






私はニューヨーク出身で、カルフォルニア大学のバークレー校を卒業し、東部で古典文学を学び、1985年に奨学金を得て九州大学の国語国文科の研究室で近世、江戸文学を学びました。12年ほど前から東京大学で教鞭をとっています。
私にとってよかったことは九州大学で学んだことです。外国人男性である私にも多くの調査に接する機会をもたせてくれたからです。ハーバード大学で学んだ日本の文学史は九大に来て1か月半ほどで、音を立ててガタガタと崩れました。神社等の豊富な蔵書等を整理、分類、調査する機会に恵まれたので、地道にフィールドワークしながら探偵のように謎解きするのは、楽しみでもあり苦しみでもあったのです。
何がきっかけで海外で働くことを決意したか―。蔵書を調査・分類してて手ごたえを感じ始めた頃、ここで5年10年つくことができれば、自分の城は作れないまでも石垣くらいは自分で作って新しい研究、世界の中でも特徴的な歴史文化の新たなとらえ方、分析を見出すことができると実感できたのがきっかけです。ひょっとしたら自分のようなものでも日本で、日本語で研究ができるかもしれない、と感じました。その経験がなければ、1年半くらいでその材料を集めてアメリカで就職をし、日本を行ったり来たりしていたかもしれません。日本の地方の大学の中で戦力として見てもらえた、いろいろな仕事に使ってもらえた、公平に評価をしてもらえたことが私の大きなモチベーションになりました。


私は父親の仕事の関係でデュッセルドルフに小学校6年生から中3までの4年間住んでいました。ドイツでは、日本人学校もあり、日本人の感覚で育っていると思っていたのですが、実はずれていたわけです。中3の時に帰国し、生徒の3/4が帰国子女であった国際基督教大学の付属高校で学生時代を過ごしたので、大きな問題はありませんでした。カルチャーショックを受けたのは東大に入学して。クラスのオリエンテーションで話をしていると、突然怒られたのです。私は現役で相手は一浪だったと思いますが、「お前は年下だろう。タメ口をきくな」年功序列とはそういうことか、とびっくりしました。次第にクラスに馴染めなくなり、駒場時代はほとんど授業に出ませんでした。
よく調べもせずに東大の大学院に進みました。ショックを受けたのはこんな勉強をできたらいいなと思っていた分野がまったくやられていなかった。いろいろな出会いがあって、もしかしたらこの分野で勉強ができるかもしれない、と思い始め、アメリカで活発にやられている研究であるとわかり、なんとか東大を乗り切っていつかアメリカに行こうと考え直しました。「自分がやりたかったことができないからアメリカへ行こう」それが動機でした。世界中に職を求めた結果、バークレーが採用してくれることになりました。最初の国際会議で発表した時、無名の私が初めて国際会議で発表したのですが、論文等で読み知っていた研究者たちが、「お前の話は面白かった。がんばれ」と言ってくれるわけです。若者を盛り立てて応援してくれる、その雰囲気がうれしかったです。



私のように古典を対象に研究しているものは材料・資料をまず自分で見つけます。近代の人には読みづらいくずし字をひとつずつ判読し、読みほぐして手繰り寄せ、江戸時代・明治時代を根源から考え直すことになり、そこが想像の火種になります。
私はやらなくてもいいことを、やるべきことをアメリカで気づかずに、日本に来て気づかされ、それができる環境にいたのは喜ばしいことです。私が育ったアメリカの大学は、文学を俯瞰的に相対的にとらえて、世界文学の中の日本文学、江戸時代、その小説などひとつひとつをどうとらえるか、そこから攻めていく。実証的なことばかりやっていると総長の話ではないですが、森が動きません。それどころか見えないんです。広い意味をもって他分野を見ながら研究の視野に入れなくてはなりません。学生たちには「君たちが常識だと思っている思考法は普遍性をどこでひっくり返されるか、ユニバーサルじゃない」と教えています。


今でこそ英語でジョークをとばせるようにもなりましたが、ドイツで生活していたので、英語をきちんと学んだわけでもなく、語学のコミュニケーションスタイルが違うことで悩みました。「どんな研究をやっている?」と聞かれたときに1分間くらいで、自分がやっていることをいかに面白く端的にパッと言えないと、話しても仕方がないと切り捨てられます。
自分が言いたいことを言う=簡単なことは講演です。スライドを作り、時間を図りながら何回も練習して講演する、ということを繰り返しました。その次に困るのは食事時の会話です。研究の話から、突然政治の話、次には映画の話になっている。そして今日の研究の話と、話題がどんどん変わります、新聞を読んで政治の言葉を覚えたり、次第に会話にもついていけるようになりました。ある程度慣れてくると、どこでジョークを言えるかです。講演中、ポンとジョークが入ると皆の注意がかえってきますね。眠そうな人も「おっ!」と聞くようになります。どのくらい注意を払ってくれているのかが図れるいいツールです。他の人の講演を聞いてサンプルを積み重ねます。日常の会話でも使え、やっと自信がでてきました。



他者の中に身をおくことが大切です。兄弟のコミュニティで兄弟だけで作るルールが有効な空間でいるときはよいが、いったん外に出ると通用しないことを知らなければならない。海外に短期留学した場合、2〜3日で限界がわかります。それは人生にとっても研究にとっても大切な経験です。帰ってきた時に、自分がやるべきこと、やらなくてもいいことが見えてくるはずです。年に2〜3回アメリカに帰って若い学生とワークショップや、現地調査をしますが、私自身が気付くことが多くあります。逆に日本に帰ってきた時に書斎でも、違う想像力が働くことがあります。海外で戸惑ったり躓いたりしながらも帰ってきたときは、必ずプラスになります。私たちは学生を海外に送り出して、また迎え入れ、さらに社会に送り出せるシステムを強化しなくてはいけません。


「自分の常識が通じなくて困った」「コミュニケーションがとれなくて困った」という経験があるだけで、すごく違うと思います。外国人と接するときにうまく通じないと「もしかしたらこの人はこういった考え方をしているのかもしれないから、ここが通じないのかな」と一歩下がって考えることができ、その後のコミュニケーションがものすごく変わってくる経験を何度もしています。初めてインドに行った時、頼みごとをして、その返事が首をかしげるのでノーだと解釈していたら、それがイエスの意味だと気づいた事も。違った解釈があるかもと思った瞬間に見えてくるものです。そのために一番いいのは留学かもしれないし、数か月のホームステイ等の経験をしてほしいと思います。