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先人たちの業績の上に、ひとつ小さな石を積み上げる | UTOKYO VOICES 023

掲載日:2018年3月16日

UTOKYO VOICES 023 - 先人たちの業績の上に、ひとつ小さな石を積み上げる

大学院法学政治学科研究科 教授 沖野眞已

先人たちの業績の上に、ひとつ小さな石を積み上げる

もともと、法学者になろうという気持ちは全くなかった。「法律」でイメージするものはテレビドラマで見た六法全書くらい。東大文1に入ったのも男女雇用機会均等法の前夜にあって「法学部ならつぶしがきくと考えたから」と話す。

だが、授業を受けるなかで前のめりになった。刑法も民法も極めて論理的に組み立てられており、「パズル」のような面白さにまず心惹かれた。ただ、幅広く解釈が可能で、いろいろな完成図がありそうな民法の方に傾倒した。

「刑法は筋がぴしっと通っている論理的な構築物のよう。それに対して、民法はそこまで一貫性があるわけでなく、場合によって使い分けがなされている。なぜだろうと考え出すと、止まらなくなったのです」

例えば、ごく簡単な法律用語である「悪意の第三者」と「善意の第三者」。きちんと定義があるように思えるが、実は条文によって意味が違う。同じ法律の中の同じ用語に異なる意味が付与されるのはなぜなのか。そこにはどのような考慮があるのか……?

生きるうえでの「ルール」でありながら、深みと幅広さを持ち、様々な組み合わせがある民法。沖野が目下取り組むのが「契約の解釈」と「信認関係(フィデュシャリー)」。

信認関係は英米法が起源で、信託の受益者と受託者は信認関係とされ、それが弁護士と依頼人、医師と患者、会社と取締役の関係など様々に適用されている。信認関係は契約関係と対比して語られる。日本でも注目されている概念なのだが、しかし、それらは日本法では契約関係とされている。信認関係をどう位置づけるべきなのか。契約法における信義誠実の原則の中でとらえるのか、それとも独自のものとして考えるのか。とても大きなテーマだ。

「契約の解釈」を研究することが「ライフワーク」ともいう沖野だが、実はそれを見つけるまでの道のりは長かった。大学生のとき、民法の権威である星野英一教授のゼミに参加し研究者に憧れをもったが、「私ごときが研究者を目指してよいのか」と悩んでしまった。意を決して星野先生に相談したところ、「向いている」と背中を押してもらえた。だが論文を書く段階で、またもや「難しい」「辛い」と感じてしまう。再び弱気になった沖野の心を軽くしたのもまた、師である星野先生の言葉だった。

「私たちがやっていることは石を一つ積むこと。先人たちが残してきた様々な業績に、石をひとつ積めばいいんです」

いまも「自分の研究は日本法にどのような示唆が与えられるのだろうか」と考え込むこともある。導きは師の言葉だ。

「星野先生は2012年にお亡くなりになりましたが、私が論文を書いた時にどうおっしゃるだろうか。それを意識しながら、石をひとつ積むことができればと思います」

取材・文/菊地原 博、撮影/今村拓馬

Memento

3つの命綱。①授業、政府の審議会、各機関の理事会と様々に入る日程を管理する手帳は生活の命綱。②研究、発表データを格納して持ち歩くポータブルハードディスクは研究の命綱。③疲れた時、授業や研究会発表の前に半分だけ飲む栄養剤は生きていく上で不可欠な、まさに命綱

Message

Maxim

「精一杯」。全てに全力投球で、精一杯やってしまう。本当は「メリハリ」をつけて、原稿も書き、時間も管理したいのだが、「精一杯」やってしまうという

プロフィール画像

沖野眞已(おきの・まさみ)
1983年東京大学入学。86年司法試験合格。87年法学部卒業、東京大学法学部助手。90年筑波大学社会科学系専任講師、93年に学習院大学法学部助教授・99年同教授、2007年一橋大学大学院法学研究科教授。2010年より東京大学大学院法学政治学研究科教授(現職)。95年~96年米国バージニア大学ロー・スクールにてLLM。2002年~04年法務省に出向、法務専門官として、主に倒産法改正に従事。民法・信託法・消費者法を専攻。

取材日: 2017年12月8日

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