平成19年度入学式(学部)総長式辞

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式辞・告辞集  平成19年度入学式(学部)総長式辞

平成19年度入学式(学部)総長式辞

平成19年(2007年)4月12日
東京大学総長  小宮山 宏

 東京大学に入学された皆さんに、東京大学の教職員を代表して、心からお祝いを申し上げます。 本日この入学式に集う新入生は、合計3,150名です。皆さんが、今日から東京大学で、実り豊かな学生生活を送られることを心より願っております。

 本日、皆さんに東京大学憲章と東京大学アクションプランをお渡ししています。東京大学憲章は、長期的視野に立って、大学の在り方と学術経営の根本を定めたものです。いわば東京大学の憲法に当たる文書です。
 アクションプランは、私の総長任期中、2005年度から2008年度の間にぜひ実現したいと考えている計画をまとめたものです。絵に描いた餅では決してなく、計画の多くが、実現に向かって着々と進められています。特に、「時代の先頭に立つ大学 世界の知の頂点を目指して」という副題にご注目ください。東京大学が目指すのは、日本の知の頂点ではなく、世界の知の頂点です。私は、東京大学を、世界でトップクラスの教育と研究が行なわれ、世界をリードする人材を輩出する場にしたいと考えています。アクションプランは、そのための東大改造計画なのです。
 アクションプランは、私が掛け声をかけるだけでは実現しません。教員と職員と、加えて学生が手を携えて、東京大学を、よりよい教育と研究の場に作り変えようと決意し、行動するとき、はじめて実現するのです。私は皆さんを、アクションプラン実現の仲間として東京大学に迎え入れます。これからお話しすることは、仲間としての皆さんに、是非とも心しておいて頂きたいことなのです。

 私が皆さんに贈るメッセージは、「常識を疑う確かな力」を養ってほしいということです。
 常識とは、このように考えこのように振舞うのが当然だと、多くの人々が共有する思考や行動の型のことです。社会には多くの常識が存在します。常識に従って行動することは、1つ1つの局面ごとにあらゆる事情を勘案して判断するのに比べれば、はるかに楽で便利なのです。ですから、多くの人々は常識に従って行動します。
  しかし、常識が常に正しいとは限りません。中には、不合理なこと、事実に反すること、人の自由を縛ることなども含まれています。不合理であるのに、権力や権威に誘導されて信じ込まされているといったこともあります。また、かつては合理的だったのに、時代や状況が変化したために不合理になるということもあります。しかし、たとえ不合理でも、疑われない常識はそのまま生き残ってしまいます。誤った常識を覆すためには、まず常識を疑うことが不可欠なのです。
  学問の世界にも常識は存在します。皆さんが大学に入学して最初に教えられることは、それぞれの学問分野の基礎や土台となる部分です。その学問分野のいわば常識に相当します。そして、学問発展の歴史は、学問の根底にある常識を疑い、覆し、新たな常識を作り出してきた歴史でもあるのです。

 皆さんもご存知の、ガリレオの実験を例として、この歴史について説明しましょう。
 ピサの斜塔から2つの球を落とす実験によって、ガリレオが挑戦したのは、「重い物ほど速く落ちる」という当時の常識でした。「重い物ほど速く落ちる」というこの命題は、アリストテレスによって権威づけられたものであり、かつ羽毛や紙切れと石の落下速度を比べてみるなら、私たちの日常的な感覚にも合致しています。ですから、当時の人々にとっては自明の前提だったのです。
 ガリレオはこの常識の怪しさを分かりやすく示すために、大きさと形が同じ鉄の球と木の球を落とし、地面に落ちる音が1度しか聞こえないことから、重さが異なっても同時に落下することを証明しました。人間の日常感覚と古代以来の権威に基礎づけられた常識は、こうして疑われ、新たな知に取って代わられることになったのです。このガリレオの実験は教科書にも取り上げられ、多くの子供に実験の意義を教えてきました。私も小学校の頃この話を知り、強く脳裏に刻み込まれました。もしかすると、私が自然科学の道を志すきっかけの一つになっていたのかもしれません。
  ところで、大きな歴史的意義を持つガリレオの実験ですが、今日ではその妥当性に限界があったことが明らかになっています。ガリレオの時代には、空気が物体の運動に及ぼす作用について、科学的な認識はほとんどありませんでした。ですから、古典力学の単純明快な設定で実験の意味を解釈することができたのです。しかし、現在の科学は、空気中では、鉄と木は同時には落下しないことを知っています。空気中を運動する物体は、空気抵抗を受けるからです。軽い木の球は、相対的に大きな空気抵抗を受けるため、鉄の球ほどに加速できません。ガリレオの時代には実験の精度が低かったため、同時に落ちたと判断されてしまったのでしょう。現在の精度で実験すれば、鉄の球は木の球より明らかに先に地面に落ちることが分かります。
  このように、古い常識が疑われて新たな常識が生み出され、その新たな常識が疑われてさらに新たな常識が生み出されるということを、人類は学問の世界において反復してきました。これからも、反復を繰り返していくことでしょう。それは永遠に続く知の革新過程なのです。
 
