平成20年度入学式(学部)祝辞

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式辞・告辞集  平成20年度入学式(学部)祝辞

平成20年度入学式(学部)祝辞

平成20年(2008年)4月11日
建築家・東京大学特別栄誉教授 安藤忠雄

 入学おめでとうございます。会場で先ほど、「ほっとした」「これからゆっくりできるね」と、新入生と親御さんが話されているのを耳にしました。「ほっとした」というのは率直な気持ちとしていいけれども、「ゆっくりできる」という考えは困る。これからは死にものぐるいで、病気になってもいいぐらい勉強してもらわなければいけないと私は思います。というのも、皆さんに掛かっている期待の大きさを考えるとそういわざるをえないからです。日本の国は、ご存じのように迷走状態です。これは各分野にリーダーがいないからだと私は思っていますが、そのためにも猛烈に勉強していただきたい。猛烈に勉強し走っていると、必ずその前にいい先生が現れるものです。また、長い人生において一番重要なのは友人だと思いますが、この友人も徹底的に対話のできる、そして本当に心おきなく未来を語り合える人をこれからの学生生活で見つけてほしいです。メール上の対話ではなくて、身をもった友人関係をつくらねばならない。私は、メールは肝心なときに何の役にも立たないと思います。
 みなさんには、ここはゴールではなく、スタートラインであるということをしっかり認識してほしい。人生90年という時代です。先は長い。そして、社会に出れば、多くの困難な現実が待ち構えています。それに立ち向かっていけるだけの基盤を、この大学時代に、あなたたちは築かねばなりません。
 日本社会は迷走状態、本当にどこへ行くのか目標が定かではありません。同時に地球環境も大変な状態です。先日も、南極のペンギンが白い雪と氷の上ではなく、土の上を歩いているのを見て、私はビックリしました。また、人口も増加し、67億人いますが、2050年には90億になるそうです。 21世紀に入り、地球温暖化、人口増加、食糧、資源エネルギー問題など、人間の存在そして多くの地球に生きる仲間たちの存亡にかかわる問題に人類は直面しています。世界中の人々が、それぞれの専門領域を超えて、知恵を出しあって解決の道を探らねばなりません。未知の可能性をもつ若いあなたたちは未来の担い手としておおいに期待されています。
 昨年、小宮山先生は入学式で、“常識を疑う確かな力をもて”ということを話されました。国際化が進み、情報が錯綜する現代社会を生き抜いていくには、常識にとらわれない、根源的かつ自由な思考が必要です。ものすごいスピードで変わる国際社会の中で、今までの常識はとうてい役に立たないという時に、「常識を疑い、本物を見抜く力をつけなくてはならない」と思いますが、それには自由な心を持たねばならない。その自由な心から生まれるものが《独創力》です。これからの時代を生きるあなたたちには、進む分野を問わず《独創力》が求められているのです。
 あなたたちの大先輩であるノーベル賞受賞者江崎玲於奈さんは《独創力》について次のように語られました。《独創力》を高めるには、知識の総量を増やすというよりも、まず、審美眼、鑑識眼をもつことが必要である。本物を見抜く力、これは理性というよりも感性に根ざしている、と。東大に入学するためには理性を駆使するだけでもよかったかもしれませんが、これからは感性を磨くことも大切だということです。
 それでは、常識にとらわれない思考を心がけ、感性を磨けば、それだけで《独創力》をもつことができるのでしょうか?いや、それだけでは十分ではありません。《独創力》とは、孤立することを恐れない個人に根ざすものだからです。あなたたちは、なによりまず個人を確立しなければなりません。私は、自己主張だけが強い独りよがりの人間になれといっているのではありません。まず、社会を構成するひとつの基点となりうる、他に依存しない自我を築いてほしいのです。
 個人を確立するときによりどころになるのが、将来の夢であり、具体的にいえばこんな仕事を通して社会に関わりたいという意志です。もし、あなたたちの中で夢をまだ見つけていない人がいれば一日も早く見つけてほしいと思います。
