、同ボランティアの経験者によって設立された学生団体UTVC(東京大学復興ボランティア会議)が、本年度より本学ボランティア支援班と協力して運営を行うようになりました。
 昨年12月12日、岩手県陸前高田市「学びの部屋」を主催している同市教育委員会及び一般社団法人と、UTVCを含む本学との「意見交換会」を、同市内において行いました。
 先方からは、「学びの部屋」開始の経緯にはじまり、仮設住宅の前にある校舎に「学びの部屋」の明かりが点いているだけで仮設住宅に住む生徒に安心感を与えていることなどの説明があり、本学に対する要望として、本学学生の長期休業時期に平日の夜3日連続で同じ学生が学習支援活動を行う「スリーデイズ・プログラム」を、途中で学生が変わってもよいので例えば5日連続などにできないかとの提案がありました。
 本学からは、ボランティア支援班は「スリーデイズ・プログラム」関連で来年度の学事暦変更に関する説明を、UTVCは教科指定の学習支援を、本学活動日に行うことの提案等を行いました。
 先方から直接本学に対する考え方などを確認したことで、本学の学習支援ボランティアの学生募集・派遣等も、地元の生徒と本学参加学生の両方のニーズを踏まえたよりよいものになっていくことでしょう。
 今回もお読みいただき「オアリガトガンス!」。
 

(左)意見交換会の様子(左側一般社団法人)。※UTVC提供 (右)意見交換会の様子(右側教育委員会)。※UTVC提供

(左)意見交換会の様子(左側一般社団法人)。※UTVC提供
(右)意見交換会の様子(右側教育委員会)。※UTVC提供

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第17話

 本年2月発行分学内広報の本欄において、当分室で管理を行っているプレハブ施設「遠野東大センター」について、水道管凍結防止工事を行ったことを記しました。経費面も考慮し、通常であれば凍結しない最低限の工事を行ったのですが、実は昨年度の冬はそれでも、給排水管が壁寄りにあって管が冷えやすいバスルームや洗濯乾燥機において、水が出なくなったり、排水管の曲がった部分の水が凍結して排水できない結果水があふれ出し、センターが水浸しになるといったことがありました。遠野の冬恐るべし……
 その辺りを踏まえ、本格的な冬に入る前の11月下旬に、改めて大がかりな水道管凍結防止工事を行いました。遠野東大センターは2階建てなのですが、昨年は1階、2階それぞれの床から上の部分のみの工事を行ったところ、今回は1階倉庫内の天井から壁伝いに露出している部分は勿論のこと、1階床下部分までを含めて給排水管沿いにヒーターを取り付けた上で、保温材をしっかり巻いてもらいました。床から上の部分には新たに吸気弁も付けてもらい、説明は省きますが、「水抜き」も楽に行えるようになりました。
 今年度こそは凍結0で過ごせます(はず…)ので、救援・復興支援室登録プロジェクト構成員の皆様の更なるご利用をお願い申し上げますとともに、冬季に学習支援ボランティア(遠野東大センターを拠点に現地へ向かいます)へ参加する学生の皆さんも、活動期間中のセンターの給排水に関しては安心してお越しいただければと思います。
 今回もお読みいただき「オアリガトガンス!」。
 