  それでは、「常識を疑う確かな力」は、どのようにして身につけることができるのでしょう?
  疑えるものは一度はすべて疑ってみなさい、そう唱えたのはデカルトです。しかし、すべてを疑うことは1人の人間では到底不可能ですし、疑うだけで一生を終わってしまうでしょう。ですから、まず何よりも、疑わなければならない常識を嗅ぎ出す直感と、その疑いを論理と証拠によって確かめる力が必要です。論証や実証は、まじめに勉学に励めば必ずそれなりの力がつきます。学問とはそのようにできているからです。教科書を読めば、その分野で広く知られた論証や実証のスタイルが必ず書かれています。しかし、疑うべきものを探し出す力は、ふつう、教科書には書いてありません。ある分野を学ぶということは、その分野の常識を身につけることであって、常識を疑うことではないからです。
  疑うべきものを見つける最初の手がかりは、ふつう「閃き」といわれる直感的な知の働きだと思います。ガリレオには遠く及びませんが、私も化学工学という分野で、それまでの常識を変えるような発見をいくつか行なってきました。今思い返すと、常に、最初にあったのは「閃き」でした。
  「閃き」は「思いつき」とは違います。学問的な疑いの直感は、その人の頭の中で、多様な知が関連づけられ、構造化されている状態ではじめて働くのです。皆さん、想像してみてください。皆さんの頭の中にも、これまでに得たさまざまな知が相互に関連付けられ、構造化されているでしょう。
怪しげな命題は、いかに多くの人が信じようとも、知の全体構造のどこかで必ず矛盾や齟齬を生じます。「閃き」とは、研究者がほとんど無意識のうちにそうした矛盾や齟齬に気づき、新たな知の構造を求めて、瞬間的に知の組み換え作業を行なうことだと、私は思っています。
  知を構造化することと、大量の情報を持つことは、全く異なることです。最近は、インターネットを駆使して、誰でも大量の情報を短時間のうちに入手できるようになりました。こうした情報環境の中で育った皆さんは、学術情報は簡単に手に入るのが当然だと思っておられるでしょう。しかし、ひと昔前の情報環境は全く違っていました。私が若い教授だった頃、たかだか20年前でも、学術情報を入手するためには、多くの論文に目を通したり、人に話を聞いたり、カードを作って整理したりと、大変な手間が必要だったのです。どちらが便利かと問われれば、もちろん現在の方が便利に決まっています。しかし、まさにその便利さにこそ落とし穴があるのです。今のように便利でなかった時代に、研究者が情報収集と整理にかけた膨大な手間と時間は、無駄なように見えて、決して無駄ではなかったのです。その作業を通じて、研究者の頭の中で多様な情報が関連付けられ、構造化され、それが「閃き」を生み出す基盤となっていたからです。インターネットで入手した、構造化されていない大量の情報は、「思いつき」を生み出すかもしれませんが、「閃き」を生み出すことは極めて稀だと、私は確信します。

 頭の中に、いかに優れた知の構造を作ることができるか、それが「常識を疑う確かな力」を獲得する鍵なのです。優れた知の構造と、それを基盤とする「常識を疑う確かな力」を確実に獲得できる方法を、残念ながら私は知りません。しかし、獲得できる可能性の高い方法について語ることができます。私は、これから述べる3点が重要であると思います。事の成否は、これからの学生時代、皆さんがどのような知的生活を送るかに懸かっているのです。
  第1に、教師から多くを学び取ってください。
東京大学は、一流の業績をあげた研究者のみを教員に採用しています。一流の業績とは、大小さまざまな常識を疑い、それを覆すことで達成されたものです。そのことは、あらゆる専門分野について言えることです。ですから、「常識を疑う確かな力」を獲得しようとする学生は、教師を、専門知識を与えてくれる先生と考えるのではなく、「常識を疑う確かな力」を身につけた先輩と考えて、教師の経験から多くのことを学び取っていただきたいのです。
  例えば、このあとご挨拶いただく福島智先生は、東京大学先端科学技術研究センターの准教授ですが、目が全く見えず耳が全く聞こえないというハンディキャップを負いながら、最先端の研究をしておられます。先生の存在そのものが常識に挑戦し、常識を覆すような方なのです。福島先生の話をうかがって、どうしてそんなことができたのかを考えることは、皆さんが東京大学において「常識を疑う確かな力」を身につける第一歩となるでしょう。

