今回の調査の特色は、「入学までの学習」「教科外学習」と並べて、学生の「読書」についての質問を行なったことである。これまでの調査で読書生活をとりあげたのは、1970年代以降では、第19回(70年)、24回(74年)、29回(79年)、31回(81年)、32回(82年)、34回(84年)、36回(86年)、39回(89年)の8回であった(31回までは男子学生のみの調査、32回は女子学生のみ、34回以降は男女双方)。したがって、今回の調査は実に11年ぶりのことになるが、70年代から現在に至るまで、学生の読書生活はいかに変わったのか、あるいは変わっていないのか、調査結果をもとにして、ややふみこんだ分析を試みたい。
昨今、大学生の学力低下が指摘されるのと並行して、語学力や数学の問題を解く力に代表されるような「学力」にとどまらず、学生のいわゆる「一般教養」の質・量が低下していると嘆く声が、大学の内外を問わずよく聞かれる。“最近の学生は本を読まなくなった”という文句は、すでに大学教員の間での、格好の会話の種となっているし、学術書の出版不況の原因を学生の読書量(正確には書籍購入金額)の低下に求める主張も、巷間しばしば耳にする。もちろんクレタ島の陶片云々の古典ジョークにもあるように、“近ごろの若い者は……”式の紋切型の発想から自由になることは、常に難しい。だがそうした心情をさしひいたとしても、この「教養崩壊」の傾向を、多くの大学教員が日々実感しているのは、確かな事実であろう。
しかし、今の学生は本当に本を読まなくなっているのだろうか。70年代から継続して調査が行なわれている男子学生に関して、4月から調査時までの平均読書冊数の推移を検討してみた(表1)。質問の方法が一貫しておらず、また今回は「小説・文芸書」「マンガ・コミック」の項目を新設したので、「教養書」「その他」として算入する書目が従来と変わっていると思われ、厳密な比較にはなりえないが、大体の傾向として、70年代後半にある程度減少した後は、おおむね一定していることがわかる。現在ジャーナリズムを賑わせている「学力低下」「教養崩壊」は、特に90年代、早く見ても80年代以降の動向として指摘されていると思われるが、東大生については、その間の読書量の大きな変化は見られない。読書冊数に関する限り、近年の動向としての「教養崩壊」はまったくの神話にすぎないと言える。
なお、「よく読む雑誌」の上位から総合雑誌が消えて、情報誌・娯楽誌・漫画誌が独占する傾向(資料1-\-9表)もまた、すでに81年の調査から定着していた。書籍の購入金額についても、70年以来の各調査を通観して大きな実質的減少は見あたらず、出版不況の責任を大学生に負わせるのは、少なくとも東大生に関しては誤りだとわかる。要するに、その傾向の端緒をもっとも近く見積もったとしても、すでに70年代末から一貫して、学生は本など大して読んでいないのであり、その度合いに変化はない。
このように、全体の読書冊数や購入金額が変わらないのに、近年特に「教養」の低下が実感されるようになったのはなぜだろうか。考えられる原因は、読む本の内容の方が変わったことであろう。今回新たに「小説・文芸書」のジャンルを設定し、従来の調査では「読み捨てにする」本として除外していた「マンガ・コミック」についても質問することにしたのは、そうした読書生活の内実を探って、現状を確認するためであった。
漫画に関して言えば、「マンガ・コミック」を除いた読書冊数・購入金額は、前回調査(89年)から大きく変わっていないことからすると、ここ10年で漫画の読書量が増えたことが一般書の方を減らしたといった因果関係は、考えられない。むしろ、今回調査では高校時代の読書冊数も質問したが(資料1-\-1表)、読書冊数のうち漫画の占める割合が、大学に入ると大きく低下している事実は、旧来の「教養」の崩壊を嘆く向きから、もっと高く評価されていいのではないか。また、男子は読書冊数の38.6%を漫画が占め、第1位となっているのに対し、女子においては「勉学に直接必要な本」に次ぐ第2位で、27.2%と男子よりはるかに低い数字であり、代わって「小説・文芸書」が男子よりも顕著に高い割合を示している(表2)。この特徴は高校時代に関する調査でもすでに見え、女子は男子よりも漫画離れの傾向が強い(もしくは早い)のである。ちなみに、江川達也の漫画『東京大学物語』を「感銘を受けた本」として挙げた回答は、幸か不幸か皆無であった。
ただし気になるのは、前回調査と比べて、特に購入金額の点で「勉学に直接必要な本」が増え、「教養書」が大きく減っている点である(資料1-\-4表)。これは「小説・文芸書」を別項目にしたせいもあろうが、想像をたくましくすれば、学生が「勉学に直接必要な本」ばかりを取り揃えることに追われ、「勉学」に一見関係のない「教養書」には向かわなくなったことが、現在「教養崩壊」として実感される現象を作りだしているのではないか。今や講義の教科書・参考書と漫画とが、学生の二大愛読書と化しているのである。「好きな作家」として夏目漱石の名が、70年代以来、上位を占め続けているが、肝腎の漱石の小説の方は、「感銘を受けた本」の上位に挙がるわけでは必ずしもなく、年度によっては漱石作品を挙げた回答が多数は見られない場合さえある(81、82年と今回)。これもおそらく高校時代・受験生時代の勉学の「必要」と関連するのだろう。今後、中学・高校の教科書や入試の世界から漱石作品が退場すれば、“読まれない人気作家”夏目漱石の名はたちまち消えてしまうのではないか。
これは、学生のせちがらい実利志向(“単位亡者”!)を批判するだけですまされる問題ではない。学生の「教養」の欠如を嘆くなら、まず教員各自が、自分の著書を教科書と称して買わせることを控え、専門にとどまらない幅広い知の領域に学生を誘うような授業を、工夫すべきであろう。また、本の入手先について東大図書館が「その他の図書館」より低い数字になっているのも、少々反省する必要がありはしないか(資料1-\-3表)。学生の「教養崩壊」の問題には、教職員の側の努力で解決できる部分も、少なくないように思われる。
表1 男子学生の、4月から調査時までの平均読書冊数
| 調査年 |
74年 |
79年 |
81年 |
84年 |
86年 |
89年 |
00年 |
| 平均読書冊数 |
42.0 |
36.4 |
36.8 |
35.6 |
37.6 |
34.2 |
39.1 |
(00年については「小説・文芸書」「マンガ・コミック」を除いた合計冊数の平均。また、74年から84年までは、一か月当たりの書籍購入冊数を質問しているため、二種類の質問をした86年の調査結果を参照して、4月から調査時までの読書冊数はその4倍の回答になると見積もり、推定数を算出した。)
表2 全体の読書冊数に占める割合(資料1-\-2表関係)