(左)アルミ付き保温材が巻かれた、工事後の給排水管。 (右)工事前の状況(昨年度の洗濯乾燥機水漏れ時)。

(左)アルミ付き保温材が巻かれた、工事後の給排水管。
(右)工事前の状況(昨年度の洗濯乾燥機水漏れ時)。

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第16話

 岩手県大槌町の市街地が一望できる高台にある大槌町中央公民館。ここは東日本大震災時に避難所にもなった場所ですが、本学は同町からこの公民館内に一室をお借りし、同町の海沿いにある大気海洋研究所国際沿岸海洋研究センターの災害時の連絡等拠点(同目的としての名称は「大気海洋研究所国際沿岸海洋研究センター復興準備室」)として、また、救援・復興支援室に登録し復興支援活動を行うプロジェクト等がミーティングや事務作業を行う場所(こちらの場合の名称は「救援・復興支援室大槌連絡所」)として利用しています。本年3月までは同じ建物内の別の部屋をお借りしていたものの、同町からの要請により4月から現在の部屋へ移動することとなり、各種整備を行って現在に至っています。広さは以前の半分ほど(16m2強)になりましたが、震災から3年半以上が過ぎ大規模な復興支援活動が少なくなっている現在では、こぢんまりとしてちょうどよい広さともいえます。設備としては事務机&椅子3台(うち事務机1台は、プリンター等を置く台として使用)、ミーティングテーブル、長椅子、ノートPC、プリンター、電話兼FAX付きコピー機、電気ポットが各1台あります(他に、町からお借りしている折りたたみ椅子が数脚あり)。また、パソコンは無線LANが使用可能です。利用に際しては救援・復興支援室への申請が必要です。以下のURLを参照または遠野分室までお問合せください。http://www.u-tokyo.ac.jp/public/recovery/int_info.html
  今回もお読みいただき「オアリガトガンス!」。
 

(左)窓側にミーティングテーブル、壁側に事務作業机。 (右)無線LAN使用可能。コピー機、プリンターもあり。

(左)窓側にミーティングテーブル、壁側に事務作業机。
(右)無線LAN使用可能。コピー機、プリンターもあり。

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第15話

  先号の本欄において濱田総長が活動の様子を視察されたことを紹介した、岩手県陸前高田市で本学が協力する学習支援活動は、通常隔週日曜日の日中に行っているのですが、2013年より2月と9月は、平日夜3日間連続で実施される特別企画に協力しています。
この企画は、大学の長期休暇に合わせて、生徒が参加しやすい平日夜に学生が継続して寄り添うことにより、生徒にとって安心できる環境と夢に向かってやる気を出しやすい環境をつくっていくことを目的としたものです。
今年は9月16日~18日と9月23日~25日に実施され、本学と同様に同市での学習支援活動を行っている早稲田大学と、会場を分担して受け持ちました。活動に先立ってのオリエンテーション・ミーティングは早大生と合同で受け、生徒の教え方等について情報交換をした上で活動を行いました。早大生との交流は、主催団体の担当者によるゲームを取り入れた自己紹介等により、実にうまく進んでいたように感じました。
実際の活動については、学生側は活動が1日で終わらないことから前日の反省を基により効果的なアドバイスを行うことができ、生徒側も3日間同じ学生が来ることから顔馴染みになり話がしやすくなるということで、通常の活動にも増して生徒や主催者から好評をいただきました(見ていただけの私まで感謝されてしまうのは、非常に面映ゆいのですが…)。
  今回もお読みいただき「オアリガトガンス!」。
 

(左)オリエンテーションでの早大生との交流の様子。 (右)右側黒板に生徒向け自己紹介を記入し、活動。

(左)オリエンテーションでの早大生との交流の様子。
(右)右側黒板に生徒向け自己紹介を記入し、活動。

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第14話

 本学では、岩手県陸前高田市教育委員会及び同委員会に協力する一般社団法人が同市内の中学生等へ行っている学習支援活動に協力して、平成23年12月から現在まで継続的に学生ボランティアを募集し、派遣を行っています(他に福島県へも、同様の学生ボランティア派遣を継続中)。
  去る8月24日(日)午前、濱田総長が陸前高田市を訪れ、学習支援活動の様子を視察されました。 総長は活動場所である市内3箇所の小中学校を、陸前高田市教育委員会教育長や一般社団法人の担当課長等から説明を受けながら視察するとともに、参加していた計5名の児童・生徒と本学の学生ボランティア計6 名を激励されました。
  児童・生徒の中には、活動場所の学校の校庭に建てられた仮設住宅から通っている子もおり、そこには自分の勉強机もなかったりするなど厳しい学習環境にありますが、ここでの学習は学習能力の向上は勿論のこと、勉強途中の雑談によるストレス発散や、大人とも物怖じせずに話せるようになったり等、総合的な人間形成の場となっているようで、市からは今後についても継続的な支援を望む声もありました。
  ここでの学習によって学ぶことの楽しさを知った児童・生徒の中から、是非本学へ入学する人が出てくることを願ってやみません!
  今回もお読みいただき「オアリガトガンス!」。
 

