平成24年度東京大学大学院入学式 祝辞

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式辞・告辞集 平成24年度東京大学大学院入学式 祝辞

学問とは何か

 ちょうど17-18年前、私は、現職の法学部長・大学院法学政治学研究科長として他ならぬこの壇上に列した者の一人です。
 当時は、学部の入学式の他にこのような形での大学院の入学式はなかったのでありまして、それ以後の東京大学における大学院の比重の著しい増大が、こういう盛大な入学式の挙行にも現れていると感じるのであります。

 本日から皆さんはそれぞれの専門に分かれて学問の道に進むわけでありますが、その出発に当たって、そもそも学問とは何かという問題について、私の考える所を述べたいと思います。今からちょうど140年前の1872年(明治5年)に当時としては画期的な学問論が刊行されました。現在では誰もが知っている、しかし誰もが読んでいるとは限らない福沢諭吉の『学問のすゝめ』初編であります。これに続いて、全17編が1876年(明治9年)にかけて刊行され、その初編の如きは小学校の教科書にも採用され、総じて当時の日本で広く読まれたことは皆さんもご承知の通りであります。それは学問論でありますが、同時に学問論の形をとった深い人生論であり、時代を超えて訴えかける普遍的意味をもっています。そこで『学問のすゝめ』を手掛かりとして、学問とは何か、さらに学問は人生にどういう意味があるかを考えてみたいと思います。
 まず著者福沢諭吉の念頭にあった「学問」の内容にはいくつかの特色があります。第一は「学問」を「働」、とくに「精神の働」、場合によっては「心身の働」としてとらえていることです。学問とは活動である、精神の活動である、場合によっては精神および身体の活動であるという見方であります。その意味は「学問」は決して既成の知識の体系ではない、少なくともそれが「学問」の本質ではない、「学問」の本質は出来上がった知識を単に学ぶことではなく、新しい知識を作り出して行く精神および身体の活動であるということであります。それは福沢諭吉が人生の半分を生きた江戸時代の支配的な「学問」観に対する批判、つまり古代中国の聖人によって作られた知識の体系としての儒教の経典をひたすら学習することが学問の正道であるという「学問」観に対する批判として出てきた「学問」観であります。
 このような「学問」観は、言うまでもなく、「学習」と「学問」とを区別します。「学習」は既に知られているもの、既知なるものへの問いから出発し、その答えを求める過程であります。「学習」においては唯一の正しい答えが存在するということが前提されております。これに対して、「学問」は未だ知られていないもの、未知なるものへの問いでありまして、その答えを求める過程が「学問」です。学問においては、唯一の正しい答えが存在するか否かが知られていないのです。
 このような未知なるものへの問いとしての学問を進展させ、成果へと導いて行く方法は、どこでどのように習得し、体得して行くのかというのが次の問題であります。要するに学問の実技あるいは学問の実務をいかに習得するかという問題であります。私の考えを端的に言いますと、それは自ら実際に学問活動に携わる以外にはないと思います。つまり学問の実技・実務は学問それ自体を通じてしか習得・体得できないということです。したがってそのためには、どんな形にせよ、まず学問の最前線に直接に参加することが必要であると思います。大学院というのは、なによりも学問を実際に行う、その成果を追求する場所であり、学習の成果を積み立てて学歴を作る場所ではありません。
 そのことを私に如実に感じさせたのは、今から40年以上前に読んだ、私自身とは全く専門の異なる、ある生化学者の具体的な研究についての回想録、『二重らせん』という題名の回想録であります。これはとくに理系の専門に進まれる方々の中には既にお読みになった方々が少なくないのではないかと思いますが、私は今から40年以上前、1960年代末に当時医学系大学院生であった若い研究者に薦められて読みました。これは遺伝の基本物質であるDNAの構造を解明した一人であるJames D. Watson教授が1950年代初頭に20歳代前半で成し遂げたDNAについての画期的な研究成果、要するに、DNAの構造は二重らせんの形をとるという研究成果に到達するまでの過程をふり返った回想録であります。実は、私はこの書物によってDNAということばを初めて知りました。今日の日本でDNAということばがこれほどまでに人口に膾炙することになろうとは、当時は全く予想していませんでした。それはともかく、私はこの書物によって改めて「学問」が福沢諭吉のいう「心身の働」であること、したがって「学問」の第一線における「心身の働」を通じてしか「学問」は習得できないものであることを実感させられました。逆に20歳代前半の、当時のWatson教授のような無名の(そしてあえていえば教科書的知識も必ずしも十分ではない)若者でさえ、「学問」の第一線に身を投じ、一つの課題にすべての時間とエネルギーを集中すれば、他人はもちろん本人自身も思いも掛けなかったような偉大な成果を挙げることもありうることを納得しました。皆さんによって今後担われるであろう「青春期の学問」のいかに恐るべきかを痛感したわけであります。これが「後生畏るべし」という『論語』に出てくることばの意味であると私は理解しております。
