平成21年度入学式(学部)祝辞
式辞・告辞集
平成21年(2009年)4月13日 私は72年前に駒場に入学した古い人です。日本を離れてからも57年になります。私の時代と現在とではあまりに事情が変わっており、皆さんは比較にならないほど幸福な環境に恵まれています。しかし新入生やその父兄の皆さんに私の経験と信念をご紹介するのも無意義ではないと思います。 私の時代には駒場キャンパスは一高と呼ばれ、東大とは独立の3年制度のカレッジでした。1学年に文科と理科とをあわせて300人、全寮制度をとって学生の自治をモットーとし、キャンパスには一般人は父兄でも誰でも、一年に一回の記念祭の日以外は入れてもらえませんでした。 私が一高で過ごした3年間は私の生涯でもっとも楽しかった時代だと今でも思っています。私が一高生活で経験した貴重なものは何かというと、まず共同生活です。軍国主義時代の田舎で育った私には大都会の生活はすべて珍しいことばかりでした。友人に誘われて初めて喫茶店というものに入ったとき、女の子がコーヒーの飲み方を教えてくれたのが忘れられません。 ことわっておきますが、その頃大学に進めるような人はいわゆるエリート族でした。エリートという言葉は今は禁物かもしれません。 私がいままで感じてきたことですが、学校の成績と社会に出てからの成功度とは別物であると思います。勿論学業の成績は就職のために重要であり、知識の習得は自分のためであることは明らかです。しかし社会人として成功するためには成績では測れない個人的要素が大きな役割を果たしています。また、社会的成功のいかんにかかわらず、私の父が言ったように人間として立派な人、他人に尊敬され愛される人であることは、本人の価値を高めるものであると信じます。もう一つ言いたいのは人間の個性について。今日の日本の繁栄は教育のレベルが一様に高く、粒がそろっていることによることが大きい。しかし人はボルトやナットのような規格品であってはつまらない。自分は何か他人と違ったところをもっていることを自負し、お互いにそれを評価せねばなりません。これは専門の分野に入ったあとでも当てはまることだと思います。 私の時代に欠けていたものは勿論たくさんあります。有名な寮歌「ああ玉杯」の中にあるように |
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