(左)市立第一中学校での視察の様子。 (右)学生ボランティアから話を聞く濱田総長(左端)。

(左)市立第一中学校での視察の様子。
(右)学生ボランティアから話を聞く濱田総長(左端)。

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第13話

 救援・復興支援室では、同室に登録している復興支援プロジェクトの岩手県内での活動に資するため、遠野分室管理の下、車両の貸し出しを行っています。貸し出し車両は4台あり、これまでは遠野市内と釜石市に1台を配車していましたが、利用プロジェクトから新幹線停車駅での乗降を望む声が高まったことを受け、新花巻駅と北上駅にそれぞれ駐車場所を確保し、正式に本年7月からそれぞれに1台ずつ配車・運用を開始しました(遠野の車両2台を移動)。
  新花巻駅の駐車場所は、駅から5、6分程度歩くものの、新幹線の高架が低くなっている部分の下の空きスペースであるため、雨や雪の影響を受けにくいというのが大きなメリットです。北上駅の駐車場所は、駅の新幹線口を出て徒歩1、2分と至近であることが何よりのメリットで、雨ざらし状態ではあるものの、下が土である新花巻駅の駐車場所と比べ舗装されていて、雨天時でも汚れずに済むのもよい点です。
  基本的に救援・復興支援室に登録した復興支援プロジェクトのメンバーでないと使用できず、学生については同プロジェクト教職員随行の「大学院学生」でなければ運転はできない等制約もありますが、岩手県内で活動されている復興支援プロジェクトの方々の積極的な御利用をお待ちしております(お問い合わせは遠野分室まで)。

 今回もお読みいただき「オアリガトガンス!」。
 

(左)新花巻駅駐車場所(奥の民家側から出入り)。 (右)北上駅駐車場所(空きスペースに駐車。後ろが新幹線駅)。

(左)新花巻駅駐車場所(奥の民家側から出入り)。
(右)北上駅駐車場所(空きスペースに駐車。後ろが新幹線駅)。

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第12話

  岩手県の花巻市から、当分室がある遠野市を経由して釜石市に至るJR釜石線において、観光面からの被災地の復興支援と地域の活性化を目的に、今年の4月からSLの運行がスタートしています。本年度は9月まで、土日祝日に年間80日程度の運行を予定しているそうで、花巻市出身の詩人・童話作家である宮澤賢治の世界観溢れるレトロな造りの旅客車と合わせて人気を博しており、予約(全席指定)を取るのも困難な状況が続いているとのことです。私も何とか予約がとれ実際に乗車してみましたが、車内に漂う石炭の香りと前述の旅客車の雰囲気がマッチしているのもさることながら、
被災地の釜石も含め、どこを通る時も沿線住民の方々がSLに手を振ってくださり、乗客も沿線の方々も笑顔になるこのSLの運行は、復興支援の大きな力になり得ると感じた次第です。
  このSL、遠野駅では、石炭補給等の関係でお昼の時間帯に1時間ほど停車し、格好の撮影機会となっていることから、運行日の駅周辺は鉄道ファン等で賑わっています。駅前では観光協会の方々による出迎え以外にも、郷土芸能の演舞や、駅のすぐそばで語り部から「遠野物語」を聞くことができるスポットなども設けられているようです。遠野-釜石間は日にちによっては空席も出ているようですので、遠野観光も含めて被災地での復興支援活動や観光へ向かう際に乗車されてみてはいかがでしょうか。
  今回もお読みいただき「オアリガトガンス!」。
 

