平成23年度学位記授与式総長告辞

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式辞・告辞集  平成23年度学位記授与式総長告辞

平成23年度学位記授与式総長告辞
 


  今日ここに、晴れて学位記を受け取る皆さん、おめでとうございます。東京大学の教員・職員を代表して、心よりお祝いを申し上げます。また、この日まで、皆さん方を支えてきて下さったご家族の皆さまにも、感謝の思いとともにお祝いの気持ちをお伝えしたいと思います。

 このたび大学院を修了する学生の数は合計で4,095名、そのうち留学生は445名、約1割強ということになります。この合計の内訳は、修士課程2,859名、博士課程861名、専門職学位課程375名です。
 皆さんの中には、学位記を受け取って、これから社会に出て行こうとする人もいれば、引き続き大学の中で、さらに専門的な研究を行っていこうとする人もいると思います。これまで、皆さんは、大学院で研究を進める中で、学部での幅広い勉強や経験とはまた違った形で、より専門的な能力の習得に力を注いできたことと思います。それは、「研究を深める」という言葉に表れているように、考察の対象を絞り込んで深く掘り下げていく、研究としてきわめて自然な方法です。そのことによって、皆さんの中には、ある特定の分野においては、研究の仲間はもちろん、指導教員の知識さえも超える水準の成果を達成した人も少なくないはずです。
 このように、ある特定のテーマに精力を集中することで自分の能力の大きな可能性を確認した皆さんに、今度は、「他者を意識する」ということを考えてもらう良いタイミングにさしかかったと思います。今日はこのことをお話しておこうと思います。

 昨年度、この学位記授与式は、東日本大震災の直後の式典となり、小柴ホールで、各研究科修了生の代表の皆さんだけに出席してもらうという異例の形をとりました。今年は再び例年の形式に戻して、この安田講堂で式典を行っています。
 ただ、東日本大震災によって被災した地域が元に戻っているというわけではないことは、皆さんもご存じの通りです。つい先日も、私は、岩手県の大槌町へ、復興に向けた連携・協力協定を結ぶために行ってきましたが、現地では、やっと少し復興の兆しが見え始めてはいるものの、本格的な復興への動きはまだまだこれからです。いま東京大学の救援・復興支援室には、80あまりの関連プロジェクトが登録されて動いています。これらのプロジェクトの中には、健康・医療にかかわるもの、建物やまちづくり、経済生活・産業にかかわるもの、防災、放射線安全、あるいは資源・エネルギーにかかわるものなど、多様な活動が含まれており、大学院学生の皆さんもこれらのプロジェクトに参加してきています。こうした復興支援のための活動は、まだまだ継続していかなければなりません。

 皆さんが大学院に在学している間、さまざまな経験をしたことでしょうが、そのうちでももっとも大きな経験の一つが、東日本大震災の発生であることは間違いないと思います。この震災の発生、大津波、そして原子力発電所の事故と相次ぐ危機の中で、皆さんの多くは、被災した方々のために自分が何を出来るのだろうか、と自らに問いかけたことと思います。皆さんがこれから研究を続ける時に、あるいは研究を社会に生かす時に、そのような思いを持ち続けていくということが、何より、「他者を意識する」ということの一つの形です。このたびの大震災がもたらした惨禍を意識し続けることは、皆さんの研究や生き方に、直接的にせよ間接的にせよ、大きな影響を与えていくことになるはずです。

 「他者を意識する」ことの必要性は、震災に限らず、社会一般への関わり方において広く言えることです。大学での勉学を終えて社会に出ていく、企業などに就職していく皆さんは、仕事の上で当然に、これまで以上に「他者を意識する」ことになると思います。上司・同僚、あるいは取引先など、大学におけるのとはまた異なった多くの「他者」に出会うことになるはずです。そうした出会いの中で、皆さんにはぜひ、「他者を意識する」ことを面倒だと感じるのではなく、むしろ楽しみとし、自分の成長の糧としていただければと願っています。
  これは、私が、「国際化」というものが持つ意義についてさまざまな機会に話してきていることに通じるのですが、自分とは異なった考え方や価値観を持ち、異なった生き方をしている人たちとの出会いは、最初はとまどうことがあっても、お互いの触れあいの中で、皆さんが持っている潜在的な力を引き出してくれるはずです。そうした中で、これまでは自分でも知らなかった、もう一人の自分に出会う経験を重ねていくはずです。それが人生における成長ということであり、「他者を意識する」ことは、そのきっかけとなります。

 「他者を意識する」ためには、ふと立ち止まってみる気持ちの余裕、そして時間の余裕を作ることが必要です。自分だけの世界や自分のペースだけで行動していては、「他者を意識する」ことによって自分が成長するチャンスを失います。私は、皆さんがこれまで大学や大学院で学んできた知的な力というのは、そうした余裕をうまく活用するために必要なだけでなく、気持ちと時間の余裕を生み出すためにも使いうるものだと考えています。知的な力は、ただ物事を効率的・専門的にすすめるためだけではなく、「他者を意識する」ことを通じて自分の成長を促す、社会的なサイクルを動かすためにも必要なものです。これから社会に出て働く皆さんは、大学の中での勉学とはまた違ったさまざまな仕事に追われて慌ただしい日々を送ることになるでしょうが、この「他者を意識する」という余裕をつねに持ち続けてほしいと思います。

