コラム「バリアフリーの東京大学」の実現に向けて 第1回 バリアフリー領域創成プロジェクト−支援技術を核にした研究の活性化と融合− 前号の特別記事に引き続いて、本号から3回、本学のバリアフリーに関するコラムを連載します。今回は「バリアフリー領域創成プロジェクト」についてご紹介します。   バリアフリー領域創成プロジェクト(代表 福島智助教授)は総長プロジェクトとしてスタートし、現在、柏キャンパスの総合研究棟を拠点に「障害のある人の支援技術利用」を研究テーマに活動しています。  支援技術(AT: Assistive Technology)といっても聞きなれないかもしれません。ALS(注1)という病気で四肢の自由を奪われた英国の宇宙物理学者のホーキング博士が僅かな残存能力でパソコンを操作し、研究や講演活動を行なう姿が多くの人の記憶にあるかと思います。そこで使われている入力装置や音声ソフトなどがATと呼ばれるものです。これは多くの人に科学技術の素晴らしさを印象付ける上で十分なことでした。しかし、その背景には博士の機器利用への意欲、リテラシーの高さ、経済的・人的サポートなどがあるわけで、現実には誰もが同じようにというわけにはいきません。一般には、ATへの拒否的態度、AT利用がリハビリの妨げとなるとの危惧、ATスキルを学ぶカリキュラムや場の少なさ、AT製品の流通量が少なく高価であるなど様々な研究分野にまたがる問題が存在し、技術の進展ほどは当事者のAT利用が広がっていないといえます。また、AT研究が開発以外は学問的に評価されにくく、当事者やそのニーズに関する科学的データの蓄積と分析が不十分なため、問題点の整理ができていないのが実状です。このままでは技術開発のみが一人歩きするだけでなく、利用者が少なければ研究が先細って来ることは明白です。  このプロジェクトでは、当事者のニーズやそれに関連するデータを科学的にとらえ、技術シーズを有する研究者のバリアフリー研究を支援すると同時に、利用に関わる諸問題を学際的に検討し、「利用の科学」たる新しい領域創成を目指しています。  現在進めている研究の1つである「感覚過敏低減フィルタの開発」を例に、我々の目指すところを述べてみます。この研究は、あるアスペルガー症候群(注2)の人の聴覚・視覚刺激への過敏性のエピソードからスタートしています。残念ながら一人の人がエピソードを語ったとしてもそれは個人の問題として片付けられるでしょう。「他にも多くの人が困っている」と言ったとしてもその人数が明らかでなければAT開発まで結びつくことは少ないでしょう。「過敏性発生のメカニズムは?」、「どういったフィルタが有効か?」といった様々な疑問を科学的に解明し、ニーズをより具体化し、感覚過敏フィルタの具体像を描き、それを基に学内外の技術シーズと結びつけていくのが我々の狙いです。このプロジェクトは当事者参加型の研究として進められています。現在、3名のアスペルガー症候群の方々と一緒に働きながら、過敏低減フィルタの形を議論しています。本学の中にも様々な障害のある学生・職員が存在すると考えられます。その人たちにも開発に積極的に参加してもらえるプロジェクトでもありたいと思っています。  感覚過敏のエピソードの分析はこれまでのバリアフリーの方向性に疑問を投げかけるものでもありました。バリアフリーの指針では、標識やパソコン画面などを見やすくするためコントラストの強いものが望ましいとされてきましたが、一部の過敏性のある人にはそれが不快なものとなり、活動のバリアとなる可能性も示されています。こういった学際的に検討すべき課題の提示も我々のミッションの1つと考えています。  多くの人は明日使える技術の登場を待つだけでなく、今日の支援を求めているに違いありません。誰もが簡単に科学技術の恩恵を受けられるようにするには技術開発のみならず様々な研究領域の活性化と融合が必要です。これを通じて科学技術を組み込んだ新たな障害観の構築とテクノ福祉社会が実現できると考えています。 (先端科学技術研究センター特任教授 中邑賢龍) (注1)ALS(筋萎縮性側索硬化症):運動ニューロンのみが選択的に障害される病気の1つ。 (注2)アスペルガー症候群:自閉症のタイプの1つ。知的障害はなく、言葉をしゃべることができるが、コミュニケーションに障害を有する。 <東京大学バリアフリー支援室 連絡先>  TEL:03−5452−5067  FAX:03−5452−5068  E-mail:spds-staff@mm.itc.u-tokyo.ac