平成19年度入学式(大学院)総長式辞

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式辞・告辞集 平成19年度入学式(大学院)総長式辞

平成19年度 東京大学大学院入学式総長式辞

平成19年(2007年)4月5日
東京大学総長  小宮山 宏
 

 東京大学大学院に入学された皆さんに、東京大学の教職員を代表して、心からお祝いを申し上げます。

 本日、皆さんに東京大学憲章と東京大学アクションプランをお渡ししています。東京大学憲章には、全ての構成員が遵守しなくてはならない規範が書かれています。憲章はいわば東京大学の憲法です。一方、東京大学アクションプランは、私の総長任期中、2005年度から2008年度までの4年間に、東京大学をこのように変えたいと私が考えている構想をまとめたもので、いわば東京大学改造計画の設計図です。
  憲章は、容易に変えてはならない東京大学の基本価値を示し、アクションプランは、東京大学をこのように変えようという計画ですから、両者は一見対立するようですが、実は相補うものです。あたかも車の両輪のように、一方が他方を必要とするという関係にあります。憲章に書かれた基本価値を実現するためにこそ、東京大学は不断の自己変革を必要としているのです。私の総長任期はちょうど折り返し点を過ぎたところですが、私は、このアクションプランの実行を通して東京大学を変革し、そのことによって、より高い水準で憲章の精神を実現したいと考えております。
  「時代の先頭に立つ大学 世界の知の頂点を目指して」というアクションプランの副題に注目してください。この副題が、私の東京大学改造計画の目標を示しています。私は、東京大学を時代の先頭に立つ大学にしたいと考えています。そのために、東京大学のすべての構成員に、世界の知の頂点を目指して頂きたいと希望しております。本日大学院に入学される皆さんも、世界の知の頂点を目指して励んでください。それは、21世紀の日本を担う皆さんに最もふさわしい挑戦課題であると、私は確信しています。

 東京大学は今年創立130周年を迎えます。1877年に創設されて以来、東京大学の先輩たちは、欧米の模倣をしつつ、世界の一流大学の仲間入りすることを目指して努力し、今日を迎えました。多くの世界大学ランキングが示すように、東京大学は既に世界の一流大学の仲間入りを果たしています。しかし、これまで目指してきた世界の一流大学の仲間入りを果たすことと、今目指している、世界の知の頂点を目指すことの間には、きわめて大きな違いがあります。それは、追いつくことと先頭に立つことの違いです。他者を効率よく模倣すれば、追いつくことはできます。しかし、模倣では決して先頭に立つことはできません。世界の知の頂点を目指す皆さんにとって、目標は追いつくことではなく、他人を抜いて先頭に立つことでなくてはなりません。
 先頭に立つために必要な要素は、分野によって異なるでしょう。研ぎ澄まされた分析力を必要とする分野もあれば、体系的な総合力を必要とする分野もあります。しかし、共通に必要とされるものがあります。それは「先頭に立つ勇気」です。先頭に立つことは、前人未到の領域に足を踏み入れることを意味します。それは、知力だけでなく、勇気を必要とすることなのです。本日は、この「先頭に立つ勇気」について詳しく述べて、皆さんを東京大学大学院にお迎えする歓迎の言葉としたいと思います。
 
