平成19年度卒業式総長告辞

| 東京大学歴代総長メッセージ集(第28代)インデックスへ |

式辞・告辞集 平成19年度卒業式総長告辞

告辞

平成20(2008)年3月25日

東京大学総長
小 宮 山  宏


 ご卒業おめでとうございます。いま、この卒業式という厳粛な場で、皆さんが東京大学に入学したときの初心を、改めて思い起こしていただきたいと思います。この大学で学びたいと考えていたこと、やり遂げたいと思っていたことは、実現できたでしょうか。精一杯に、充実した時間を過ごせたでしょうか。大学での日々の一コマ一コマをもう一度振り返りながら、これから新しい旅立ちに向かうことへの決意を確かなものとして下さい。

 昨年4月、東京大学は創立130周年を迎えました。そして、11月の記念式典をはじめ、この1年にわたって、数多くの記念事業を実施してきました。皆さんも、この間、「未来的で、知的な生命体」をイメージした、130周年のシンボル・マークを、あちこちで目にされたことでしょう。あるいは、研究シンポジウムや国際交流スポーツ大会など、さまざまな事業企画に積極的に参加した皆さんも、多いことと思います。
 そこで東京大学が目指したのは、「時代の先頭に立つ」ということです。国立大学法人化後初めての周年行事という節目を迎えて、大学の過去の実績を振り返るだけではなく、むしろ、これまでの豊かな教育研究の蓄積をさらに未来へと生かしていく、その覚悟を固めることが130周年を祝う精神でした。皆さんはまさしく、その130年にわたる知の歴史の申し子であり、であればこそ、東京大学は自信をもって、皆さんを未来に向けて、送り出していくことができるのです。

 「時代の先頭に立つ」というのは、どういうことでしょうか。
 「時代」を表象するものは、政治であり、経済であり、技術であり、あるいは文化でもあります。しかし、それだけではありません。何よりも、「時代」というのは、人々の日々の生活です。今日卒業していく皆さんには、社会の華やかな場面だけではなく、人々の生活の場一つ一つを大切にし、それぞれの場で先頭に立って活躍をしてもらいたいと願っています。
 また、「先頭に立つ」というのは、言うまでもなく、人より良い成績をとるということではありません。これまでの時代が作ってきたものを、ただ利口に学ぶだけでは、「先頭に立つ」ことはできません。「時代の先頭に立つ」ということは、「時代を創っていく」ということです。つまり、社会のあらゆる場面で、率先して、先見的な創造力を発揮していくということです。
 そのように「時代の先頭に立つ」ためには、時代のあるべき方向を鋭く感知する能力が求められます。そうした能力は、どのようにして培われるのでしょうか。

 日本は、明治維新以来、積極的に欧米先進国の文化や学問を取り入れてきました。20世紀後半に至る100年間は、欧米に学ぶべきモデルが存在し、それに追いつこうとひたすら拍車をかけた時代でした。その意味で、日本は、長い間、「時代の先頭に立つ」ことが難しい状態が続いてきたのです。
 しかし、21世紀に入った現在、地球環境問題に代表されるような人類危急の課題に、どの国も次々と遭遇し、解決の道を模索している状況、つまり、真似ようにもモデルのない状況が生まれています。その中で、今日の日本は、こうした地球規模の課題に対して、世界に先駆けて取り組むことができる科学技術や社会的な仕組みを有するようになっています。
 私が専門とするエネルギー工学の分野でも、日本は省エネで効率の高い技術を、世界に先駆けて実現しています。たとえば、発電技術をみると、日本では1kwhを発電するのに発生する硫黄酸化物は0.2グラムほどであり、他の先進国、たとえばアメリカと比べると20分の1、ドイツと比較しても3分の1から4分の1にもなっています。つまり、圧倒的にクリーンな火力発電を行っているのです。トップランナーとして世界にモデルを提供できる科学技術を、私たちは持っています。
  生活廃棄物への対策でも成果を挙げています。日本には、国土が広いアメリカや、比較的小さな都市が広大な平野に分散しているヨーロッパとは異なった、厳しい制約条件があります。たとえば、都市の規模が大きく、市民の生活レベルが高いために、生活廃棄物の発生密度が高く、埋める場所も少ないという事情です。また、高温多湿のために廃棄物の腐敗速度が速いという問題もあります。このように、日本では廃棄物に関する課題が山積みであったために、課題に対して必死で答えを出そうとしたのです。そして、さまざまな分別回収方式や高温焼却技術などの開発がなされました。そうした努力の結晶の一つが、愛知県の藤前干潟の保護です。世界最高レベルの廃棄物処理システムを確立したことが、この日本有数の渡り鳥の飛来地である干潟を、埋立地とされることから救いました。
  課題がたくさんある日本だからこそ、それを克服する知恵や科学技術も生まれるのです。これは、すでに存在するモデルの真似をしようとするキャッチ・アップの発想からは生まれない、いわば逆転の発想です。すなわち、21世紀には、「課題先進国」である日本が、地球規模のさまざまな問題に対し率先して先頭に立ち、「課題解決先進国」となりうる機会が生まれているのです。