(左)田園風景の中を走るSL(この時は横を馬が併走)。 (右)SL旅行者を出迎える郷土芸能の演舞(遠野駅前)。

(左)田園風景の中を走るSL(この時は横を馬が併走)。
(右)SL旅行者を出迎える郷土芸能の演舞(遠野駅前)。

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第11話

   先日、東京から来た訪問者に同行し、遠野市内にある仮設住宅「希望の郷『絆きずな』」を視察してきました。
  この仮設住宅は、本学の「高齢社会総合研究機構」による遠野市への提案を基に、平成23年7月に設置されたものです。総戸数は40戸、地場産材を活用した木造の建物で、高齢者世帯を中心に玄関を対面式にした上で、その間をウッドデッキでつなぎ、入居者間の交流を図ることができるのが大きな特徴です。現在、実際の入居戸数は30戸だそうでして、大槌町、釜石市を中心に、遠くは宮城県からの入居者もいるそうです。
  外観だけでなく空室の室内も見せていただいたのですが、木の温もりが感じられる造りで、被災し入居されている方々にとって少なからず癒しとなるように思えました。ただ、視察途中で隣に住む住人の話声や物音が聞こえてきて、やはりプライバシーの面では限界があり、造り的には癒やされても、中にはストレスを感じている入居者もいるのだろうと思わずにはいられませんでした。それでも、ショッピングセンターや病院、役所が近くにあり、公共交通機関も充実していることや、そもそも遠野の人々の温かさもあって、「ここを離れたくない」という方も多いとのことです。
  本当は入居されている方々も、種々の事情が許せば地元へ戻りたい気持ちはおありなのでしょうけれども、この仮設住宅(遠野)へ残ることを希望される方もおられるということで、遠野市民の私としては複雑な心境になりました。
  今回もお読みいただき「オアリガトガンス!」。
 

(左)居室内の様子(キッチン部分)。 (右)外観(冬の風雪対策として、玄関が囲われている)

(左)居室内の様子(キッチン部分)。
(右)外観(冬の風雪対策として、玄関が囲われている)

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第10話

 4月8日、遠野市内中学校統合に伴い廃校となった校舎を活用した「遠野みらい創りカレッジ」のオープニング・イベントが、同校舎において行われました。この事業は遠野市と民間企業の連携事業で、東日本大震災直後から岩手県で被災地支援活動を行ってきた当該企業と被災地への中継地点である遠野市との間に交流が生まれ、同市において社員研修のほか、一般参加者も募って被災地も含めた地域活性化策の検討を行ってきたところ、その検討の中から本カレッジの構想が出され、この度開校に至ったものです。
  本学でも、全学組織「知の構造化センター」が昨夏、ハーバード大、オックスフォード大等有力大学を含む海外の学生と、本学学生約30名ずつ(本部学生は学部前期課程、同後期課程、大学院学生各々3分の1ずつ)の参加を得て初めて開催した「東大イノベーション・サマープログラム」(イノベーションを生み出す力と社会問題解決能力を養うことを目的に、演習・ワークショップを含むフィールドトリップを行うプログラム)におけるワークショップの会場として使用し、環境や使い勝手の良さから好評で、今夏も使用する予定となっています。
  廃校とはいっても、下記写真のとおり古過ぎず温かみがあって、研修等を行うには大変よい施設だと思います。岩手県での被災地見学を含めた研修をお考えの学内関係者の皆様、是非とも利用をご検討ください。問合せ先は以下のとおりです。
遠野市産業振興部連携交流課 ☎0198-62-2111(遠野市役所代表)
  今回もお読みいただき「オアリガトガンス!」
 

開校イベントの様子 建物内部(平成25年7月撮影)

(左)開校イベントの様子
(右) 建物内部(平成25年7月撮影)