  私は、「先頭に立つ勇気」には、互いに密接に関連する3つの勇気が含まれると思っています。
 第一の勇気は、「孤独を恐れぬ勇気」です。
 皆さんが世界の知の頂点を目指すとき、真に挑戦する価値のある問題は、皆さんが解決策を知らないというだけでなく、世界の誰もが解決策を知らない問題です。それこそが最先端なのであって、そのような問題に果敢に挑戦することが研究者の生き甲斐だと、私は思います。
 しかし、多くの場合、その挑戦は同時に孤独感との戦いでもあります。世界の誰もが解決策を知らない研究課題だということは、仮に皆さんがそれを解決し、新しい知識を創造することに成功したとしても、その価値を分かってくれる人が、すぐそこにいるとは限らないということを意味します。しかも、学問は細分化しつつあるので、一つの研究者コミュニティの守備範囲は、急速に狭くなりつつあります。したがって、その新しい知識の革新性を評価できるコミュニティが、皆さんの身近に存在するとは限りません。皆さんの指導教員が、そのコミュニティのメンバーである保証すらもありません。せっかく大胆な挑戦をし、価値ある知識の創造に成功したとしても、なかなかその価値をわかってもらえない、孤独な時間を過ごさなくてはならない、ということが往々にしてあるのです。
 世界の知の頂点を目指す研究者は、この孤独感に耐えなくてはなりません。例えば、アインシュタインの相対性理論は、発表当時、理解できる人が極めて少なかったといわれています。それでもアインシュタインは、相対性理論が理解され、評価されていく過程に立ち会うことができました。しかし、存命中に評価を得られなかった人も少なくありません。例えば、1912年に大陸移動説を発表した気象学者アルフレート・ヴェーゲナーも、その一人です。大陸移動説はプレートテクトニクス理論の礎となった大発見です。しかし、1950年代になってようやく評価を得るに至るまで、ヴェーゲナーは命を永らえることができませんでした。
 このように、大きな発見をした人が、発表直後には評価されなかったという事例は夥しくあります。しかし、彼らは孤独感に押しつぶされることなく、自らの正しさを確信し、その発見を既存の知識体系と関連づけていったのです。「孤独を恐れぬ勇気」が「先頭に立つ勇気」の不可欠の構成要素であることを、まず申し上げたいと思います。

 「先頭に立つ勇気」に含まれる第二の要素は、「功を焦らぬ勇気」です。
 皆さんが研究者になると、研究成果を論文として発表し、世に問うことになります。論文発表は、自らが創造した知識と既存の知識体系とを関連づけるための最も有効な方法です。したがって、私は、皆さんが質の高い論文を多数発表することをおおいに期待しております。
 しかし、留意しておいて頂きたいことがあります。それは、論文発表は手段であって、目的ではないということです。論文発表は、皆さんが創造した知識を世界中の人々に理解し活用してもらうための手段です。それはきわめて重要ではありますが、論文発表自体が研究者の最終目的というわけではないのです。そのことを肝に銘じてください。
 このように申しますのも、最近、発表論文の数で研究者を評価しようとする傾向が顕著となり、論文発表を手段ではなく目的のようにみなす風潮がはびこるようになっているからです。論文数第一主義とでも呼ぶべき、こうした発想が支配的になると、様々な弊害が起こるようになります。一部の学術誌がジャンク・ペーパーとも呼ばれる質の低い論文に占拠されはじめているのは、その弊害の一例です。
 最も深刻な弊害は、功を焦った研究者が、捏造したデータや再現性が保証されていないデータに基づいて論文を書くという、研究者としての基本ルールに反する行為を行ってしまうことです。まことに遺憾ながら、東京大学も昨年、再現性が保証されていないデータに基づいて論文を発表した教員の処分を行いました。このことは、皆さんもご存知と思います。
 世界の知の頂点を目指す皆さんは、功を焦らないでいただきたい。功を焦って、自らの研究者生命を台無しにするようなことをしてはなりません。世界中で一人として解決策を知らない課題に挑戦し、答えを見出すまでには、長い時間が必要です。腰をすえて、本質的な新知識の創造を目指す努力を続けてください。論文数第一主義がはびこる中で、そうしたスタンスを守り続けることは、決して容易なことではありません。それは勇気の要ることなのです。その勇気を、私は「功を焦らぬ勇気」と呼びたいと思います。