 このように、科学技術の発展は、時代の先頭に立っていることの分かりやすい表れ方の一つです。しかし、そもそも、課題を課題として感知し、それに取り組んでいこうとする意識は、どのようにして育つのでしょう。その基本にあるのが「他者を感じる力」であると、私は信じています。ここでいう「他者」とは、あるいは友人であり、あるいは周囲の人々であり、さらには社会そのものでもあります。「他者」というのは、物理的に別の存在という意味合いもありますが、意識の面からみれば、「異質なるもの」です。つまり、自分がもつ知識や考え方、感覚などとは異なるものの存在を感じ取り、その異質性を理解しようとする力、そして、その異質性を自己の課題として受け止めようとする力が、「他者を感じる力」です。こういうと、いかにも仰々しいようですが、私たちのごく身近なところで、その力の発揮を求められる場面がたくさんあります。そのいくつかを取り上げておきましょう。

 「異質なるもの」と出会う一つの大きな機会が国際交流の場であることに、おそらく異論はないと思います。
 皆さんは、学部で過ごした間に、何人の外国の人たちと友人になったでしょうか。現在、東京大学では2,400人を越える留学生が学んでいますし、外国人教員は300人近くがいます。そうした留学生や教員と友人になることができたでしょうか。私は、世界の代表的な大学の一つである東京大学としては、もっともっと多くの留学生や外国人教員を受け入れるべきであると考えています。留学生や外国人教員が増えることで、私たちのキャンパスが、多様な習慣や多様な文化・歴史をもった人々の集う場になる姿を思い浮かべることは、心踊るものがあります。それは、こうした環境の中で、異質なるものとの出会いが日常化することが、大学という場の本質である知の創造のための、素晴らしい栄養素になると確信しているからです。
 先ほど創立130周年を記念して、未来に向けたさまざまな事業が行われてきたことに触れましたが、その一環で、大学改革への学生の主体的な参画のモデル・ケースとして、「学生企画コンテスト」という事業を実施しました。学生の皆さんから応募があった数多くの企画の中で、留学生が病気になったときの受診支援システムを考えた企画が、優秀賞をとりました。また、佳作を授与されたのは、留学生と日本人学生との自然体験合宿を通じて、交流促進と国際交流活動のリーダーを養成しようという企画でした。このように、学生の皆さんが、周りにいる留学生のことを日々考えていることに、私は大きな感動を覚えました。
 皆さんが、国際交流の場に自らを開いて「異質なるもの」と出会うために、もちろん語学は必要です。しかし、それ以上に大切なのは、自分自身の言動や発想を客観化する視点を持つ、ということです。これは、別の言い方をすると、「他者の視点で自分を振り返る」ということです。親友を作ること、とくに、外国の人たちと友人になることは、自分と他者との間にあるギャップを理解することから始まります。そして、そのギャップをどのようにして埋めるか、埋めたいか、という思いを起点にして、自分自身の言動、それを取り巻く日本の社会、その文化や習慣、歴史も含めて、もう一度考え直す姿勢が生まれるのです。それがまさしく、「他者を感じる力」です。

 言うまでもなく、「他者を感じる力」というのは、「場の空気を読む」ということでも、「相手に合わせる」ということでもありません。そうではなく、「差異の認識を梃子として創造を生み出す力」、と言ってよいかも知れません。
 私が心惹かれた哲学者に、リチャード・ローティという、20世紀アメリカのネオプラグマティストがいます。昨年、残念ながら世を去りましたが、彼は、「真理」が時間や歴史、つまり「時代」を越えて存在するという観念を否定しています。その考え方に出会うまで、私は、哲学者というのは当然、「真理」とは永遠不変の存在であると捉えているものと、素朴に思い込んでいました。それだけに、彼の議論は私にとって新鮮な驚きであり、また、探求とは収束を目指すものではないという彼の主張に、共感を覚えました。だからこそ、私は、「時代の先頭に立つ」という言葉を用いる時にも、先頭に立つ場面での、「発見的」ではなく「創造的」な役割の重要性を強調したいと思うのです。
 ローティは、また、異質なものどうしの触れ合いを、ポジティブに捉えていました。哲学の役割を「刺激的で実りある不一致」の増進に求め、また「会話」の機能を一致ではなく、むしろ、異質な他者との邂逅に求めて、異質なものとの共生を論じたのです。皆さんはすでにお気づきかもしれませんが、そもそもこうした「会話」や「共生」を可能にするものこそ、私が申し上げてきた「他者を感じる力」に他なりません。

