平成23年度入学式(学部)総長式辞

| 東京大学歴代総長メッセージ集(第29代)インデックスへ |

式辞・告辞集  平成23年度入学式(学部)総長式辞

平成23年(2011年)4月12日
東京大学総長  濱田 純一

 この春、東京大学に入学なさった皆さん、おめでとうございます。また、これまで皆さんの大変な受験勉強を支えてこられたご家族の皆さまにも、心からお祝いを申し上げます。
 今年の学部入学者は、三一五五名です。その内訳は、文系の新入生が一三〇四名、理系の新入生が一八五一名となります。またこのうち外国人留学生は、三九名です。これから皆さんがその一員となる東京大学は、知的な刺激と知的なチャンスに満ち溢れています。皆さんが、国民から東京大学に与えられている、この素晴らしい環境を存分に活用し、国民に対して、そして世界の人々に対して、知的な責任を全うできる人間として成長なさることを願っています。

 本年度の入学式は、例年とは大きく異なり、武道館での開催ではなく、この小柴ホールで代表の皆さんだけに集まってもらう、小規模な式典としました。これは言うまでもなく、東日本大震災とその後の状況を考慮したものです。今年は入学式を中止する大学も少なくなく、東京大学もさまざまな可能性を検討してきましたが、最終的に、このような形で実施することとしました。
 このように小規模でも入学式を行うことにした理由としては、これまでの厳しい受験生活を終えて大学生活を始めようとする、人生の大きな転換点というタイミングで、皆さんが気持ちを新たにスタートできるきっかけとなる場が必要だろう、という思いがもちろんありました。しかし、それ以上に、このたびのすさまじい大震災の惨禍を、皆さんの生涯にわたる知的な生活の原点にあるものとして心に刻み込む機会、そして、膨大な人々の悲しみや痛み、苦しみを正面から見つめ、その惨禍と皆さんがこれから学ぼうとしている知識とのかかわりを、真剣に考えてもらう重要な機会という観点から、むしろ積極的にこうした場を設けるべきだと考えました。

 東日本大震災による人的被害は、昨日の段階で、死者が一三一三〇人、行方不明者が一三七一八人という数に上っています。想像を絶する数字です。ただ、数字というものは全体の規模感を直観的に理解するには有用ですが、往々にして、現実の被害の生々しさを抽象化してしまうきらいがあります。一三一三〇人、一三七一八人という数字をみる時に、この大きな数字を構成している一人ひとりの方々が、ついこの間まで皆さんと同じように生活を送り、喜び悲しみ、生きていらしたことを想像してもらいたいと思います。それが一瞬にして失われたことの重さを、深く受け止めて下さい。また、幸いに命をながらえた方々も、治療を受けたり不自由な避難生活を送ったり、生活再建の厳しい現実に直面しています。皆さんがこれから知識というものにかかわっていくときに、そうした「現場への想像力」をつねに持ち続けてもらいたいと思います。
 たしかに、被災された方々や被災地という現場への想像力をたくましくすればするほど、皆さんは、その重さに打ちひしがれ、茫然自失に陥るかもしれません。しかし、だからといって、現場への強い思いから逃げるのではなく、その重みに耐えて前に進んでいくのが、知識というものにかかわる私たちの使命です。今日、大震災による被害がまだ続いている、決して終わっていない中で入学式を迎える皆さんには、この地震によって起こった事実を、たんなる数字や紙の上の知識、抽象化された知識としてではなく、生きた体験として自らの心に刻み込んでもらいたいと思います。それによってこそ、皆さんがこれまで学んできた知識、そしてこれから学ぶ知識を、本当に人々に幸せをもたらす力として成熟させていくことが出来るはずです。

 ほとんどの皆さんにとって知識というのは、受験勉強の中で抽象的なものであったと思います。それはそれでよいのです。知識というものは抽象化されることによって、多くの人々に時代を越えて伝えられていきます。また、直接的な経験とは切り離された知識を、集中的に蓄積していく時期というのも、人生の中で間違いなく必要です。大学でのこれからの勉強もまだ、すぐには現場とのかかわりを意識することは難しいかもしれません。しかし、そうして学んだ知識が現場と強いかかわりを持つことを、これからの人生の中で皆さんは、いずれ気付いていくだろうと思います。
 私自身の学生時代の経験を振り返ってみると、知識が社会の現場で具体的に意味をもつことを感じたのは、公害問題とかかわった時でした。「公害関係の立法過程」というテーマのゼミに参加していた時のことですが、法律の制定過程に影響を与えるさまざまなステイクホルダーについて、ゼミ生がそれぞれ分担して東京大学新聞に記事を書くことになりました。私は労働団体を担当しましたが、その折に熊本県の水俣に行って、原因企業の労働組合の人たちへのヒアリングを行ったことがありました。これは、私が最初に自分の勉強の成果を公表したという意味で、思い出深い機会なのですが、それ以上に、自分が学んでいる知識が社会的・現実的なものであることを、はじめてはっきりと意識した機会でした。皆さんにも在学中に、どういう形であれ、自分の知識が現場とかかわる経験をしてもらえると、素晴らしいと思います。

