平成28年度学位記授与式総長告辞

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式辞・告辞集 平成28年度東京大学学位記授与式 総長告辞

 

本日ここに学位記を授与される皆さん、おめでとうございます。晴れてこの日を迎えられた皆さんに、東京大学の教職員を代表して、心よりお祝いを申し上げます。本年度は、修士課程2,982名、博士課程1,094名、専門職学位課程322名、合計で4,398名の方々が学位を取得されました。留学生はこのうち765名です。これまで長きにわたり、学業に打ち込む皆さんを物心ともに支え、この晴れの日をともに迎えておられるご家族、ご友人の方々にも、お祝いとともに、感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。

 

皆さんは、本日、どのような思いで学位記を手にされているのでしょうか。今、皆さんを取り巻く環境は大きく加速しながら変化しています。研究についても、世界を舞台にした競争は激しさを増しています。その中で、自ら追求すべき課題を探し、学位論文の研究テーマを定め、その答えに近づくために、時に寝食を忘れて取り組まれたと思います。

新しい発見に心躍らせるようなこともあった一方、思うように研究が進まず、苦しみ、自身のテーマに疑念を抱くようなことがあったかも知れません。その苦闘の中で、多様な研究仲間や教員との関わりを重ね、知の創造の場としての東京大学というものを実感された方も多いのではないでしょうか。

皆さんの論文や研究は、人類の知の共有資産に新たなピースとして蓄積され、140年の歴史を持つ東京大学に、新たな伝統を付け加えることでしょう。その研究が、たとえすぐに日の目を見るようなことがなかったとしても、いつか自身の手で、あるいは別の研究者の手によって、さらなる発展を遂げ得る可能性を秘めているということを忘れないでいてください。

 

昨年も一昨年に引き続き、東京大学で行われた研究がノーベル賞を受賞するという嬉しいニュースがありました。大隅良典東京工業大学栄誉教授です。東京大学でも本年2月に特別栄誉教授の称号を授与させていただきました。大隅先生は、教養学部基礎科学科、大学院理学系研究科で学ばれ、ロックフェラー大学の研究員を経て、理学部植物学教室で助手、講師をお務めになりました。その後、ご出身の基礎科学科で助教授に就任されました。受賞理由の「酵母のオートファジーの発見」は、大隅先生が駒場の基礎科学科で独立した研究室を主宰し、始められた研究を端緒とするものです。細胞が自分自身を分解する現象の科学としての面白さに惹かれ、夢中になって顕微鏡に向かわれたことがノーベル賞につながりました。大隅先生はその後、岡崎の基礎生物学研究所で動物細胞にも研究対象を拡大されました。そしてオートファジーは、酵母からヒトに至るまで生物にとって普遍的に重要で、生命維持に不可欠なシステムであるということが明らかになりました。今では、病気の治療など医学への応用も期待されています。

 

大隅先生はまさに知をもって人類社会に貢献し行動されている私たちの先輩です。そのような人材を私は「知のプロフェッショナル」と呼んでいます。私は総長に就任して以来、毎年入学式で新入生に「知のプロフェッショナル」となるために、東京大学で鍛えてほしい3つの基礎力について説明してきました。3つの基礎力とは、「自ら新しい発想を出す力」、「忍耐強く考え続ける力」、そして「自ら原理に立ち戻って考える力」です。皆さんは学位を取得されたこれからも、この3つの力をベースとして、さまざまな人々を巻き込んで行動し、社会に貢献してほしいのです。そのためにも、価値創造の基盤となる「多様性を尊重する精神」と、自分の立ち位置を見据える「自らを相対化できる広い視野」を保ち続けることが欠かせません。

 

東京大学大学院での学びを通じて、皆さんは、この「知のプロフェッショナル」としての基本的な資質を備えられました。その資格を東京大学の名において得たということを、ぜひ、皆さんの生涯にわたる誇りの源泉として、心に留め置いていただきたいと思います。そして実際に行動してほしいのです。資格を得たということは、同時に責任を負ったということでもあります。「知のプロフェッショナル」が忘れてならないのは、知性に支えられた情熱であり、真理に対する謙虚さと誠実さです。学位に相応しい矜持を持つと同時に、謙虚で誠実であり続けることを忘れずに、その資質を一層高めていってください。

 

東京大学は創立以来140年間、東洋と西洋の異なる学知を融合し新たな学問を創りだすことを伝統としてきました。今、グローバル化が加速する中で、大学という場は、人類全体の知の多様性という観点から、とりわけ重要な役割を担っていると言えます。しかし、私たち自身の日常には、自らが何者なのかということを深く問う機会はあまりありません。人類社会全体にとってより強靱な知の体系を構築するために、私たち自身の思考や感性を縛っている文化そのものの特質を意識し、省みる必要があると思います。