 今日の細分化した学問の世界のあり方を考える上でも、異質なるものとの出会いを楽しもうとする「他者を感じる力」は、とても大切です。20世紀の間における学術の専門分野の著しい細分化は、かつての自己の一部が分裂して他者になっていくという現象でした。この細分化は、研究の集中的な深化を進めるという大きな意義はあったものの、他方で、学問の全体像が見えにくくなり、また学術の総合力が発揮しにくくなるという問題を引き起こしました。そこで、細分化した多様な専門分野に、お互いに「他者を感じる力」が求められるようになっているのが、現代の状況です。私が「知の構造化」ということを繰り返し主張していること、また、この3年の間に、教養学部において「学術俯瞰講義」を実施することに力を注いできたのも、このことに関係しています。皆さんの中にも受講された人がおられると思いますが、「学術俯瞰講義」は教養教育の最先端をいく試みです。教養教育を今後どう充実させていくかは、世界中で議論されている課題ですが、私は、困難の本質は「知の細分化」にあると考え、また、教養教育を先端の学術と乖離させないことに意を用いながら、リベラルアーツの再構築という点でも「時代の先頭に立つ」ことを目指してきました。

 「知の構造化」の実践的な手法という点では、細かいことに拘るのではなく、大局的に、大掴みに切ってみせることも必要です。そして、「一緒にやりましょう」と旗印を立てて、分野を問わず共通のテーマに興味をもつ人たちが集ってネットワークを組織し、連携していく仕組みを作ることが大切です。
 私の経験を少しお話しすると、1980年頃、ある学術雑誌で半導体の特集を組むことになり、何人かの大学や企業の人たちと、時には泊りがけで議論を重ねました。ちょうど、身近な機器がどんどん小型になり、その心臓部ともなる半導体の製造方法に注目が集まった頃です。このような意見交換の中から、全体の大きな構造の中で自分の専門分野として追究すべきことが見えてきました。それが、「半導体の薄膜を作る化学プロセス」という私の研究につながったのです。その後、地球温暖化や化石資源の枯渇をテーマに、環境工学の最前線へと出て行くことが出来たのも、このような、さまざまな分野の研究者との議論があったからです。そこでは、異質性をぶつけ合う中での「他者を感じる力」が、友人や仲間を作っていく力となり、同時に、総合的な知の分野を開拓していく力になったと思います。

 「異質の仲間を作れ」、「議論を惜しむな」と、私はあちこちで話しています。これは、大学院で研究者を目指す皆さんだけに送るメッセージではありません。民間会社や官庁などに入っていく皆さんにも共通して大切な事柄です。今の時代、インターネットで手軽に膨大な情報を得ることができます。ちょっとした手間で列挙できるカタログ的な情報、これがグーグルの発想であり、あるいはウィキペディアの発想です。しかし、それらを処理する人間の脳は、おびただしい細かな情報を集積するのは苦手なのです。むしろ、人間の脳は、大局的に俯瞰する能力に長けています。その知識に裏づけられた知性を武器に、異った知識や考え方の人たちと議論することから、お互いの連帯や協調も生まれるのです。こうした連帯や協調は、どこかからお仕着せで与えられるものではありません。むしろ、それらを、自らの「他者を感じる力」を通じて形成していくプロセスこそが、人間を鍛え、大きな成果を生み出す原動力になると、私は信じています。

 皆さんの多くは、学部で学んでいる間、比較的限られた交友範囲の内で過ごしてきたのではないかと思います。しかし、今日卒業した後は、大学院に進むにせよ社会に出て行くにせよ、突然に、多くの「他者」の中に置かれることになります。そうした場で、皆さんには、新しい世界を前にして他者を恐れるのではなく、他者を感じてもらいたいと思います。異質なるものの存在を楽しみ、それを自らの力を高める糧としてもらいたいと思います。その中から、社会のさまざまな場で、時代の先頭に立って創造力を発揮していく皆さんの姿を、心から期待しています。
 今日の卒業式は、学士課程を皆さんが無事に修了されたことを証する式であって、大学との別れの日ではありません。私たちは、これからも皆さんの活躍を見守り続けますし、また、皆さんにも東京大学の発展をしっかり見守って頂きたいと思います。
 いまここにいる皆さんの、自信と意欲に満ちた眼差しに、日本のどこかで、あるいは世界のどこかで、再び出会えることを楽しみに、告辞を終えることといたします。

 

カテゴリナビ
アクセス・キャンパスマップ
閉じる
柏キャンパス
閉じる
本郷キャンパス
閉じる
駒場キャンパス
閉じる