 私は皆さん方のように幸福にすばらしい学校に入れたわけではありません。私は大阪の下町で生まれ育ちました。祖母と2人で暮らしていて、経済的には厳しい状態でした。「何とかして生きていかなくてはならない」と思っている時、建築に出会いました。ちょうど、私の家が長屋の平屋だったものを、2階だてにする工事を隣の大工さんがやっていて、それを手伝ったということなのですが。屋根を取ると大きな空が見え、増築すると部屋が広がっていくのを見て単純に感動しました。この感動が私を建築に目覚めさせたと思います。中学卒業時に、大工の棟梁はいいなと思いました。しかし、周囲の人たちがせめて高等学校だけは行ったほうがいいという。経済状態から言うと難しいと思いましたが、職人になることなどを考えて工業高校の機械科に入学しました。そして、自分の生活をしっかり立て、祖母を養うにはどうすればいいかを毎日のように考えていました。そんな日々を送っていたところ、近所のボクシングジムを覗く機会がありました。4回戦ボーイが練習しているのを見て「たいしたことない」と思いました。これなら俺でもいけるかも、と。1回試合をすると4千円くれるという。当時の4千円は大きく、今でいうと10万円ぐらいの大金です。これはいいと思って入門して、1か月でプロのライセンスを取り、その後7回ほど試合をしました。4回戦は思いと勢いとエネルギーさえあれば戦えます、けんかみたいなもんです。しかし、後に世界チャンピオンになるファイティング原田さんが大阪に来たとき、その練習風景を見て、まったく自分とは才能が違うことがわかり、これで生計は立てられないと思い、すぐに引退しました。自分が真剣に闘うと少しは見えてくるんですね、その違いが。そこで引退したわけです。
 その後、私の住んでいた大阪からは気軽に足を運べる京都や奈良の古建築を見に行くようになりました。やがて古本屋で近代建築の巨匠といわれるル・コルビュジエの作品集を偶然見つけ、建築家という職業があることを知ったのです。建築家になるためには、普通、大学の建築学科に行くものですが、私は行けなかった。だから独りで建築を学びました。
 次はやはり大学に行きたいと思いましたが、まず経済的に無理だということと、建築学科というと関西では京都大学や大阪大学があるのですが、自分の学力では歯が立たないと思い、進学を断念しました。それでもあきらめきれずに、建築をやりたいと思いました。そこで私は自分の方法を見いだすために、高等学校を卒業してから1年間、自分ひとりで勉強しようと思いました。そこで大学から建築の教科書を買ってきて、朝の9時から次の日の3時までひたすら本を読みました。1年をかけて。周囲は、「安藤さんのとこの子は、かわいそうなことに頭がおかしくなった」と言ったそうです。その勉強法は1年で卒業しましたが、もちろんその間、誰も相手をしてくれません。
 そのような道を選ばざるをえなかった私は、自らの師と呼べる人を持つことができませんでした。設計事務所でもアルバイトはしましたが、ひとつの事務所で長期間働くことはなかったので、いまでも師と呼べる人はいないのです。しかし、手探りで建築を学びながら出会った人々から学び取ったことは今も私の力となっています。
 もうひとつ、私を自立した個人として成長させてくれた大切なものがあります。それは旅です。
 私は、大学にいっていれば卒業するくらいの年に、一人だけの卒業旅行のつもりで日本一周の旅をしました。関西から四国、中部、東北、北海道までを旅したのです。美しい野山、棚田、民家を見て、日本に生まれたことに心から感謝しました。それが私の心の原風景です。旅を通して私は、書物の世界とは違い、目の前に圧倒的に迫ってくる現実の世界を知りました。旅は、私にとって、常識を疑いながらものごとを自分の力で考える態度を身につける基礎となりました。
 それから数年後の1965年に、日本が外国旅行を解禁します。それまでは外交官や商社の人しか行けませんでした。学生でも簡単に海外に行ける今とは大違いで、東西冷戦のさなか、英語の能力も乏しい私が一人で世界旅行に出るというのは命がけで、二度と日本の地は踏めないのではないかというくらいの気持ちでした。それでも世界のありのままの姿を自分の目で見たかった。近所の人たちとは水杯を交わし《勇気》を奮い立たせて出発しました。
 横浜からナホトカ、ハバロフスクからシベリア鉄道で1週間をかけフィンランドに到着し、4か月ほどヨーロッパを周り、マルセイユで、「ここまで来たんだからアフリカを1周しよう」と思い、1人ですから危険でしたが、どっちにころんでも自分の命だから良いだろうと思い、モロッコからケープタウンに行き、マダガスカル島からインド洋を渡りました。その船から空を見て、星空に本当に感動しました。
 幼い頃から慣れ親しんだ環境から切り離されて、旅をしたことは、私を人間的に大きく成長させました。言葉や顔の色が違っても、世界中のどこでも、人々は、こちらが心を開けば、なんでも教えてくれるのだということを知りました。《勇気》をもって前に進むことで人は成長するのです。旅は私の建築家になりたいという夢をより一層強くしてくれました。