本日は、そのヒントとして、かつて東洋文化研究所の所長をされた中根千枝先生が、今からちょうど50年前の1967年にお書きになった『タテ社会の人間関係』についてふれたいと思います。

 

中根先生は、女性として初めて東京大学教授となって東洋文化研究所長を務められ、さらに女性初の日本学士院会員になられるなど、日本の学術界における女性研究者のパイオニアの一人で、文化勲章も受章されています。文学部の東洋史学科で中国とチベットの社会を学び、東洋文化研究所の助手時代に3年間、インドのアッサム地方でフィールドワークをされ、現地を歩き回り、そこの家族や人間関係を観察する中で、後の卓抜な理論的パースペクティブにつながる、豊かな発想の基盤を築かれました。

代表作である『タテ社会の人間関係』は、出版されてまもなく我が国でベストセラーになりましたが、日本にとどまらず世界各地で翻訳され、海外でも広く読まれました。日本社会や日本人がどのような特質を有するのかを世界に伝えるうえで多大な影響を与えた一冊でした。その内容は、インドおよび欧米などを比較の対象としながら、日本の社会構造の特質を描きだし、「タテ社会」という新しい概念をあざやかに提起したものです。

日本社会での人物の評価は、個々人の属性すなわち「能力」や「資格」によってではなく、個々人が属する集団すなわち「場」によって規定される。つまり日本の社会は、個々の資格や能力などよりは、年齢、入社年次などの組織としての序列が支配する「タテ社会」であると中根先生は説明しました。そして、それ故にもたらされる日本人の行動様式および日本社会の長所と短所を冷静に分析したのです。

日本の企業でかつて一般的であった終身雇用制にも「タテ社会」の原理があらわれています。時に親子の関係にもなぞらえられる、強い家族的一体感や団結に支えられた会社や組合などの「タテ社会」型の組織は、欧米などの個と個の契約的な関係を基盤とする「ヨコ社会」とは原理的に異なります。その独特の文化のパターンが、様々な矛盾や弊害を抱えながらも、日本の戦後における驚異的な復興や経済発展などを効率的に達成せしめたのだと論じられました。そうした意味で、中根先生による日本の文化の分析は、人間社会の発展へと至る道筋が、西欧型の産業化によってのみ拓かれるわけではなく、本来、もっと多元的で複線的なものである可能性を示していると考えることができます。すなわち、この論考は、日本という東洋の一つの国の社会についての分析から発しつつ、国境を越えて広く、人間の社会そのものの普遍的な性質について、新たな考察の視点をもたらしたのです。そして、だからこそ、この論説が海外にも大きなインパクトを及ぼし得たといえるのです。

自分をとりまく文化を反省的にとらえようとする試みは、中根先生の研究だけではありません。『タテ社会の人間関係』出版の数年後(1971年)には、当時、本学の医学部精神科教授であった土居健郎先生によって『甘えの構造』が出版されています。それは、日本人に特徴的な精神構造を、「甘え」という正確には英語に翻訳しにくい固有の感情の中に見出そうとするものでした。その約10年後(1979年)には当時、教養学部におられた村上泰亮、公文俊平、佐藤誠三郎という専門分野を異にする3人の教授によって『文明としてのイエ社会』が出版されることになります。これもある意味では「タテ社会」論で指摘された日本の社会構造の歴史的成り立ちを、中世に台頭してくる武士階級の「イエ」の原理から精緻に辿ることで、学際的に発展させようとする試みだったのです。注目すべきことは、さらに日本社会の未来の姿について、2つのシナリオを示していることです。西欧型の価値に近づき、他の国々と等質化していく「溶融的国際化」と、日本が独自の価値を保持したまま、他の国々と互いに違いを認め合い共存していく「適応的棲み分け」です。これは、出版以来40年近くを経て、グローバル化が加速する今日の我々が直面する選択でもあります。

 

世界は、今、先の見えない大きな変化のうねりの中にあります。国際紛争、宗教対立、地域間格差などの問題は複雑化し深刻さを増すばかりです。これまで人類が長年かけて創り上げ、世界を支えてきた民主主義や資本主義といった仕組みも、その原理だけでは、山積する多様で複雑な課題に対処できないのではないかとさえ思えます。こうした中で、ただひたすら、西欧の先進工業国が理想としてかかげた社会構造や価値に近づき、他の社会と同一化し均質化していくという道筋は正しいものなのでしょうか? それとも、もういちど自分たちの身にしみついた文化や行動様式を批判的に反省しつつ、その個性を基盤にしながら、新たな公共性の理念をつくりあげていくべきなのか。今一度、立ち止まってじっくりと考えるべき時期が来ているのです。中根先生たちの論考は、そのためのヒントとなり、あるいはたたき台となって、皆さんの思考や洞察を広く深く展開させてくれるはずです。

