平成21年度入学式(学部)総長式辞

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式辞・告辞集  平成21年度入学式(学部)総長式辞

平成21年度東京大学学部入学式総長式辞

平成21年(2009年)4月13日
東京大学総長  濱田 純一

 東京大学に入学なさった皆さん、おめでとうございます。これから皆さんが、この東京大学で、充実した学生生活をお送りになることを、心より願っています。
 そして、また、皆さんがいま、こうしてここにいることを可能にして下さった、皆さんのご家族はじめご関係の皆さまにも、心からお祝いを申し上げたいと思います。
 今年の学部入学者は3,154名です。その内訳は、いわゆる文系の皆さんが1,312名、そして理系の皆さんが1,842名となります。また、後期日程での入学者は、97名です。男性と女性の割合は、およそ8対2、また、留学生の数は41名です。
 これだけの数の皆さんに、これからの東京大学のもっとも若い力として、ご活躍いただくことになります。

 東京大学については、皆さんはすでに多くの情報を持っていらっしゃることと思います。ただ、どうしても受験のための情報が中心だったでしょうから、この機会に改めて、これから皆さんが、その中で過ごすことになる、東京大学という組織の全体像を簡単にお話しておこうと思います。
 東京大学の教員は、およそ4,000名近くいます。また、事務系・技術系の職員は約2,000名、そして在籍している学生の数は、およそ2万8千名で、学部学生の数と大学院学生の数が、ほぼ半々の状況です。東京大学の主なキャンパスは、本郷と駒場、そして柏の3つですが、さまざまな実験施設や観測施設、演習林などが、北海道から鹿児島まで、日本全国に存在しています。皆さんが旅行などをした時に、思いがけないところで東京大学の表札に出会うことがあるかもしれません。海外にも、さまざまな大学や研究機関との協力によって、何十もの研究の拠点があります。
 東京大学では、このように、たくさんの教職員や学生が、さまざまな場所で、人間の存在や生命現象の仕組み、そして、宇宙や物質の成り立ちに対する根源的な研究、また、人々の社会生活を支える科学技術の開拓、あるいは社会的な制度や理論の構築など、幅広く多様な学術研究に携わっています。そして、それらの幅広く高度な研究を基盤として、未来の社会を担うべき人材が育成されています。
 人材育成、つまり教育の内容については、カリキュラムの改善をはじめ、東京大学ではさまざまな努力を重ねてきました。「知」の大きな体系や構造を見せる「学術俯瞰講義」、また、新しい課題にこたえる学部横断型の教育プログラムも開始されています。学術の確実な基盤をしっかりと身につける専門教育とともに、教養学部で行われているリベラルアーツ教育は、東京大学の大きな特徴です。また、こうした授業内容とともに、奨学制度やキャリアサポートの充実、さらに学生相談体制の整備なども、大学として近年とくに力を入れてきているところです。
 このような教育環境を整えることによって、皆さんが持っている素晴らしい能力が、この東京大学において、さらに花開くことができるように、引き続き努力を傾けていきたいと考えています。

 さて、時代はいま、激しい変動の時期、大きな変化の時期を迎えています。金融や産業が世界的規模で動揺する中で、人々の生活の基盤も大きく揺らいでいます。今日ここにいる皆さんのご家庭でも、経済的に大変な思いをなさりながら、皆さんを大学に送り出されているご家庭も少なくないことと思います。
 こうした不安定な状況がいつまで続くのか、誰もが明確な回答を持っているわけではありません。また、とりあえず状況が一段落したとしても、それは、必ずしもこの危機の克服ということではないように思います。本当の「克服」というのは、こうした危機が二度と起こらないような社会の仕組みと人々の考え方を、新たに作っていくということです。
 つまり、この危機が克服された後の世界は、危機以前の状態に戻るというだけであってはならない、と思います。人類の知恵は、今回の危機から学び、誰もがより快適に安心して生活できる社会の姿を生み出していくことを可能とするはずです。それが出来ないのであれば、私たちの知識は何のためにあるのか、ということが問い直されなければなりません。
 いまの時代は、これまで当たり前と思ってきたもの、いわば信用と信頼の体系が、がらがらと崩れている時代です。その意味で、この危機は、表層的なものではなく構造的なものです。こうした場面では、根本の部分から時代の課題にしっかりと取り組み、「未来に向けた確かな指針」を示すことが求められます。たしかに、目前の危機を回避するために応急的な対応は必要です。しかし、こうした時代だからこそ、目前のことだけに囚われるのではなく、20年、50年、100年先の、日本と世界を見据えた指針が求められるように思います。そのような新しい世界を描き、それに至る道筋を提示することができるのが、学術であり、大学です。とりわけ東京大学のような大学は、これからの「世界を担う知の拠点」としての役割を果たしていかなければなりません。
 ITやグリーン・テクノロジーといった分野をはじめとする新しい技術開発、医療や生命にかかわる研究の展開、また、新しい時代を支える経済的な仕組みや制度的な枠組みづくりなど、東京大学の学術が「未来」の構想にかかわるべきことは山のようにあります。また、今回の危機で、「金融界では、すでに危機の顕在化以前に、多くの人が危ない状況だと思っていた。それでも止めることができなかった」、というような説明を聞くことがあります。そこには、人間や社会のあり方への、本質的な洞察を必要とする課題も含まれているような気がします。
 そして、何より、東京大学は人材育成の場です。現在の危機からの回復のためには、ある程度の時間がかかるでしょうから、今日ここに入学式を迎えられた皆さんは、卒業なさる時、おそらくは、まだ回復中の経済や社会のただ中に入り、その回復のための中核的な力としてご活躍いただかなければなりません。皆さんの力が、社会の「未来に向けた確かな指針」を生み出すのに与ることができるように、東京大学は皆さんを、しっかりと教育していきたいと考えています。