 なお序でに申しますと「学問」にはWatson教授の『二重らせん』に表現されているような「青春期の学問」もあれば、逆に、それとは対照的な「老年期の学問」もあります。「老年期の学問」はもちろん皆さんの当面の問題ではなく、私のような「後期高齢者」の問題でありますが、30年後、40年後に皆さんが必ず当面する問題であります。「学問論」が「人生論」でもあるということの意味はそこにも表われています。このことを今から念頭に置いてほしいと思います。
 福沢諭吉が『学問のすゝめ』の中で説いている「学問」の内容のもう一つの特色は、人間がそれぞれの社会的役割(「人たる者の職分」)を果たすための「術」、アートとして「学問」をとらえている点であります。したがって「学問」は職業的学者の「学問」に限定されません。福沢は「人間普通日用に近き実学」というものの重要性を強調します。そして「学問」は活用されなければならないと主張します。「活用なき学問は無学に等し」と書いています。つまり福沢にとって「学問」の主体は学者だけでなく、それぞれの社会的役割をもっている人民一般なのです。「学問」においてはプロフェッショナルと同等にアマチュアーが重要であるというのが福沢の見解なのです。学問におけるプロフェッショナルの質を決定するのもアマチュアーの質であります。ともすれば独善的になりやすいプロフェッショナルの偏りを正すのは多分に直感的なアマチュアーの批判であります。プロフェッショナルはアマチュアーとの不断の対話が必要なのです。この点で、学問と政治は同じであります。学問においてプロフェッショナルの質を高めるために、いかにしてアマチュアーの質を高めるか、いいかえれば学問の国民的基盤をいかに強化するかという問題意識は、学問のプロフェッショナルにとって非常に重要だと考えます。
 こうして福沢は「学問」を各人がそれぞれの社会的役割を果たすための「術」、アートとしてとらえる一方で、高い水準の「術」、アートはそれを支える高い「志」、思想(「心事」)、モラル(「徳義」)がなければならないことを強調しています。つまり高い水準の「学問」とは、「学問」を担う人間の内面と外面とが共に高い水準にあるものを意味するわけであります。そのような内面と外面とが釣り合った高い水準の「学問」を担う人間に「人望」が集まるということを福沢諭吉は述べています。そして「人望」がなければ人間は十分にそれぞれの社会的役割を果たすことはできない、つまりその「学問」は用をなさないということをいうのであります。「学問」の危機がしばしばそれを担う学者の「人望」の危機という形をとって現れることがあるのは、今日の日本の状況に鑑みても明らかであります。
 続いて『学問のすゝめ』において提示されている「学問」の方法の特色について述べたいと思います。福沢がとくに強調したのは、「学問」における「談話」・「演説」の重要性です。「学問の道に於て談話演説の大切なるは既に明白にして今日これを実に行ふ者なきは何ぞや」と慨嘆しています。これは、福沢が学問においてもコミュニケーションの手段として「書きことば」だけでなく、「話しことば」が有用であることを認識していたからであります。「談話」や「演説」は「話しことば」を学問の用具として洗練する機会でもあったわけです。また福沢には「学問」の発展は同等同位の他人との間の「人間交際」の発展に伴うべきものであるという確信があったからであり、それが「談話」や「演説」の学問的重要性に着目させたということができるのではないかと思います。「学問」においては先生はもちろん重要でありますが、それに劣らず友人が重要であります。江戸時代の最盛期を代表する学者である荻生徂徠は、当時、大名諸侯が立派な学者を先生としているにもかかわらず、学問が進歩しないのは友人に乏しいからだということを書いています。これは徂徠が福沢と同じく、学問の活動の母胎が「人間交際」であるととらえる学問観を持っていたことを意味するのであり、それから出てきた洞察が見られるわけであります。
 以上福沢諭吉の『学問のすゝめ』における学問観を手掛かりとして、「学問」とは何かについてお話しました。最後に学問は個人個人の人生にどのように関わるのかという問題について、私の考えを述べ、結びといたします。いうまでもなく、個人個人の人生はどれ一つとして同じものはありません。それぞれが独自の価値を持つ、かけがえのないものであります。人間の尊厳はそのような個人個人の人生の絶対的価値に根ざしています。それが「人権(ヒューマン・ライツ)」という観念の実体を成していると思います。「学問」は、そのような絶対的価値を持つ個人個人の人生を内面的に結びつける媒介の役割を果たすべきものと考えます。個人個人の人生の絶対的価値を損なうことなく、それら相互の内面的交流を媒介することによって、つまり福沢のいう「人間交際」を促進することによって、「学問」は「人類」という観念を現実に近づけることができるのではないかと思います。よく知られていますように、福沢諭吉が「学問」の目的としたのは、明治初年当時の日本国民一人一人の「独立」(福沢のいう「一身独立」)であり、とくにその精神的独立でありました。そしてそれが当時の日本の課題であった「一国独立」の前提条件であると考えました。「学問」によって根拠づけられた「一身独立」を、明治初年の日本の課題であった「一国独立」を超えて、今やそれ自体運命共同体と化しつつある人類の連帯にまでもたらすのが『学問のすゝめ』から140年後の今日の「学問」の使命であると考えます。
 
 
 以上、蕪辞を連ねましたが、これをもって祝辞にかえさせていただきます。ご清聴ありがとうございました。

平成24年(2012年)4月12日
三谷 太一郎

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