東京大学教職員・学生の手記「地震・津波を経験した職員として」

東日本大震災 - 東京大学教職員・学生の手記

平成23年3月11日に発生した東日本大震災発生時の様子やその後の行動、対応、感想等を本学関係者に手記として執筆してもらいました。

地震・津波を経験した職員として

大気海洋研究所附属国際沿岸海洋研究センター 専門職員 川辺幸一

 東大事務職員(平成25年2月現在)の中で唯一、震源地近くで地震と津波の被害に遭い、避難所生活も体験。その中で感じたことを書きます。

地震発生時の瞬間

 センター1Fの事務室内で、今まで体験したことのない強い揺れを感じた。

 パソコンのディスプレイが倒れ、コピー機や事務机が左右に動きはじめた。

 第一に頭に浮かんだのは建物の倒壊。デジカメと携帯電話だけを手に持ち、すぐさま建物の外へと逃げ出した(事務室から外へ出る裏口まで10歩程度の距離)。建物内にいた研究者の方々も次々と屋外へと飛び出してきた。強い揺れはなかなか収まらず、建物の外壁がひび割れ、建物外周のアスファルトからは水が溢れ出してきた。町内の防災無線より津波警報が発令され(自分の記憶からは抜けているのだが)、全員で高台へと避難を開始した。

とにかく逃げる

 今回の津波では、役職としての責任感から、自分を含め、大竹二雄センター長、大森弘光係長(当時)の3名でセンター内の見回りをした後、避難場所へと向かった。津波到達まで 30分程の余裕があったから良かったが、もし10分程度で到達していたならば逃げ遅れていた可能性が大きかった。

 津波発生の可能性がある場所では、自分自身の身を守ることが最優先。通常の地震であれば責任者の誘導に従い集団で逃げることが基本だが、津波は待ったなしでやってくる。指示を待つ余裕が無いため、個人個人の判断が重要となる。災害弱者(子どもや高齢者、からだの不自由な方)がいる場合などには事前に避難の手段を考えておかなければならないことは言うまでも無い。

使えるモノ、使えないモノ

 避難する際、携帯電話を持って逃げた。ところが震災直後から携帯電話は不通となり、連絡が取れない状態が続いた。基地局が破壊されるような災害時には最先端の通信機器が役に立たないという事を身を持って感じた。避難所では電池駆動によるラジオが唯一の情報源であった。胸ポケットに忍ばせておいたメモ帳も役に立った。

避難訓練の重要性

  偶然にも、震災一週間前に地元の避難訓練に参加していた。この訓練参加により、震災の時には、新たに整備されていた避難経路に従い、速やかな避難が出来た。この経験からも避難訓練の重要性を強調したい。避難訓練の日程は事前に知らされている事が通常だが、震災はいつ起こるか分からない。不定期に、抜き打ち的に実施することも必要なのではないだろうか。

各種データの損失

  津波により研究者の実験データや貴重な資料、事務文書、PCデータ、図書資料などの大半を失った。デジタル化出来るものの保管に関しては遠隔地への分散化が必要だという認識が高まった。それとは逆に、無くなってもそれほど支障のない書類というものが数多くあったことに気付かされた。良い意味で本当に重要なもの、そうでないものの取捨選択が出来た。

健康第一

 避難時、避難所での生活、震災後のボランティアなどでは健康なカラダと体力が第一となる。普段からの健康管理が重要。

遠隔地の共同利用施設として

 土地勘のない共同利用研究者へは避難経路の周知徹底が必要。また緊急連絡網の整備や利用者の所在確認の方法など、検討すべき点は多い。

最後に(まとめ)

 同じような震災、津波が必ず起こるということを常に意識して、普段の生活をすることが大事。

 現在、センターの再建が検討されているが、新センター建設にあたっては、数日間の食料備蓄や自家発電設備、井戸などを備えた緊急避難場所としての機能を持たせることが必要だと感じている。

 復興までは長い期間を要する。被災地とそれ以外の地域との温度差を埋めるためにも、長期的、定期的な情報発信の必要性を感じる。このような手記の公表も非常に有効である。




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