 さて、「先頭に立つ勇気」の第三の要素は、「他流試合に挑む勇気」です。
 他流試合とは、学会やシンポジウムや、その他種々の機会をとらえて自分の研究を発表し、普段の研究室仲間以外の様々な立場の人々と、意見交換や議論をすることを指します。私は、これまで多くの学生を育ててきた自らの体験に照らして、若い研究者にとって他流試合がきわめて重要であることを知っております。他流試合は、若い研究者を確実に成長させるのです。他流試合では、自分と異なる見解に接することになりますが、とりわけ大切なのは、対立する意見と接することです。研究者は、対立する見解と接することで、自らの見解の弱点を知ることができます。それは、自らの見解をより完全なものにするための最良の機会を提供してくれるのです。
  対立する意見の接触は、しばしば論争に発展します。論争は、対立する意見の衝突を通じてより高次の真理に到達する機会です。ですから、研究者は決して論争を避けてはいけません。論争は、公開の場で理性的に行うことが、研究者の基本ルールです。未経験な若者にとっては、公開の場で論争することも、感情的にならないで論争することも、共に困難なことでしょう。その困難を乗り越えて、自らの感情を制御しながら公開の場で論争する経験は、若者を、研究者としても人間としても、急速に成長させるのです。その困難を乗り越える勇気が、私の言う「他流試合に挑む勇気」です。
 世界の知の頂点を目指す皆さんにとって、他流試合の場は、いうまでもなく世界です。お配りしたアクションプランをご覧頂ければお分かりのように、私は東京大学の国際化を推進しようとしております。その主要な目的は、東京大学を国際的な他流試合の場にしたいと考えるからです。今よりもはるかに多い海外の研究者が本学を訪れて、皆さんとの論争を求める、そういった環境を早く作り出したいと考えています。同時に皆さん自身も、海外に他流試合の場を求め、「他流試合に挑む勇気」をもって積極的に挑戦してください。

 学問的他流試合は、社会にとっても重要な意味を持ちます。それは健全な研究者コミュニティの形成に資するからです。健全な研究者コミュニティとは、多様な価値観を持つ研究者が集い、研究の倫理的妥当性について予め真摯な検討を行ない、社会からの謂れなき批判や規制強化の主張に対しては、一丸となって反批判を行う、そういった研究者集団を意味します。健全な研究者コミュニティを作り出すためには、他者の異なる価値観と共存できる寛容な精神を育むことが必要です。皆さんが世界の様々な場で他流試合に臨むことは、異なる価値観との出会いを通じて、それまで自明の前提としていた自らの価値観を相対化する機会を皆さんに提供するでしょう。それは同時に、他流試合の相手方にも同じ機会を提供することになるのです。

 他流試合には、いまひとつ重要な効用があります。それは知の構造化を促すのです。現在、研究はますます専門化し、学問領域は日々細分化されています。一方で社会には、地球環境問題に代表されるように、複雑で大規模なメカニズムと多様な側面をもった緊急課題が山積しております。これらの課題は、細分化された個々の学問領域の中で解けるものではありません。学問と社会の関係の現状を、大胆に要約すれば、学問の細分化と社会の複雑化の相克ということができましょう。
 知とは本来、さまざまな要素が密接に関係しあう構造的なものです。新たに創造された知識は、他と関連づけられてはじめて、利用可能になります。私は、学問領域を超えて知識を関連づけることを「知の構造化」と呼び、著書を著してその必要性を説き、さらに学術俯瞰講義をはじめとして、「知の構造化」実現のための試みを東京大学において展開してきております。「知の構造化」こそ、私たちの眼前に山積する、複雑で大規模なメカニズムと多様な側面を持った課題に挑戦し、解を見出すための大前提であると、私は確信しています。世界規模で展開される学問的他流試合は、研究の専門化や学問領域の細分化という不可避な傾向を乗り越えて、知を構造化するための、貴重な機会を提供してくれるはずです。

 皆さんはこれから大学院において知の創造に挑戦することになります。真に先端的な課題に挑戦してください。研究者の仕事はしばしば孤独なものです。先端的であるほど、孤独の度合いは深まります。研究の意義が理解されず、成果を得るのに長い時間を要し、その間周囲の冷ややかな目に晒されることにもなりましょう。皆さんは、「孤独を恐れぬ勇気」と「功を焦らぬ勇気」をもって、乗り切ってください。人類の知の境界を広げる作業は、いかに苦しかろうとも、わくわくする、何ものにも代えがたい体験なのです。
  そして、「他流試合に挑む勇気」をもって、世界という舞台で展開される他流試合に積極的に参加し、自らを高め、健全な研究者コミュニティの構成員として、その資質を磨いてください。
  皆さんが目指すべきは、日本の知の頂点ではありません。世界の知の頂点です。いま皆さんは、そのスタートに立っているのです。何ものにも代えがたい達成感が、やがて皆さんを祝福するであろうことを心から祈りつつ、私の式辞を終えることにいたします。

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