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クリーム色の表紙

書籍名

日本関係海外史料 イエズス会日本書翰集 原譯文編之四

判型など

410ページ、A5判

言語

日本語、英語、スペイン語、イタリア語、ポルトガル語

発行年月日

2018年4月25日

ISBN コード

978-4-13-092744-4

出版社

東京大学出版会

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『イエズス会日本書翰集』は、主に16世紀に日本に滞在したイエズス会士たちの現地報告書である。日本ではちょうど戦国期にあたり、戦乱などで史料の散失被害も大きい時期だけに、宣教師が見聞した日本の諸事情についての貴重な情報源として、これまでにも活用されている。主にポルトガル語、スペイン語、イタリア語等で記されており、本冊ではポルトガルの図書館・古文書館に所蔵される手稿写本を翻刻して底本とし、翻訳した。本冊には、1560年1月から1561年10月までの日本布教の記録(20点)の原文並びに訳文が収められる。本シリーズの刊行は、1990年に始まったが、従来、原文編と譯文編を別して数年間隔で刊行してきた。本冊より、各書翰の原文と訳文を同巻に収載したことにより、読者は原文と訳文を対照させて読むことができ、史料集としてより利便性の高いものとなった。
 
本冊では、イエズス会の日本各地における布教活動が本格化していく様が具体的に報告される。とりわけ1559年に始まった京都での布教活動、領主籠手田安経の改宗により、領民の集団改宗がおこなわれた平戸、生月、度島などの信仰形態に関する記述が目を惹く。これらについて詳細に語る2通の書翰の概要をここでは紹介したい。
 
「1560年6月2日付、日本人修道士ロウレンソのインド管区長宛書翰(131号)」では、イエズス会司祭ヴィレラに同伴して上京した元琵琶法師ロウレンソが、京都での彼らの活動について語る。当初、洛中に家屋を得て布教活動を始めたヴィレラとロウレンソは、市中の人々から嫌悪され、家主からも嫌われたために、住居を転々とすることを余儀なくされた。しかし、将軍足利義輝への謁見後、義輝が彼等に好意的に接したことをきっかけに、人々の態度は軟化し、その後は諸宗派の仏僧たちが彼等との宗論に訪れた。仏僧の多くは、最初は興味と揶揄いで訪問してきたが、宗論を交わした後に、キリシタンになる者も現れ始めた。同じく、賀茂在昌のような陰陽道関係の下級貴族の中にもキリシタンになる者が現れた。江戸幕府の禁教後も、宣教師が齎した医学と天文学は「南蛮流」「阿蘭陀流」という形で、知識人の間で継承されていくが、この頃すでに、彼らが宣教において天文学を説いていたことが、そこからも推測される。
 
「1561年10月1日付、ルイス・デ・アルメイダのインド管区長宛書翰(147号)」では、豊後での布教活動に従事していた修道士のルイス・デ・アルメイダが、1561年6月、布教長トルレスの命令により、九州北部の訪問布教活動に任じられ、その旅の様子が克明に記される。豊後府内を出発したアルメイダはまず博多に逗留する。博多には大内氏滅亡後、多くの関係者が移住してきており、そのうちの一人であった大内義隆あるいは義長の「説教師」であった老僧が、アルメイダとの一週間にわたる宗論の末にキリシタンに改宗した。平戸に到着したアルメイダは、当時すでに改宗していた籠手田安経らに迎えられた。アルメイダの訪問先は、平戸港周辺の中心部、春日、獅子、飯良、生月島、度島などであった。それぞれの地域のキリシタンの詳細が語られる。

なお本冊出版にあたり、ローマ・イエズス会歴史文書館の寛大なご協力を得た。
 

(紹介文執筆者: 史料編纂所 准教授 岡 美穂子 / 2018)

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