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第9話

 去る3月16日、遠野市主催の「地域の防災・減災を考える集い」に出席してきました。このイベントは、同市が行った岩手県沿岸被災地への後方支援活動を振り返りつつ、今後の防災・減災への意識の高揚と地域防災力の向上を図るために企画されたもので、事前に用意された椅子では足りなくなるほどの市民等約320人が集まり、市民の防災・減災意識の高さに驚かされました。
  内容としては、NHK解説主幹で、長年災害や防災について取材をしてきた山崎登氏による基調講演、震災時実際に後方支援を行った遠野市内の建設業協会や栄養士会等の活動事例発表等、非常に中身の濃いものでした。中でも山崎氏の講演の「阪神や東日本の震災時に役に立ったことは、ほとんどが事前に準備をしていたものであり、防災対策は決して人を裏切らない」という話が印象に残りました。
  遠野市は東日本大震災以前から、自衛隊等も交えた大規模な防災訓練を行っており、昨年度末には岩手県内の自治体では初めて「遠野市防災基本条例」を定める等、先を見据えた防災・減災対策に本気で取り組んでいます。本学でも、各組織単位で防災訓練や自衛消防隊活動等の取り組みを行っていると思いますが、大災害時の本学の被害を少しでも減らすためには、本学構成員の人数と同程度の人口である、遠野市と同じくらいの本気度で取り組む必要があるのではないかと感じました。
  今回もお読みいただき「オアリガトガンス!」
 

市防災基本条例の基本理念が表紙に描かれた資料。

市防災基本条例の基本理念が表紙に描かれた資料。

文:佐藤 克憲
(東京大学学内広報NO.1453号・2014.4.23掲載)

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第8話

 先日、東日本大震災から3年目となる3月11日に、本学大気海洋研究所の国際沿岸海洋研究センターがあり、その関係から本学が震災復旧と復興へ向けた連携に関する協定を締結している岩手県大槌町の、「東日本大震災津波追悼式」に出席してきました。地元の新聞報道によると、一般献花と式典を合わせた出席者は約1,200名ということで、遺族代表として挨拶された方の「(被災者や遺族が)一人一人が一歩でも半歩でも前に向かって進んでいかなければならない」という言葉が示しているとおり、悲しみの中にも、町民の皆さんの復興への強い決意が感じられました。
  大槌町では、復興が進んだと思えるのはスーパー等の商業施設の再開くらいで、海寄りの災害危険区域住民の移転先確保については、用地買収を進めているものの、相続がなされていない土地や抵当権が付いている土地があり思うように進んでおらず、災害危険区域より内側(山側)の土地区画整理を行う区域のかさ上げ(盛り土)も、必要な用土の約半分を隣町から搬出する関係等で、ようやく先行実施箇所がスタートしたという状況です。
  本学は大槌町で、復興計画の策定、地域コミュニティの再生、産業の振興等の支援を行っています。継続してこそ成果が出てくると思われるものも多く、長いスパンで支援を行う必要を感じています。
  今回もお読みいただき「オアリガトガンス!」
 

現在の大槌町(各所に土を盛り始めている)

現在の大槌町(各所に土を盛り始めている)

文:佐藤 克憲
(東京大学学内広報NO.1452号・2014.3.25掲載)

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第7話

 ここ岩手県遠野市は冬の寒さが厳しく、私の前任者がこの欄において、-20度を経験した旨記していましたが、今冬も御多分に漏れず、このコラムを書いている時点での最低気温の最高値は「-16.4度」(1月24日)となっています。
  救援・復興支援室の各種登録プロジェクトの構成員や、本学が募集・派遣を行っている「学習支援ボランティア」への参加者の、ミーティングや宿泊等に供するため遠野市内に設置しているプレハブ施設「遠野東大センター」。この建物、冬季は低温に加え利用者が少ないこともあって建物内部の温度がかなり低くなり、私の前任者によると、水道管の水抜きを行っても水が出なくなることもしばしばだったそうです。当然のことながら水道管凍結防止工事を行ってもらうべく市内の水道工事業者を当たったものの、沿岸部の被災地域へ出向いていて人手が足りない業者が多く、設置以来約2年半工事を行うことができずにいました。
  昨年12月、ようやく悲願が叶って引き受けてもらえる業者が見つかり、工事が完了しました。これで水道管凍結対応という冬季の遠野分室の大きな負担と、凍結により利用者に不自由を強いる可能性が大幅に減りました。
  登録プロジェクト構成員の皆様、冬季も「遠野東大センター」を是非御活用ください。
  今回もお読みいただき「オアリガトガンス!」
 

