東京大学教職員・学生の手記「東日本大震災」

東日本大震災 - 東京大学教職員・学生の手記

平成23年3月11日に発生した東日本大震災発生時の様子やその後の行動、対応、感想等を本学関係者に手記として執筆してもらいました。

東日本大震災

数理科学研究科修士2年 谷田川友里

 2011年3月11日、日本周辺における観測史上最大の地震である東日本大震災が発生した。

 大きな揺れが起こったとき、私は大学の図書館にいた。長く続く大きな揺れに、どこが震源かもわからなかったが、実家にいる家族のことが心配になった。揺れが一度おさまり、図書館の外で、実家に連絡を取ると大丈夫だと言っていたので安心した。東北で起こった地震らしいということを知り、また図書館に戻った。するとまた大きな揺れが。東北での余震だろう、そう思った私は、その時には実家には連絡を取ることはやめた。二度の揺れが起こったことから図書館は閉館になり、自分の部屋に帰った。夕飯のおかずを買いに出かけ、帰ってきて初めてテレビをつけて言葉を失った。テレビの画面に東北・茨城で震度7という文字を見たからだ。急いで実家に連絡を取った。

 私の実家は茨城県鹿嶋市にある。地震が起こったあと何度かテレビにも出た。鹿嶋市での最大震度は震度6弱。東北ほどではないが、津波もきたし、液状化も起き、大きな被害が出た。被害の様子は鹿嶋市のホームページでも公開されている。

 地震が起きて少し経ってから、弟と一緒に実家に帰った。地震が起きてから初めて生で見る実家の様子は地震のすさまじさを物語っていた。屋根瓦が落ち玄関や部屋の壁にはいたるところに大きな亀裂が入っていた。特に浴室は割れて落ちたタイルで足の踏み場もなかった。判定は全壊だった。私たちはその後片付けを手伝って東京に戻ったが、東京に戻った後も実家ではしばらく水の出ない日々が続いた。それからしばらくして、壊れた建物を取り壊し、母屋の損壊のひどくない一部分に浴室をつけて暮らすようになった。ポジティブにとらえるなら、田舎の家だけに掃除する気にもならなかった家の掃除が毎週掃除されるほど楽になり、庭も3家族が余裕でバーベキューをやれるくらい広い庭になった。最近やっと、家に入らずビニールハウスに詰め込んでいた荷物を片付けるための物置の建設が始まった。

 地震発生後は多くの大学関係の方にも助けていただいた。最初に数理科学研究科の窓口に授業料免除書類の相談に行った際、何かあったら言ってと言っていただき、涙が出そうになった。教養学部の奨学金係の方にも何度もお世話になった。さつき会の皆さんには奨学金を出していただき、励ましていただいた。また、大学の先生や友人にもたくさん心配していただいた。何より、こころに悲しみを抱いているときに、変わらずそばにいてくれることがうれしかった。今でもとても感謝している。

 地震が起きて一年半が経った今でも、街も人の心も完全に復興したわけではないと思う。それでも、今の状況に感謝しながら、自分ができることをひとつひとつ積み重ねていきたい。そして、みんなの力で、一日でも早く一人でも多くの人が笑顔になれたらいいと思う。



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