 その後、大阪に設計事務所を開きましたが、最初は仕事がまったくなく、厳しい現実を噛みしめながら、毎日、本を読みながら天井ばかり眺めて不安な日々を過ごしていました。頼まれてもいないのに、勝手に空き地を見つけて設計して、土地の持ち主に「こんな建物を建てませんか?」と、説得に行ったりもしました。そうしているうちに小さな住宅の仕事の依頼が少しずつ来るようになりましたが、常に仕事がなくなるのではないかという不安と戦いながらここまでやってきました。
 私はあなたたちとは違い、常に不安と隣り合わせの人生を歩んできました。その不安が、逆にものごとに真剣に打ち込む姿勢と、失敗を恐れずに挑戦する《勇気》を与えてくれたと思います。あなたたちがこれから、私と同じような状況を選ぶことはできないにしても、安易な道を選ばずに、より難しい道をあえて選ぶことはできるのではないでしょうか。
 まずは、自立した一個の個人となるためには、一日も早く独り立ちしてほしいと思います。ここにいる3千人強の学生たちは、今日、幸福な形で入学したのですが、この式に立ち会われている6千人を超える家族の方々、この日は巣立ちの日だと思って、親子関係をしっかり考えてもらうほうがいいと私は思います。 “親は子を切り離し、子は親を切り離せ。” 極端なようですが、子供が大学生にもなったら、子は親を離れ、親は子離れすることが必要です。自立した個人を作るためには親は子を切ってほしい、本当の親子関係をつくるなかで、個人の自立があると考えます。個人の自立なくして、「独創力」や常識を疑う力はなかなか生まれないのではないでしょうか。
 東京大学が設立されて以来130年。東大は、近代国家日本をつくり、支える人材を養成する場として期待されてきました。当初は西洋の模倣から始まり、驚くべきスピードで西洋の水準に追いつき、やがて世界でもっとも高度な近代国家をつくることに日本は成功しました。しかしこれからの時代、近代主義、経済合理主義一辺倒では立ち行かないことが、近年、地球環境の変化という目に見える形で現れてきました。それにもかかわらず、日本の大学はいまだに欧米の模倣と追従に終始しているように思われます。未来を担うあなたたちにはこの壁を打ち破ってもらいたいと私は思います。そのときに必要なのが《独創力》です。
 小宮山先生は、東大を日本の知の頂点だけではなく、世界の知の頂点にといわれましたが、世界の知の頂点に立つためにも、《独創力》は不可欠です。しかし、《独創力》という前に忘れてはならないものがあります。それは人間力です。人間力は《独創力》を生む母体です。人間力とは、生命あるものへの慈愛や分け隔てなくものごとを扱う平等の精神、他者の気持ちを汲み取る思いやりの心、時には自分を投げ打ってでも公のために立ち向かおうとする自己犠牲の精神など、人間としての基礎があってはじめて発揮される総合力のことです。これは机に向かっているだけでは身につかないものです。大学に入ったからには学問に打ち込むことも必要ですが、人間として成長するためには、学問だけでは十分ではありません。人々と交流し、社会や自然、地球のことを肌で感じる機会を持ってください。
 私が東京大学から教授として招聘されたとき、私自身がまず誰よりびっくりしましたし、家族を含め周囲の人は反対でした。しかし私は、どうしても優秀な人と一度一緒に勉強したいと思いました。共に東京大学で学びたかった。その中で、高卒の人間を教授に招く、東京大学の《勇気》ってすごいな、さすがだと思いました。私は東京大学の《勇気》に感謝します。私にできることがあるとすれば、東大が私に託した、その《勇気》というものの大切さを、私なりの形で、あなたたち学生に伝えることだと思って今こうして話をさせていただいています。
 私は自身の講義録として『連戦連敗』という本を書きました。世界中の建築コンペで闘ってきて、私はいつも勝っているように思っている人もいますが、実は1勝9敗くらいの戦績なのです。私の人生は本当に、負けても負けても戦い続けてきたといってもいいくらい、失敗の連続なのです。
 私が10年ほど前から東大生に接して感じてきたのは、みな知識も豊富で優秀だが、周囲を気にしすぎ、失敗することを恥ずかしがって前に踏み出さないということです。新しいことに挑戦するためには失敗はつきものなのです。失敗を恐れない気持ち、失敗を許す寛容さのない環境からは、未来を開く新しい発想は生まれないでしょう。
 前進したら問題が起きますが、問題を回避していては人間は成長しません。そのために皆さん方、夢という大きな野心をもって、これから日本の国というだけではなく、世界中をひっぱるんだという大きな野心をもってがんばっていただきたい。そのためには死にものぐるいで勉強してください。それだけの期待を皆さんは担っているのです。そのことを忘れないでください。ありがとうございました。


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