 大学でこれからさらに研究を続ける皆さんにも、「他者を意識する」ということを心がけてもらいたいと思います。
  その場合に、一つには、「他者」ということで、皆さんの比較的身近にいるはずの他の分野の研究者、他の学問分野を意識するということを考えてみて下さい。つまり、自分がこれまで狭く深く研究してきた分野のことだけでなく、それと他の分野との関係にも目を向ける機会を、意識的に作ってもらいたいと思います。社会的な課題であれ学術的な課題であれ、現代において私たちが直面しているさまざまな難問の中には、一つの専門分野だけでなく、複数の分野が協力して解決に取組むことを求めているものも少なくありません。皆さん自身もおそらく、自分の研究をすすめていくにあたって、関連する分野の研究の動向についても気になることがあったのではないかと思います。学位記を授与されるこの時期は、一つの区切りとしてしばし、「他者を意識する」余裕を持てるタイミングであると思います。専門的な研究を行うとともに他の分野に視野を広げることは、皆さんが専門を深めていく力をさらに強靭なものとしてくれるはずです。

 もう一つ、「他者を意識する」という場合に、研究にあたって社会の人びとを意識する、ということを考えてもらいたいと思います。それは、硬い言葉で言えば、研究者の社会に対する説明責任ということであり、あるいは科学リテラシー、サイエンス・コミュニケーションといった言葉で語られることもあります。
 研究が社会の人びとを意識するということは、例えば、自分の専門知識を生かして製品が作られ、あるいは事業が生み出されていくという時には、分かりやすいかもしれません。他方で、基礎科学のように社会的な成果がすぐに見えにくい分野では、そうした視点を意識的に持ち続ける必要があるように思います。
 研究において生み出される知識を社会が切実に求めていることは、このたびの大震災に際しても、地震、津波の予知や影響測定、あるいは原子力発電所の事故のコントロールや放射線の影響予測などの場面でも示されています。こうした緊急時には、専門的な知識をできるだけ分かりやすく人びとに伝えることが求められるわけですが、今回のような事態を経験すると、大学で研究に携わる者が日頃から、専門的な知識をもっと人びとに伝え、科学的な事柄に対する人びとの判断能力の基盤を育てておく責任があったように感じます。
 大震災後においては、科学的にさまざまな見解がある場合には、専門家が特定の一つの答えを断定的に述べるのではなく、むしろ複数ある考え方を率直に示すことによって、人びとが判断を行う選択肢を提供することの重要性も指摘されました。こうした判断を人びとが適切になしうるためには、危機が生じる以前の日常的な場で、科学的な事象に対する理解を深め、また、科学がもたらす利益とリスクとのバランスを考える枠組みを身につけられるような環境が整えられていることが必要です。いわゆるリスク・コミュニケーションということも、リスクが生じた時点におけるコミュニケーションの在り方だけでなく、普段からのコミュニケーションの蓄積を視野に入れて考えられるべきものです。こうした環境を作ることへの日常的な貢献は、研究に携わる者が「他者を意識する」という時に、当然想定されることであり、また、そこから逆に、研究への思いがけない視点や素材が得られることもあるはずだと思います。

 このように、「他者を意識する」ということの大切さを皆さんに伝えようと思った時に、ふと思い出したのが、私がずっと昔、教養学部の学生だった頃、当時必読書と言われて読んだ、『菊と刀』という本です。これは、ルース・ベネディクトというアメリカの人類学者が、第二次世界大戦後の日本の占領統治に役立てようという目的で、日本の文化、日本人の行動様式を分析した本です。その分析について批判も少なからずありますが、日本文化と日本人の特質のいくつかを鋭く描き出していることは事実です。この本の中に、日本人の行動様式を枠づけるものとして、「恥を知る」ことに重きを置く文化があり、個人的要求よりは他者の期待、他者からの評価に応えることを重視して行動するという、よく知られた話が出てきます。
  こうした行動様式は、私が今日、「他者を意識する」という言葉で話してきたものとは異なります。『菊と刀』の世界は、自己犠牲を伴いつつ他者を意識するという構造ですが、そうではなく、自己の成長のプロセスの中に「他者を意識する」ということを位置づける、そういう話を私はしてきました。日本人の伝統的な行動様式では、このように積極的な形で「他者を意識する」ことは、あるいは苦手であるかもしれません。しかし、最近の若い人たちの行動を見ていると、こうした「他者を意識する」という感覚は、一方では伝統的な自己規律的な良さも残しながら、私が今日お話ししたような方向に確実に動いてきているように感じます。

 今日、この場にも多く出席している留学生の皆さんは、日本人の学生と研究や生活を共にする時に、『菊と刀』の中でこのように描かれた「恥を知る」文化に思い当ることがあったり、あるいは、それとはまったく違う印象を受けたりと、日本社会の中でさまざまな経験をしてきたことと思います。留学生の皆さんは、自分が生まれ育った国とは異なる社会の中で、否応なく「他者を意識する」という経験にさらされ、苦労をしながらもたくましく成長してきたことと思います。留学生の皆さんが、これから日本で生活を続けるのであれ、あるいは自分たちの国に帰るのであれ、勉学を通じて得られた力と同時に、この「他者を意識する」ことによって得た力を、大いに発揮していってもらいたいと願っています。

 最後に、ここにいる全ての皆さんの、これからのさらなるご活躍をお祈りして、告辞を終えることとします。

平成24年3月22日

東京大学総長
濱田純一

 

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