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西洋古典学


(1)西洋古典学とは

 西洋古典学は、古代ギリシャ語ならびにラテン語でしるされたあらゆる文献資料をあつかう。決して狭義の「文学」に対象を限るわけではない。そこで、今日こうした文献を対象とする学問ならば他にもあるではないか、それらとは異なる西洋古典学の特色は何であるのか、とあらためて問うとなれば、その精髄は「文献学」別名「本文校訂」に求められよう。これはテクストを緻密に読み、かつ他の諸テクストのありようとも比較検討して、いっそう正確な校訂を施す知的な作業である。付言するとギリシャ・ローマの作品の写本は、もっとも古いものでも(一部例外はあるものの)紀元後1000年をさほど遡らない。つまりオリジナル(それがあると仮定して)と写本の間には、じつに様々な誤写・誤った改訂や、善意による混乱が潜んでいるのである。
 「学」としての西洋古典学の始まりは、ヘレニズム期のアレクサンドリアに求められる。そしてうんと端折った言い方になるが、古典古代の書物に取り組んだ一大ムーブメントがルネサンスであった。ちなみに「人文主義」「人文科学」と訳されていることば(たとえば英語の humanism や humanities)は、神学ではない人間の学を意味し、元来それは古典研究であり、古典のテクストの正しい復元と同義であった。以後、古典学は脈々として今日まで続いている。

(2)西洋古典学の学習

 ギリシャ・ローマは現代文明の淵源である、というはやさしい。もしそれに本気で取り組むのならば、ギリシャ語・ラテン語を正確に知ることが要求される。いかなる言語でもその修得は決してたやすくはないが、ギリシャ語・ラテン語はやはり相当に骨の折れる言語であると思う。しかしこれこそ古典の古典たる所以といえようが、ギリシャ・ローマに記された書物は、ことばに信を置き、精緻な技法を駆使した表現力をもっている。それゆえことばを知れば知るほど、着実に対象に近づいていける。訓練は報われる。といっても何かを知り得たと思った途端、たちどころに分からないところが見えてくるのも、これまた古典の常であろう。
 西欧の古典学の研究には、すでに厖大なまでの蓄積がある。よって両古典語に加えて近代諸言語の理解も必要になる。またこれはすべての文献理解に必要なことであるが、ありとあらゆる「常識」も必須である。文章を読む作業は、決して暗号解読ではない(この点を誤解する人がしばしばいる)。
 実際上、西洋古典学専修課程の大部分の授業は、演習・特殊講義の別を問わず、基本的な古典作品の講読・解釈が授業の中心となる。次項に具体的に記すように、ギリシャ語・ラテン語で区分すれば、毎年、おおむね同程度の割合でひらかれている。
 両古典語をひとしく修得することは至難の業と見えよう。もし諸君が西洋古典学に関心があるならば(あるいはヨーロッパを歴史的に理解したいと思っているのなら)、一刻も早くギリシャ語ないしラテン語の学習を始めるにしくはない。駒場にはどちらにも初級・中級のクラスが開設されている。その気になれば独習も可能である。開始が早ければ早いだけ、覚えられる。本郷に進学してから気が楽になろう。さらに翻訳もいろいろ出版されているから、手当たり次第、試みるがよかろう。
 いわゆる卒業単位に関しては、実際上どちらかに偏った修得でも卒業は可能である。ただし大学院に進む場合、入学試験としてギリシャ語・ラテン語の双方が課されることに留意されたい。
 大学院進学志望の有無にかかわらず、卒業論文は必須である。研究とは書を読むだけではない。問題点を発見し、たとえ飛躍があろうとも可能なかぎり妥当と思われる解答を求め、その過程を説得的に表現することは、重要な訓練であると考えるからである。たとえその試みが失敗に終わろうとも、壮大な挫折は姑息な弥縫策に勝る。