 これまで、社会が数多くの課題を抱えていることに対して、東京大学は、新しい学術的な価値を創造し、また、多様な教育と研究のプログラムを構築することで応えてきました。こうした挑戦をつねに可能とする、学術的な基盤の充実と発展には、引き続き大きな力を注ぎたいと考えています。東京大学の学術のウィングというのは、現在と未来だけではなく過去にも広がっています。知の創造にとって、未来に開かれた知の可能性に対する果敢な挑戦とともに、歴史に鍛え上げられた知の蓄積に対する鋭敏な意識は、決定的な要素です。時代にもてはやされる学問だけではなく、多彩な学問分野を、時の制約を越えて確実に維持し発展させ続けることは、東京大学の誇るべき伝統であり、学術の基盤を確かなものとし、創造性を生み出す源となります。
 現代のような厳しい時代に、いま改めて、東京大学は、こうした知的な底力を発揮しようと決意しているところです。

 このように、時代と真正面から取組もうとしている東京大学の、知的活動を担う主体の一人として、今日ここにいる皆さんには、ぜひ「タフ」な東大生として成長いただきたいと願っています。入学試験を経てここにいらっしゃる皆さんが、豊かな知識をもち、そして素晴らしい学習能力をもっているということ、いわゆる「頭の良さ」については、私はまったく心配はしていません。そして、東京大学でこれから皆さんに提供されるカリキュラムは、豊かな教養教育と、伝統に裏付けられた専門教育で構成されており、皆さんのそうした知的能力を、さらに成長させるものとなるはずです。
  しかし、そうした知識だけではなく、皆さんには「タフ」でもあってほしいと思うのです。この「タフ」という言葉には、いろいろな意味合いを込めているつもりです。
 まずは、体力・健康です。当たり前のことのようですが、とにかく健康でないと、知的な緊張や知的な思考を長時間続けることが難しくなります。もちろん、そうした体力の不足を、強靭な精神力で乗り越えた、素晴らしい学者や学生を、私は何人も知っています。したがって、体力がないからといって知的であることをあきらめる必要はありませんが、知的な活動にも、それを支える体力・健康があるに越したことはありません。
 ただ、今日、「タフ」であってほしいと申し上げることで、そうした体力以上に、社会的なコミュニケーションの場におけるたくましさの大切さを、強調しておきたいと思います。知識というのは、それ自体としてもちろん価値あるものですが、知識が強い力を発揮するのは、とくに、社会的なコミュニケーションを通じてです。人や社会を動かすことによって、知識は生命を持ちます。ある知識を自分で納得するだけでなく、人に伝えること、人を納得させることには、一つの力が必要です。そして、コミュニケーションの相手というのは、自分と同じ価値観や人生観の人ではないことが、むしろ普通です。この国際化の時代には、しばしば、使用する言語さえ異なることも珍しくありません。こうした差異を超えて、知識を伝え、受け取ることができる力、また、互いに論じ合うことができる力、それが「タフ」であるということです。
 そして、このような「タフ」さの基盤にあるのは、たんに、コミュニケーションのテクニックあるいはスキルではありません。むしろ、人間的な力、人格そのものです。
  私が若い頃、あるゼミで学んだときに、大変に印象深い言葉があったことを覚えています。それを教えて下さったのは、法哲学がご専門の非常に博識な先生でしたが、その先生が、ある著名な海外の法律学者の評価について、「才ありて徳なき」という言葉をお使いになりました。当時は気づかなかったのですが、後にそれは、中国の明の時代の古典である、「菜根譚」の中で出てくる言葉と分かりました。この本は、いわゆる「清言の書」、物事の理を人生訓として書き記しているものです。少し悟りすぎたところがありますので、まだまだ若くて迷うことも必要な学生の皆さんには、今の年代で必ずしも一読をおすすめするというようなものではありませんが、そこには、次のような一節があります。文章は、漢学者であった今井宇三郎氏による読み下し文を使わせていただきますが、「徳は才の主にして、才は徳の奴なり。才ありて徳なきは、家に主なくして奴の事を用うるが如し。幾何か魍魎にして猖狂せざらん」というものです。つまり、「徳」、人格が、「才」、才能の主人公であって、才能は人格の召使いである。才能があっても人格のないものは、家に主人がいなくて、召使いが勝手気ままにふるまっているようなものである。どれほどに妖怪が現われて暴れ狂わないことがあろうか、といったような意味です。
  ここで、「才」は、知識や知恵と置き換えてよいと思いますが、「徳」をどのようなものとして理解するかについては、もちろん、いろいろな解釈の仕方があるでしょう。私は、この「徳」を、ただ人柄がよいといったことではなく、広い意味での人格、幅広い人間的な力も含めたものと理解しておきたいと思います。そう理解いただくと、私がさきほど言わんとしたことの一端が、お分かりいただけるのではないかと思います。
 ぜひ、皆さんも、この「徳」ということの意味を、考え続けてみて下さい。それを考えること自体が、きっと皆さんを成長させることになると思います。皆さんが、東京大学での学生生活の中で、さまざまな出会いや触れあいを通じて、才もあり、徳もある人間として成長して下さることを、心より願っています。

