平成21年度入学式(大学院)祝辞

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式辞・告辞集  平成21年度入学式(大学院)祝辞

平成21年度入学式(大学院)祝辞

平成21年(2009年)4月13日
東京大学名誉教授 中 根 千 枝

 このたびの皆様の大学院入学を心からおよろこび申し上げます。この機会に皆様のご参考になるかと存じ、私の経験などをふまえて、大学院時代について、述べてみたいと思います。
  皆様は学部からの勉強をさらに深め発展させようと大学院にお入りになったことと思いますが、まず、大学院時代は学部の延長ではなく、質的とも云える程の違いがあることを喚起しておきたいと思います。学部での勉強は基本的には受身のものであったわけですが、大学院は皆様にとって、ご自分の研究を自発的に能動的に形づくっていく創造的な第一歩を踏み出すことになるわけです。この大学院の数年間というのは、大変大事な時期で、皆さんの将来の研究、またそれぞれの専門の仕事する上での土台づくりの時期なのです。
  実際、この時期には皆様の関心は学部時代と比べて、飛躍的に広くなり、新しい要素にさまざまな面で対応されていくことでしょう。たとえば、研究においては、学部時代にはふれなかったような内外の研究者の業績を貪慾に渉猟されるようになり、外国の学者の著書、論文により多く接するばかりでなく、中には留学などをとおして、専門分野や隣接分野の学者たちと交流することによって、自らの研究を更に新しく発展させる機会に恵まれる方々も少なくないと思います。専門によっては、修士論文、博士論文作成を念頭においた研究やフィールドワークを、日本だけでなく、外国でされるのもこの時代と云えましょう。つけ加えて云えば、二十代というのは、外国での経験が大変役立つものなのです。というのは、三十代以降に比べて、この時代は偏見が比較的少なく吸収力が最も旺盛であるからです。後でふりかえると、若さのため、ずい分思いきった行動がとれるものですし、思いがけなく一生を左右するような出来事や人との出会いがあったりするものです。
  人によっては、自分の将来像を具体的に描いて、それに向かって一心に努力されることもあると思いますが、現実的には、現在自分が最もしたいこと、そして出来ることを推進されるのがよいと思います。というのは、世界の動きをはじめ、身近な環境というものは、思いもよらぬ方向に変化したりして、それが個人にとって、よくも悪くも影響しうるからです。自分のしたいことを強くもって、こうした変化に対応できる柔軟性と忍耐をもち、自分をとりまく流れの中で、チャンスを見過ごさずに決断することです。このようにして、自分の将来に次第に具体的な方向づけができてきたりするのです。

 次に、研究を進める上で、かかわってくる条件として二つのこと、すなわち、語学と社会環境について述べておきましょう。
  日本人が外国語が不得手であるということは、自他共に認めるものですが、その一番大きな原因は、日本の日常生活において、外国語を話す人たちと接触する機会が非常に少なく、異なる言語になれていないということです。外国で育った人たちとか、特に語学が好きですぐマスターしてしまうといった特殊な才能に恵まれている人たちを除いては、皆苦労するわけです。しかし、研究者として要求されることは、外国語で論文を読み、論文が書け、外国人と議論できるということでしょう。自然科学では、研究がより国際的にならざるを得ないために、殆どの研究者は英語その他の外国語で論文を発表するのが常となっていますが、人文・社会科学ではこの点大変おくれています。多くは翻訳者に依存するわけですが、たまたま専門が同じ翻訳者の場合はまだよいのですが、そうではないと、必ずしも筆者の意図や意味がよくとらえられているとは限りません。したがって、自分の論文は少なくとも英語で発表できるようにしたいものです。また、会話にいたっては、もっと不得手といえましょう。殆ど試験英語できているために、意思疎通が中々うまくいかない、当人は間違いなく正確に話さなければならないと思うために、中々話せません。
  実は、これらのことを可能にする基本的な語学力は学部時代までにできていることが望ましいのです。大学院では少し遅すぎるのですが、個々人の努力次第ということになります。そこで特定の時間をそれに当てて、短期に自分の研究にとって必要な語学力をつけることです。この時期を逃すと、ますます本業が忙しくなって、とてもむずかしくなります。このような努力をしておきますと、次第に国際的な交流が増えることによって、外国語になれていき、ある程度の語学によるハンデキャップは克服できるものと云えましょう。語学能力というものは、個人差がありますから、うまくできないといって卑下する必要もありませんが、不自由しない程度の力をもつことは、研究生活にとって快適であることは云うまでもありません。
  ついで、もう一つの条件、社会環境について述べますと、大学院時代には研究もさることながら、学部時代よりも社会的に複雑な場面に遭遇し、いろいろな人、知人とのつき合いも増えてきますし、好きな人などもできたり、結婚のお話もあったり、一生のうちでもゆれ動く要素が少なくありません。つとめて禁欲的になる必要はありませんが、そうしたさまざまな人々との出会いも楽しんで、それにもまして、研究への情熱を続けてもつことが大切だと思っています。
  このような社会環境に対して、どちらかというと、女性の方がマイナスを負うことが多いといえましょう。ご参考までに統計的にみますと、本業としての研究者や確立された組織の管理職についている日本の女性の割合は先進国などと比べて一番低いという事実があるのです。女性研究者の数は近年ずい分増えてきていますが、上位10%をとりますと、女性はまだわずか全体の10%位にすぎず、内閣で目標としている30%に遠く及んでいないのです。一般的に学部卒業位までは、女子は大変成績がよいのですが、大学院時代から男子に凌駕されていくという現象があきらかにみられます。
  日本ではまだ女性の研究者にとって、制度的に不利なこと、社会の理解が不十分であることがよく指摘されますが、私がアメリカやイギリスで大学院を担当した経験からみると、欧米やさらに中国、インドなどとも比べて、日本の女子の研究に対する心構えが弱いように見受けられます。私が接した外国の彼女らには個々人をとりまく障害に対する強さを感じるのです。日本の女子学生にも不利な条件に対して賢く対応する術(すべ)と努力をもってほしいと思います。もちろん、ご家族や先生の理解が得られる方々は云うまでもなく、個人としては常に秘められた強さと共に心の余裕をもって、ご自分の研究を進めていかれることを望みます。
  女性のことに少しふれましたが、最後に私が申したいのは、本来、研究とは性差とは関係するものではなく、男女ともにおのれの信ずる道を進むことです。私が大学院に入った頃 -戦後間もなくでしたが- と比べると、皆様ははるかに恵まれた環境にいられるわけです。現状は複雑、流動的ですが、あらゆる意味で、個人の能力を発揮する可能性は大きいのです。大学院時代を楽しく生甲斐のある日々を過ごされることを心から願って、私の祝辞といたします。

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