(左)保温材を巻き、更に電熱で保温(左中央部にコード)。 (右)浴室では、シャンプー置き場裏にしっかりと!

(左)保温材を巻き、更に電熱で保温(左中央部にコード)。
(右)浴室では、シャンプー置き場裏にしっかりと!

文:佐藤 克憲
(東京大学学内広報NO.1450号・2014.2.24掲載)

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第6話

 ここ遠野を宿泊拠点として実施(派遣)している東日本大震災に関わるボランティア活動には、夏季等の休業時にがれきの除去等を行うボランティア隊と、児童・生徒の勉学をサポートする学習支援ボランティアがあります。本年度はこれらを岩手県陸前高田市で行い(注:学習支援は福島県内でも実施)、以前本コラムでも活動の様子と共に、甚大な被害を受けた同市の復興が思うように進んでいない様子をご紹介したところです。
  同市に面している広田湾は、岩手県のかき(牡蠣)の主要産地の一つで、築地でも高値で取引されるブランド物が養殖されていますが、先の震災で養殖施設等に甚大な被害を受け、復旧に時間を要することもあり、生産量はまだ震災前の半分程度とのことです。
  そんな同市に昨年12月1日、同市で初となる「かき小屋」がオープンしました。関西出身の店長さんは、同市でかき養殖のための筏づくりのボランティア活動を行った際オーナーであるかき生産者と知り合い、多くの人に広田湾産の新鮮なかきを現地で食べて欲しい、と意気投合。調理師免許を所持し飲食業の経験があることから店長として腕を振るい、同店は土日を中心に大勢のお客さんが訪れるスポットになっています。
  漁業支援のボランティアは、後継者不足や震災を機に廃業する方も多い状況から、現在もニーズがあるようです。今後本コラムにおいて、この様な復興支援ボランティアのニーズなどもご紹介できたらと思います。
  今回もお読みいただき「オアリガトガンス!」
 

(左)小屋内部(右手前は蒸しがき用の鍋と熱源のストーブ)。 (右)目の前には津波の爪痕が今も生々しく残る……。

(左)小屋内部(右手前は蒸しがき用の鍋と熱源のストーブ)。
(右)目の前には津波の爪痕が今も生々しく残る……。

文:佐藤 克憲
(東京大学学内広報NO.1449号・2014.1.27掲載)

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第5話

 本年度上半期社会現象にまでなったドラマ「あまちゃん」。そのロケ地となった、日本最北端の海女さん「北限の海女」がいる岩手県久慈市宇部町の小袖海岸は、鉄道は通っておらず、市中心部から車で30分ほどかけて、途中からは海沿いのすれ違いも困難な狭い道路をヒヤヒヤしながら進んだ先にあります。
  ドラマで話題となった、驚いた時に発する「じぇ!」(標準語で該当するのは「え~!」でしょうか)という言葉は、岩手県内では「じゃ!」と言うところが多く(若い人はあまり言いませんが…)、自家用車の使用が一般的になる以前は他の地域への行き来が困難であった、この地域のみで独自に変化した方言のようです。
  この小袖海岸で海女さんの活動拠点となっていた、白亜の建物「小袖海女センター」(2010年竣工)には、「北限の海女」に関する貴重な資料が保存されていましたが、2011年3月11日の津波で全て流されてしまいました(現在は小さなプレハブ小屋を設置)。しかし、地元の方々の復興への御努力に加えドラマの効果もあって、2013年7月~8月に同地域を訪れた観光客が前年同期の23倍増となったそうです!
  下の写真を撮ったのは11月上旬で、海女さんの活動は終了していましたが、まだ結構な人数の観光客が訪れていました。来夏の海女さんの活動時期(7月下旬~9月)にはブームも一段落していると思われますが、ドラマの余韻に浸り、震災の記憶を忘れないためにも、小袖海岸を訪れてみてはいかがでしょうか。
  今回もお読みいただき「オアリガトガンス!」
 

