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白い表紙

書籍名

大日本古文書 家わけ第二十二 益田家文書之五

判型など

404ページ、A5判

言語

日本語

発行年月日

2021年4月23日

ISBN コード

978-4-13-091295-2

出版社

東京大学出版会

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『大日本古文書 家わけ第二十二 益田家文書之五』は、『大日本古文書』として刊行されている、武家文書を対象とした史料集の一冊です。

益田家文書は、萩藩毛利家の永代家老益田家に伝来した文書で、総数1万8千点余りありますが、『大日本古文書』では、そのうち江戸時代の益田家で整理され巻子などにまとめられた、百十七軸の「益田家什書」と呼ばれる部分を編纂対象としています。近世益田家にとっては、毛利家に従う以前、石見国西部、現在の島根県益田市を中心とした地域の有力な武家として、大内氏や室町幕府とも深く関係し活躍した中世文書の時代は、家独自の歴史を誇るうえで重要な時代でした。したがって「益田家什書」には八百点余りある中世文書はすべて含まれています。同時に、益田家にとって家存続の危機ともいえる、大内氏滅亡後から毛利家家臣となり近世の体制のなかで安定した地位を獲得するまでの時代、益田元祥という当主に代表される時代も、やはり重要な時期として「益田家什書」に文書がすべて収載されています。
 
このように『大日本古文書』では、史料に対する伝来組織の認識・視点を重視し、原則として伝来のまとまりに従って史料編纂を行っています。もちろん歴史研究のうえでは、編年順などで史料を見ていく必要もありますので、史料編纂所では日本古文書ユニオンカタログ・古文書フルテキストという2つのデータベースを公開し(https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/)、以前は難しかった史料群を複眼的に見ることも容易となるよう工夫しています。 
 
さて、益田家文書は本冊によって中世文書のすべてが刊行されたことになります。そこで五冊の史料集全体にわたる中世益田家文書の魅力をいうなら、中世地方武士の世界を多面的に示すということでしょう。近畿地方の大寺社には多くの中世文書が残っていますが、武家に伝来した中世武家文書となると、それほど多いとはいえません。そのなかで益田家文書は、いわゆる山陰地方の中世文書として屈指の質量を誇るものです。石見国の大田文など鎌倉時代の重要史料を伝える以外にも、15・16世紀の史料が特に豊富で、大内氏に従った二度の上洛時の室町幕府関係者からの書状類、一族・近隣武家同士の一揆契状群など、他に類例をみない史料が残っています。益田氏は、南北朝期に所領安堵に必須の証拠書類原本をほとんど失い、かろうじて写しによって室町幕府の安堵を得たという経験を持つためか、文書を捨てない、所領に関係する文書を集める、という原則をその後徹底していたようです。その結果、とても珍しい史料を残している点がその魅力で、益田氏自身の文書のみならず、石見地方の中小武家に関する鎌倉時代の文書も含まれています。少々難しい点はありますが、中世武家文書の世界を垣間見ることができるでしょう。
 

(紹介文執筆者: 史料編纂所 名誉教授 久留島 典子 / 2021)

本の目次

〔第八十〕
 九一七 永和貳年卯月廿二日 石見国益田本郷年貢幷田数目録帳
〔第八十一〕
 九一八 和貳年卯月廿二日 石見国益田本郷田数年貢目録帳
〔第八十二〕
 九一九 (年未詳)卯月一日 山名氏奉行人連署奉書
 九二〇 (年未詳)卯月廿日 下瀬頼家書状
(中略)
〔第九十三〕
 一〇七五 戌(正保三年カ)卯月廿八日 無庵<益田元堯>筆牛庵<益田元祥>一代奉公覚書
補遺
〔第百十二〕
 一〇七六 寛永拾貳年七月一日 牛庵<益田元祥>起請文     

関連情報

自著解説:
所報 - 刊行物紹介
大日本古文書 家わけ第二十二 益田家文書之五 (『東京大学史料編纂所報』第56号 2021年10月31日)
https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/syoho/56/pub_komonjo-iewake-22-05/
 
関連記事:
中世史解明のための史料集を発刊=島根県益田市 (時事ドットコムニュース 2016年11月30日)
https://www.jiji.com/jc/article?k=20161130Pr2&g=jmp

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