東京大学教職員・学生の手記「原子力災害に起因した環境放射能汚染に関する実務的対応の経験」

東日本大震災 - 東京大学教職員・学生の手記

平成23年3月11日に発生した東日本大震災発生時の様子やその後の行動、対応、感想等を本学関係者に手記として執筆してもらいました。

原子力災害に起因した環境放射能汚染に関する実務的対応の経験

環境安全本部 准教授 飯本 武志(執筆代表者)

協力チーム:
野川憲夫、垰和之、桧垣正吾、小池裕也、小坂尚樹(アイソトープ総合センター)、鈴木崇彦(医学系研究科)、小橋浅哉、谷川勝至(理学系研究科)、田野井慶太朗(農学生命科学研究科)、廣田昌大(工学系研究科)、家泰弘、野澤清和(物性研究所)、三谷啓志、朽名夏麿(新領域創成科学研究科)、渡邊太朗(大気海洋研究所)、神子公男、渡邉康裕、上村祥史(生産技術研究所)、環境安全本部及び環境安全衛生部教職員

 東日本大震災が引き金となり、東京電力・福島第一原子力発電所から大量の放射性物質が環境に拡散するに至った。この影響を受け、茨城県東海村にある本学工学系研究科原子力専攻・研究施設の屋外モニタリングポストが、平成23年3月15日、一時的に5μSv/hを記録し、原子力災害対策特別措置法第10条に基づき規制当局へ通報がなされた。この線量の異常上昇は発電所からの移流物質が原因であると判断されたが、その後に予想される全学的な対応を一元化することを目的に、本学災害対策本部の下に"環境放射線対策プロジェクト"が即日に設置された(松本洋一郎理事(担当)、田中知環境安全本部放射線管理部長(リーダー))。敷地内の環境放射線に関する数値情報を公表し、東大として必要となる対応戦略を検討することがこのプロジェクトの当初の活動であった。この活動を実務的にサポートする組織として"協力チーム"が編成された(放射線管理部放射線安全懇談会のコアメンバー数名に本部構成員が加わったもの。本稿の連名者)。各キャンパスの線量率を監視するための代表測定点が吟味され、この定点での連続モニタリングが完全に自動化される5月の初旬頃まで、手動計測(当初は休日を含む徹夜態勢で対応)を継続することで公開データが整備されたのである。本郷、駒場、柏の3キャンパス以外の敷地、土壌・雨水・井戸水・水道水・落ち葉肥料などの調査も必要に応じて実施した。また、学内外からの大量な電話相談、メール質問への個別対応も、大変な時間と労力、緊張を伴うものであったが、本部総合企画部広報課と連携してこの協力チームがその重責を果たした。特に乳幼児への懸念が大きかった背景から、敷地内の6保育園において、関係職員に、場合によっては保護者向けに、環境放射線の状況とその対応についての解説をし、相談会を開催した。協力チームの活動はさらに広がり、本学「東日本大震災に関する救援・復興に係るプロジェクト」の枠組みを使っての「国の災害対策本部等からの要請に基づく放射線安全にかかる技術的支援」を決め、有志メンバーが本学の代表として現地福島に赴き、避難施設からの一時帰宅住民に対する国によるスクリーニング検査の作業に協力した。

 これらの活動を通じての率直な感想を、以下に2点述べたい。一点目は、本学の放射線安全管理実務メンバーの意識と結束力の高さを実感できた点である。正にすべてが混乱していた事故の直後、数人のメンバーが自発的に近い形で参集したことがこの活動の核になっている。平成20年に環境安全本部が中心となり、放射線安全懇談会の仕組みを作り、組織の壁を超えての、真の意味での管理者連携を強化してきた成果の現われと感じている。二点目は、リスクコミュニケーションの難しさを改めて実感した点である。事故後、文字、音声、映像、さまざまな形で情報が発信された。どれも一長一短のツールである。発信者の意図が適切に伝わらないことも多々あった。発信者と受け手の知識や意識の差を埋めることなく、安易に情報発信したり、数値だけが独り歩きしたときに生じる不幸ははかり知れない。リスク認知、安全文化の醸成などが、まさに今、重要なキーワードになったとの思いを強くしている。

一時帰宅住民に対する国の放射能汚染スクリーニング検査
(有志メンバーによるボランティア参画)
―住民の帰宅準備のサポートをしている様子―

―放射能汚染スクリーニング検査会場の準備をしている様子―


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