 それでは、私たちは、このたびの東日本大震災がもたらした事態に対して、どのようにかかわることができるのでしょうか。皆さん、そして皆さんのまわりの人たち、そしてすべての国民が、また世界の多くの人々が、自分がこの惨禍に対して何を出来るのだろうかと、自ら問うてみたことと思います。私も、個人として、また東京大学として、何が出来るのか、ずいぶん悩みましたし、今も考え続けています。人々が、肉親を失った悲しみと、あるいは生活基盤を破壊された苦しみと格闘している時に、大学の拠って立つ知識というものが何を出来るのか、無力感を感じることもあります。また、知識よりも、食料、水、毛布、あるいはガソリン・灯油といった援助物資の方が、はるかに目前の役には立つように感じます。
 そうした中にあって、東京大学でも、ボランティアとして活動しはじめている皆さんがいることを、心強く感じます。もちろん、ボランティアの活動では、必ずしも自分たちのこれまでの知識が役立つわけではありません。子どもたちへの教育や医療支援、あるいは法律相談など、自分の知識がすぐに役立つこともあれば、家の中に流れ込んだ汚泥の除去や瓦礫の片づけ、あるいは介護や物資の積み下ろしなどの作業に直面して、とまどうことが多いかもしれません。しかし、そうした作業こそ、今を必死で生きている人々が切実に求めているものであるのを知ることは、皆さんがこれから、知識のあり方、社会が必要としている知識の多様さを考えていくために、得難い経験となるはずです。
 自分たちの専門知識を生かして活動しようと動き出している教員たちもいます。附属病院の医療チームはいち早く現地入りしましたが、いま、地域での高齢者も含めた生活再建や町づくりへの協力、あるいは、漁業・農業の復興支援など、被災地の復興に向けた活動も始まろうとしています。私もつい先日、たまたま宮城県沖で大きな余震のあった日ですが、救援物資の搬送と、東京大学としての今後の復興支援について打合せるために、岩手県の大槌町へ行ってきました。大槌町は、ご存知のように大津波で町が壊滅状態に陥ったところですが、ここには東京大学の大気海洋研究所の研究センターがあり、長い間、地元の人たちとの親密な交流が続いてきたところです。また、これまで東京大学の研究者が地域の人たちと心の交流を重ねてきた釜石市、そして遠野市も訪ねてきました。遠野市はやや内陸部で比較的には被害が少なかったところですが、大槌や釜石など沿岸部の被災地への後方支援基地として、市全体が救援活動に全力を挙げておられます。その熱い思いとご奮闘には、頭が下がりました。

 こうした活動を紹介すると同時に皆さんに申し上げておきたいのは、このように、被災地の現場で実際に行動することは大切ですが、被災地に行かなければ何の役にも立てないのだと考えるのは、間違っているということです。被災地の状況は、いまメディアを通じていろいろな形で伝わっており、すさまじい被害の光景はもちろん、被害の苦しみ、悲しみ、その中での人々の勇気、思いやり、きずな、さらにこれから復興に向けて求められている事柄など、皆さんは十分に理解しているものと思います。そうした現場からの情報を自分自身の中で徹底的に消化し、吸収し、そのようにして、いわば「身体化された現場」との緊張感を、皆さんがこれから知識を学ぶ時に、またそれを社会で生かしていく時に、絶えず持ち続けることも、このたびの惨禍に対する行動として同じく重要なものです。
 この東日本大震災がもたらした惨禍からの復興には、これから長い年月がかかるだろうと思います。そして、それは、日本社会全体の活力の復活の動きとも重なっていく、非常に大規模なものとなるでしょう。いま入学したばかりの皆さんも、大学を卒業してからも長く、直接的にしろ間接的にしろ、この復興のプロセスにかかわっていくことになるはずです。また、ぜひともかかわっていただきたいと思いますが、そうした見通しを持てば、今あせることはありません。

 すぐにボランティアなどの行動に出るのもいいでしょう。そのための枠組みを東京大学も準備しつつあります。昨日、大学として救援・復興支援室をスタートさせましたので、これからの現地への継続的な支援の窓口になると考えています。しかし、この大学という場にあって、じっくりと自らの知的な力を磨き続けることも大切です。現場への想像力、現場との緊張感さえ忘れなければ、皆さんは被災地の復興に、そしてこの国の未来に、さらには世界の人々のために、間違いなく大きな貢献が出来るはずです。
 皆さんのこれからのご健闘を祈って、式辞といたします。


 

カテゴリナビ
アクセス・キャンパスマップ
閉じる
柏キャンパス
閉じる
本郷キャンパス
閉じる
駒場キャンパス
閉じる