(左)「津波襲来の碑」(奥の更地部分に以前建物あり) (右)現「小袖海女センター」(左下にある入江で活動)

(左)「津波襲来の碑」(奥の更地部分に以前建物あり)
(右)現「小袖海女センター」(左下にある入江で活動)

文:佐藤 克憲
(東京大学学内広報NO.1448号・2013.12.18掲載)

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第4話

 当分室がある岩手県遠野市は、これまで繰り返されてきた三陸沿岸地方の津波被害に対し「後方支援拠点」として活動を行ってきた経緯があり、今回の震災でも、発生直後から即座に沿岸被災地への後方支援活動を行いました。その活動は全国的に高い評価を受けており、市の担当部署となる「沿岸被災地後方支援室」には、北は北海道から南は沖縄まで、現在も視察に訪れているそうです。
  遠野市では本年9月に、東日本大震災に関する後方支援の記録と成果や課題などの検証結果をまとめた「3.11東日本大震災 遠野市後方支援活動検証記録誌」を発行しました。A4判サイズで、全7章343ページからなる重厚なものです。本学の復興支援の活動も掲載されていますので、是非御一読ください。購入方法等詳細については、遠野市のウェブサイト(http://www.city.tono.iwate.jp/)右側にある当該記録誌のバナーから御覧ください。
  また、10月1日付けで当分室メンバーに「菊池生恵(きくちいくえ)」さんが加わりました。前任の方は岩手県沿岸部の出身でしたが、菊池さんは生粋の遠野人で、しかもこちらに来る直前まで前述の「遠野市沿岸被災地後方支援室」に勤めておられました。
  即戦力の頼りになるメンバーを得て、おらもますます「きばって」いぐべがね!(「きばる」~遠野の方言で「がんばる」の意)
 今回もお読みいただき「オアリガトガンス!」
 

(左)新たに分室メンバーとなった菊池生恵さん (右)遠野市が作成した「後方支援活動検証記録誌」

(左)新たに分室メンバーとなった菊池生恵さん
(右)遠野市が作成した「後方支援活動検証記録誌」

文:佐藤 克憲
(東京大学学内広報NO.1446号・2013.11.25掲載)

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第3話

 8月中旬、地元の女子中学生の提案を実現させ、「渋谷109」が3日間限定で駅近くの商業施設に出店して話題となった釜石市。震災前、市中心部商店街の南側に、「呑ん兵衛横丁」という、詰めても10人入れるかどうかの飲み屋が長屋のように連なっている一角がありました。私は5、6年ほど前に一度だけその横丁の中の一店に入りましたが、狭いながらも人情味溢れる空間で、居心地のよさを感じた記憶があります。
  再訪を楽しみにしつつも叶わずに時は過ぎ、そして2011年3月11日、横丁は跡形もなくなってしまいました…。
  以前個人で復興支援ボランティア活動をしていた際、何度か横丁があった場所付近を通過したのですが、その都度言いようのない寂しさを感じていました。
  先日仕事で釜石を訪れ、昼食をとるお店を探していた際、その横丁は復興屋台村「釜石はまゆり飲食店街」の中に、プレハブで復活していました。2012年1月下旬にオープンしたそうで、釜石駅から西方向へ徒歩10分ほどのところにあります。渋谷の「のんべい横丁」から同じ名前のよしみで支援を受け、最近もロゴマーク募集の共同企画を行ったりしているそうです。
  地元民にも観光客にも愛された癒やしの空間の復活。今後も復興を進める上での活力として、存在感を示し続けていくことでしょう。
  今回もお読みいただき「オアリガトガンス!」
 