 さて、今日この場にお越しいただいている、ご家族の皆さま、ご関係の皆さまにも、一言申し上げておきたいと思います。
 このところ、こうした席では、皆さまのお子さんは大学に入っていよいよ自立する時が来た、だから、もうあまり干渉しないようにお願いする、ということがしばしばあります。また、マスコミでも、「子離れが出来ない親」、という構図がしばしば描かれることもあります。
 しかし、今日、私は、皆さま方に、むしろ、これからもお子さんたちとしっかりとかかわって下さい、とお願いしたいと思っています。もちろん、それは、いわゆる「過保護」という意味ではありません。お子さんたちが、これからタフな学生として育っていくために、その成長の過程に引き続きご協力をいただきたい、ということです。
 「獅子がわが子を千尋の谷に突き落とす」ということが必要な場合もありますが、タフな学生を育てるには、ただ厳しい環境にむやみに投げ込めばそれでよいというものではありません。必要なのは、厳しい環境よりも、むしろ多様な触れあいのある環境です。そうした触れあいの中には、もちろん厳しいものもあれば、温かいものも、またわくわくするものも、緊張を必要とするものもあります。そうした環境を、大学は、国際的な経験をはじめとして、いろいろな形で用意していきたいと思いますが、またご家庭などにおかれても、お子さんに、さまざまなチャンスを作ってあげていただければと思います。
 東京大学が、これから学生の皆さんに提供する知的に豊かで多様な環境と、ご家族やご関係の皆さまのご協力との総合力が、タフな東大生を作りだしていきます。そうした意味で、今日ここにおいでになっている皆さま方も、東京大学という広大な知の共同体の一員でいらっしゃる、ということになります。これから、ぜひそのようなお気持と、また誇りをもって、東京大学の教育活動、研究活動をご覧いただき、そして、ご支援をいただければと思います。

 知の創造と教育、社会との連携を通じて、東京大学は、日本の未来、世界の未来に対する公共的な責任を、いまこそ果たすべき時であると考えています。これからも東京大学は、豊かな構想力を備えた「世界を担う知の拠点」として、そのような責任を進んで果たし、社会からの信頼を確かなものとしていく決意でいます。
 今日ここにいる新入生の皆さんが、こうした決意をもった私たちの仲間に入って下さることに、改めて歓迎の気持ちをお伝えして、式辞といたします。

 

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