 

ここでもうひとつ、皆さんに注目しておいてもらいたいことがあります。それは、知的な共感を呼び起こす言葉の力です。ここで紹介した東大の教員たちによって著された日本人論・日本社会論は、「タテ」「ヨコ」あるいは「甘え」「イエ」といった、人々がよく使う日常語をあえて持ちだして、対象の本質を鋭くえぐり出そうとしています。もちろん、中根先生たちがこうした普通の言葉を使うのは、反射的な思いつきによるものではなく、熟慮を重ねたうえで選ばれたものでしょう。文科系の学問には、研究成果を言葉で普遍化し、言葉で発信するという作業が必ず伴います。理科系の学問領域では、その言葉の代わりを数式が果たす場合もあるでしょう。いずれにせよ、この先達たちの論考は、感覚的にも理解できる日常的な言葉の力を借りながら、その意味するところを深くまで探り、普段は意識されないような構造の普遍性を浮かびあがらせているということができます。だからこそ、人々の間に、知的な共感を呼び起こし、一時的なブームでは終わらない、これから先も長く読み継がれていくべき、まさに古典と呼ぶにふさわしい研究成果となったのです。

 

いまこの世界において、情報化の進行は凄まじいものがあります。グローバル化の加速と相俟って、私たちは氾濫する情報の洪水に飲み込まれ、みずからの立ち位置を見失いがちになっています。特に、ネット上では、反射的で一方的な情報の拡散によって、衝動的で感情的な大きなうねりが生じ、それが一過性の偽りの共感を呼んでしまうことがしばしば起きています。しかし、それは、選び抜かれ磨きあげられた言葉が呼び起こす真の共感とは、まるで性質の異なるものです。こうした時代だからこそ、皆さんには、時流に流されず、普遍性を備えた確かな知、そして、その知に裏打ちされた言葉をしかと見極め、他者と分かち合っていただきたいと思います。そして、皆さん自身で、そうした知を生みだし、言葉を創造し発信していただきたいのです。知性を軽視し、言葉を放棄してはなりません。他者を尊重し、誠実な対話を通じて、「知に支えられた真の共感」を作り上げていく努力を惜しむべきではないのです。

こうした姿勢は、時に世の中の流れに抗い、皆さんに孤独を強いることになるかも知れません。しかし、本来、「知のプロフェッショナル」とは、自身の信念に従って、こうした姿勢をしっかり貫ける人のことを指していうのだと思います。そして、皆さんの隣には、東京大学で共に学んだ同じく「知のプロフェッショナル」としての仲間がいます。お互いの力を活用し合い一つに併せれば、地球と人類社会の未来に向けて、新しい価値と変革の道筋を必ずや生みだしていけることでしょう。

 

皆さんが学んだ東京大学は1877年に創立され、本年4月に140年を迎えます。終戦を境に、ちょうど前半、後半ほぼ70年ずつの歩みを続けてきました。戦前の70年は日本社会の近代化において、戦後の70年は復興と成長において、東西両洋の学術を基礎としながら、独自の学問を生み育てることで貢献をしてきました。そして、今、東京大学は、次なる70年の第3ステージに向けて、大きく飛躍しようとしています。皆さんは、まさにその歴史的な移行期に立ち会っているのだと言えます。本日を門出の日として、東京大学から離れる方も多いでしょう。しかし、皆さんと東京大学のつながりは、ここで終わりではありません。

私は、今日を、皆さんと東京大学との新しいパートナーシップの出発点にしたいと考えています。新たなステージに踏み出すにあたり、東京大学は、「産学協創」と名付けた活動を始動させています。これまでの産学連携は、いわば、予め決められた問いに対して、その解き方を共同で考えるという限定的なものでした。それに対して「産学協創」は、解き方の模索だけでなく、発生する時代の課題と向き合いながら、何を解くべきかという問いそのものからともに考え、そして協力して行動するものです。こうした形で大学と企業とが手を組むことで、新たな知を創りだすことはもとより、その知を確実に社会に拡げ浸透させていくことが可能になるはずです。

 

本日、学位記を手にされた皆さんは、これからそれぞれ違った進路を歩まれることになります。大きな課題を解決するために基礎に立ち戻る必要がある時、あるいは本学で共に学び、研究をした仲間達と再び協力をし合いたいと思った時などには、是非新たな産学協創の輪にも加わっていただきたいと思います。東京大学は、いつでも、皆さんを歓迎します。

 

最後になりますが、皆さんが、今後益々、それぞれの研究や職務に邁進されること、そして、皆さんの未来に幸多きことを心より祈念し、私からのお祝いの言葉とさせていただきます。

学位の取得、誠におめでとうございます。
 

平成29年 3月23日
東京大学総長  五神 真

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