(左)在りし日の「呑ん兵衛横丁」(2009年12月撮影) (右)復活した「呑ん兵衛横丁」

(左)在りし日の「呑ん兵衛横丁」(2009年12月撮影)
(右)復活した「呑ん兵衛横丁」

文:佐藤 克憲
(東京大学学内広報NO.1445号・2013.10.25掲載)

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第2話

 救援・復興支援室ボランティア支援班が震災以降毎年ここ遠野を宿泊拠点に実施している「夏季ボランティア隊」、本年度は8月9日(金)~12日(月)の第1班と8月23日(金)~26 日(月)の第2班が活動しました。
  今回の活動場所は、昨年までの大槌町と同様に、壊滅的な被害を受けた陸前高田市でした。今回お世話になったNPOでは、行方不明者発見の力となるべく、復興工事着手前の場所や、一部は始まった工事を一時中断してもらい、ボランティアの協力を得て、更なるがれき撤去・捜索等を行っているとのことです。
  今回は第1班・第2班とも、側溝周辺の草刈りを行った後、側溝の土出しを行い、がれきと生活品・遺品の分別や集積作業等を行いました。
  津波で家屋等が無くなってしまった街は現在雑草の緑でカムフラージュされ、以前の姿を知っている人でなければ、元々こういう場所だったのではないかと思われかねない状態です。
  側溝の土出し等の活動は、実際にそこで暮らしていた人達の「生活の証」が出てくることから、ここが被災により無くなってしまった場所であることをリアルに感じることができ、参加者が震災について考える上で貴重な経験になったのではないかと思っています。
  今回もお読みいただき「オアリガトガンス!」
 

  

(左)側溝清掃中の図(ここまでキレイに!)
(右)側溝から出てきた「生活の証」の一部

文:佐藤 克憲
(東京大学学内広報NO.1444号・2013.9.24掲載)

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第1話

 遠野分室では、7月1日付けで人事異動があり、分室立ち上げ間もない時期に赴任し本学の復興支援活動に多大なご尽力をされた赤崎係長が、2年間の勤務を終えて本郷に戻られ、後任として私佐藤が着任しました。
  私も赤崎前係長と同じく岩手県の出身ですが、実家は内陸部にあり津波等の被害を受けることはありませんでした。しかし、復興支援に対する思いは強く持っているつもりでして、前任者が築き上げてきた地元との信頼関係を損なうことなく更に発展させ、本学の復興支援活動に多少なりとも貢献したいと思っています。一日も早く現在の業務を把握すべく悪戦苦闘の毎日ですが、暑さに弱い私としては、東京と比べ夏も朝晩を中心に涼しいことが救いです。
  皆様も、復興支援活動のため、あるいは観光のみということでも構いません、是非被災地に足を運んで、直接ご自身の目で状況を見て、何かを感じていただければと思います。そして、前後には遠野にもお越しください。平日分室にお立ち寄りいただければ、どなた様でも歓迎させていただきます。
  最後までお読みいただき、「オアリガトガンス!」
(遠野の方言で「ありがとうございます」)。
 

1442号

執筆者@遠野分室入口にて。皆様お待ちしております!

文:佐藤 克憲
(東京大学学内広報NO.1442号・2013.8.26掲載)

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◆「ザシキワラシ」とは・・・
主に岩手県に伝えられる精霊的な存在。座敷または蔵に住む神と言われ、家人に悪戯を働く、見た者には幸運が訪れる、家に冨をもたらすなどの伝承がある。

ザシキワラシ

執筆者紹介:
  救援・復興支援室遠野分室勤務(総合企画部企画課係長)佐藤克憲氏。岩手県出身。

東京大学救援・復興支援室 遠野分室:
  東京大学の構成員が被災地で救援・復興に関する活動を行う際に支援を行うため、平成23年5月13日、岩手県遠野市(遠野市役所内)に設置。


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