(3)専修課程の授業

 西洋古典学が対象とする分野の広さに比べ専任教員が2名と余りに少ないけれども、非常勤講師の協力をえながら、ギリシャ語/ラテン語双方の、韻文/散文作品のそれぞれが各年度ごとにもれることのないように、講義・演習科目は工夫されている。それとともに2~3年のあいだになんとか厖大な古典の全容に対しておおまかな見通しがたつように、プログラムは成り立っている。
 一部、読書経験の少ない学部生だけに限定した科目を開講する年度もあるが、多くの授業は大学院生と共通して行われる。その趣旨は、ことばそのものを修得する訓練はもちろん不可欠であるけれども、それとともに作品それぞれに異なる読み方が必要になるので、できるだけ早くから多種多様なテクストに接する機会がもてるようにと考えてのことである。また大学院生の能力に瞠目することもよいだろう。もちろん少人数ゆえ、受講者ひとりひとりの経験の多寡に配慮することはいうまでもない。
 西洋古典学専修課程の2名の専任教員が担当する科目には、おおむね次のような核がある。逸身(いつみ)教授は例年、ギリシャ語の韻文作品とラテン語の韻文作品を読む演習をひらいている。前者についていうと、おおむねギリシャ悲劇や喜劇が中心となるが、ピンダロスなどの合唱詩などをとりあげる年次もある。悲劇・喜劇の約束事や上演形態にも当然ながら目を配るが、根本は、古典文献学の中心である本文校訂とはどのようなものであるかということを体得してもらうよう配慮している。後者についてはルクレティウス・ウェルギリウス・ホラーティウス・オウィディウス・ルーカーヌスを過去にとりあげた。
 片山教授の研究の3つの柱は、ヘレニズム時代の詩人たち・修辞学(弁論術)・ならびにルネサンス時代の古典学史である。その中から毎年、2つが授業に選ばれるのが原則である。古典学史に関連した近代ラテン語文献の講読は、他の大学にはおそらく見あたらないものである。これらを講読することにより、近代修辞学の発端への理解を深め古典復興の意義を考察することになる。修辞学についていえば、ひとつは修辞学そのものについての書、今ひとつは弁論である。
 ホメーロスは全古典の基本であるが、その独特の語法に慣れるために、例年、駒場の3ないし4学期と共通に叙事詩入門の授業を開講している。その他、プラトーン・トゥーキューディデース・プルータルコスなどの講読が年によってひらかれる。さらにまた、韻文を韻文たらしめているルールすなわち韻律の説明、パピルスで発見された抒情詩の断片がどのようにして復元されるか、といった文献学的訓練もある。
 西洋古典学専修課程は、長期的視野にたって、毎年ほぼ決まった非常勤講師を招き、欠けている分野を補ってもらうという伝統を有している。首都大学東京の大芝芳弘教授には、例年、ラテン語の韻文作品と散文作品(特にキケロー)をお願いしている。
 なおこれは西洋古典学専修課程の授業ではないけれども、ギリシャ語・ラテン語の初級文法が毎年、開講されている。なんらかの理由で初級文法をあらためて始めたい学生は、それらを聴講することももちろん可能である。2003年からはラテン語の中級クラスも開設された。初級文法と実際の古典作品との橋渡しを意図して設置された訓練の場である。
 さらに付言すると、文学部でギリシャ・ローマを対象とする授業は、哲学や西洋史など他にもある。そして西洋古典学専修課程は、長らく古代哲学と西洋古代史の授業を一部を選択必修としている。同じ対象であっても、ディシプリンの相違が研究のあり方に反映する。このことを知ることもまた有意義であろう。

(4)西洋古典学への誘い

 2年の間に教室で読める書物の数は、古典全体からみて高がしれていよう。しかし人生全体の長さを一方で考慮するならば、この2年間の訓練は、おそらく充分な準備期間でもある。
 そして今、どの専修課程を選ぼうかと迷っている諸君には途方もない言い草と思えるだろうが、諸君がひとつの書物を読むことで、その書物は後の世代に伝えられる方途を得ることになる。自分が読みたい本を自分が読みたいやり方で読むのではなく、書物に耳を傾けて、たいまつの火をリレーするがごとく、謙虚に本の命を次世代に託す、このことこそ西洋古典学の真髄かもしれない。


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