植物の生き方に魅せられ、
人生を楽しみながら研究生活を継続

大学院農学生命科学研究科 准教授
経塚 淳子
Junko KYOZUKA

経塚 淳子

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経塚 淳子

~4人姉妹の2番目、若草物語のジョーのような性格~

 私は、小さい頃はアウトローだったと思います(笑)。勉強はよくできましたし、性格も悪くなかったと思いますが、「みんなで一緒にがんばろう」というタイプではなかったので、小学校時代は優等生がやるような役職には就いたことがありませんでした。輪の中心から少しはずれたところで皆のことをはすに見ているような子どもでしたね。姉妹のなかでもちょっと浮いた存在だったかもしれません。たとえるなら、若草物語のジョーのような独立心があってさっぱりした子どもでした。

 父が高校の数学教師、祖父が小学校の理科の先生ということもあって、理科は小さいときから好きでした。母も働いていたので、小学生の時には祖父母といることが多く、理科好きは祖父の影響が大きかったと思います。祖父は庭造りが好きで、ブドウ棚を作り、薬剤を使って種なしブドウを作ったりしていました。私はいつも祖父を手伝っていたので、植物を育てたり、生き物を眺めたりするのが大好きでした。小学生向けの雑誌「科学」の付録も祖父がきちんと作りたがるので、一緒に作って一緒に実験をしていました。算数も好きでした。今思うと、理屈っぽいことが好きで、凝り性でしたね。

~バイオテクノロジーに興味を持ち、大学へ~

 中学、高校でも理科と数学好きは続いていて、高校では理数科にいました。私が高校生だった1970年代後半は、バイオテクノロジーが脚光を浴び始めた時期で、なぜか地理の先生が遺伝子組み換えや食糧生産の明るい未来像を語っていました。その話がとてもおもしろくて、将来は生物の研究をしたいと漠然と思いました。

 東大に進学したのは、何を専門にするのかすぐに決めなくてよいことと親が喜ぶからという理由でした。女の子が東大に行くことを喜ばない親御さんもいるという話を聞きますが、うちは母も働いていましたし、娘4人なので、父は女の子っぽくない生き方も歓迎したのだと思います。東大の3年で、最初の思い通りバイオテクノロジーをやりたいと考えて専門に進み、4年生のときは大麦の組織培養などの研究をやっていました。

~博士課程に進むつもりが、望まれて就職~

 その後大学院に進んで修士を取りました。そのまま博士課程に進むつもりだったのですが、ここでちょっとした偶然が起こりました。研究室の仲間数人と指導教授に連れられてバイテク関連の会社に見学に行ったところ、会社から修士課程を出た人がほしいということになったのです。それも、できれば私に来てほしいとのことでした。その時はまだ就職は考えていなかったのですが、「そう言ってくれるなら、行こうか」と思って入社することにしました。結果的に、その選択は幸いしました。

 私が入社したのは三菱化成と三菱商事が共同出資した「植物工学研究所」で、そこでイネの研究を始めました。当時のボスは外国で長く研究して帰って来た新進気鋭の研究者で、いろいろなことを教えてもらいました。何事にもとらわれることなく自分の意思を尊重すること、研究は年齢・性別・人種にかかわらない世界共通言語であること、したがって世界を舞台に進めるものであることを学んだと思います。ここでの体験が私の大きな転機になったのです。

 ここでやった基礎研究で、入社4年後に博士号を取りました。その間に結婚もしました。

~外国に行きたいと思い、オーストラリアの研究所へ~

 「植物工学研究所」には9年いましたが、望まれてふわふわと就職したので、途中から外国に行ってみたいと思うようになり、会社をやめてオーストラリアの研究所に行きました。ポスドクを取ってくれる研究所はなかなかなかったのですが、たまたま会社が共同研究をしていたオーストラリア連邦科学産業研究機構(CSIRO)が受け入れてくれることになりました。この研究所はキャンベラにあったので、そこで遺伝子組み換えユーカリの研究をしながら、オーストラリア中を旅行しました。私はもともとアウトドアが好きで、キャンプなどによく行っていたので、オーストラリアの生活は楽しかったですね。人がハッピーで、研究者が楽しそうに研究しているのが印象的でした。やはり、一度は外国に出ることを勧めます。