 第2に、同世代の仲間を作ってください。
  教師から学ぶことも大切ですが、同世代の仲間と切磋琢磨することはより大切であると、私は自らの経験に照らして考えています。教師は優れた先輩ですが、先に第一線を退きます。同世代の仲間は、ともに成長し、これから先の数十年、皆さんと共に第一線を歩み続けるのです。仲間を作るには、議論をすることが重要です。メールや携帯電話が普及したためでしょうか、私は学生たちの議論する力、特に顔を合わせて議論する力が落ちているように思えてなりません。議論することを通じて、自分が考えていることを相手に伝える能力と、相手の考えていることを理解する能力が磨かれていきます。議論をすることではじめて、自分の考えを相対化することができるのです。議論を恐れず、議論を通じて多くの仲間を作ってください。
  その際、自分の専門分野に近い人だけでなく、対角線上にいるような、自分とは異質な分野の仲間も作っていただきたい。私は学生時代にアメリカン・フットボール部に所属していましたが、部活動のなかでたくさんの文科系の友人を作り、彼らの発想から多くのことを学びました。彼らとの付き合いは、40年の歳月を経た現在でも続いています。

 第3に、遠い将来を見据えてください。
  東京大学では、毎年、学生生活実態調査を行っています。最近の調査結果を見ると、大学の勉学に何を期待するかという設問に対して、専門性を身につけたい、特に卒業してすぐに社会で役立つ専門的なことを学びたいと、そう回答する学生の比率が増えています。すぐに役立つ専門知識を身につけて自らの競争価値を高めたいという気持ちは、分からないでもありません。しかし、皆さんが本当に競争価値を高めたいと思うのであれば、必要なことは、学生時代に「常識を疑う確かな力」を身につけることであって、すぐに役立つ専門知識を身につけることではありません。社会変化の速度が急速に増大しつつある現在、実用的な専門知識はあっという間に古びてしまいます。実用的であればあるほど、古びる速度は速いのです。
  皆さんの視野には、就職までしか入っていないのではないかと、私は恐れます。もっと、視野を広げましょう。30歳、40歳になった時に、自分がどうなっているだろうか、想像してみてください。その時に自信をもって活躍するために、今何が必要かを考え、それを学生時代に身につけるべきです。社会はそれを皆さんに期待しているのです。
 必要なのは、すぐに役立つ知識ではありません。知識を獲得するための知識なのです。そして、知識を獲得するための知識よりも、さらに大切なのは、「常識を疑う確かな力」なのです。何故なら、「常識を疑う確かな力」こそが、いかなる分野に進もうと、皆さんを最先端に推し進める力を持つからです。必要なことは、有用な知識を身に付けることではありません。「常識を疑う確かな力」を身につけることによって、皆さん自身を持続的に有用な存在にすることなのです。

 この式辞の冒頭で私は、東京大学アクションプランを引きながら、東京大学が目指すのは、日本の知の頂点ではない、世界の知の頂点だと申しました。そして、皆さんをアクションプラン実現の仲間として東京大学に迎え入れると申しました。これまで述べてきた「常識を疑う確かな力」は、アクションプラン実現の仲間としての皆さんに、私が期待していることなのです。
  ただし、「常識を疑う確かな力」を身につけるだけでは、世界の知の頂点に立つことはできません。その力を発揮することが必要です。そして、その力を発揮するために不可欠なのが、「先頭に立つ勇気」であると、私は確信しています。最後に、そのことをお話しましょう。
 世界の知の頂点を目指すということは、トップランナーに追いつくことではありません。自分がトップランナーになることです。トップランナーに追いつくことと、トップランナーになることは、きわめて違う―譬えて言えば、富士山とエベレストくらい違う―ことなのです。東京大学は1877年4月12日に創立され、本日ちょうど130周年を迎えます。この130年の間に東京大学が追求してきたのは、トップランナーに追いつくという課題でした。この課題は既に達成されています。様々な世界大学ランキングに見られるように、東京大学は既に大部分の分野で世界トップの研究水準を達成しているからです。
  トップランナーに追いつく際には、明確な目標があります。ひたすらその目標に向かえば、追いつくことができるわけです。しかし、トップランナーには模倣すべき目標がありません。トップランナーは、自ら目標をつくり、自らリスクを取り、自らの行動を決断しなくてはなりません。したがってトップランナーは孤独です。ですから、「先頭に立つ勇気」は、「孤独を恐れぬ勇気」と言い換えることも可能なのです。
  東京大学が世界の知の頂点を目指すためには、東京大学の教員と職員と学生が、各々の活動分野で「先頭に立つ勇気」を持たなくてはなりません。皆さんは東京大学の学生として、仲間を作り、仲間との連帯を求めながら、同時に「孤独を恐れぬ勇気」を持つ、タフで優しい精神の持ち主に成長してください。

 最後に、本日お出でいただいているご家族の皆様に一言申し上げます。
 皆様のお子さんは、本日東京大学に入学いたしました。長かった受験の日々を思い返して、皆様の感慨も深いものがおありだと思います。心からお祝いを申し上げます。入学式は皆様のお子さんにとって、世界のトップランナーを目指す新たな旅立ちの日です。この新たな旅は、受験勉強よりもはるかに苦しい、しかしはるかに実り豊かな旅になるはずです。どうか今後ともお子さんを暖かく見守り、励ましてくださるようお願い致しまして、本日の式辞の結びといたします。

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