~奈良先端科学技術大学院大、東大でイネを研究~

 オーストラリアには2年いて帰国しました。奈良先端科学技術大学院大学でポストが得られたからです。そこでイネの研究を再開しました。できたばかりの新しい大学だったので、スタッフ全員が研究に燃えていました。iPS細胞の山中伸弥さんもいたりして。そこには7年いましたが、一か所にあまり長くいるのもどうかと思い、東大の公募に応募して採用されました。東大では栽培学研究室で、イネの枝分かれの研究をしています。

 夫は東京に戻ってから正式な職に就きましたが、それまではフリーのサイエンスライターだったので、一緒にオーストラリアや奈良に行くことができました。単身赴任はたいへんなので、これはラッキーだったと思います。夫のほうが時間が自由だったので、銀行や市役所の手続きなど、家の事務的なことは全部やってもらっていました。

~進路選択で大事なのは、好きな道へ進むこと~

 理系の学部に進学を希望している女子高生には、ぜひ好きな道へ進んでほしいですね。理系でも文系でも、進路選択で大事なのは、好きなことをやってみることだと思います。世間一般で言われていることには思い込みや勘違いが多かったりします。周りの言葉に惑わされずに、やりたいことを自由にやったらいいと思います。自分の興味があることを研究するほうが、おもしろいに決まっています。

 東大は、建物や設備はけっこう古いですが、総合的にみると良い環境だと思いますし、いろいろな可能性があります。大きな組織なので不自由なこともありますが、先生方は学生の教育に熱心で、ほんとうに力のある学生を育てたいと心から思っています。東大に興味があったら、女子中高生向けのイベントに参加するなどして、東大の見学に来て下さい。好きな勉強ができそうな学部があったら、敷居が高いと思わずにぜひ受験してください。私が学生だった頃より、女子トイレなども整備されましたしね。

~広い視野で社会を眺めて、幸せになる道を選んで~

 研究者をめざす学生は、男子も女子も「どうやって職を得るか」が大きな問題です。そこでちょっと考えてほしいのは、博士号やポスドク*だけが人生ではないということです。広く社会を見れば、研究者の経験を活かして生きる道はいろいろあるので、大学だけではなく外の世界も視野に入れて研究者をめざしてほしいですね。私自身、企業の研究所や別の大学を経験したことで視野が広がりましたし、それが自分の強みだと思っています。

 どんなに良い仕事や地位があっても、自分が幸せでなくては意味がありません。幸せになる道は一つではないので、そのときに自分がいちばんよいと思う道を選べばいいと思います。私には子どもがいませんが、子育ての間しばらく研究生活から離れなくてはならないということもあるでしょう。でも、研究が好きなら、好きな道に戻れます。子育てでも研究でも、「こうしなければならない」「今これをやらないとだめになる」というような思い込みは捨てて、リラックスして、自分がやりたいことや自分の幸せを追求していってほしいと思います。自分らしく生きることを大切にしてください。

*ポスドク(ポスト・ドクター)
博士号取得後に、任期付きでプロジェクトに関わる若手研究者

(2012年3月取材)

女子中高生の理系進路選択支援プログラム
※本インタビューは科学技術振興機構(JST)による「女子中高生の理系進路選択支援プログラム」の支援を受け、作成しています。

プロフィール:
経塚 淳子 (Junko KYOZUKA)
東京大学大学院農学生命科学研究科
准教授

富山県出身。1982年東京大学農学部卒業、1984年同大学院農学系研究科修士課程修了。三菱化成植物工学研究所研究員、オーストラリア連邦科学産業研究機構(CSIRO)研究員、1997年奈良先端科学技術大学院大学助教授を経て2002年東京大学大学院農学生命科学研究科助教授、2007年より職名変更に伴い現職。農学博士。
2012年リサーチフロントアワード受賞。

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